イラン料理

基礎知識
  1. ペルシャ帝と料理の起源
    イラン料理の起源は古代ペルシャ帝時代にさかのぼり、初期の料理法や食材がこの時期に発展したものである。
  2. サフラ(宴席)と料理文化
    サフラ(宴席)文化イラン料理の重要な要素であり、古代から宴会や儀式での料理が地域社会や宗教的儀式と密接に結びついている。
  3. スパイスと香辛料の伝統
    イラン料理におけるスパイスと香辛料の使用は古代からの伝統であり、周辺地域やシルクロードとの交易により多様な風味が取り入れられた。
  4. イスラム文化イラン料理の発展
    イスラムの普及に伴い、イラン料理はイスラム文化の影響を受け、特定の食材や料理法が取り入れられるようになった。
  5. 現代イラン料理と多様性
    現代イラン料理は地域ごとに多様で、各地方特有の食材や伝統料理が融合し、豊かな食文化を形成している。

第1章 ペルシャ帝国の誕生と食文化の始まり

ペルシャ帝国と「食」の黎明

ペルシャ帝が誕生した紀元前6世紀、食文化は単なる生存手段ではなく、政治文化と密接に関わる大切なものとして発展し始めていた。アケメネス朝のダレイオス1世は、広大な領土を統治するため、異なる地域の農産物や香辛料を統合し、ペルシャ全土で新たな食文化が形成された。例えば、ダレイオスが重視した農業政策により、や小麦、ザクロなどの栽培が広まり、これが後のイラン料理の基盤となった。帝の交易路も確立され、遠くインドや地中海からさまざまな食材が運ばれるようになり、ペルシャの台所に異の風が流れ込み始めたのである。

王たちの食卓と社交の場

アケメネス朝の宮廷では、食卓が単なる食事の場ではなく、政治文化が交わる社交の場として機能していた。王は食事を通じて貴族や官僚と関係を築き、臣下との信頼を深めた。宮廷では様々な食材が豪華に並べられ、肉のローストや、蜂蜜とナッツを使った甘い菓子など、贅沢な料理がふるまわれた。宴席での料理は、他の王や都市国家に対するペルシャの富と権威の象徴でもあり、その豪華さと洗練さに、訪れた外の使節も驚嘆したと言われている。ペルシャ帝の食卓は、外交と文化交流の一大舞台だったのである。

庶民の食事と古代の農業

一方で、庶民の食生活もまた、ペルシャ帝農業政策によって大きく支えられていた。庶民の間で主食として親しまれたのはパンで、これは小麦を使ったシンプルなものであり、時にはチーズやヨーグルトとともに食された。また、レンズ豆やひよこ豆などの豆類も広く栽培され、これが手軽で栄養価の高い食材として一般的になった。農業が安定すると、庶民も多様な食材を享受できるようになり、季節ごとに異なる食材を使った料理が定着した。こうして、ペルシャ帝全体で、庶民から貴族に至るまで豊かな食文化が花開いたのである。

交易路とペルシャの味覚革命

ペルシャ帝は広大な領土を持つ一方で、交易にも積極的に関与し、シルクロードを通じた交易により、新たな味覚がペルシャに流れ込んだ。例えば、インドからはスパイス、中央アジアからは干しぶどうなどが運ばれ、ペルシャの味覚をさらに豊かにした。王たちはこれらの食材を宮廷料理に取り入れ、各地の貴族たちにも広まった。シルクロードを介した交易によって、ペルシャ料理は多様な要素を取り入れ、より複雑で洗練された味わいを持つようになっていった。ペルシャ帝の食文化は、交易の発展により、異の風味が織り交ぜられた豊かなものへと進化を遂げたのである。

第2章 宴席文化の始まり:サフラとその儀式

宴席「サフラ」の誕生とその意義

古代ペルシャで生まれた宴席「サフラ」は、ただの食事ではなく、人々を繋ぐ重要な儀式であった。サフラは、王侯貴族が集う豪華な宴席から始まり、やがて庶民の間にも広がった。宴席では食べ物だけでなく、詩や音楽が交わされ、これにより個人や家族、地域社会が深く結びついた。宴席はまた、貴族や商人が他の使節と交流し、政治的・文化的な関係を築く機会でもあった。食と儀式が一体となるサフラは、単なる食卓を超え、文化や人々の絆を表現する特別な場であった。

王侯貴族の饗宴とその豪華さ

サフラは、特に王侯貴族の宴席では壮麗であった。アケメネス朝の宮殿では、豪華なの器に盛られた美食が並び、焼き肉や果物、蜂蜜を使った菓子などがふんだんにふるまわれた。豪華な料理は帝の富を示す象徴であり、招かれた客人はその見事さに感嘆したと言われている。宴席では、詩人や音楽家が即興の演奏を披露し、王たちと貴族が集う饗宴は、食事が持つ社交的な役割をさらに強化していた。ペルシャのサフラは、帝の誇りを示す「動く芸術作品」とも言えたのである。

食卓での儀式と礼儀作法

サフラでは、食事の進行や礼儀作法も厳しく定められていた。ペルシャでは、料理がからの贈り物と考えられ、食べ物に感謝を示すのが重要であった。特に宴席では、客が最初に口にする料理の順番や、給仕が食材の起源や特性を説明する様子は、食材そのものを祝福する一環であった。ゲストたちは、食べ物がどのように用意され、選ばれたかを知ることで、料理と人々のつながりを意識させられた。こうした食卓での儀式は、イラン料理の文化的・宗教的な意義を育み、継承する手段でもあったのである。

宴席の文化が庶民へと広がる

サフラ文化は、やがて王侯貴族だけでなく庶民の間にも浸透していった。庶民の宴席は質素ではあったが、祭りや結婚式、宗教行事などの場で人々が集い、料理を囲んで楽しむ機会が増えた。庶民の宴席には地域特有の料理が並び、家族や地域社会の絆が強まった。宴席での礼儀作法も、庶民が文化を共有し、伝統を守る重要な役割を果たしていた。こうして、サフラ文化は古代ペルシャの伝統を超えて広がり、後のイラン料理や儀式に欠かせない要素として、地域社会に深く根付いていった。

第3章 シルクロードと香辛料の道:味覚の多様化

シルクロードがもたらした新しい風味

シルクロードと呼ばれる交易路が、イラン料理に新たな風味を運び込んだ。古代ペルシャは、この壮大な交易路の中心地として繁栄し、インド中国、アラビアからの香辛料や食材が絶え間なく流れ込んだ。サフラン、ターメリック、シナモンといった香辛料は、料理の風味を格段に引き上げ、食卓に彩りを添えた。これらの香辛料は料理の味だけでなく、鮮やかな色をもたらし、見た目の美しさも楽しめるようにしたのである。シルクロードは、単なる商業の道を超えて、ペルシャの食文化を発展させる味覚の道でもあった。

スパイス使いがもたらす健康効果

イラン料理に欠かせない香辛料は、味覚だけでなく健康にも良い影響を与えると信じられてきた。たとえば、サフランには気分を高める効果があるとされ、カレー料理などに使われるターメリックは抗炎症作用が期待されている。古代ペルシャの人々は、料理に使う香辛料の効能を重視し、日々の食事で健康を保つことを目指した。これにより、香辛料の使用は調味料としてだけでなく、医薬品としての意味も持ち始めた。香辛料の豊かな風味と効能が、イラン料理の魅力をさらに引き立てているのである。

異文化との交わりが生む味の融合

シルクロードを通じて、多様な文化宗教イランに流れ込み、食文化にも影響を与えた。ペルシャ料理は、訪れた商人や旅人との交流を通じてアレンジが加えられ、より豊かで多様な味わいを持つようになった。たとえば、中央アジアからの羊肉料理やインドからの豆料理がイラン料理に取り入れられ、現地のスパイスと融合することで新しい料理が生まれた。このように、イラン料理は他の文化から影響を受けながらも、独自の風味を保ち、魅力的な食文化として成長してきたのである。

香辛料の道がつなぐ東西の食卓

シルクロードは、東洋と西洋をつなぐ「香辛料の道」とも呼ばれるほど、料理に欠かせない香辛料が絶えず交易されていた。ペルシャ料理には、この交易路を通じて運ばれた香辛料がふんだんに使われ、地中海やインドアフリカの風味が調和する独自の料理が誕生した。遠く離れた地で生まれた食材や香辛料イランの食卓を豊かにし、ペルシャはその影響を受けつつも、独自のアイデンティティを持つ料理を創り上げたのである。この香辛料の道は、異文化の味を融合させる舞台でもあった。

第4章 イスラム化と食文化の変容

イスラムの到来と食文化の転換点

7世紀、アラビア半島からイスラム教がペルシャに伝わり、社会全体に深い変革をもたらした。イスラムの教えは日々の生活のあらゆる側面に影響を与え、食文化も例外ではなかった。イスラム教のハラール(合法)やハラム(禁忌)の概念が導入され、特に豚肉の禁止やアルコールの排除が重要視された。こうした新しい規範は、すぐに人々の間で浸透し、飲食の習慣が大きく変わることになった。古代から続くペルシャ料理にイスラムの教えが加わり、イランの食文化は新たな段階へと進化を遂げたのである。

ハラール規範と新たな料理法の誕生

イスラム教がもたらしたハラール規範は、食材や調理法に新しい工夫を生み出すきっかけとなった。豚肉の代わりに羊肉や肉が一般的に使われるようになり、食材の準備や調理の手順にも厳格なルールが設けられた。特に、肉の屠殺方法には厳しい規定があり、動物の命に感謝する儀式として、祈りを捧げながら屠殺を行うようになった。こうして、イスラムの教えに基づいた調理法が確立され、イラン料理は宗教的に正統な料理としても高い評価を得ることとなった。

断食月ラマダンと特別料理の誕生

イスラム教の五行の一つである断食(サウム)も、イラン料理に新たな風を吹き込んだ。特に、ラマダンには日没後に食事をとるイフタールの習慣が始まり、これに合わせた特別料理が登場した。甘いデーツやハーブ入りのスープなどが食卓に並び、断食を終えた身体に優しい料理が提供された。また、イフタールは家族や友人との絆を深める場でもあり、食事信仰や社会的な交流の一部として大切にされる機会となった。ラマダンの特別料理は、イラン料理に季節ごとの味覚を加えたのである。

祝祭と共に生まれる料理の伝統

イスラムの祝祭であるイード・アル=フィトルやイード・アル=アドハーも、イラン料理の発展に寄与した。これらの祝祭では、豪華な料理がふるまわれ、日常とは異なる特別な食材や調理法が用いられた。たとえば、特別なハーブを加えた料理や、ナッツとドライフルーツを使ったデザートが定番となり、祝祭の喜びを共有するための料理が工夫された。こうした祝祭料理は地域社会全体に幸福をもたらし、宗教的な行事と料理文化が結びつくことで、イラン料理の伝統がさらに豊かに継承されていった。

第5章 宮廷料理と貴族の饗宴

サファヴィー朝の宮廷で花開く料理芸術

16世紀に登場したサファヴィー朝は、ペルシャ文化の黄期を築いた。イスファハーンの壮麗な宮殿では、豪華な饗宴が頻繁に行われ、料理は宮廷生活の中心的な芸術の一つとして発展した。シェフたちは王や貴族のために、スパイスやナッツ、ザクロをふんだんに使った華やかな料理を創り上げ、食卓を彩った。料理の「ポロ(ピラフ)」やハーブとヨーグルトを使った肉料理は、宮廷料理の代表作として知られている。これらの料理は、目で見て美しく、口で味わって至高の体験をもたらす「動く芸術作品」として、訪問者たちを驚かせた。

宮廷シェフたちの工夫と献身

サファヴィー朝では、シェフたちが宮廷の料理人として重要な役割を果たし、王族に仕えるため日夜工夫を凝らしていた。彼らは調理技術極限まで磨き、食材の新たな組み合わせを試み、贅沢な食材を使った創作料理を生み出した。特にスパイスやハーブを複雑に配合し、料理に深みを持たせることで、料理そのものが一つの物語を語るように工夫された。また、料理の盛り付けにも細心の注意が払われ、見た目も美しく仕上げるために、花や色鮮やかなソースが用いられた。こうして、宮廷シェフたちは料理を通してサファヴィー朝の誇りと威厳を表現していたのである。

豪華な饗宴と外交の舞台

サファヴィー朝では、宮廷料理が外交の重要な役割も果たしていた。外からの使節や商人が宮廷を訪れる際、豪華な饗宴が設けられ、料理が力や文化の豊かさを示す手段として利用された。使節たちは、宮廷の豪華な料理に驚き、ペルシャの豊かな食文化に魅了された。豪華な料理の数々は、サファヴィー朝が他に対して誇示したい富と洗練の象徴でもあった。この饗宴は単なる食事ではなく、際的な関係を築き、宮廷の影響力を広める外交の場であり、食文化がもつ力の大きさを示していた。

食卓を彩る美の探求

サファヴィー朝の宮廷では、料理が美術作品のように扱われ、食卓を「美の舞台」として整えられた。豪華な食器や美しい盛り付けはもちろん、料理の色彩や食材の配置にも細やかな配慮がされ、訪問者の目を楽しませた。たとえば、ザクロの赤やサフランの色が料理にあしらわれ、食卓全体が華やかに彩られていた。宮廷の食卓は、料理の美しさと豪華さを通じて宮廷の威厳を示す場でもあり、視覚と味覚を同時に満たす総合的な美の探求であった。こうした「美の饗宴」は、ペルシャの文化と美意識の高さを象徴していた。

第6章 地方ごとの風味:多様なイランの食卓

イラン北部の豊穣と風味

イラン北部はカスピ海沿岸の肥沃な土地に恵まれ、ここで育まれる食材は鮮やかな風味を持つ。特に魚や野菜が豊富で、地元の人々は新鮮なハーブやザクロ、ニンニクなどの食材を駆使した料理を作り上げてきた。代表的な料理に「フィルニー・サガル」「ギーランのフンジャン」があり、特有の酸味が北部料理の特徴である。ハーブを多用することで、料理は見た目も香りも華やかで、訪れる人々を魅了する。北部の食文化は、カスピ海からの恵みと豊かな自然の恩恵を最大限に生かしたものである。

南部の香辛料と異国の影響

南部地域では、インド洋やペルシャ湾からの貿易が盛んであったため、スパイスや異の食材が豊富に取り入れられてきた。特にバンダレ・アッバースの市場では、インドやアラビア半島から届いた香辛料が溢れ、料理にはターメリックやシナモンカルダモンといったスパイスが使用される。南部料理の代表として「メヒ(魚料理)」や「パチチ(シーフードシチュー)」が挙げられ、南の暑さを乗り切るために酸味や辛味を効かせた味わいが特徴である。南部の料理は、その土地ならではの香辛料と異文化が調和した独自の世界を持つ。

西部の山の幸と豊かな食材

西部地域、特にザグロス山脈沿いでは、肉や乳製品が豊富に採れ、寒冷な気候に適した料理が発展してきた。ここでは「ケバブ」や「クフト(肉団子料理)」が定番で、特に羊肉が料理の主役となる。地元で生産されるヨーグルトやチーズも多く使用され、これが西部の家庭料理に欠かせない食材となっている。西部の人々は厳しい自然の中で自給自足の生活を続けてきたため、料理はシンプルでありながらも滋味深く、山の幸と人々の暮らしの知恵が凝縮された味わいがある。

東部の乾燥地帯が生む工夫の料理

イラン東部は乾燥した砂漠地帯が広がる地域で、や食材の確保が難しいため、保存性の高い食材や調理法が発達した。ここではナツメヤシやクミン、干し果物が料理に使われ、味付けには乾燥ハーブやが多用される。代表的な料理に「アシュ(麦スープ)」や「ベールヤン(肉のロースト)」があり、少ない食材でも工夫して味を引き出す技術が見られる。東部の料理は、乾燥地帯に適した保存食文化とシンプルながら奥深い味わいが特徴であり、自然と共存する知恵が詰まっている。

第7章 イラン料理と家庭の味

家庭料理の伝統とその価値

イランの家庭料理は、家族の絆を深める大切な役割を果たしている。特に女性たちが受け継いできた料理の技術は、各家庭ごとに独自の味わいがあり、母から娘へと伝えられる。伝統的な「ケイメ・グホールメ」(肉と豆のシチュー)や「サフラン・ライス」は、家族で楽しむ食卓の中心であり、イラン人にとっての「おふくろの味」でもある。こうした家庭料理は、家族のつながりや文化の継承に欠かせないものであり、食事を通して家族間でのコミュニケーションが生まれる。家庭料理の味わいは、イラン人の生活と記憶の中に深く刻まれている。

日常の食卓を彩る季節の食材

イランの家庭料理では、季節ごとの新鮮な食材がふんだんに使われる。春には香り高いハーブやグリーンピース、夏にはトマトやナス、秋にはザクロや干しブドウ、冬には根菜が家庭の台所を彩る。料理の主役である野菜や果物は、その時期ごとの旬を大切にし、最も美味しい状態で調理される。例えば、春の「サボゼ・ポロ」(ハーブごはん)は新鮮なハーブがふんだんに使われ、四季折々の自然の恵みが楽しめるのがイラン家庭料理の魅力である。季節の食材は料理に色彩や香りをもたらし、毎日の食卓を豊かにする。

手間を惜しまない家庭料理の技術

イランの家庭料理は、じっくりと時間をかけて調理されるのが特徴である。例えば、「フィルニー・カレバ」(ハーブと肉の煮込み)は数時間かけて味を染み込ませ、柔らかく煮込むことで深みが増す。また、サフランの抽出やハーブの刻み方など、料理のひとつひとつに細かな技術と手間が込められている。イラン人にとって、料理は愛情と忍耐の証であり、家族のために心を込めて準備することが大切にされている。手間ひまかけて作られる家庭料理は、特別な味わいと共に家庭の温かさを感じさせるものである。

おもてなし文化と家庭料理の役割

イランの家庭料理には、訪れる人を温かく迎え入れる「おもてなし」の文化が息づいている。友人や親戚が家を訪れると、家庭料理がふんだんにふるまわれ、「ケバブ」や「タブリジ・ケイメ」といった豪華な料理が食卓を賑わす。訪問者への配慮と歓待の心は、家庭料理を通じて表現され、来客は家庭の一員として歓迎される。この「おもてなし」は、イラン人にとって重要な文化であり、家庭料理が社会的な役割を果たす場でもある。イランの家庭料理は、人と人をつなぐ渡しの役割を担っているのである。

第8章 現代イラン料理と食の変遷

変わりゆく食卓:都市化と食文化

20世紀後半、急速に進んだ都市化はイランの食文化に大きな影響を与えた。農から都市へと移り住んだ人々が新しい生活様式を求める中、家庭料理もその変化に応じる必要があった。忙しい日常に合わせて調理が簡略化され、ファストフードや外食の文化が広まり始めた。都市部の市場には、冷凍食品や加工食品が登場し、家庭での調理時間が短縮される一方で、伝統的な食材の使用も減少した。都市化によってイランの食卓は便利で効率的になったが、同時に、古くから続く食の営みが姿を変えつつある。

世界の味との出会い:グローバル化の影響

イランもまた、グローバル化の波の中で他の食文化と出会い、それらが取り入れられつつある。特にピザハンバーガーパスタといった西洋料理が都市部で人気を集め、若者を中心に支持を得ている。また、観光地や大都市のレストランでは、インド中国イタリアなどの料理が楽しめるようになり、食卓が際色豊かになった。これにより、伝統的なイラン料理と異文化の料理が融合した新しいメニューが生まれている。グローバル化は、イラン料理に多様な風味を加える一方で、伝統と現代のバランスをどう保つかという課題を生んでいる。

ヘルシー志向と伝統食材の再評価

最近では、健康志向が高まる中で、イランの伝統的な食材が再び注目を集めている。特に、新鮮なハーブやサフラン、穀物類は栄養価が高く、健康的な食事として再評価されるようになった。ファーストフードが広がる一方で、栄養バランスを重視した料理を取り入れる動きもある。たとえば、昔ながらの「アーシュ」(ハーブ入りスープ)は、豊富な野菜と豆類で作られ、現代人の健康意識に適しているとされる。伝統的な食材が見直されることで、イラン料理は再びその栄養面や味わいで高く評価され、次世代へと継承されている。

食を通じたアイデンティティの再構築

現代イランにおいて、食文化は単なる食事以上の意義を持つようになっている。特にディアスポラ(移民)として海外に暮らすイラン人にとって、故郷の味はアイデンティティ象徴である。異の地で伝統のレシピを再現することは、故郷とのつながりを保つ方法であり、食を通じた文化継承の手段でもある。また、SNSなどを通じてイラン料理が海外に紹介され、世界各地で注目を集めるようになってきた。こうしてイラン料理は、食卓を通じてイラン人が自らの文化を再確認し、他者と共有する大切な役割を果たしている。

第9章 宗教と食事:祝祭と断食の料理

ラマダンの夜を彩るイフタールの食卓

イスラム教の重要な行事であるラマダン、日没後の食事「イフタール」は断食を終えた後の最初の一口であり、特別な意味を持つ。このイフタールでは、甘く栄養価の高いデーツ(ナツメヤシ)が最初に口に運ばれ、体にエネルギーを補給する。さらに「ハリーム」(小麦と肉の粥)やハーブスープ、栄養豊富な「アシュ」(野菜と豆のスープ)が並び、断食で疲れた体を癒す。家族や友人とともに囲むイフタールの食卓は、食事を通して心のつながりが深まる瞬間でもあり、ラマダンの夜を彩る重要な風習である。

ノウルーズと春の祝い料理

イラン暦の新年である「ノウルーズ」は春の到来と共に祝われ、豊かで華やかな料理が用意される。特に「サボゼ・ポロ」(ハーブとの料理)は新しい命を象徴する緑のハーブが主役で、春の息吹を食卓に届ける。さらに、「サバズィ・ホールメ」(ハーブと豆のシチュー)や「サクナク」(揚げパン)などの料理が新年の祝いに欠かせない。ノウルーズの祝祭は、一年の繁栄と平和を願い、親族や友人が集まる機会となる。春の新鮮な食材がふんだんに使われた料理は、自然との調和を祝うとともに、人々に新たなエネルギーを与える。

イード・アル=フィトルと甘味の贈り物

ラマダンの断食が終わると訪れる「イード・アル=フィトル」は、喜びと感謝の祝祭であり、イランの各家庭では甘いお菓子がふんだんにふるまわれる。この日には「クナーフェ」(チーズ入りデザート)や「ハルワー」(甘い小麦菓子)など、特別な甘味がテーブルを飾る。甘い料理にはへの感謝が込められており、訪れる客人にも分け与えられる。家庭内での「おもてなし」としてお菓子をふるまい、豊かさを分かち合うことが重要視される。イードの甘味は、幸福と寛大さを象徴し、食を通じて人々が互いに感謝と友情を深める機会である。

宗教と共に変遷する食文化

イスラム教の行事がイランの食文化に与えた影響は大きく、料理の伝統と宗教的な意味が一体となって発展してきた。祝祭の食卓には、特別な料理が並び、それぞれに宗教的なシンボルが込められている。また、ラマダンやイードの料理を通じて、イラン人は宗教の教えに従いながらも、家族や地域社会との絆を大切にしてきた。こうした祝祭料理の風習は、イラン料理の多様性と宗教が融合した象徴であり、文化アイデンティティの大切な一部となっている。宗教行事が食文化に新たな色合いをもたらし、社会全体で共有されてきたのである。

第10章 未来のイラン料理と伝統の保護

伝統料理を守るための挑戦

現代のイランでは、伝統料理を守るための挑戦がますます重要になっている。都市化やグローバル化の波が押し寄せ、若い世代の間では手軽で速い料理が好まれる傾向にある。その中で、時間をかけた家庭料理や伝統の味が消えつつある。文化の継承者としての役割を果たすため、シェフや料理家たちは地域の伝統を次世代へと伝える努力を続けている。料理教室や家庭料理を紹介するイベントが増え、子供たちに自の味を学ぶ機会が提供されるようになった。伝統料理は、地域の歴史や風土とともに未来へ残したい貴重な遺産である。

新しい世代のシェフたちの創意工夫

イラン内外で活躍する新世代のシェフたちは、伝統の枠にとらわれない創意工夫でイラン料理を再解釈している。彼らはサフランやザクロ、ヨーグルトといった伝統的な食材を使いながら、現代的な調理法や盛り付けを取り入れ、世界にイラン料理の魅力を広めている。例えば、従来の「ケバブ」に野菜のピューレを添えた一皿や、地域の香辛料を使った新しいデザートなどが生み出されている。こうした試みは、伝統と革新を融合させるものであり、世界の人々にイラン料理の新たな可能性を感じさせるものである。

グローバル市場とイラン料理の未来

イラン料理は今、世界の注目を集めつつある。観光業の発展や、SNSを通じた情報発信により、イラン料理が境を越えて紹介され、外のレストランでも人気を集めている。ロンドンニューヨークなどの都市では、イラン料理の専門レストランが増加し、地元の人々にイラン料理の奥深い味わいが認識され始めた。際的な食文化の舞台でイラン料理を伝えることは、イラン文化と歴史を知ってもらうための一つの方法であり、未来への期待を抱かせる出来事でもある。

持続可能な食材と食文化の保全

現代社会における環境問題は、イランの伝統的な食文化にも影響を及ぼしている。気候変動や資源の減少が食材の供給に影響を与える中、持続可能な食材の利用が注目されている。イランでは、昔から栽培されてきたハーブや野菜が見直され、地元の農家と協力して、持続可能な農業が促進されている。また、伝統料理を作るための季節ごとの食材の使用も環境に優しい選択肢として注目されている。食文化の保全は、単なる文化遺産の保護ではなく、未来地球環境と共に歩むための重要なステップでもある。