基礎知識
- ブラフマーの概念と起源
ブラフマーはヒンドゥー教の創造神であり、ヴェーダ文献やプラーナ文献において宇宙の創造者としての役割を担っている。 - ヴェーダとブラフマーの関係
ヴェーダ文献においてブラフマーは、宇宙を創造する根源的な力「ブラフマン(梵)」と関連付けられ、ヒンドゥー教哲学の基盤となっている。 - ブラフマー信仰の歴史的変遷
古代インドではブラフマー崇拝が広まったが、中世以降はヴィシュヌやシヴァ信仰の隆盛によってその影響力が減少した。 - ブラフマーと他の三大神(トリムルティ)との関係
ブラフマーはヒンドゥー教の三大神(トリムルティ)の一柱であり、ヴィシュヌ(維持神)とシヴァ(破壊神)と共に宇宙の運行を担うとされている。 - ブラフマーの文化的影響と現代の信仰
現在のインドではブラフマーを祀る寺院は極めて少ないが、彼の概念はヒンドゥー哲学や文化において重要な影響を与えている。
第1章 創造神ブラフマーの神話と起源
ヴェーダの闇から生まれた創造主
インド最古の宗教文献『リグ・ヴェーダ』には、宇宙のはじまりに関する謎めいた詩が記されている。そこには「はじめに何もなかった。光も、闇も、存在も、非存在もなかった」とある。だが、やがて混沌の中から「ブラフマン」と呼ばれる根源的な力が生まれた。このブラフマンから生じたのが、宇宙を創造する神ブラフマーである。彼は黄金の卵「ヒラニヤガルバ」から現れ、自らの意思で天地を分け、太陽を創り、水を流した。ブラフマーの誕生はまさに神秘そのものであり、世界のすべてが彼の手によって形づくられたのである。
千の顔を持つ神、ブラフマーの姿
ブラフマーの姿は他の神々と異なる特徴を持つ。最も象徴的なのは四つの顔である。これは四方を見渡し、すべてを創造する力を示している。また、四本の腕にはヴェーダの巻物、数珠、聖水の入った壺、蓮の花を持ち、それぞれ知識、時間、生命の源、純粋性を象徴する。彼の乗り物は白鳥「ハンサ」であり、知恵と識別の能力を象徴する。この姿は、彼が単なる創造者ではなく、宇宙の知識をも司る神であることを示している。ヒンドゥー教徒はこの姿を通じて、世界の神秘と秩序を理解しようとしたのである。
創造神の孤独と忘れられた神話
ブラフマーは世界を創造したが、その後の物語は他の神々ほど語られなかった。『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』では、ブラフマーは神々の助言者や仲裁者として登場するが、独立した信仰対象としては弱かった。これは彼の役割が「創造」のみに限られていたためである。ヒンドゥー教では、創造よりも維持と破壊が重要視され、ヴィシュヌやシヴァが信仰の中心となっていった。こうしてブラフマーは、神々の中で最も古く、最も重要な存在でありながら、人々の記憶から次第に遠ざかっていったのである。
ヒンドゥー教に残るブラフマーの痕跡
現在、ブラフマーを祀る寺院はほとんど存在しない。しかし、その概念はヒンドゥー教の思想に深く刻まれている。彼の創造したヴェーダは今もなお聖典として学ばれ、宇宙の誕生に関する哲学はヨーガやヴェーダーンタ思想の基礎を築いている。ラージャスターン州プシュカルには、世界で数少ないブラフマー寺院が存在し、今も巡礼者が訪れる。ブラフマーの名は忘れ去られたわけではない。むしろ、彼の創造した世界そのものが、彼の存在を語り続けているのである。
第2章 ヴェーダとブラフマー:宗教哲学の基盤
宇宙の原理「ブラフマン」と創造神ブラフマー
ヴェーダ文献において、「ブラフマン」という言葉は宇宙の根源的な力を意味する。これは特定の神ではなく、全てを包み込む絶対的な存在である。しかし、神話が発展するにつれ、ブラフマンから具現化した創造神ブラフマーが誕生した。ブラフマンは目に見えず、概念的な存在であるのに対し、ブラフマーは人格を持ち、天地を創造する神として描かれる。この二つは密接に結びついているが、本質的には異なる概念である。後にウパニシャッド哲学が発展すると、ブラフマンこそが究極の存在であり、個々の神々はその現れに過ぎないと考えられるようになった。
ヴェーダの神々とブラフマーの登場
『リグ・ヴェーダ』にはアグニ(火の神)、インドラ(雷の神)、ヴァルナ(水の神)といった神々が登場し、彼らが宇宙を支配していた。しかし、時代が進むにつれ、神々を超越した概念としてブラフマンが重視されるようになる。そして、プラーナ文献の時代になると、ブラフマンを体現する存在としてブラフマーが生まれた。ヴェーダ時代の祭祀宗教から、より抽象的な哲学へと移行する過程で、ブラフマーは宇宙の秩序を築く創造神としての役割を与えられたのである。彼の誕生は、ヒンドゥー教が単なる神々の信仰から、深い哲学を伴う宗教へと進化した証でもあった。
ウパニシャッド哲学とブラフマーの関係
ウパニシャッドはヴェーダの後期文献であり、宇宙の本質や自己の探求をテーマとする。その中で、ブラフマンはすべての根源であり、人間の魂(アートマン)もまたブラフマンの一部であると説かれる。これは「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という考え方であり、後のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想の基盤となった。ブラフマーはこの思想の中で、あくまで宇宙を創造する存在として位置づけられた。人間の最終目標は、創造神ブラフマーを崇拝することではなく、ブラフマンの真理を悟ることにあると考えられるようになったのである。
創造の神から哲学の象徴へ
ブラフマーは宇宙を創造した神であるが、彼の影響力はヒンドゥー哲学の発展とともに変化していった。ウパニシャッドが広まると、人々はブラフマーを超えた存在であるブラフマンの概念に目を向けるようになった。神話におけるブラフマーの役割は残されたものの、哲学的な探求の中では彼は脇役へと移り、ブラフマンという絶対的な原理が中心となった。この転換は、ヒンドゥー教が単なる神話信仰から、深遠な思想体系へと変貌を遂げた瞬間でもあったのである。
第3章 ヒンドゥー三大神(トリムルティ)とブラフマーの役割
三つの顔を持つ宇宙の支配者たち
ヒンドゥー教には「トリムルティ(三位一体)」と呼ばれる三大神が存在する。創造を司るブラフマー、維持を担うヴィシュヌ、破壊を司るシヴァである。彼らはそれぞれ異なる性格と役割を持ち、宇宙の秩序を維持する。しかし、最も不思議なのはブラフマーの影の薄さである。ヴィシュヌは幾度も化身となり、シヴァは踊りによって世界を再生するが、ブラフマーは創造の後にほとんど語られない。この三神の関係を知ることは、ヒンドゥー教の宇宙観を理解する鍵となるのである。
創造神ブラフマーと維持神ヴィシュヌの関係
ブラフマーが宇宙を創造した後、ヴィシュヌがその秩序を保つ。『バガヴァッド・プラーナ』によれば、ブラフマーは蓮の花から生まれたが、その蓮はヴィシュヌのへそから伸びていたとされる。これは、創造の源がヴィシュヌの存在そのものであることを示唆する。さらに、ヴィシュヌは人間界に幾度も化身(アヴァターラ)として降臨し、秩序を正してきた。ラーマやクリシュナといった神々はその一例である。つまり、宇宙を形作るのはブラフマーだが、それを維持し、人々に寄り添うのはヴィシュヌなのだ。
破壊神シヴァとブラフマーの対立
シヴァは破壊を司るが、その破壊は無秩序ではなく、新たな創造への準備である。ブラフマーとシヴァはしばしば対立する。ある神話では、ブラフマーが自らの創造物を誇りすぎたため、シヴァがその傲慢さを戒めるべく彼の五つの顔のうち一つを焼き払ったという。シヴァは破壊と再生の神であり、ブラフマーが生み出したものを破壊することで、新たな創造の場を整える。この二神の関係は、終わりがあるからこそ新しい始まりが生まれるという、ヒンドゥー教の循環的な時間観を象徴しているのである。
なぜブラフマーは崇拝されないのか?
ヴィシュヌとシヴァの信仰は広く根付いているが、ブラフマーの寺院はほとんど存在しない。その理由の一つは、彼の役割が「創造の完了」と共に終わるためである。さらに、プラーナ文献にはブラフマーが傲慢になったため、シヴァに呪われたという話がある。この呪いにより、彼は人々からの崇拝を受けられなくなったのだ。現在、ラージャスターン州のプシュカルに唯一有名なブラフマー寺院があるが、そこを訪れる巡礼者の多くも、他の神々と比べれば少ない。ブラフマーは創造の神であるにもかかわらず、人々の記憶から徐々に消えつつあるのである。
第4章 古代インドにおけるブラフマー信仰の発展
ヴェーダの神々とブラフマーの登場
古代インドの宗教は、多くの神々への崇拝から始まった。『リグ・ヴェーダ』では、インドラ(雷の神)、アグニ(火の神)、ヴァルナ(水の神)などが重要視されていた。しかし、次第に宇宙の創造に関する哲学的な問いが生まれ、それに応じる形でブラフマーという存在が確立された。彼は単なる神ではなく、宇宙そのものを創造した超越的な存在として位置づけられた。この変化は、ヒンドゥー教が祭祀中心の信仰から、より抽象的な哲学へと移行するきっかけとなったのである。
プラーナ文献に描かれた創造神ブラフマー
ヴェーダの時代が終わると、神話の伝承は『プラーナ文献』へと引き継がれた。この中でブラフマーは、世界を創造する神としてより明確に描かれた。特に『ブラフマ・プラーナ』や『ヴィシュヌ・プラーナ』では、彼が黄金の卵(ヒラニヤガルバ)から生まれ、そこから宇宙を形作ったと記されている。しかし、プラーナの時代になると、ブラフマーは次第にヴィシュヌやシヴァの影に隠れていった。これは、信仰が単なる創造よりも、維持や救済に重きを置く方向へと変化したことを示している。
王権とブラフマー信仰の関係
古代インドの王たちは、神々の加護を受けることでその正統性を示そうとした。ブラフマー信仰もまた、この政治的な流れに影響を与えた。特にグプタ朝(4~6世紀)の時代には、ブラフマーが宇宙の秩序を作り出す神として尊ばれた。しかし、同時にヴィシュヌ信仰が広まり、王たちは維持と保護の神ヴィシュヌをより重視するようになった。この結果、ブラフマーの信仰は王権と密接に結びつきながらも、次第に人々の間では影が薄くなっていったのである。
仏教・ジャイナ教との交差点
ブラフマー信仰は、ヒンドゥー教だけでなく仏教やジャイナ教とも交わった。仏教では、ブラフマーは釈迦が悟りを開いた際に現れ、彼に教えを説くよう促した存在として登場する。『ディーガ・ニカーヤ』には、ブラフマーが釈迦に「法を説くべきだ」と懇願する場面が記されている。一方、ジャイナ教ではブラフマーの存在はあまり強調されず、むしろ霊的な解脱が中心となった。このように、ブラフマーの概念は時代とともに変化し、異なる宗教の中で新たな役割を与えられていったのである。
第5章 ブラフマー信仰の衰退とその要因
創造神の影が薄れた理由
かつて宇宙を創造した神として崇められたブラフマーは、時代が進むにつれて信仰の中心から遠ざかった。その理由の一つは、彼の役割が「創造」に限定されていたことにある。ヒンドゥー教では、宇宙の維持と破壊がより重要視され、人々はヴィシュヌ(維持の神)とシヴァ(破壊と再生の神)により深く帰依するようになった。維持と破壊は日々の生活と結びつきやすいが、創造は過去に起こった出来事であり、日常の祈りの対象にはなりにくかったのである。こうして、ブラフマーは神々の中で次第に影を潜めていった。
神話に刻まれた「呪い」
ブラフマーが崇拝の対象として衰退した理由の一つに、シヴァによる呪いの伝説がある。『シヴァ・プラーナ』によれば、ブラフマーは自身を宇宙で最も偉大な存在と誇ったため、シヴァの怒りを買った。シヴァは彼の五つの顔のうち一つを焼き払い、「今後、人々はお前を崇拝しなくなるだろう」と呪ったという。また、別の伝承では、ブラフマーが自らの娘シャタルーパに惹かれたため、神々の怒りを買い、崇拝の権利を失ったともされる。こうした神話は、彼がなぜ他の神々と比べて信仰の対象として弱くなったのかを説明する一因となった。
バクティ運動とブラフマーの影響力低下
中世インドで広まったバクティ運動(神への個人的な献身を重視する宗教運動)は、ブラフマーの信仰をさらに後退させた。バクティの信者たちは、ヴィシュヌやシヴァを愛と慈悲の神として崇拝し、彼らへの献身が個人の解脱に繋がると考えた。一方で、ブラフマーは遠い存在であり、人々と直接関わることが少ないとみなされた。特に『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナ(ヴィシュヌの化身)が信者に「ただ私に帰依せよ」と説き、ヴィシュヌ信仰を強めた。こうした流れの中で、ブラフマーの信仰はますます後景へと押しやられたのである。
現代に残るブラフマーの痕跡
現在、インドでブラフマーを祀る寺院は極めて少ない。最も有名なのは、ラージャスターン州プシュカルにあるブラフマー寺院であり、ここでは毎年多くの巡礼者が訪れる。しかし、これは例外的な存在であり、多くのヒンドゥー教寺院ではヴィシュヌ、シヴァ、または女神(ドゥルガーやラクシュミー)が主神として祀られている。それでもブラフマーの名は消えたわけではない。彼は依然としてヒンドゥー神話の根幹をなす神であり、宇宙の創造神話の中で重要な位置を占めているのである。
第6章 ブラフマーの聖地と寺院:なぜ数が少ないのか
なぜブラフマーの寺院は少ないのか?
インドには無数のヒンドゥー寺院があるが、ブラフマーを祀る寺院は極めて少ない。その理由の一つは、ヒンドゥー教の信仰が創造よりも維持と破壊に重点を置いていることにある。ヴィシュヌは宇宙の秩序を保ち、シヴァは再生のために破壊する。一方で、ブラフマーの創造は過去の出来事であり、信仰の対象としての役割が薄れてしまった。また、神話によれば、ブラフマーが傲慢になったことでシヴァから呪いを受け、「お前のための寺院は建てられない」と宣告されたとされる。この伝承は、ブラフマー信仰の衰退を象徴するものとなった。
プシュカル寺院の伝説
インドで最も有名なブラフマー寺院は、ラージャスターン州プシュカルにある。伝説によれば、ブラフマーは宇宙創造の際、神聖な湖を作ったが、妻のサラスヴァティが儀式に遅れたため、彼は怒って別の女性と結婚した。これに激怒したサラスヴァティは、「プシュカル以外では崇拝されることはない」と呪ったとされる。こうして、この地だけがブラフマーの正式な聖地となった。現在も、この寺院には多くの巡礼者が訪れるが、インド全土に広がるシヴァやヴィシュヌの寺院と比べると、その数は圧倒的に少ない。
ブラフマー崇拝の地域的特徴
ブラフマー信仰は衰退したものの、インド以外の地域では独自の発展を遂げた。例えば、タイやカンボジアでは、ブラフマーは重要な神として崇められ、寺院の装飾や都市の守護神として祀られている。アンコール・ワットの彫刻にもブラフマーの姿が見られる。これは、ヒンドゥー文化が東南アジアに伝わる際、ブラフマーの役割が再解釈されたためである。インドでは信仰の中心から外れた彼が、別の地では神聖な存在として受け入れられたというのは、宗教の広がりと変遷の興味深い一例である。
現代におけるブラフマーの存在意義
現在、ブラフマーの寺院は少ないが、彼の概念はヒンドゥー哲学の根幹に残り続けている。ヴェーダの知識を司る神として、学問や芸術の分野では影響力がある。特に、彼の妻であるサラスヴァティは学問の女神として広く崇拝されており、ブラフマーの名はその信仰の中で生き続けている。また、一部のヒンドゥー思想家は、ブラフマーを単なる創造神ではなく、宇宙の根源的な知識を象徴する存在として再解釈している。こうした視点が、ブラフマーの新たな信仰の形を生み出す可能性もあるのである。
第7章 仏教・ジャイナ教との関係:ブラフマーの変容
仏教におけるブラフマーの新たな役割
仏教はヒンドゥー教の影響を受けながらも独自の宇宙観を築いた。その中で、ブラフマーは単なる創造神ではなく、高位の天界に住む神々の王として描かれる。『ディーガ・ニカーヤ』によれば、釈迦が悟りを開いた後、ブラフマー・サハンパティという神が彼の前に現れ、「この真理を人々に説くべきだ」と説得したとされる。このエピソードは、ブラフマーが仏法を広める役割を果たしたことを示している。仏教ではブラフマーは絶対神ではなく、無常の存在とされるが、それでも重要な存在として尊ばれ続けた。
ジャイナ教における神々の位置づけ
ジャイナ教は神々を崇拝するのではなく、個人の精神的解脱を目指す宗教である。そのため、ブラフマーを含むヒンドゥー教の神々は、ジャイナ教の中では特別な地位を持たない。しかし、ジャイナ教の宇宙観には天界が存在し、ブラフマーのような高位の神々もそこに住むとされた。ジャイナ教の経典では、神々も輪廻転生の枠内にあり、真の解脱を得る存在ではないと考えられている。つまり、ブラフマーは尊敬されるものの、究極的な悟りを求める存在ではないという立場に置かれたのである。
東南アジアに広がったブラフマー信仰
インドでは影が薄れたブラフマー信仰だが、東南アジアでは独自の発展を遂げた。特にカンボジアやタイでは、ブラフマーは創造神として尊敬され続け、寺院の装飾や都市の守護神としての役割を持つ。バンコクのエラワン廟には、四面を持つブラフマーの像が祀られ、観光客や地元の人々が願いを捧げる姿が見られる。東南アジアのブラフマー信仰は、ヒンドゥー文化が広がる過程で独自に変容し、新たな意味を持つようになった。
ブラフマーは宗教を超えた存在となったのか
ブラフマーはヒンドゥー教の創造神として始まりながら、仏教やジャイナ教、さらには東南アジアの民間信仰にまで影響を与えた。彼は単なる神話の存在ではなく、時代と共に新たな解釈を与えられ、異なる宗教の中で生き続けている。この多様な受容の歴史は、宗教が単なる信仰体系ではなく、文化や歴史と共に変容するものであることを示している。ブラフマーはその象徴的な存在として、今もなお人々の心の中で形を変え続けているのである。
第8章 ヒンドゥー哲学とブラフマー:現代への影響
ブラフマーと「梵我一如」の思想
ウパニシャッド哲学の中心概念である「梵我一如(ぼんがいちにょ)」は、宇宙の根源である「ブラフマン」と個人の魂「アートマン」が本質的に同一であることを示す。この思想は、ブラフマーが単なる創造神ではなく、宇宙の根源的な力と深く結びついていることを意味する。特にシャンカラが提唱したアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)では、神々の形ある姿を超えた「唯一の真理」としてブラフマンが捉えられた。つまり、ブラフマーの神話的存在は次第に薄れ、哲学的な存在へと昇華されていったのである。
ヨーガと瞑想に残るブラフマーの思想
ヒンドゥー教の哲学は、日常生活や修行にも深く関わっている。ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』では、ブラフマンとの合一を目指す瞑想が重要視される。特に「ブラフマー・ドリシュティ」(ブラフマーの視点)という概念は、宇宙の真理を知るための意識の拡大を意味する。現代のヨーガや瞑想の実践者たちも、この概念を基に精神の探求を行っている。ブラフマーの信仰が衰えたとしても、彼の持つ宇宙的な知識は、人間の内なる探求の中で今もなお息づいているのである。
科学と哲学の交差点としてのブラフマン概念
近年、量子物理学の分野では「宇宙の根源は意識かもしれない」という考えが注目されている。これは、ヒンドゥー哲学のブラフマン概念と驚くほど似ている。物理学者デイヴィッド・ボームは、宇宙の全てが「内蔵秩序」によって繋がっていると提唱し、それはヴェーダ哲学の「ブラフマン」に近いと指摘された。古代インドの哲学が、科学の最前線で再評価されていることは驚くべき事実である。ブラフマーの概念は、形を変えながらも、宇宙の探求の中で生き続けているのである。
現代のスピリチュアル文化におけるブラフマー
ブラフマーの信仰は衰えたが、その思想はスピリチュアル文化の中で新たな形で生き続けている。例えば、ニューエイジ運動では、ブラフマンの概念を宇宙意識として捉え、「すべての存在が一つである」という思想が広まった。西洋の自己探求プログラムやマインドフルネスの理論も、ブラフマーの持つ「知識と創造の力」の影響を受けている。ブラフマーの神話は人々の記憶から薄れつつあるが、彼がもたらした哲学と宇宙観は、今もなお世界中の思想や宗教、科学に影響を与えているのである。
第9章 ブラフマーの文化的影響:芸術・文学・映画
神話が織りなすサンスクリット文学の世界
ブラフマーの存在は、古代インドの文学に深い影響を与えている。『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』には、彼が神々に助言を与え、宇宙の調和を維持する場面が描かれる。また、サンスクリット文学の黄金時代には、カーリダーサの『アビジュニャーナ・シャクンタラー』のような戯曲にも、ブラフマーが生み出した世界観が反映された。彼の創造した宇宙は、詩人や劇作家たちにとって尽きることのないインスピレーションの源であり、古代から中世にかけての文学の基盤を築いたのである。
彫刻と絵画に見るブラフマーの姿
ブラフマーの四つの顔と四本の腕は、芸術の世界で象徴的な表現として用いられた。特にインド各地の寺院では、ブラフマーの彫刻が入り口や本堂の装飾として施され、創造の力を視覚的に伝えている。カジュラーホーの寺院群では、細密な彫刻の中にブラフマーの姿が刻まれ、アンコール・ワットのレリーフにも彼の姿が確認できる。インド絵画の中では、ミニアチュール画において、彼が黄金の蓮の上に座り、宇宙の根源的な知識を象徴する存在として描かれた。
映画・現代文化に見るブラフマーの影響
ブラフマーの神話は、現代のインド映画やドラマにも影響を与えている。ボリウッド映画の中には、神話を題材にした作品が多く、『ブラフマーシュトラ』のように神々の力を現代に蘇らせるストーリーもある。さらに、アニメやコミックの分野でもブラフマーのイメージは利用されており、彼の創造の力はフィクションの世界で新たな形に進化している。ゲームやファンタジー作品においても、彼の姿や名前が登場し、神話がポップカルチャーの一部として世界中に広まっているのである。
ブラフマーの思想が残した哲学的遺産
芸術や文学に加え、ブラフマーの思想は哲学の世界にも深い影響を与えている。インドの詩人ラビンドラナート・タゴールは、ブラフマンの概念を基に「宇宙と個人の調和」を表現した詩を残した。また、ブラフマーの創造神話は、心理学や文学理論においても「神話的構造」の一例として研究されている。創造の神としての彼の役割は、今もなお人類の思索の中で新たな意味を持ち続けているのである。
第10章 ブラフマーの未来:グローバル化するヒンドゥー信仰
世界に広がるヒンドゥー信仰とブラフマー
21世紀に入り、ヒンドゥー教は世界各地で注目を集めている。インド系移民の増加に伴い、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどでヒンドゥー寺院が建設され、サンスクリットの経典が研究されるようになった。こうした流れの中で、ブラフマーの概念も再び議論されつつある。かつて忘れ去られた創造神は、ヒンドゥー教の哲学的側面が重視される中で、新たな視点から再評価されている。彼の役割が、単なる神話の神ではなく、宇宙の根源を象徴する思想として理解され始めたのである。
新宗教運動とブラフマン哲学の再解釈
近年、多くの新宗教運動がブラフマンの思想を取り入れている。ニューエイジ思想では、ブラフマンを「宇宙の意識」と解釈し、人間の自己実現と結びつける考えが広まった。スワミ・ヴィヴェーカーナンダやパラマハンサ・ヨガナンダといったインドの宗教家たちは、ヒンドゥー哲学を西洋に紹介し、ブラフマーの創造の力を「精神的覚醒」と結びつけた。これにより、ブラフマーは単なる神話の登場人物ではなく、普遍的な知恵を象徴する存在として新たな価値を持ち始めたのである。
テクノロジーと宗教:AI時代のブラフマー
テクノロジーが急速に進化する現代において、ブラフマーの「創造」の概念が新たな意味を持ち始めている。AI(人工知能)の発展やメタバースの出現により、人類は「新たな世界を創る」という課題に直面している。これは、ブラフマーが担っていた創造の役割と奇妙なほど類似している。シリコンバレーの起業家たちの間でも、東洋哲学の影響を受ける者は多く、宇宙の根源的な法則を探求する動きが広まっている。ブラフマーの思想は、技術革新の中で新たな形を持ちつつあるのである。
ブラフマーは未来にどう受け継がれるのか?
ブラフマーの信仰は衰退したが、彼の概念は時代とともに形を変えながら生き続けている。古代インドの創造神は、今や哲学、科学、スピリチュアル思想の中で再解釈され、世界中に広がりつつある。現代のヒンドゥー教コミュニティでは、ブラフマーを単なる神話の神としてではなく、創造と知識の象徴として新たに見直す動きも生まれている。過去を築いた神は、未来の精神世界の中でも、新たな役割を担い続けるに違いない。