基礎知識
- 物性物理学の基礎概念
物性物理学は、物質の性質や振る舞いを原子や分子のレベルで理解し、マクロな現象を説明する学問である。 - 結晶構造とその重要性
結晶構造は物質の物理的特性を決定する鍵であり、対称性や原子間距離が特性に与える影響を探る。 - 半導体と固体デバイスの進展
半導体物理学は物性物理学の重要な応用分野であり、現代の電子機器の基盤を形成している。 - 超伝導と量子現象
超伝導は物性物理学における量子現象の代表例であり、特定の条件下で抵抗がゼロになる現象である。 - 物性物理学と計算科学の融合
計算科学は物性物理学に革新をもたらし、シミュレーションを用いた新材料の設計が可能となっている。
第1章 物性物理学の誕生と発展
万物の謎に挑む人類の探求
古代ギリシャの哲学者デモクリトスは、「全ての物質は小さな粒子(原子)から成る」と唱えた。この大胆な考えは、科学というより哲学的思索であったが、物質の構造を解明しようとする人類の探求心の始まりを示している。ルネサンス期にはガリレオ・ガリレイが、観察と実験を重んじる科学的手法を確立し、物質現象を計算や観測で説明する基礎を築いた。さらに17世紀、アイザック・ニュートンが運動の法則を発表し、物質の挙動に数学を適用したことで、物性物理学の前身が形成された。このように、初期の思想家や科学者たちは現代物性物理学の基礎を築き、宇宙の謎を紐解く旅の第一歩を踏み出した。
産業革命がもたらした科学の進化
18世紀後半から19世紀にかけての産業革命は、物理学に新たな挑戦と機会を与えた。蒸気機関の発明とともに、熱と仕事の関係が注目され、熱力学が誕生した。特に、ジェームズ・プレスコット・ジュールが熱エネルギーと運動エネルギーの等価性を実験で示したことは、物質のエネルギー的な特性に対する理解を深めた。また、マイケル・ファラデーの電磁誘導の発見やジェームズ・クラーク・マクスウェルの電磁気理論は、電気と磁気を統一的に説明し、物性物理学の成長に大きな影響を与えた。産業革命は技術革新を進めただけでなく、物理学が具体的な応用に役立つ学問として急速に発展する契機ともなった。
量子革命—新しい物質観の到来
20世紀初頭、物理学は大きな転換期を迎える。マックス・プランクが量子仮説を提唱し、エネルギーが連続的ではなく離散的な単位でやりとりされることを示した。続いてアルベルト・アインシュタインが光量子説を提案し、物質とエネルギーの関係を新しい視点で説明した。これにより、古典物理学では説明できなかった現象が解明され始めた。そして、ニールス・ボーアが原子モデルを完成させ、エルヴィン・シュレーディンガーが波動方程式を用いて物質の振る舞いを記述したことで、量子力学が物性物理学の中心的な基盤となった。量子革命は物質観を根本から変え、現代物性物理学の扉を開いた。
科学の国際化と未来への希望
物性物理学の発展は国際的な共同研究と深く結びついている。20世紀中盤には、第二次世界大戦の影響で科学者たちがアメリカやヨーロッパで結集し、量子力学や固体物理学が一層洗練された。例えば、ベル研究所ではトランジスタが発明され、現代の電子機器の基盤が築かれた。また、物性物理学の理論と実験技術が進歩し、新しい材料や技術の開発が進められている。今日も、国際的な科学者の連携により、物性物理学は新たな課題を探求し続けている。この学問の歴史は、科学がどのように発展し、社会を変えていくかを象徴する物語である。
第2章 物質の秩序—結晶構造と対称性
結晶の謎を解き明かす第一歩
自然界に存在する鉱物の美しい結晶に、人々は長い間魅了されてきた。その形の規則性を科学的に説明する道筋を開いたのは、19世紀のウィリアム・ブラッグ親子である。彼らはX線を使って結晶内の原子の配置を明らかにする手法を発見した。これは「X線回折」と呼ばれ、結晶が規則正しい原子の並びを持つことを示した。ブラッグ方程式によって、どのような角度でX線を当てれば内部構造が分かるかが計算できるようになり、物質の「内部地図」を描くことが可能となった。この発見は、現代の結晶学や材料科学の基礎を築くものであった。
ブラベー格子が見せる秩序の世界
結晶が規則的に並ぶ様子は、数学的には「格子」として表される。19世紀の数学者オーギュスト・ブラベーは、3次元空間における原子の並び方を解析し、14種類の基本格子「ブラベー格子」を導いた。この理論は、結晶構造の分類にとって欠かせない基盤となった。たとえば、ダイヤモンドの結晶は「面心立方格子」、塩化ナトリウム(食塩)は「立方格子」という形で表される。この格子の概念により、結晶内部の構造が物理特性にどのような影響を与えるかを分析できるようになった。これにより、科学者たちは結晶の構造と性質の関係性を深く理解する道を切り開いたのである。
対称性が教えてくれる物質の秘密
結晶の形や構造には、数学的な対称性が隠されている。19世紀後半、エヴァリスト・ガロアやアルフレッド・シュンフリスの研究により、結晶の対称性を数学的に分類する理論が確立された。これが「群論」である。群論は、結晶がどのような回転や反転の対称性を持つかを明らかにすることで、物質の物理的特性や化学的特性を予測する助けとなる。たとえば、ピエゾ電気効果(結晶に力を加えると電気が発生する現象)は、特定の対称性を持つ結晶でしか起こらない。対称性は、物質の性質を予測する上での最も強力な手段の一つである。
結晶構造の発見が未来を拓く
結晶構造の研究は、新材料の発見や技術革新にも大きく貢献している。20世紀中盤には、DNAが二重らせん構造を持つことがX線回折によって明らかにされ、生物学や医学の革命を引き起こした。また、シリコンやガリウムヒ素といった半導体材料の結晶構造は、現代のエレクトロニクスの基盤を形成している。さらに、超伝導やトポロジカル絶縁体のような特異な物質も、結晶構造を理解することで研究が進められている。結晶構造の研究は、目に見えない微細な世界から新しい可能性を切り拓き、未来の科学技術の発展に寄与し続けている。
第3章 固体の電気的性質と半導体の物理
電気はどう流れるのか?
物質の中で電気がどのように流れるのかは、19世紀まで謎に包まれていた。ジョージ・オームは、電流が電圧と抵抗の関係で変化することを発見し、「オームの法則」を確立した。しかし、これは電気の流れの表面的な現象を説明するに過ぎなかった。20世紀に入り、量子力学の発展によって、物質中の電子がエネルギー準位の中を移動することで電気が流れる仕組みが明らかになった。この時、「エネルギーバンド」という概念が登場する。絶縁体、導体、半導体といった物質の違いは、電子がどのようにバンド内を動けるかによって決まる。この理解は、電子機器の発展に革命をもたらした。
半導体の登場が世界を変えた
半導体は、導体と絶縁体の中間的な性質を持つ物質である。1930年代、物理学者たちはシリコンやゲルマニウムの特性を調べ、その応用可能性を見出した。1947年、ベル研究所でジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーがトランジスタを発明した。この小さな装置は、電流を制御する画期的な技術であり、真空管に代わる軽量で効率的な選択肢を提供した。これにより、コンピュータや通信機器の大幅な小型化と高性能化が可能となった。トランジスタの発明は「情報革命」の礎を築き、半導体は現代の技術社会の基盤となった。
pn接合とその魔法
半導体の特性を最大限に活かす鍵となったのが「pn接合」である。p型半導体(正孔が多い)とn型半導体(電子が多い)を接合すると、境界に電場が形成され、電流の一方向の流れを制御できるようになる。この現象がダイオードやトランジスタの基本原理である。たとえば、LED(発光ダイオード)はpn接合を利用し、電流を流すことでエネルギーを光として放出する仕組みを持つ。この技術は省エネルギーかつ長寿命の光源を生み出し、照明やディスプレイ技術に革命をもたらした。pn接合の発見は、電子機器の応用範囲を大きく広げるきっかけとなった。
半導体物理の未来
半導体技術は現在も進化を続けている。集積回路やマイクロプロセッサは、ムーアの法則に基づき、毎年ますます小型化し高性能化している。近年では、シリコンを超える新素材や、ナノテクノロジーを用いたトランジスタの研究が進められている。また、半導体の物理は量子コンピュータや人工知能の基盤技術としても注目されている。これらの進化は、人々の生活をさらに便利にするだけでなく、新たな科学の地平を切り開くものとなる。半導体物理学の歴史は、技術と創造力の無限の可能性を示している。
第4章 磁性とスピンの物理
磁石の魅力とその謎
誰もが一度は磁石の不思議な力に触れた経験があるだろう。しかし、磁石がなぜ鉄やニッケルを引き寄せるのか、その仕組みは長らく謎だった。19世紀、マイケル・ファラデーが電流と磁場の関係を発見し、電磁気学の基礎を築いたことで、その謎が解き明かされ始めた。20世紀に入ると、磁性の源が原子内の電子のスピンにあることがわかった。電子のスピンは小さな磁石のように振る舞い、特定の条件下で多くのスピンが同じ方向に揃うことで磁性が生じる。この発見は、物性物理学に新たな視点を与え、磁性の世界を探る扉を開いた。
磁性の種類とその広がり
磁性にはいくつかの異なる種類が存在する。たとえば、磁石として馴染み深いフェリ磁性や強磁性は、スピンが整然と並ぶことで生じる。一方、アンチフェリ磁性はスピンが互いに逆向きに並び、全体として磁場を示さない。これらの性質は物質の構造や電子配置によって決定される。これにより、磁性材料は工業や医療分野で多岐にわたる用途を持つようになった。磁気記録媒体(ハードディスク)は、その一例である。フェリ磁性や強磁性の理解は、情報記録やエネルギー貯蔵などの技術進歩を支える基盤となっている。磁性の多様性は、物質科学の可能性を広げ続けている。
スピントロニクスが切り開く新時代
磁性とスピンの物理は、スピントロニクスという新しい分野を生み出した。スピントロニクスは、電子のスピンを情報の担い手として活用する技術である。従来の電子デバイスは電子の電荷を利用するが、スピントロニクスはスピンも加えて利用するため、デバイスの省電力化と高性能化が期待されている。たとえば、巨大磁気抵抗効果(GMR)の発見は、ハードディスクのデータ記録密度を飛躍的に向上させた。この技術は、ノーベル賞を受賞したアルベルト・フェールとペーター・グリューンベルクの研究に基づいている。スピントロニクスは、量子コンピューティングや次世代メモリの開発においても鍵となる技術である。
地球の磁場とその神秘
磁性は地球規模の現象にも関与している。地球そのものが巨大な磁石であり、地球磁場はコンパスの動きやオーロラなどに影響を与える。この磁場は地球の外核で発生する液体鉄の対流によって生まれると考えられている。さらに、地球磁場の逆転という現象も知られており、これは数十万年ごとに起こることが古代の地層の研究で明らかになった。この現象は、惑星規模の物理現象と磁性の関わりを示している。地球磁場は私たちの生活に直接的な影響を与えるだけでなく、宇宙の謎を解く鍵ともなりうる。磁性の物理は、私たちの理解を宇宙のスケールにまで広げる学問である。
第5章 超伝導とその驚異
抵抗が消える魔法の温度
1911年、オランダの物理学者カメリン・オンネスは水銀を極低温に冷却すると、電気抵抗が完全にゼロになる現象を発見した。この現象を「超伝導」と名付けた。通常、金属内を流れる電子は原子との衝突でエネルギーを失うが、超伝導状態ではこの衝突が完全になくなる。これにより、電流が無限に流れ続ける「夢のような」性質が実現する。カメリン・オンネスの発見は、物理学に革命をもたらし、エネルギー損失を抑える新たな道を切り開いた。超伝導の秘密を解き明かすことは、物性物理学の主要な課題の一つとなった。
クーパー対が解き明かした謎
1957年、ジョン・バーディーン、レオン・クーパー、ロバート・シュリーファーの3人は「BCS理論」を提唱し、超伝導の謎を説明した。この理論では、超伝導は電子同士が「クーパー対」というペアを形成することで起こるとされる。通常、電子は同じ電荷を持つため反発し合うが、特定の条件下では物質の振動(フォノン)を介して弱い引力を生じる。この引力が電子をペアにし、全体として摩擦のない流れを作り出すのだ。クーパー対の発見は、量子力学が物性の不可解な現象をどれほど説明できるかを示す一例である。これにより、超伝導の応用範囲が急速に広がった。
高温超伝導への挑戦
1986年、カール・ミュラーとヨハネス・ベドノルツは、従来の超伝導とは異なる「高温超伝導」を発見した。この現象はセラミック材料で見られ、より高い温度(液体窒素の温度)で超伝導状態を実現できることが明らかになった。この発見はノーベル物理学賞を受賞し、超伝導研究の新たな時代を切り開いた。高温超伝導のメカニズムは現在も完全には解明されていないが、次世代の超伝導技術に向けた多くの研究が進行中である。特に、送電線や医療機器、磁気浮上列車などの応用が期待されている。
超伝導技術が描く未来
超伝導は、未来のエネルギーとテクノロジーを革新する鍵を握っている。超伝導を利用した磁気浮上列車は、抵抗をほとんど受けないため、極めて高速かつ静音で移動が可能である。また、超伝導マグネットは医療分野でも活躍し、MRI(磁気共鳴画像法)の精度向上に寄与している。さらに、量子コンピューティングにも超伝導の特性が利用されている。超伝導状態での電子の挙動は、量子ビット(キュービット)の安定化に役立つ。超伝導は、現代社会の技術革新にとどまらず、次世代の夢を実現するための重要な基盤である。
第5章 超伝導とその驚異
抵抗が消える魔法の温度
1911年、オランダの物理学者カメリン・オンネスは水銀を極低温に冷却すると、電気抵抗が完全にゼロになる現象を発見した。この現象を「超伝導」と名付けた。通常、金属内を流れる電子は原子との衝突でエネルギーを失うが、超伝導状態ではこの衝突が完全になくなる。これにより、電流が無限に流れ続ける「夢のような」性質が実現する。カメリン・オンネスの発見は、物理学に革命をもたらし、エネルギー損失を抑える新たな道を切り開いた。超伝導の秘密を解き明かすことは、物性物理学の主要な課題の一つとなった。
クーパー対が解き明かした謎
1957年、ジョン・バーディーン、レオン・クーパー、ロバート・シュリーファーの3人は「BCS理論」を提唱し、超伝導の謎を説明した。この理論では、超伝導は電子同士が「クーパー対」というペアを形成することで起こるとされる。通常、電子は同じ電荷を持つため反発し合うが、特定の条件下では物質の振動(フォノン)を介して弱い引力を生じる。この引力が電子をペアにし、全体として摩擦のない流れを作り出すのだ。クーパー対の発見は、量子力学が物性の不可解な現象をどれほど説明できるかを示す一例である。これにより、超伝導の応用範囲が急速に広がった。
高温超伝導への挑戦
1986年、カール・ミュラーとヨハネス・ベドノルツは、従来の超伝導とは異なる「高温超伝導」を発見した。この現象はセラミック材料で見られ、より高い温度(液体窒素の温度)で超伝導状態を実現できることが明らかになった。この発見はノーベル物理学賞を受賞し、超伝導研究の新たな時代を切り開いた。高温超伝導のメカニズムは現在も完全には解明されていないが、次世代の超伝導技術に向けた多くの研究が進行中である。特に、送電線や医療機器、磁気浮上列車などの応用が期待されている。
超伝導技術が描く未来
超伝導は、未来のエネルギーとテクノロジーを革新する鍵を握っている。超伝導を利用した磁気浮上列車は、抵抗をほとんど受けないため、極めて高速かつ静音で移動が可能である。また、超伝導マグネットは医療分野でも活躍し、MRI(磁気共鳴画像法)の精度向上に寄与している。さらに、量子コンピューティングにも超伝導の特性が利用されている。超伝導状態での電子の挙動は、量子ビット(キュービット)の安定化に役立つ。超伝導は、現代社会の技術革新にとどまらず、次世代の夢を実現するための重要な基盤である。
第7章 物性物理学の応用—技術革新への貢献
太陽光を捕まえる魔法の技術
私たちが普段浴びている太陽光は、巨大なエネルギー源である。その光を電気に変える「太陽電池」の仕組みは、物性物理学の応用そのものである。19世紀にエドモンド・ベクレルが発見した光電効果は、太陽光が半導体材料に当たると電子が飛び出す現象を示している。これを応用して開発されたシリコン太陽電池は、持続可能なエネルギー供給の鍵となる。最近では、ペロブスカイトという新しい材料が注目されており、その効率と低コスト化の可能性に期待が集まっている。太陽電池の進化は、クリーンエネルギー社会の実現を後押ししている。
LEDがもたらす光の革命
夜の街を照らすLED(発光ダイオード)は、物性物理学の発見が生んだ最も身近な応用例の一つである。1960年代、ニック・ホロニアックが赤色LEDを開発し、その後青色LEDの登場により、白色光を作ることが可能となった。この青色LEDは日本の物理学者、赤崎勇、天野浩、中村修二による研究から生まれ、ノーベル物理学賞を受賞した。LEDは省エネで長寿命なだけでなく、ディスプレイ技術や通信分野でも重要な役割を果たしている。その普及は、光の利用方法に新たな可能性をもたらし、現代社会のライフスタイルを大きく変えた。
量子コンピュータが切り開く未来
量子コンピュータは、物性物理学と量子力学の融合が生んだ最先端技術である。このコンピュータは、従来のビットではなく「量子ビット(キュービット)」を用いて情報を処理する。量子ビットは重ね合わせや量子もつれといった性質を持ち、驚異的な計算能力を発揮する。IBMやGoogleが開発している量子コンピュータは、医薬品設計や気象予測、暗号解読など多岐にわたる分野で応用が期待されている。この技術は、まだ発展途上ではあるが、物性物理学が未来の計算技術の基盤を作り出していることを示している。
未来を築く物性物理学の挑戦
物性物理学の応用はここで終わらない。ナノテクノロジーの発展により、目に見えないほど小さな構造が作られるようになり、新素材や新技術が次々と開発されている。たとえば、グラフェンという炭素の薄膜は、強度と柔軟性を併せ持ち、エレクトロニクスや医療分野での応用が進んでいる。また、エネルギー貯蔵や再生可能エネルギーの利用にも物性物理学が大きな役割を果たしている。科学と技術の最前線で物性物理学が追求するのは、人類の生活を豊かにし、未来への希望を形にすることである。
第8章 計算科学とAIが切り開く未来
シミュレーションが物質をデザインする
物性物理学の研究は、計算科学の進歩によって新たな領域に到達した。20世紀半ば、ジョン・フォン・ノイマンがコンピュータを設計して以来、シミュレーションは科学の基盤となった。今日では、密度汎関数理論(DFT)と呼ばれる手法が用いられ、原子や分子の振る舞いを正確に計算できる。この技術は、新しい材料を「作る前に試す」ことを可能にした。たとえば、電池の性能向上や新薬の設計において、実験室での試行錯誤を減らす役割を果たしている。計算科学は物性物理学にとって、未知の材料を探索するための羅針盤となっている。
AIが科学を加速させる
人工知能(AI)は、物性物理学にも革命をもたらしている。特に機械学習は、大量のデータからパターンを見つけ出し、新たな知見を得るために使われている。たとえば、AIを利用して材料の物性を予測したり、新しい物質の候補を発見することが可能となった。これにより、かつては年単位でかかっていた研究が数時間で進むこともある。さらに、AIはデータ解析だけでなく、実験の最適化やシミュレーションの精度向上にも役立っている。AIと物性物理学の融合は、研究のスピードと効率を劇的に向上させている。
クラウド計算と研究の民主化
従来、高性能計算は一部の大規模研究施設だけで可能だったが、クラウドコンピューティングがその状況を変えつつある。AWSやGoogle Cloudなどのサービスを利用すれば、個人や小規模な研究チームでも高度なシミュレーションを行うことができるようになった。たとえば、新興国の研究者がクラウド計算を活用して革新的な成果を上げた例も増えている。この技術は、研究の「民主化」を進め、世界中の科学者が同じスタートラインに立てる環境を作り出している。クラウド計算は、科学の可能性をさらに広げる重要な鍵となっている。
計算科学とAIが拓く未来像
計算科学とAIは、物性物理学だけでなく、地球規模の課題解決にも貢献している。気候変動予測では、大気や海洋の動きを詳細にシミュレーションし、対策を立てる手助けをしている。また、エネルギー分野では、効率的な太陽電池や次世代のバッテリーの開発を促進している。AIと計算科学は、未知の材料や現象を予測し、新しい技術を生み出す力を持っている。これらの技術は、人類が直面する課題に答えを見つけるための最強のツールとなるだろう。未来は計算科学とAIによって形作られるのだ。
第9章 物性物理学の社会的影響
エネルギー問題と物性物理学
現代社会のエネルギー需要は、物性物理学による革新に支えられている。太陽電池や風力発電に使われる材料の効率向上は、物性物理学の研究成果の一つである。また、エネルギーの保存と変換を高効率で行う技術には、超伝導や新しい電池技術が活用されている。たとえば、リチウムイオン電池はその設計に物性物理学の知識が生かされ、再生可能エネルギーとともに持続可能な社会の柱となっている。物性物理学の知見は、エネルギー問題に対する具体的な解決策を提供し、クリーンな未来を築くための科学的基盤を形成している。
環境保護への貢献
物性物理学は、環境保護にも貢献している。たとえば、汚染物質を効率的に分解する触媒材料の開発は、化学反応の基礎を探る物性物理学から生まれた技術である。さらに、二酸化炭素の排出を削減する技術や、汚染された水を浄化するためのナノ材料は、環境問題解決に役立っている。また、廃棄物を再利用するための材料リサイクル技術にも物性物理学が重要な役割を果たしている。これらの成果は、地球環境を守るだけでなく、より持続可能な社会を築くための大きな一歩となっている。
物性物理学が描く新しい倫理観
物性物理学の進歩は、倫理的な課題も浮き彫りにしている。たとえば、新材料が引き起こす社会的影響や、エネルギー資源の公平な分配が問題となる場合がある。また、ナノテクノロジーやAIといった応用分野では、その使用目的が倫理的に適切であるかを慎重に考える必要がある。科学技術の進化に伴い、それをどのように社会に適用するかという責任が科学者に課せられている。物性物理学は、単なる技術的進歩を追求するだけでなく、社会全体の利益を考慮する新しい倫理観を生み出す役割を担っている。
社会を変える物性物理学の未来
物性物理学は、技術革新を超えて、社会全体に変革をもたらしている。例えば、スマートシティの設計では、エネルギー効率を最適化するために物性物理学の知識が活用されている。また、ヘルスケア分野では、新材料が医療機器の進化を支えている。これらの技術は、生活の質を向上させるだけでなく、経済や文化に新しい価値を生み出している。物性物理学の未来は、科学と社会の架け橋となり、人類の繁栄と持続可能な地球のための基盤を築くことである。
第10章 未来への展望—新たなフロンティア
トポロジカル物性が開く新次元
トポロジカル物性は、物質の特性を幾何学的な視点から捉える新しい分野である。この研究は、1980年代にクラウス・フォン・クリッツィングが量子ホール効果を発見したことに端を発する。物質内部で電子が特殊な経路を通るこの現象は、外的条件によらず安定している。これがトポロジーの性質である。その後、トポロジカル絶縁体と呼ばれる新しい材料が発見され、これらの特性が電子デバイスや量子コンピュータに応用されつつある。トポロジカル物性は、物性物理学の次なるフロンティアとして、科学者たちを魅了している。
ナノ材料が変える生活
ナノ材料は、原子レベルで設計された画期的な物質である。たとえば、炭素原子が六角形に並んだグラフェンは、鋼鉄より強く、銅よりも電気伝導性が高い。この材料は、超軽量構造材や新世代の電子デバイスに利用されている。また、ナノ粒子は医療分野でも注目されており、がん治療やドラッグデリバリーに応用されている。ナノ材料の進歩は、現代の課題を解決し、私たちの生活を大きく変える可能性を秘めている。物性物理学の未来は、これらの革新的な材料に支えられている。
量子エレクトロニクスの挑戦
量子エレクトロニクスは、電子が持つ量子性を活用する技術である。従来のエレクトロニクスは主に電子の流れを利用してきたが、量子エレクトロニクスでは、電子の波動性や量子もつれといった特性を応用する。この分野の発展により、極限的に小型化されたトランジスタや高性能なセンサーが実現されつつある。量子ドットや量子井戸といった構造は、量子エレクトロニクスの応用例の一つである。これらの技術は、エネルギー効率を飛躍的に高め、情報技術を新たな次元へと導く可能性を秘めている。
人類と物性物理学の未来
物性物理学の未来は、単なる技術革新にとどまらず、人類の生存と繁栄を支える重要な役割を担っている。気候変動への対応、再生可能エネルギーの拡大、宇宙探査の進展など、地球規模の課題に挑む上で、物性物理学の知見が不可欠である。さらに、AIやロボティクスとの融合により、物性物理学は新たな創造的な道を切り開いている。科学がもたらす可能性と倫理的課題を見据えつつ、物性物理学は未来のビジョンを形にする力を持つ学問である。人類の夢は、この学問とともにさらに広がっていく。