レオ・シュトラウス

基礎知識
  1. レオ・シュトラウスの哲学的背景
    シュトラウスは古典的政治哲学の復興を目指し、プラトンアリストテレスなどの古代ギリシャ哲学と近代政治思想の対比を重視した。
  2. 秘教的書法(エソテリック・ライティング)
    シュトラウスは、政治的迫害を避けるために哲学者が暗示的に真理を記述する「秘教的書法」が歴史上重要であると論じた。
  3. モダニティ批判と自然法
    彼はホッブズロックの近代的合理主義を批判し、道的・政治的秩序の根拠を古典的な自然法に求めた。
  4. 政治哲学と歴史主義
    シュトラウスは歴史主義(すべての思想は歴史的文脈に依存するという考え)を批判し、普遍的な哲学の探求を主張した。
  5. シュトラウスの影響と論争
    彼の思想はアメリカの政治理論に大きな影響を与えたが、新保守主義との関連をめぐる論争を引き起こした。

第1章 レオ・シュトラウスとは何者か?

哲学を愛した亡命者

レオ・シュトラウスは1899年、ドイツの小さなキルヒハインに生まれた。ユダヤ人家庭に育った彼は、幼少期から読書に没頭し、特に哲学と古典に強い関を抱いた。しかし、1920年代のドイツは混乱の時代であり、ナチスの台頭とともにユダヤ人の学者たちは次々とを追われた。シュトラウスも例外ではなく、1932年に渡。ナチス政権下のドイツ哲学が歪められる様子を目の当たりにした彼は、「真理を探求する哲学は時代を超える」と確信するようになった。

シカゴ大学と思想の開花

アメリカへと亡命したシュトラウスは、1949年にシカゴ大学政治学部で教授となり、格的に政治哲学の研究と教育を始めた。シカゴ大学では彼の影響力が急速に広がり、古代ギリシャ哲学の再評価と近代的政治思想の批判が学界に大きな波紋を呼んだ。彼の講義は熱狂的な人気を誇り、多くの優秀な学生が集った。彼の関は単なる哲学研究にとどまらず、「人類の歴史を貫く普遍的な知を探求すること」にあった。彼の議論は徹底的であり、学生に厳しい読解を要求した。

ナチスの影と哲学の使命

シュトラウスの思想は、ナチスの経験と深く結びついている。彼は、政治が思想を操作し、人々の自由な思考を奪う危険性を身をもって知っていた。彼が政治哲学を重視したのは、哲学が単なる知的な営みではなく、人間社会の根に関わる問題であると確信していたからである。特にプラトンアリストテレス政治哲学を再解釈し、「哲学者はどのように生きるべきか?」という問いに真正面から取り組んだ。彼にとって、哲学は単なる学問ではなく、生きる指針そのものであった。

現代への影響

シュトラウスの思想は、今なお政治哲学の分野において重要な影響を与えている。彼の弟子たちはアメリカをはじめとする世界各で活躍し、政治理論や政策形成に影響を及ぼした。彼は「古典を学ぶことが未来を考えるである」と主張し、多くの知識人に新たな視点を提供した。彼の考えは賛否を巻き起こしたが、哲学政治の関係を根から問い直す重要な契機となったのである。

第2章 古典政治哲学の復権

忘れられた知の遺産

20世紀、多くの哲学者は近代合理主義実証主義の影響を受け、古代哲学を時代遅れのものと見なしていた。しかし、レオ・シュトラウスは異なる考えを持っていた。彼はプラトンアリストテレスキケロといった古代の思想家こそ、政治哲学質を理解するを握っていると主張した。近代的な理性崇拝が人間の質を見失わせ、政治を単なる技術として捉える危険性を孕んでいると彼は考えたのである。

プラトンとアリストテレスの再評価

シュトラウスは特にプラトンの『国家』やアリストテレスの『政治学』に注目した。プラトンが示した「哲人王」の概念は、単なる理想論ではなく、政治のあり方を探求するための問いかけであると彼は解釈した。また、アリストテレスの「人間はポリス的動物である」という命題を、政治質を知る上で不可欠な考え方だと考えた。これらの古典は、現代社会にも適用可能な知恵を秘めていると彼は信じていた。

マキアヴェリと近代政治哲学の誤算

近代政治哲学の分岐点として、シュトラウスはニッコロ・マキアヴェリを重要視した。『君主論』で「目的のためなら手段を選ばない」という現実主義を説いたマキアヴェリは、政治を道から切り離した最初の思想家の一人だった。シュトラウスは、これが政治の堕落の始まりであると考えた。政治とは単なる権力闘争ではなく、き社会の実現のための営みであるべきだと彼は主張した。

近代を超えて古典に学ぶ

シュトラウスの思想は「古いものを懐かしむ保守主義」ではなかった。むしろ、近代の思考法が「絶対的な進歩」という幻想に囚われていることに警鐘を鳴らしたのである。古典政治哲学は、永遠に変わらない人間の質に基づいた知の遺産であり、時代を超えて我々に問いを投げかける。シュトラウスは、現代社会が忘れ去った「哲学の役割」を取り戻すために、古典を再評価する必要があると考えたのである。

第4章 近代合理主義批判と自然法の再評価

ホッブズの大いなる誤算

17世紀、トマス・ホッブズは『リヴァイアサン』において、人間は来「万人の万人に対する闘争」に陥る存在であり、強力な国家権力(リヴァイアサン)が必要だと説いた。彼の考えは近代合理主義の出発点となったが、シュトラウスはこれに異議を唱えた。ホッブズは人間を単なる自己保存の機械と見なし、道正義の根拠を切り捨ててしまった。果たして、それで当に良い社会が築けるのか?シュトラウスは古代の思想へと立ち返った。

ロックとルソーの盲点

ホッブズの後継者であるジョン・ロックは、自然権と自由を強調し、ルソーは人民主権を提唱した。彼らの理論は近代民主主義の基盤となったが、シュトラウスはその根底に「歴史的相対主義」が潜んでいると批判した。彼らは政治制度を作り出す過程を説することに長けていたが、それが「当に政治か」を考えようとはしなかった。善悪の基準が単なる社会契約の産物だとすれば、人間社会の価値は常に流動的なものになってしまう。

失われた自然法の原則

シュトラウスは、古代ギリシャ中世哲学者たちが唱えた「自然法」の概念を重視した。プラトンのイデアを探求し、アリストテレスは人間の性に基づく倫理を説いた。さらに、トマス・アクィナスの法則と理性を結びつけた。これらの思想は、普遍的な正義と秩序を示唆している。しかし、近代合理主義はこの根原理を切り捨て、法律を単なる人間の合意とみなすようになった。シュトラウスは、この転換こそが現代政治の混迷の原因であると考えた。

近代合理主義の限界と哲学の役割

シュトラウスの批判は、単なる過去への回帰ではない。彼は近代合理主義が社会を合理的に設計する一方で、道的な拠り所を失いつつあることを憂慮した。果たして「正義」とは単なるルールの集合なのか?哲学者は政治から退き、技術者や官僚が制度を管理するだけでよいのか?彼は、人間の性と正義の普遍性を問い直すために、古典的な知の遺産にを当てたのである。

第5章 歴史主義と普遍的真理の探求

すべては時代の産物なのか?

19世紀以降、多くの哲学者は「人間の思想や価値観は、その時代や文化に依存する」と主張するようになった。この考え方は「歴史主義」と呼ばれ、ヘーゲルやマルクスによって発展した。彼らは、哲学や道が普遍的なものではなく、歴史の流れとともに変化するものであると考えた。しかし、シュトラウスはこの発想に疑問を投げかけた。もし真理が時代によって変わるなら、「」や「正義」は単なる偶然の産物にすぎないのではないか?

ニーチェとハイデガーの挑戦

歴史主義の極端な結論は、フリードリヒ・ニーチェの「神は死んだ」という宣言に象徴される。彼は、伝統的な価値観は崩壊し、人間は自ら価値を創造するしかないと考えた。これを受け継いだマルティン・ハイデガーも、存在の意味は歴史的文脈によって規定されると主張した。しかし、シュトラウスは彼らの議論に危機感を抱いた。価値観が完全に相対化されるなら、政治や道の基盤も崩れてしまう。それは、ナチズムのようなイデオロギーにも正当性を与えてしまう危険を孕んでいた。

古代哲学への回帰

シュトラウスは、歴史主義を超えるために、再び古代哲学へと目を向けた。ソクラテスプラトンアリストテレスは、人間には時代を超えた普遍的な性があると考えていた。たとえば、正義とは何か、き社会とは何かといった問いは、時代や文化を超えて人類が向き合い続ける問題である。彼は、歴史主義がこうした哲学質を見失わせる危険を指摘し、「哲学は時代を超えて真理を追求する営みである」と強調した。

哲学はどこへ向かうのか?

シュトラウスは、「哲学とは単なる歴史研究ではなく、人間の質を問う営みである」と主張した。歴史主義がすべてを相対化するなら、知識人は何を指針として生きればよいのか? 彼は、現代社会が直面する問題を解決するためにも、普遍的な真理を求める姿勢が必要だと考えた。彼の議論は、多くの思想家に影響を与え、歴史主義に対する批判的な視点を再び学問の中に据えることとなったのである。

第6章 アメリカ政治への影響

シカゴ大学の知的革命

1949年、レオ・シュトラウスはシカゴ大学に着任し、政治哲学の講義を始めた。彼の授業は異例の熱気に包まれ、学生たちは古典を「ただの歴史的資料」ではなく、「現代にも生きる思想」として学び直した。彼はプラトンアリストテレスを徹底的に分析し、近代的リベラリズムや民主主義の基盤を問い直した。この教育タイルは「シカゴ学派」として知られるようになり、多くの知識人が彼のもとで研鑽を積んだ。

アメリカ政治思想の変革

シュトラウスの教えを受けた者たちは、単なる学者ではなく、政治の現場でも活躍するようになった。彼の思想は、リベラリズムと保守主義の両方に影響を与えた。自由民主主義の理念を根から問い直し、国家の役割や道的基盤についての新たな議論を生み出した。彼の弟子たちは、政治学法律学を通じて政策立案に関与し、シュトラウス的な視点を持つ政治理論家が増えていった。

知的エリートの使命

シュトラウスは、「哲学者は社会に対して責任を持つべきである」と考えた。彼は、単なる理論家ではなく、国家未来を考える知的エリートの育成を目指した。政治は単なる権力闘争ではなく、き社会を作るための営みであるべきだと説いた。彼の弟子たちは、シンクタンクや政府機関で活動し、アメリカの外交や政治思想に影響を及ぼした。

現代への影響

シュトラウスの影響は、現代の政治思想においても濃く残っている。彼の弟子たちは大学だけでなく、メディアや政策立案の場でも発言力を持ち、政治哲学の重要性を訴え続けている。彼の思想は時に議論を呼ぶが、それは政治哲学が不可分であることの証でもある。シュトラウスの教えは、今なおアメリカ政治の根底に生き続けているのである。

第7章 新保守主義との論争

シュトラウスは新保守主義者なのか?

20世紀後半、アメリカの政治思想に大きな変化が訪れた。「新保守主義」と呼ばれる運動が台頭し、外交政策や政治に影響を与えた。この思想の中には、強い国家、道価値観の擁護、軍事力の行使といった要素があった。シュトラウスの弟子たちの多くが新保守主義と関係を持ったため、彼の思想がこの運動の理論的基盤になったと考える者もいた。しかし、シュトラウス自身は「保守主義者」ではなく、あくまで哲学者として普遍的な真理を追求していた。

イラク戦争とシュトラウスの影

2003年、アメリカはイラク戦争を開始した。この戦争を推進した政治家や知識人の中には、シュトラウスの弟子とされる人物もいた。そのため、一部の評論家は「シュトラウスの思想が軍事介入を正当化した」と批判した。しかし、シュトラウスは生前、外交政策を直接論じたわけではなく、戦争を支持するような発言もしていない。彼の哲学が新保守主義の政策にどのような影響を与えたのかは、今なお議論の的となっている。

誤読された哲学

シュトラウスの思想が新保守主義に利用された理由の一つに、「秘教的書法(エソテリック・ライティング)」の概念がある。彼は、哲学者は迫害を避けるために、表向きの文章と隠されたメッセージを持つことがあると主張した。この考え方が誤解され、「政治指導者は大衆を導くために真実を隠してもよい」と解釈されたのである。しかし、シュトラウスはむしろ、哲学の自由を守るためにこの手法を研究したのであり、権力者のための手段として肯定したわけではなかった。

哲学と政治の緊張関係

シュトラウスは、政治哲学の間には常に緊張関係があると考えた。哲学者は真理を探求するが、政治家は現実的な決断を下さねばならない。このギャップを埋めるために哲学政治に影響を与えることはあるが、それが必ずしもシュトラウスの意図通りとは限らない。新保守主義と彼の思想の関係を巡る論争は、哲学がいかに現代政治に影響を及ぼし得るかを示す好例である。

第8章 シュトラウスの方法論

秘密のメッセージを読む

レオ・シュトラウスの読解方法は、単なる哲学の解釈ではなかった。彼は、古代の哲学者たちが「秘教的書法(エソテリック・ライティング)」を用いて、表向きの文章の中に隠されたメッセージを忍ばせていると考えた。たとえば、プラトンの対話篇には、表面上は読者を誤解させるような議論が展開されているが、その奥には深い真理が潜んでいる。シュトラウスは、「賢者は時に沈黙しなければならない」とし、隠された哲学を読み解くことの重要性を強調した。

直読法と細部へのこだわり

シュトラウスの方法論は、単にの「要約」をするのではなく、一語一句を丁寧に読むことを重視するものであった。彼は、哲学者の言葉には意図的な選択があり、細部に真意が込められていると考えた。たとえば、マキャヴェリの『君主論』において、特定の言葉の繰り返しや章の順序が持つ意味を探ることで、著者の当のメッセージを浮かび上がらせる。この「直読法」は、テキストを歴史的文脈に流されずに理解するためのであった。

誰のための哲学か?

シュトラウスは、哲学には二種類の読者がいると考えた。一つは表面的な意味しか読まない一般の読者、もう一つは秘められたメッセージを読み取る少知識人である。この考え方は、彼の「哲学者と政治」の関係にもつながる。真理を語ることが危険だった時代、哲学者は暗示的な表現を用いなければならなかった。たとえば、スピノザの『神学政治論』もその一例であり、彼は表面上は宗教に従うように見せながら、理性による自由を擁護していた。

古典を現代に蘇らせる

シュトラウスの方法論は、哲学を単なる「過去の遺物」として扱うのではなく、現代の思想として生き返らせる試みであった。彼は、時代ごとの解釈に流されず、原典を直接読み込むことで、そこに込められた普遍的な知恵を発見しようとした。哲学は、過去の思想家たちとの対話であり、その真意を探ることで、私たち自身の時代の問題をより深く理解することができるのである。

第9章 批判と評価

近代政治思想との対立

レオ・シュトラウスの思想は、近代の政治哲学者たちと根的に対立していた。ホッブズロック、ルソーは、人間の理性を信頼し、民主主義の進歩を確信していた。しかし、シュトラウスは「進歩」そのものに疑問を呈した。彼にとって、哲学は単なる時代の産物ではなく、古代ギリシャ以来の普遍的な問いを探究する営みであった。近代的な歴史主義と相対主義が普及するなかで、彼は「哲学政治を超えるものだ」と主張したのである。

リベラル派の批判

シュトラウスの思想は、リベラル派の学者から厳しく批判された。彼の「秘教的書法」の解釈は、恣意的な読解であり、古典を歪めていると指摘された。また、彼が民主主義を全面的に肯定しなかったことも問題視された。リベラル派は、政治は常に開かれた議論によって進化するべきだと考えたが、シュトラウスの学問は「知的エリート主義」として受け取られることもあった。彼の思想は、自由民主主義の基盤を脅かすものだと見なされたのである。

シュトラウス学派の分裂

シュトラウスの弟子たちは、彼の思想をそれぞれの方向に発展させた。その結果、「シュトラウス学派」と呼ばれる流派の内部で解釈が分かれた。ある者は彼の理論を厳密に守り続けたが、他の者は新たな政治理論へ応用しようと試みた。特にアメリカの新保守主義との関係を巡っては、学派内でも意見が対立した。シュトラウスの遺産は、統一された思想ではなく、多様な解釈のもとで展開されていったのである。

それでも哲学は生き続ける

シュトラウスの思想は、今なお世界中で議論されている。彼の政治哲学へのアプローチは、多くの知識人に刺激を与え、哲学政治の関係を再考させた。彼の批判者たちでさえ、彼の学問的誠実さと徹底した読解には敬意を払っている。彼の思想が時代にそぐわないと考える者もいるが、古典的政治哲学の探求は、現代社会においてもなお意義を持ち続けているのである。

第10章 シュトラウスをどう読むべきか

哲学の扉を開く

レオ・シュトラウスの著作は一見すると難解に思えるが、その背後には時代を超えた知の探求がある。彼のを読むことは、ソクラテスプラトンアリストテレスと直接対話するようなものだ。『自然権と歴史』では、彼は近代合理主義の問題点を鋭く指摘し、古典的政治哲学の重要性を訴えた。読者は彼の文章に隠された意図を読み解きながら、哲学とは何かという問いに深く向き合うことになる。

まずはどこから読むべきか?

者にとって、シュトラウスの著作はとっつきにくいものが多い。しかし、彼の思想を理解するためには『都市と人間』や『自然権と歴史』がよい出発点となる。これらのでは、彼の批判の対である近代政治哲学の核を知ることができる。また、彼の論文や講義録を読むことで、彼の思想がどのように発展していったのかを追うことができる。まずは、一つの概念をじっくりと考えながら読み進めることが大切である。

現代に生きる古典

シュトラウスは「古典は過去の遺物ではない」と主張した。彼の読書法に従えば、プラトンアリストテレスの著作が単なる歴史資料ではなく、現代に生きる思想として立ち上がってくる。彼の弟子たちは、古典的政治哲学の手法を現代の問題に応用しようと試みた。シュトラウスを読むことで、我々は政治哲学に対する新たな視点を得ることができる。彼の思想は、単に過去を振り返るものではなく、未来を考えるための手がかりとなるのである。

哲学は永遠の対話である

シュトラウスの読解法は、単なる知識の吸収ではなく、「問いを立てること」に重点を置いている。彼の著作を読むことは、一方的に答えを受け取るのではなく、古代から続く哲学の対話に参加することを意味する。彼の方法を学ぶことで、単にを読むのではなく、「とともに考える」という姿勢を身につけることができる。哲学とは終わりのない探求であり、シュトラウスはその旅へと私たちを導いているのである。