戦争

基礎知識
  1. 戦争の定義とその進化
    戦争とは国家間や集団間の武力衝突であり、技術、戦術、倫理の変遷と共にその形態は進化してきた。
  2. 戦争政治の関係
    戦争はしばしば政治の手段として行われ、クラウゼヴィッツの言葉にあるように、戦争政治は不可分である。
  3. 戦争技術と兵器の進化
    火薬や器の発明から核兵器の登場に至るまで、技術革新は戦争の規模と破壊力に劇的な影響を与えてきた。
  4. 戦争における戦略と戦術の重要性
    古代から現代に至るまで、戦争に勝利するためには、戦略(大局的計画)と戦術(具体的な作戦)の両方が鍵となる。
  5. 戦争と社会・文化の相互作用
    戦争は社会の政治、経済、文化に深い影響を与え、逆にそれらの要素が戦争の原因や形態にも影響を及ぼす。

第1章 戦争とは何か ― 人類の歴史と共に歩む武力衝突

戦争の本質を探る

戦争はただの暴力的な争いではない。それは人類が長い歴史の中で行ってきた、国家や集団間の大規模な武力衝突である。戦争には「なぜ戦うのか?」という根本的な問いが常に存在してきた。古代のギリシャから現代まで、戦争は領土拡大、資源確保、宗教やイデオロギーの対立など、さまざまな理由で引き起こされてきた。たとえば、古代ローマは地中海全域を制圧するために、何度も激しい戦争を繰り広げた。戦争は単なる破壊行為ではなく、政治的な目的や経済的利益の追求、または社会的な変革を伴う大きな歴史の一部である。戦争は人類の運命を左右する大きな力であり、その本質を理解することは歴史全体を理解する鍵となる。

戦争の形態とその進化

戦争は時代や技術の進歩によって形を変え続けてきた。最初は部族間の小規模な争いが主流であったが、やがて大国間の戦争や世界規模の大戦へと発展した。古代では剣や槍、弓が主な武器だったが、火薬の発明により戦争の形態は一変した。たとえば、15世紀の大航海時代には、大砲を搭載した船が海戦の主力となり、戦争の舞台が広大な海にまで広がった。そして20世紀に入ると、飛行機や戦車、さらには核兵器が登場し、戦争は地上から空、そして宇宙へと拡大していった。戦争進化は常に人類の技術革新と密接に結びついているのである。

戦争の規模と影響

戦争がもたらす影響は、単に勝者と敗者を決めるだけに留まらない。例えば、ナポレオン戦争ヨーロッパ全体の勢力図を大きく塗り替え、各国の国境や政体に大きな影響を与えた。さらに、第一次世界大戦は列強の経済と社会に深刻な打撃を与え、第二次世界大戦の引きともなった。戦争は社会構造を大きく変え、科学技術の飛躍的進展をもたらす一方で、莫大な人的・物的損失を引き起こす。例えば、アメリカ南北戦争後の奴隷解放や、第二次世界大戦後の国際連合の設立など、戦争は新たな社会秩序や国際協力のきっかけともなる。

平和のための戦争?

皮肉なことに、多くの戦争は「平和」を実現するために戦われてきた。古代ローマは「パックス・ロマーナ(ローマ平和)」という名のもとに、軍事力で周辺の国々を征服し、その支配を正当化した。第二次世界大戦後、世界は国際的な協調を重視するようになり、国際連合などの平和維持機関が設立されたが、それでも戦争は絶えない。人々は戦争を避けたいと願う一方で、平和を保つために武力を必要とするというジレンマに直面している。今日も世界中で紛争が続く中、戦争と平和の関係を理解することは、未来平和への第一歩である。

第2章 政治と戦争 ― クラウゼヴィッツの理論と現代の実例

戦争は政治の延長

戦争政治の延長である」と述べたのは、19世紀の軍事理論家カール・フォン・クラウゼヴィッツである。この言葉は、戦争がただの暴力行為ではなく、国家や指導者が政治目標を達成するための手段であることを意味している。例えば、ナポレオンフランス革命後の不安定な状況で、戦争を通じてヨーロッパにおけるフランスの影響力を広げた。戦争は、外交交渉や経済政策と同じく、国際関係を動かす重要なツールである。戦争政治が深く結びついているため、戦場での決断がその後の外交や国際関係に大きな影響を与えるのである。

ナポレオン戦争と政治的な駆け引き

ナポレオン戦争は、戦争政治が密接に絡み合った例である。ナポレオン・ボナパルトは戦場で数々の勝利を収め、その力でフランス帝国を築いた。しかし、その目的は単なる領土拡大ではなく、フランス革命の理想をヨーロッパに広め、フランスの政治的影響力を拡大することであった。各国はナポレオンの野心に対抗し、同盟を結んだり裏切ったりすることで、政治的な駆け引きが戦争の中で行われた。最終的に、ナポレオンはワーテルローの戦いで敗れたが、その後のヨーロッパの国際政治秩序に多大な影響を与えた。

第一次世界大戦と外交の失敗

第一次世界大戦は、戦争がどのようにして外交の失敗から生まれるかを示す代表的な例である。この戦争は、複雑な同盟関係や民族間の緊張が高まる中で、各国が誤った判断を重ねた結果、勃発した。オーストリアの皇太子が暗殺されたことで、オーストリアとセルビアの対立が激化し、次々と各国が参戦した。この戦争は、各国が戦争を避けるための外交的努力を怠った結果、ヨーロッパ全土を巻き込んだ大惨事となった。戦争は、政治的な決定の結果であることが再び証明されたのである。

第二次世界大戦と国際政治の再編

第二次世界大戦は、戦争が終わった後も、国際政治に大きな変革をもたらす例である。戦争によってドイツや日本は敗北し、ヨーロッパ地図は大きく塗り替えられた。特に戦後、アメリカとソ連が超大国として台頭し、冷戦構造が生まれた。このように、戦争はただの軍事的な衝突ではなく、戦後の国際秩序や国際関係を根本的に変える力を持っている。国際連合の設立など、戦後の新しい政治的枠組みは、戦争政治にどれほど深い影響を与えるかを物語っている。

第3章 技術革新と戦争 ― 武器が変えた戦いの歴史

火薬が戦争の形を変えた瞬間

火薬の発明は、戦争の歴史における大きな転機となった。13世紀、中国で初めて使われた火薬は、瞬く間に他国にも伝わり、戦争の形態を根本的に変えた。中世ヨーロッパでは、従来の騎士と剣による戦いから、大砲や火器が導入されるようになり、戦争の規模が飛躍的に拡大した。これにより、城や城壁といったかつて強固な防御を誇った防御施設も無力化されるようになった。例えば、フランスの百年戦争では、大砲の登場が勝敗を左右し、騎士の時代に終止符が打たれたのだ。

航空戦の始まりと空の支配

20世紀初頭、飛行機が登場すると、戦争は地上から空へと拡大した。第一次世界大戦では、初めて飛行機が偵察や爆撃に使われ、戦争の様相が一変した。戦闘機の出現により、上空からの攻撃が可能になり、敵の動きを把握したり、重要な拠点を空爆することが戦略の一環となった。第二次世界大戦では、この技術がさらに進化し、空母を中心とした空中戦が太平洋戦争で重要な役割を果たした。空を支配することが戦争の勝敗を左右する時代が到来したのである。

核兵器がもたらした恐怖

1945年、アメリカが開発した核兵器は、戦争の破壊力を一変させた。広島と長崎に投下された2発の原子爆弾は、数十万人の命を奪い、都市を一瞬で破壊した。この圧倒的な破壊力により、戦争のあり方は根本的に変わった。以降、核兵器を持つ国々は、お互いに核戦争の恐怖に直面し、冷戦時代には「相互確証破壊」という概念が生まれた。つまり、核兵器が使用されれば両者とも壊滅するため、核を使えない状況が続いたのである。核兵器戦争そのものを抑止する力となったのだ。

技術が作り出す未来の戦争

現代において、戦争技術革新はさらに進んでいる。ドローンやサイバー攻撃、人工知能を使った自動兵器は、未来戦争の形を変えつつある。例えば、無人機ドローンはリスクを減らし、敵を遠距離から攻撃できる手段として利用されている。さらに、サイバー戦争ではインターネットを通じて他国のインフラに攻撃を加えることが可能になり、戦場はもはや物理的な場所に限らなくなった。技術が発展し続ける限り、戦争もまた新たな形を取り続けるのである。

第4章 戦略と戦術 ― 勝利への道筋を描く知恵

戦略とは何か? 大局を見通す力

戦略とは、戦争全体を通してどのように勝利を収めるかという大きな計画である。これには、どの国と同盟を結ぶか、どの地域を攻撃するか、どれだけの資源を投入するかといった重要な決断が含まれる。古代中国の軍師・孫子は『孫子の兵法』で、戦争において勝利するためには「敵を知り、己を知る」ことが不可欠であると説いた。敵の弱点を見極め、慎重に計画を立てることが、戦争において成功する鍵である。戦略は長期的な視野に立ち、戦場外の要因も考慮しなければならないのだ。

戦術の力 ― 戦場での決断が運命を左右する

戦術は、戦場での具体的な作戦や動きのことを指す。戦術の良し悪しが、戦いの勝敗を大きく左右する。例えば、ナポレオン・ボナパルトは、戦術の天才として知られている。彼は、敵の弱点を見つけるとすぐさまそこを突き、短期間で決定的な勝利を収めることが多かった。戦術はしばしば瞬間的な判断に基づき、その場で適応する柔軟性が求められる。優れた戦術家は、戦場の変化に素早く対応し、少数の兵でも効率的に使うことで大きな勝利を手にすることができる。

古代の戦略と戦術 ― 孫子とアレクサンドロス大王

古代には、戦略と戦術の両方を駆使して大成功を収めた指導者が数多くいた。孫子は、敵を直接攻撃せずに勝利を収める「兵を出さずに勝つ」という戦略を推奨し、戦争を回避することが最高の勝利だと説いた。一方、アレクサンドロス大王は、遠征先で敵を包囲して逃げ道を断ち切る戦術を用い、圧倒的なスピードで広大な領土を征服した。彼の戦術は、その後の軍事史に大きな影響を与え、後の世代の指導者たちも彼を手本にしたのである。

現代の戦略と戦術 ― テクノロジーとの融合

現代の戦争では、戦略と戦術はさらに複雑化し、テクノロジーとの融合が重要な役割を果たしている。例えば、無人航空機(ドローン)やサイバー攻撃は、戦場の状況を一変させる新しい戦術となっている。戦略においても、国際関係や経済制裁を駆使して、戦争を回避することや、戦闘が始まる前に敵を弱体化させることが求められる。軍事力だけでなく、情報戦や外交戦略も重要な要素となり、戦争はこれまで以上に複雑で多面的なものとなっているのである。

第5章 古代の戦争 ― 帝国の拡大と防衛のための闘い

エジプトとヒッタイトの大国同士の激突

古代エジプトナイル川の恵みを受けた豊かな文明であったが、常に外敵からの脅威にさらされていた。その中でも最も有名なのが紀元前1274年の「カデシュの戦い」である。この戦いは、エジプトのファラオ・ラムセス2世と、強大なヒッタイト帝国の王ムワタリ2世との間で繰り広げられた。両国は、シリアの重要な都市カデシュを巡り、激しい争奪戦を繰り広げた。この戦いは歴史上、最も早くから記録に残された大規模な戦闘であり、エジプトヒッタイトの間に停戦協定が結ばれたことで、世界最古の平和条約が誕生した。

ローマ帝国の戦争マシン

ローマ帝国は、その軍事力で知られる強大な国家であった。ローマ軍は「レギオン」と呼ばれる大規模な部隊を持ち、これが帝国拡大の原動力となった。たとえば、ガリア戦争(紀元前58-50年)では、ローマの将軍ユリウス・カエサルが、現在のフランスにあたる地域を征服し、ローマの領土を大幅に広げた。カエサルは戦術の天才であり、地形や敵の弱点を巧みに利用することで、数的に劣勢な状況でも勝利を収めた。この戦争の勝利は、ローマヨーロッパ全体に影響力を拡大する大きな一歩となった。

ペルシャ帝国とギリシャの戦い

古代ギリシャとペルシャ帝国の間で繰り広げられた戦争も、歴史に大きな影響を与えた。ペルシャ戦争(紀元前499-449年)は、ギリシャの都市国家アテナイとスパルタが、強大なペルシャ帝国の侵略に立ち向かった戦いである。マラトンの戦いやテルモピュライの戦いは特に有名で、ギリシャ側が数的に劣勢にもかかわらず、戦略的な勝利を収めた。この戦争は、後にギリシャ文化が西洋文明の基盤となることを可能にし、歴史的なターニングポイントとなった。

戦争と帝国の終焉

どんなに強大な帝国も、やがて衰退する。ローマ帝国もその例外ではなかった。紀元5世紀、ゲルマン民族の侵入や内部の腐敗、経済的困難により、西ローマ帝国は崩壊に向かった。ゲルマン民族の指導者オドアケルが西ローマ皇帝を退位させたことで、帝国の終焉が決定的となった。戦争は、帝国を築く手段であると同時に、帝国の終わりをもたらすものでもある。この歴史の流れは、他の多くの文明にも共通する運命であり、古代戦争がいかに大きな影響をもたらしたかを示している。

第6章 中世の戦争 ― 騎士と城塞の時代

騎士の時代とその役割

中世ヨーロッパにおいて、騎士は戦争象徴であり、力と名誉の存在であった。彼らは重厚な甲冑を身にまとい、馬に乗って戦場を駆け抜けた。騎士たちは封建制度の中で、領主に仕える武士として重要な役割を果たした。彼らは忠誠心を誓い、領地の防衛や拡大を担った。騎士道という名のもと、勇敢さや礼儀を重んじたが、実際の戦争では騎士同士の戦闘だけでなく、農民や平民を巻き込む大規模な戦いも繰り広げられた。彼らは単なる戦士ではなく、社会的地位の象徴でもあった。

城塞 ― 中世の防御の要

城塞は中世戦争において、防御の中心的存在であった。これらの巨大な石造りの構造物は、領主や王たちが外敵からの侵略を防ぐために築いたもので、壁は厚く、堀や見張り塔などが備えられていた。たとえば、フランスのカルカソンヌ城塞はその規模と防御力で知られ、多くの攻撃から生き延びた。攻城戦では、長期間にわたる包囲が行われ、食料やが尽きるまで防御側が耐えることが求められた。攻撃側は投石機や火薬を用いたり、堀を埋めて城門を突破しようとするなど、様々な工夫が凝らされた。

十字軍 ― 宗教が動かした戦争

11世紀から13世紀にかけて行われた十字軍遠征は、中世ヨーロッパにおける最大の軍事行動であった。ヨーロッパキリスト教徒たちは、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的として、何度も遠征を繰り返した。最初の十字軍は成功を収め、エルサレムを一時的に占領したが、その後の遠征は複雑な失敗を重ねた。十字軍は宗教的な使命感から始まったが、次第に政治的、経済的な目的も絡み、貴族たちが領土や富を得るための手段ともなった。十字軍は、ヨーロッパと中東の関係を大きく変えた。

アジアにおける中世の戦争

中世ヨーロッパだけでなく、アジアでも大規模な戦争が繰り広げられていた。特に、13世紀にモンゴル帝国がアジアからヨーロッパまで広がる広大な領土を征服したことは、世界史における一大事件であった。チンギス・ハン率いるモンゴル軍は、騎馬戦術と優れた指揮能力で多くの国を制圧した。彼らは短期間で広大な領土を征服し、征服地では厳格な支配体制を敷いた。モンゴルの遠征は、シルクロードの安全を確保し、東西の交流を促進するという副次的な影響ももたらした。

第7章 近代の戦争 ― ナポレオンから第一次世界大戦へ

ナポレオン戦争 ― 革命の後の混乱と野望

フランス革命後、ナポレオン・ボナパルトはヨーロッパでの覇権を狙い、数々の戦争を起こした。彼の目標は、フランスの力を広げるとともに、自身が帝王として権力を握ることであった。ナポレオンは軍事戦術の天才であり、彼が編み出した「縦深戦術」は戦場に革命をもたらした。たとえば、1805年のアウステルリッツの戦いでは、数に劣るフランス軍がロシア・オーストリア連合軍を打ち破り、ナポレオンの名声をさらに高めた。しかし、彼の野望は過剰なもので、ロシア遠征での大敗北により、最終的に失脚することとなった。

産業革命と戦争の機械化

19世紀に起こった産業革命は、戦争にも大きな影響を与えた。これにより、鉄道蒸気機関が登場し、物資や兵士を素早く戦場に運ぶことができるようになった。また、製の艦船や大砲が登場し、戦争のスケールが拡大した。クリミア戦争(1853-1856年)では、初めて鉄道と電報が戦争に活用され、戦争の進行が大幅にスピードアップした。さらに、戦争における工場の役割も増し、兵器の大量生産が可能になった。これにより、戦争はより破壊的で、かつ長期化する傾向が強まった。

第一次世界大戦 ― 総力戦の始まり

1914年に勃発した第一次世界大戦は、近代における「総力戦」の時代の幕開けを告げた。この戦争ヨーロッパの大国が次々に参戦し、戦場は陸海空に広がった。塹壕戦と呼ばれる激しい消耗戦が主流となり、兵士たちは前線で長期間にわたって戦い続けた。ドイツと連合国の間で行われた西部戦線では、毒ガスや戦車など新たな兵器が次々と登場し、戦争はますます過酷なものとなった。この戦争の結果、数千万人の命が失われ、ヨーロッパ全土に大きな傷跡を残した。

戦争が引き起こした社会の変化

第一次世界大戦は、戦場だけでなく社会全体にも大きな影響を与えた。男性が戦場に行ったため、女性たちは工場や農場で働き、社会における女性の役割が大きく変わった。また、戦争による経済的な損失は膨大で、戦後の不況やインフレを引き起こした。ドイツでは特に厳しい賠償が課され、これが後の第二次世界大戦の原因の一つともなった。さらに、ロシアでは戦争の影響で革命が起こり、ロシア帝国が崩壊してソビエト連邦が誕生するなど、世界の政治秩序も大きく変わることになった。

第8章 第二次世界大戦 ― 人類史上最大の衝突

ヨーロッパ戦線 ― ヒトラーの野望と連合国の反撃

第二次世界大戦は、1939年にナチス・ドイツヒトラーがポーランドに侵攻したことから始まった。これにより、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、ヨーロッパ全土が戦場と化した。ヒトラーの戦術である「電撃戦」は、短期間でヨーロッパの多くの国々を支配下に置いた。しかし、1941年にドイツがソ連に侵攻すると、戦局が変わり始める。スターリングラードの戦いでドイツ軍は初めて大敗し、連合国側は次第に反撃に転じ、最終的に1945年にベルリンが陥落し、ヨーロッパ戦線は終結した。

太平洋戦争 ― 日本とアメリカの戦い

第二次世界大戦は、アジアでも大きな戦争を引き起こした。1941年、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカとの戦争が始まった。これにより、太平洋全域での戦闘が激化し、ミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いなどが繰り広げられた。アメリカは、航空機や空母を駆使して日本に対抗し、次第に日本を追い詰めた。1945年には広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本は無条件降伏を余儀なくされる。これにより、太平洋戦争も終結し、世界中が第二次世界大戦の終わりを迎えた。

ホロコースト ― 戦争の悲劇と教訓

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人をはじめとする多くの人々を強制収容所に送り、組織的な大量虐殺を行った。これが「ホロコースト」であり、約600万人のユダヤ人が命を落とした。ホロコーストは、戦争の残酷さだけでなく、人種差別や憎しみがいかに恐ろしい結果を生むかを示す悲劇的な教訓となった。戦後、この恐ろしい出来事に対する国際的な認識が深まり、国際連合人権保護の仕組みが構築されるきっかけとなった。ホロコーストは、二度と繰り返してはならない歴史の傷である。

戦後の処理と国際社会の再編

第二次世界大戦後、世界は新たな秩序を模索する時代に入った。ヨーロッパ戦争によって荒廃し、多くの国が経済的にも大きなダメージを受けた。戦争の責任を問うため、ドイツのナチス指導者たちは「ニュルンベルク裁判」にかけられ、戦争犯罪が裁かれた。また、戦後処理の一環として国際連合が設立され、平和を維持するための国際的な枠組みが整備された。アメリカとソ連が世界の超大国として台頭し、冷戦時代が始まる中、戦後の世界は大きく再編されていった。

第9章 冷戦と現代の戦争 ― 核の恐怖と代理戦争

冷戦の始まり ― アメリカとソ連の対立

第二次世界大戦が終わると、世界は新たな緊張に包まれた。アメリカとソ連という二つの超大国が、資本主義と共産主義という異なるイデオロギーを掲げ、世界を二分する冷戦が始まった。直接的な軍事衝突は避けられたが、両国は互いに核兵器を大量に保有し、常に核戦争の危機にさらされていた。特に1962年のキューバ危機では、ソ連がキューバに核ミサイルを配備したことにより、核戦争が現実となる寸前まで緊張が高まったが、外交努力によって回避された。この時代、核兵器の存在は戦争の形を大きく変えた。

ベトナム戦争 ― 代理戦争の代表例

冷戦時代には、アメリカとソ連が直接戦うのではなく、他国を舞台にして戦争が行われることが多かった。これを「代理戦争」と呼ぶ。その代表的な例がベトナム戦争である。この戦争は、共産主義のベトナム北部と、アメリカが支援する南ベトナムの間で繰り広げられた。アメリカは、共産主義の拡大を阻止するために介入し、多くの兵士を送り込んだが、ゲリラ戦術に苦しめられ、1973年には撤退を余儀なくされた。ベトナム戦争は、冷戦時代の緊張がどれほど激しかったかを示す象徴的な戦争である。

湾岸戦争 ― 新たな戦争の形

冷戦が終結した後、1990年にイラクがクウェートに侵攻し、湾岸戦争が勃発した。この戦争では、アメリカを中心とした多国籍軍が、イラク軍に対して圧倒的な空爆作戦を展開し、短期間で勝利を収めた。湾岸戦争は、現代の戦争技術と情報の力で劇的に変わったことを示している。航空機やミサイルによる精密な攻撃が行われ、テレビを通じてリアルタイムで戦争が報道された。この戦争は「メディア戦争」とも呼ばれ、戦場の状況が一瞬にして世界中に伝わる時代の到来を告げた。

テロとの戦い ― 新たな脅威

21世紀に入ると、戦争の脅威は国家間の争いだけではなくなった。2001年のアメリカ同時多発テロ事件は、テロリズムという新たな形の戦争の幕開けを告げた。アルカイダというテロ組織が犯したこの攻撃に対し、アメリカは「テロとの戦い」を宣言し、アフガニスタンイラクに軍事介入を行った。この戦争では、従来のような国家同士の戦争ではなく、非国家勢力との戦いが中心となった。また、サイバー攻撃やドローンの使用など、技術進化戦争の新たな局面を生み出している。

第10章 戦争と社会 ― 文化、経済、倫理への影響

戦争が経済を動かす

戦争は経済に大きな影響を与える。特に大きな戦争では、国全体が戦時体制に入り、武器や物資の生産が急増する。第二次世界大戦中、アメリカは「軍需産業」の発展で経済を活性化させた。工場は戦車や飛行機を大量に生産し、これが多くの雇用を生み出した。しかし、戦争が終わると経済は急激に縮小し、失業者が増加するという問題も発生した。さらに、戦争による莫大な費用は戦後の国家財政にも大きな負担をもたらし、戦争が経済の一部を活性化させつつ、同時に破壊的な影響を与えることも多い。

戦争が生んだ技術革新

戦争は破壊をもたらす一方で、技術革新を促進することもある。例えば、第二次世界大戦中に発展したレーダー技術や、冷戦時代の宇宙開発競争は、戦争の産物である。これらの技術は、戦後の民間生活にも広く応用され、航空機の安全性向上や通信技術の発展に貢献した。また、戦時中に進化した医療技術も、平和時に病院で使われるようになった。たとえば、プラスチック手術や輸血技術は、戦場での治療経験から生まれたものである。戦争の中で生まれた発明が、私たちの暮らしに新たな価値をもたらすこともあるのだ。

戦争と文化の変化

戦争は文化にも大きな影響を与える。特に、戦争が終わった後、社会や芸術が大きく変化することが多い。第一次世界大戦後、ヨーロッパでは「失われた世代」と呼ばれる作家たちが登場し、戦争の悲惨さや無意味さを描いた文学が生まれた。ヘミングウェイやフィッツジェラルドといった作家は、戦争を体験した若者たちの失望感を表現した。また、戦後の芸術は、戦争の痛みを反映した抽的な作品が増え、絵画や音楽映画などでも戦争の影響が強く表れている。戦争は、時に芸術を通じてその歴史を語り続ける。

戦争倫理と戦争犯罪

戦争には必ず「正しい戦い方」という問題がついて回る。たとえ戦争中でも、無差別な攻撃や民間人への攻撃は許されないとする「戦争倫理」が存在する。第二次世界大戦後に行われたニュルンベルク裁判では、ナチスの指導者たちが戦争犯罪として裁かれた。これをきっかけに、国際法戦争における倫理規定を強化し、ジュネーブ条約などが結ばれた。しかし、現代の戦争でも、戦争犯罪は後を絶たない。戦争の中で、どのようにして倫理を守るかは、依然として重要な課題である。