基礎知識
- オルタナティヴ・ロックの起源
オルタナティヴ・ロックは1970年代後半から1980年代初頭にかけて、パンクロックやインディーロックから派生し、主流のロック音楽に対する反発として生まれた音楽ジャンルである。 - グランジ運動の影響
1990年代初頭、特にシアトルを中心に広がったグランジ運動は、オルタナティヴ・ロックの一部として主流化し、ジャンルの認知度を大きく高めた。 - インディーレーベルとオルタナティヴ・ロック
インディーレーベルは、オルタナティヴ・ロックの発展において重要な役割を果たし、アーティストたちに商業的な制約を受けない創作の自由を提供した。 - ジャンルの多様性
オルタナティヴ・ロックは、ポストパンク、ゴシックロック、シューゲイザーなど、さまざまなサブジャンルを内包し、その音楽的表現は非常に多様である。 - 商業化とオルタナティヴ・ロック
1990年代後半から2000年代にかけて、オルタナティヴ・ロックは商業化され、主流音楽シーンに取り込まれたが、それによりジャンルの定義が曖昧になる側面もあった。
第1章 オルタナティヴ・ロックの起源
反抗の音楽、パンクからの脱却
1970年代後半、音楽業界は主流のロックが商業化される中で、新たな風を求めていた。そこで登場したのが、パンクロックだ。セックス・ピストルズやラモーンズといったバンドは、過激で反抗的な姿勢を示し、若者たちに共感を呼んだ。しかし、パンクはその限界を迎えつつあった。シンプルなコード進行と叫び声の連続は、次第に新しい音楽表現を模索するアーティストたちにとっては窮屈になっていった。彼らはより複雑で、芸術的な要素を取り入れた音楽へと進化し始めた。それが、オルタナティヴ・ロックの始まりである。
独立の旗手、インディーシーンの台頭
オルタナティヴ・ロックの根幹を支えたのは、インディーシーンの存在である。1980年代初頭、メインストリームに属さないアーティストたちは、大手レコード会社からの圧力を逃れ、自由な表現を追求するためにインディーレーベルを設立した。例えば、R.E.M.やザ・スミスといったバンドは、独立したレーベルで活動し、その音楽が新しい波として広がった。彼らは商業的成功を追求せず、自分たちの音楽性を貫くことで、多くの若者たちに支持された。この独立の精神こそが、オルタナティヴ・ロックを支える大きな力となった。
サウンドの多様化、革新的な表現
オルタナティヴ・ロックは、その名の通り「代替」の音楽であるため、明確な定義が難しい。そのサウンドは、多様性に富んでおり、ポストパンクの影響を受けた暗いトーンや、実験的な要素を取り入れたものなど、さまざまなスタイルが存在する。ザ・キュアーやジョイ・ディヴィジョンの音楽は、ダークで重厚なサウンドを特徴とし、同時にシューゲイザーのような幻想的で重層的な音楽も生まれた。これらの多様な表現がオルタナティヴ・ロックを独特で革新的なジャンルへと押し上げたのである。
時代を映す鏡、社会への反映
オルタナティヴ・ロックは、単なる音楽ジャンルにとどまらず、社会の不満や疑問を反映する鏡としても機能した。冷戦の緊張が高まり、核戦争への恐怖が広がっていた1980年代、そして1990年代におけるグローバリゼーションの進展は、多くの若者たちに不安をもたらした。オルタナティヴ・ロックのアーティストたちは、その時代の空気を敏感に捉え、歌詞やサウンドに込めた。レディオヘッドの「クリープ」や、ピクシーズの「ウェア・イズ・マイ・マインド?」などは、その時代の感情を代弁する作品として、多くの共感を呼んだ。
第2章 インディーレーベルとDIY精神
インディーレーベルの誕生、自由への渇望
1980年代初頭、音楽業界の主流は大手レコード会社が支配していた。彼らはヒット曲を作ることに重点を置き、アーティストの創造性は二の次であった。しかし、音楽で自己表現を追求したいアーティストたちは、この状況に反発し始めた。そうして生まれたのがインディーレーベルである。Rough Tradeや4ADといった初期のインディーレーベルは、商業的成功を求めず、アーティストに自由な創作の場を提供した。この自由への渇望こそが、オルタナティヴ・ロックの精神を育んだのである。
DIY精神、独立の力
インディーレーベルが提供したのは、ただのレーベル契約ではなく、「自分でやる」というDIY精神であった。アーティストたちは自分たちでレコードを制作し、手作りのカバーアートを描き、自ら販促活動を行った。この独立の力が、オルタナティヴ・ロックを支える原動力となった。ザ・スミスやジョイ・ディヴィジョンといったバンドは、DIYの精神を体現し、その姿勢は多くの若者たちに影響を与えた。この動きは、単なる音楽の枠を超え、若者文化そのものを変革した。
インディーレーベルの成功、そして変革
インディーレーベルは、商業的成功を追求しなかったにもかかわらず、多くのバンドが成功を収めた。例えば、R.E.M.はインディーレーベルのI.R.S.からデビューし、独自のサウンドで世界的な人気を得た。また、4ADレーベルは、コクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスといったアーティストを世に送り出し、独特の美学を持つ音楽を広めた。これらの成功は、インディーシーンがメインストリームに対抗する力を持っていることを証明したのである。
インディーレーベルの未来、変わりゆく音楽業界
時が経つにつれ、インディーレーベルも変革を余儀なくされた。1990年代には、オルタナティヴ・ロックの人気が高まる中で、大手レコード会社がインディーアーティストに目をつけ、彼らをメインストリームに取り込もうとした。しかし、その中でもインディーレーベルは独自性を保ち続け、音楽業界の変化に対応しながらも、アーティストたちに自由な創作の場を提供し続けている。インディーレーベルの未来は、音楽の未来をも示唆しているのかもしれない。
第3章 グランジ運動とシアトルの台頭
シアトル、静かな街から音楽の中心地へ
1980年代後半、アメリカの北西部に位置する静かな都市シアトルが、突然音楽の中心地として注目され始めた。そこに集まる若者たちは、メインストリームの音楽シーンに対する反発心を抱えていた。シアトルのバンドたちは、激しいギターリフと生々しい感情を込めた歌詞で、都会の孤独や不満を表現した。この動きは「グランジ」と呼ばれるようになり、シアトルはその象徴となった。ニルヴァーナ、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズなどのバンドが、シアトルの地下シーンから世界に飛び出していった。
ニルヴァーナの登場と「ネヴァーマインド」の衝撃
1991年、ニルヴァーナのアルバム『ネヴァーマインド』が発売され、音楽業界に大きな衝撃を与えた。このアルバムのリードシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は、シアトルの音楽シーンを一気にメインストリームへと押し上げた。カート・コバーンの痛烈な歌詞と荒々しい演奏スタイルは、世界中の若者たちの心を掴んだ。『ネヴァーマインド』は瞬く間にヒットし、グランジというサブカルチャーが一躍メジャーとなった。この成功は、オルタナティヴ・ロック全体の勢いを加速させた。
グランジの美学、反抗とリアリズム
グランジの特徴的なサウンドは、単なる音楽スタイルにとどまらず、一種の美学でもあった。シンプルな衣装、ぼさぼさの髪、そして何よりも「反抗」の精神が象徴されていた。メインストリームの華やかさとは対照的に、グランジはリアルで地に足のついた音楽を追求した。歌詞には、都会の孤独、経済的不安、そして自己疎外感が色濃く反映されていた。グランジは、単に音楽だけでなく、1990年代初頭の若者文化全体に影響を与えた。メディアはこれを「シアトル・サウンド」と呼び、文化的な現象として位置づけた。
グランジの影響、シーンの広がりと衰退
グランジが世界的な成功を収めると、シアトル以外の都市でも類似の音楽シーンが現れた。例えば、メルヴィンズやサウンドガーデンのようなバンドが、シアトルの影響を受けながらも独自の音楽を生み出した。しかし、急速な商業化が進む中で、グランジは次第にその勢いを失っていった。カート・コバーンの悲劇的な死は、グランジの終焉を象徴する出来事となり、シアトルの音楽シーンもまた変化を余儀なくされた。しかし、グランジがオルタナティヴ・ロックに与えた影響は今なお色褪せることなく、次世代のアーティストたちに受け継がれている。
第4章 ジャンルの多様化とサブジャンル
ポストパンクの影響、暗黒と美の融合
オルタナティヴ・ロックは、1970年代後半のポストパンクから多くの影響を受けている。ポストパンクは、パンクの反抗的な精神を引き継ぎながらも、より実験的で複雑な音楽を追求した。ジョイ・ディヴィジョンの暗く美しいサウンドや、ザ・キュアーの陰鬱なメロディは、後のオルタナティヴ・ロックに深い影響を与えた。これらのバンドは、単なる音楽以上に、独特のビジュアルスタイルや歌詞でリスナーの感情を掴み、オルタナティヴ・ロックの一翼を担ったのである。
ゴシックロック、暗闇から生まれるサブカルチャー
ポストパンクから派生したゴシックロックは、暗闇と神秘をテーマにしたサブジャンルとして発展した。バウハウスやシスターズ・オブ・マーシーといったバンドは、重厚で荘厳な音楽を作り出し、独自の美学を確立した。黒い服装やドラマティックなステージ演出は、ファッションやライフスタイルにも影響を与え、ゴシックカルチャーを形成した。このジャンルはオルタナティヴ・ロックの多様性を象徴し、リスナーに新たな世界観を提供することに成功した。
シューゲイザー、音の壁の向こうに広がる夢
1980年代後半に登場したシューゲイザーは、ノイズとメロディの融合を追求したジャンルである。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライドなどのバンドは、ギターエフェクトを駆使して、夢幻的なサウンドスケープを作り上げた。シューゲイザーという名前は、ステージ上で足元のエフェクターを見つめる姿勢から名付けられた。音の壁に包まれたシューゲイザーの音楽は、リスナーを非日常の世界へと誘い、オルタナティヴ・ロックに新たな可能性を示した。
ドリームポップ、現実からの逃避の音楽
シューゲイザーと並行して発展したドリームポップは、甘美で繊細な音楽スタイルを特徴とする。コクトー・ツインズやビーチ・ハウスといったバンドは、空想的なメロディとエコーのかかったボーカルで、リスナーを夢の中へと引き込む。ドリームポップは、現実の厳しさからの逃避として、多くの人々に愛されるようになった。オルタナティヴ・ロックのサブジャンルの中でも、ドリームポップは特に感情的で内省的な作品が多く、その静かな美しさは多くのファンを魅了し続けている。
第5章 1990年代のオルタナティヴ・ロックの商業化
主流音楽への進出、オルタナティヴのパラドックス
1990年代初頭、オルタナティヴ・ロックは、その独自性と反抗精神からメインストリームとは一線を画していた。しかし、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』の大成功を皮切りに、オルタナティヴ・ロックは瞬く間に主流の音楽シーンへと進出した。この進出は、オルタナティヴの本質である反商業主義と相反するものであり、多くのアーティストやファンにとってはパラドックスを引き起こした。オルタナティヴ・ロックがメインストリーム化する一方で、その本来の精神が失われつつあると感じる者も少なくなかった。
グランジブームの到来と影響
ニルヴァーナだけでなく、パール・ジャム、サウンドガーデン、アリス・イン・チェインズといったグランジバンドもまた、1990年代初頭に一大ブームを巻き起こした。これにより、シアトルの音楽シーンは一躍世界的に注目され、グランジファッションやライフスタイルもメインストリーム文化の一部となった。しかし、このブームの裏側には、商業的成功による圧力や、オルタナティヴ・ロックの精神が失われていくことへの葛藤があった。グランジはその後急速に衰退し、シーンは変わりつつあった。
商業的成功の代償、アーティストの葛藤
オルタナティヴ・ロックが商業的成功を収めるにつれ、多くのアーティストがその代償に直面した。大手レコード会社との契約によって創作の自由が制限される一方で、ファンからは「売り渡した」と非難されることもあった。例えば、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンは、成功の中で感じた孤独やプレッシャーを音楽に反映させた。彼の作品には、商業的成功と芸術的信念の間で揺れ動く葛藤が表現されており、それは多くのアーティストたちが共有する感情でもあった。
新たなオルタナティヴの台頭、変化する音楽シーン
1990年代後半、商業化されたオルタナティヴ・ロックに対する反発として、新たな音楽ムーブメントが生まれた。ブリットポップやポストロック、エレクトロニカなど、オルタナティヴ・ロックの影響を受けつつも異なる方向性を持つジャンルが台頭し始めた。これらのジャンルは、商業的成功にとらわれず、独自の音楽性を追求することを重視した。音楽シーンは再び多様化し、オルタナティヴ・ロックはその影響を広げながらも、次の世代のアーティストたちに受け継がれていった。
第6章 主要アーティストとアルバム分析
ニルヴァーナ、オルタナティヴの象徴
ニルヴァーナはオルタナティヴ・ロックの象徴的存在であり、そのサウンドと精神はジャンル全体に深い影響を与えた。彼らのアルバム『ネヴァーマインド』は、グランジの台頭を象徴する作品であり、リードシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は瞬く間に世界中でヒットした。この曲は、カート・コバーンの苦悩と反抗心を凝縮しており、多くの若者たちに共感を呼び起こした。ニルヴァーナは商業的成功を収める一方で、その成功がもたらす矛盾にも直面し、最終的にカート・コバーンの悲劇的な死を迎えることとなった。
レディオヘッド、前衛的な挑戦
レディオヘッドは、オルタナティヴ・ロックを新たな領域へと導いたバンドである。彼らのアルバム『OKコンピューター』は、1990年代後半の音楽シーンに革命をもたらした。このアルバムは、テクノロジーの進化と人間疎外のテーマを扱い、革新的なサウンドと哲学的な歌詞が特徴である。トム・ヨークの不穏なボーカルと、ジョニー・グリーンウッドの実験的なギターワークは、多くのリスナーに衝撃を与えた。『OKコンピューター』は、オルタナティヴ・ロックを越えた前衛的な作品として、今もなお評価され続けている。
ザ・スミス、詩的な反抗心
ザ・スミスは、1980年代のオルタナティヴ・ロックシーンにおいて、独自の存在感を放ったバンドである。彼らの音楽は、ジョニー・マーの煌びやかなギターワークと、モリッシーの独特な歌詞とボーカルが融合したものであった。アルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』は、その代表作として知られている。このアルバムは、イギリス社会への風刺や個人的な孤独感をテーマにしており、その詩的な表現はリスナーの心に深く響いた。ザ・スミスは、オルタナティヴ・ロックに新たな文学性をもたらした。
ピクシーズ、オルタナティヴのパイオニア
ピクシーズは、オルタナティヴ・ロックの礎を築いたパイオニア的バンドである。彼らの音楽は、激しいダイナミクスとキャッチーなメロディの組み合わせが特徴であり、後の多くのバンドに影響を与えた。アルバム『ドリトル』は、彼らの代表作であり、ブラック・フランシスのユニークなボーカルとジョーイ・サンティアゴのアグレッシブなギターワークが光る。このアルバムは、インディーロックとメインストリームの橋渡しとなり、ニルヴァーナをはじめとする次世代のアーティストたちに多大な影響を与えた。
第7章 オルタナティヴ・ロックと社会・文化的背景
反抗する声、若者文化の象徴
オルタナティヴ・ロックは、1980年代から1990年代にかけて、若者たちの反抗的な声を代弁する音楽として広がった。当時の若者たちは、社会の不公平や権威への反発、そして個々のアイデンティティを模索していた。オルタナティヴ・ロックのアーティストたちは、その不満や怒りを音楽に込め、自由な表現の場を提供した。例えば、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は、若者の疎外感と反抗心を象徴する曲として多くの共感を呼び、オルタナティヴ・ロックが若者文化の中心に位置づけられるきっかけとなった。
社会問題へのメッセージ、歌詞に込められた思想
オルタナティヴ・ロックの歌詞には、社会問題への鋭いメッセージが込められていることが多い。R.E.M.の「イッツ・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」は、環境問題や政治的不安をテーマにし、混乱する世界への警鐘を鳴らした。また、ピクシーズの「ホエア・イズ・マイ・マインド?」は、個人の精神的な崩壊と、社会の中での孤立感を表現している。これらの楽曲は、単なるエンターテインメントではなく、リスナーに深く考えさせる力を持ち、オルタナティヴ・ロックを一層意義深いものにした。
ポリティカル・アクティビズム、音楽が生み出す運動
オルタナティヴ・ロックは、政治的アクティビズムとも密接に結びついていた。パール・ジャムは、1990年代にTicketmasterを相手取った法廷闘争を展開し、コンサートチケットの価格高騰に反対する姿勢を示した。また、レディオヘッドのトム・ヨークは、環境保護運動に積極的に参加し、地球温暖化問題に対する関心を高めた。こうしたアーティストたちの活動は、音楽が単なる娯楽にとどまらず、社会を変革する力を持つことを証明している。
カウンターカルチャーの象徴、主流への挑戦
オルタナティヴ・ロックは、主流文化への挑戦としてカウンターカルチャーを象徴する存在であった。大手レコード会社やメディアに対する反抗心を抱いたアーティストたちは、インディーレーベルを通じて自由な創作活動を行い、その音楽は商業主義に対抗する形で広まった。例えば、ザ・スミスやサウンドガーデンといったバンドは、主流のポップミュージックとは一線を画し、独自の美学を追求した。オルタナティヴ・ロックは、商業的成功を収めながらも、その根底には常に反体制的な精神が流れていたのである。
第8章 グローバルな広がりと影響
イギリスからの逆輸入、ブリットポップの登場
1990年代、オルタナティヴ・ロックはアメリカを越えてイギリスにも大きな影響を与えた。その中で生まれたのが「ブリットポップ」というムーブメントである。オアシスやブラーといったバンドは、オルタナティヴ・ロックの要素を取り入れながらも、ビートルズやローリング・ストーンズなどのクラシックなブリティッシュロックの伝統を受け継いでいた。彼らの音楽は、アメリカのオルタナティヴ・ロックとは一線を画しつつも、国境を越えて世界中の若者に熱狂的に受け入れられた。
アジアのシーン、独自のオルタナティヴ文化
オルタナティヴ・ロックはアジアでも独自の進化を遂げた。日本では、バンド・ブームが1980年代から1990年代にかけて巻き起こり、ブランキー・ジェット・シティやミッシェル・ガン・エレファントといったバンドがオルタナティヴ・ロックの影響を受けながら、独自の音楽スタイルを確立した。また、韓国や台湾でもオルタナティヴ・ロックは若者文化の一部となり、地元のアーティストたちは、グローバルな影響を受けながらも、アジア特有の社会や文化に根ざした音楽を生み出した。
ラテンアメリカ、情熱的なオルタナティヴの波
ラテンアメリカでもオルタナティヴ・ロックは大きな影響を与え、独自のサウンドが生まれた。アルゼンチンやメキシコでは、ソーダ・ステレオやカフェ・タクーバといったバンドが登場し、スペイン語の歌詞とラテンリズムを取り入れたオルタナティヴ・ロックが人気を博した。彼らは、政治的なメッセージや社会問題を歌詞に盛り込み、ラテンアメリカ特有の情熱とエネルギーを持つ音楽を作り上げた。これにより、オルタナティヴ・ロックはラテンアメリカの文化とも深く結びついた。
グローバル化とデジタル時代のオルタナティヴ
21世紀に入り、インターネットの普及により、オルタナティヴ・ロックはさらにグローバルな広がりを見せた。デジタルプラットフォームを通じて、世界中のバンドが瞬時に音楽を共有できるようになり、オルタナティヴ・ロックのシーンは国境を越えて一体化していった。例えば、インドや中国のバンドも、国際的なオルタナティヴ・フェスティバルに参加するようになり、グローバルな視点で音楽を発信するようになった。このデジタル時代において、オルタナティヴ・ロックはさらに多様性を増し、その影響力を広げ続けている。
第9章 現代のオルタナティヴ・ロックの進化
インディーとオルタナティヴの融合、新しい音楽の波
2000年代に入り、オルタナティヴ・ロックはインディーシーンとの融合が進んだ。バンドたちは、商業主義にとらわれず、自分たちのサウンドを追求する自由を手に入れた。アークティック・モンキーズやフリート・フォクシーズといったバンドは、独自のスタイルでオルタナティヴ・ロックを再定義し、新しい音楽の波を起こした。彼らの成功は、インディーとオルタナティヴの境界線を曖昧にし、ジャンルの多様性をさらに広げた。この融合は、今も続く進化の一環である。
新しい技術、デジタル時代の音楽制作
現代のオルタナティヴ・ロックは、デジタル技術の進化とともに新たな可能性を見出している。音楽制作ソフトやサンプリング技術が発展し、アーティストたちはより多様なサウンドを生み出すことが可能となった。例えば、トゥエンティ・ワン・パイロッツやグラス・アニマルズといったアーティストは、電子音楽の要素を取り入れ、従来のロックとは異なる新しい音楽を創り出している。このような技術の進化は、オルタナティヴ・ロックのさらなる進化を促し続けている。
リバイバルと再評価、過去への敬意
オルタナティヴ・ロックの進化の中で、過去のサウンドやスタイルのリバイバルも重要な要素となっている。バンドやアーティストたちは、1980年代や1990年代のオルタナティヴ・ロックにインスピレーションを得て、新たな作品を生み出している。例えば、ザ・ストロークスやインターポールは、ポストパンクやガレージロックの要素を現代に蘇らせ、過去と現在を繋ぐ橋渡しとなった。このリバイバルは、オルタナティヴ・ロックの持つ歴史とその影響力を再評価する動きでもある。
グローバル化と多様性、世界中のオルタナティヴ・ロック
現代のオルタナティヴ・ロックは、グローバル化の進展により、ますます多様化している。アメリカやイギリスだけでなく、世界中のアーティストたちが、独自の文化や背景を反映した音楽を創り出している。例えば、オーストラリアのテーム・インパラや韓国のHYUKOHは、それぞれの国の影響を受けつつも、国際的なオルタナティヴ・ロックシーンで成功を収めている。多様な文化が交差することで、オルタナティヴ・ロックはより一層の進化と豊かさを得ているのである。
第10章 オルタナティヴ・ロックの未来
デジタル時代の挑戦、新たな音楽の形
デジタル時代において、オルタナティヴ・ロックは新たな挑戦に直面している。ストリーミングサービスやソーシャルメディアの台頭により、音楽の発信方法やリスナーとの接点が劇的に変化した。アーティストたちは、アルバムという形にとらわれず、シングルやEPを短期間でリリースすることで、ファンとの継続的な関係を築いている。例えば、ビリー・アイリッシュやトム・ミッシュといった新世代のアーティストたちは、デジタルプラットフォームを巧みに活用し、オルタナティヴ・ロックの新しい形を模索している。
次世代のアーティストたち、新たな才能の台頭
オルタナティヴ・ロックの未来を担うのは、次世代の若いアーティストたちである。彼らは、従来のロックの枠にとらわれず、ジャンルを横断する音楽を創り出している。グリーン・ティー・ペングやキング・プリンセスといったアーティストは、オルタナティヴ・ロックにR&Bやヒップホップの要素を取り入れ、新しいサウンドを生み出している。彼らの音楽は、多様性と独創性を重視し、リスナーに新鮮な驚きを与え続けている。未来のオルタナティヴ・ロックは、こうした新たな才能によって形作られるであろう。
エコ意識とサステナビリティ、音楽の新しい使命
現代のオルタナティヴ・ロックは、環境問題やサステナビリティのテーマを積極的に取り上げている。アーティストたちは、気候変動や環境保護の重要性を訴える楽曲を作り、ライブツアーの際にはカーボンフットプリントを減らす取り組みを行っている。例えば、マムフォード&サンズやコールドプレイは、エコツアーを展開し、再生可能エネルギーを使用したコンサートを実施している。音楽が単なる娯楽を超え、社会的使命を帯びる時代に突入している。
グローバルな視点、国境を超えるオルタナティヴ
オルタナティヴ・ロックの未来は、さらにグローバルな視点で広がり続けるだろう。インターネットを介して、アーティストたちは世界中のリスナーと繋がり、異なる文化や背景を持つ音楽が相互に影響し合っている。例えば、ナイジェリアのバーン・ボーイや、ブラジルのリンカーン・パークのようなアーティストたちは、自国の伝統音楽とオルタナティヴ・ロックを融合させ、新たなサウンドを生み出している。未来のオルタナティヴ・ロックは、国境を超えた多様な音楽の交差点となるであろう。