基礎知識
- 両性具有の概念と文化的解釈
両性具有は生物学的な特徴だけでなく、神話・宗教・社会の中で多様な意味を持ち、文化ごとに異なる解釈がなされてきた。 - 古代文明における両性具有の表象
メソポタミア、エジプト、ギリシャ、インドなどの古代文明では、神話や宗教的な象徴として両性具有が崇拝され、重要な役割を果たした。 - 医学と科学の視点から見た両性具有
古代ギリシャのガレノスから現代のインターセックス研究に至るまで、両性具有に関する科学的理解は変遷を遂げてきた。 - 両性具有とジェンダー・セクシュアリティの関係
両性具有は、単なる生物学的特徴ではなく、ジェンダーの流動性やセクシュアリティの多様性と密接に関係している。 - 近現代における法制度と社会的認識の変化
19世紀の医学的管理から、20世紀のLGBTQ+運動、21世紀の法整備まで、両性具有に対する社会の認識と権利保障は大きく変化してきた。
第1章 両性具有とは何か?—概念と文化的背景
古代から現代へ—両性具有の長い旅
両性具有という言葉を聞いたとき、多くの人は生物学的な特徴を思い浮かべるかもしれない。しかし、それは単なる身体的な問題ではなく、人類の歴史を通じて文化や信仰の中に深く刻まれてきた概念である。古代ギリシャの哲学者プラトンは、『饗宴』の中で、人間はもともと男女両方の性を持っていたが、神々によって二つに引き裂かれたと述べた。また、ヒンドゥー教では、シヴァとパールヴァティが融合した「アルダナーリーシュヴァラ」が神聖視されている。このように、両性具有は単なる科学的な分類ではなく、人類の想像力や信仰に深く結びついている概念なのだ。
神話と宗教が描く両性具有
世界の神話をひも解くと、両性具有の神々や存在が数多く登場する。ギリシャ神話のヘルマプロディートスは、愛と美の女神アフロディーテと使者の神ヘルメスの子であり、水の精サルマキスと融合して一つの身体を持つ存在となった。メソポタミアでは、両性具有の神イシュタルが愛と戦争を司り、男性にも女性にも変化する力を持っていた。さらに、ネイティブ・アメリカンの多くの部族では、両性具有者は「ツー・スピリット」として敬われ、精神的な導き手とされていた。神話や宗教の中では、両性具有はしばしば神聖な存在として扱われ、人間の枠を超えた特別な力を持つと考えられていた。
科学が探る「性」の複雑さ
一方、科学の視点から見ると、両性具有は生物学的な性の多様性の一部である。動物界では、雌雄同体の生き物が珍しくない。カタツムリやミミズは、雄と雌の両方の生殖器を持ち、繁殖の際に役割を交換できる。人間においても、インターセックス(生物学的な性の特性が典型的な男女の区分に当てはまらない状態)は、何世紀にもわたって医学的に研究されてきた。古代ギリシャの医師ヒポクラテスやローマのガレノスは、性の発達がさまざまな要因によって異なることを記述している。現代では、遺伝学や内分泌学の発展により、性が単純な「男性」「女性」ではなく、スペクトラムの上に存在することが明らかになってきた。
両性具有をめぐる社会の認識
社会は長い間、両性具有をどのように扱うべきかを模索してきた。古代ローマでは、両性具有の子どもが生まれると神の予兆とみなされ、特別な儀式が行われることがあった。中世ヨーロッパでは、キリスト教の影響のもとで、性別の境界を曖昧にすることは「異端」とされ、厳しい監視を受けた。19世紀になると、医学が発展し、両性具有は「異常」として分類されるようになったが、20世紀後半になるとLGBTQ+の権利運動が進み、性の多様性が再評価されるようになった。現在では、インターセックスの権利を守るための法整備が進みつつあり、両性具有に対する社会の認識は新たな時代へと向かっている。
第2章 神々の中の両性具有—古代神話と宗教
世界を支配する両性具有の神々
世界の神話を紐解くと、両性具有の神々は特別な力を持つ存在として描かれている。ギリシャ神話のヘルマプロディートスは、アフロディーテとヘルメスの子として生まれ、妖精サルマキスとの融合により両性具有となった。インド神話には、シヴァ神とパールヴァティが合体したアルダナーリーシュヴァラが存在し、男性と女性の神聖なバランスを象徴している。さらに、メソポタミアのイナンナやシュメールのエンキも、両性具有の神々として知られていた。古代の人々は、両性具有を超越的な存在として崇拝し、宇宙の調和の象徴として捉えていたのである。
ギリシャ神話に見る性の境界
ギリシャ神話では、性別を超えた存在が神々の世界に頻繁に登場する。ゼウスは女神アルテミスの信奉者カイネウスを男性へと変え、ヘルメスは女性にも男性にも姿を変えることができた。とりわけ、ヘルマプロディートスの神話は、性別の境界が曖昧であることを示唆する象徴的な物語である。彼はサルマキスと一体化することで男女両方の特徴を持つ身体となり、ギリシャ人に「完全な存在」として崇められた。古代ギリシャの哲学者たちも、性の二元論を超越した存在に興味を示し、プラトンは人類がかつて両性具有の球体のような存在であったと語っている。
ヒンドゥー教と両性具有の神性
ヒンドゥー教において、男性と女性の融合は神聖な力を象徴する。アルダナーリーシュヴァラはその典型であり、右半身がシヴァ、左半身がパールヴァティという姿で描かれる。この神は、男性と女性の調和を示し、すべての生命が両性のエネルギーを内包しているという考え方を体現している。また、クリシュナ神も時に女性の姿をとり、性を超越する存在として信仰されている。ヒンドゥー教では、両性具有の神々は宇宙の調和を保つ存在であり、現代においても多くの信者に崇拝されている。
メソポタミアとネイティブ・アメリカンの視点
古代メソポタミアの女神イナンナは、男性を女性に、女性を男性に変える力を持つとされ、両性具有の概念を体現する存在であった。シュメールの神エンキも、性を超えた存在として神話に登場する。一方、ネイティブ・アメリカンの多くの部族では、両性具有の人々は「ツー・スピリット」と呼ばれ、シャーマンや指導者として特別な役割を担っていた。これらの文化では、性の境界が固定されておらず、両性具有の存在は神聖なものと見なされていた。古代世界では、性別を超越した者は特別な力を持つと信じられ、人々の尊敬を集めていたのである。
第3章 古代世界における両性具有の実像
ローマに生まれた「奇跡」
紀元前2世紀、ローマのある農村で両性具有の赤ん坊が生まれた。この出来事はすぐに都市へ伝わり、占い師たちは「神の警告」として重大な意味を持つと語った。古代ローマでは、両性具有の誕生は吉兆とされる一方で、しばしば不吉な前兆とも考えられた。そのため、特別な儀式が執り行われることもあった。歴史家ティトゥス・リウィウスの記述によれば、国家の危機を防ぐために、この子は神聖な儀式で「清められる」ことになった。ローマ社会において、両性具有者は畏敬の対象でありながらも、社会に馴染ませるための制度が必要とされたのである。
ヒジュラ—インド社会に根付いた第三の性
インドでは、両性具有の人々は社会の一部として長い歴史を持っている。「ヒジュラ」と呼ばれる彼らは、ヒンドゥー教やイスラム文化の中で独自の地位を確立していた。ヒジュラたちは神聖な力を持つと信じられ、王宮や神殿で祝福を与える役割を果たしていた。ムガル帝国時代には、彼らは宮廷の守護者や舞踊家として尊重され、高い地位を得た。しかし、イギリス植民地時代に入ると、「犯罪集団」として法律で迫害されることとなる。ヒジュラの歴史は、社会がどのように両性具有の存在を受け入れ、時に拒絶したのかを映し出すものである。
秘められた中国と日本の伝承
中国には「半陰陽」と呼ばれる存在が伝えられており、伝説上の皇帝・伏羲は両性具有の特性を持つとされた。また、道教の思想では、陰と陽の調和が宇宙の根源であり、両性を持つ者は特別な力を持つと考えられた。日本では『日本書紀』に、イザナギとイザナミが両性具有的な存在として創世に関与したという解釈がある。また、平安時代には「陰陽道」の影響で、両性のバランスが重要視されていた。これらの文化では、両性具有は神聖視されながらも、日常生活の中では秘された存在として扱われることが多かった。
古代の両性具有者たちの実際の生活
歴史に名を残した両性具有の人物は少ないが、その足跡は確かに存在する。ギリシャの医師ガレノスは、両性具有者を「自然の驚異」とし、彼らがどのように生きていたかを記録している。古代エジプトの壁画には、通常の性別の枠に収まらない人物が描かれていることもあり、彼らが社会に受け入れられていた可能性を示唆している。古代社会では、両性具有者は神の使いとして尊ばれることもあれば、異端として扱われることもあった。両性具有の実像は、文化や時代によって大きく異なっていたのである。
第4章 医学と科学の視点から見た両性具有
古代ギリシャの医師たちの驚き
紀元前4世紀、ギリシャの医師ヒポクラテスは、人間の身体がどのように形成されるのかを研究していた。彼の弟子たちは、まれに男女両方の特徴を持つ子どもが生まれることに驚き、その原因を探ろうとした。後にローマ時代のガレノスは、両性具有は胎内での成長過程の異常だと考えた。彼は「体内の熱量が性の決定に影響を与える」と述べ、女性の身体は男性よりも冷たいため、女性が誕生すると考えた。この理論は中世まで続き、医学の発展とともにようやく否定されることとなる。
解剖学の発展と両性具有の認識
ルネサンス期、解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスは、人体を詳しく調べ、性の特徴が骨格や筋肉にまで影響を与えることを示した。しかし、彼の研究にもかかわらず、両性具有は「奇形」や「神の試練」として扱われることが多かった。17世紀には、ウィリアム・ハーヴィーが血液循環の研究を進め、ホルモンが人体に与える影響が注目されるようになった。これにより、性の決定が単純な外見だけではなく、体内の化学的要因によるものであることが徐々に明らかになっていった。
19世紀の科学革命と分類の時代
19世紀になると、医学者たちは両性具有をより厳密に分類しようとした。フランスの医師ジャン=マルタン・シャルコーは、神経学の観点から両性具有の人々を研究し、「性分化疾患」として医学的に分類した。また、ドイツの科学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングは、『性的精神病理』の中で、両性具有がジェンダーの多様性と関連している可能性を指摘した。この時代の医学は、両性具有を病理として捉える傾向が強かったが、同時に新たな理解へと向かう転換点でもあった。
現代医学が明らかにする性のスペクトラム
20世紀後半、DNAの発見とホルモン研究の進展により、性の決定には多くの要素が関与していることが判明した。インターセックスという概念が生まれ、単なる「異常」ではなく、自然な多様性の一つとして認識されるようになった。内分泌学者ジョン・マネーは、性のアイデンティティが生物学的要因だけでなく、社会的要因にも影響を受けることを示した。21世紀に入り、ジェンダー医学が進化し、性は単純な「男」と「女」の二元論ではなく、スペクトラムとして理解されるようになったのである。
第5章 中世とルネサンス—宗教と禁忌のはざまで
異端とされた存在
中世ヨーロッパでは、キリスト教が社会の価値観を支配していた。教会は「神が創った男と女」という二元論を強調し、それに当てはまらない者は「異端」と見なされた。12世紀、両性具有者が生まれると、それは神の罰か悪魔の仕業とされた。修道士アルベルトゥス・マグヌスは、「不自然な存在は神の秩序を乱す」と記述している。フランスやイタリアでは、両性具有者が魔女裁判にかけられた記録もある。彼らは罪を問われ、時には火刑に処された。しかし、一部の聖職者は彼らを神の試練と捉え、庇護しようとする動きもあった。
イスラム世界の寛容な視点
中世ヨーロッパと対照的に、イスラム世界では両性具有者に対する認識は柔軟であった。イスラム法学者たちは、「神が創ったものは全て神聖である」との立場をとり、両性具有の人々を社会の一員として受け入れた。アッバース朝の時代、医師アヴィケンナ(イブン・シーナ)は両性具有を医学的観点から研究し、特定の体質として分類した。オスマン帝国では、宮廷で両性具有の人々が働くこともあり、彼らはしばしば宮廷音楽家や詩人として活躍した。宗教が全てを決定する社会の中で、文化によって異なる対応が見られたのである。
ルネサンスと性の再発見
ルネサンス期になると、古代ギリシャ・ローマの知識が再発見され、性に対する考え方も変化し始めた。医学者レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体解剖を通じて性の多様性に気づき、スケッチに記録を残した。芸術作品の中にも両性具有のテーマが現れ、ミケランジェロの彫刻『夜』は男性的な筋肉と女性的な柔らかさを兼ね備えている。文学の世界では、シェイクスピアの『十二夜』のように、性別を曖昧にするキャラクターが登場し始めた。ルネサンスは、性の境界が揺らぎ始めた時代であった。
隠された歴史の中で
中世からルネサンスへの変遷期、両性具有の人々は歴史の表舞台に出ることが少なかった。しかし、宮廷では「特異な存在」として雇われることもあり、一部の貴族は彼らを神秘的な存在として尊重した。スペインの修道院には、男性として育てられながら、後に女性と判明した修道士の記録が残っている。イギリスでは、一部の法律が両性具有者の結婚や相続権を認めるなど、社会的な位置付けが時代と共に変化していった。彼らは迫害されながらも、歴史の影で確かに生き続けていたのである。
第6章 近代医学の発展と両性具有の「管理」
性を「科学する」という試み
19世紀、医学は劇的に発展し、人間の身体が科学的に分析されるようになった。医師たちは性を分類し、管理しようとした。フランスの医師ジャン=マルタン・シャルコーは神経疾患の研究とともに、性の多様性を医学的に説明しようと試みた。彼の研究室には、両性具有の人々が連れてこられ、詳細な観察が行われた。また、19世紀の科学者たちは「異常」の定義を広げ、両性具有者を「病理学的」な存在として扱い始めた。この時代、両性具有は神秘的な存在ではなく、医学の枠組みの中に組み込まれ始めたのである。
外科手術と性の「矯正」
19世紀後半になると、医学は次の段階へ進んだ。医師たちは、両性具有者を「正しい性別」にするための手術を始めた。特にヨーロッパやアメリカでは、性器の形成手術が行われ、社会に適合させることが目的とされた。ドイツの医学者ルドルフ・ヴィルヒョウは、生殖器の形状だけでなく、内分泌系の違いにも注目し、ホルモンの研究が進むきっかけを作った。しかし、これらの手術は本人の意思とは関係なく決められることが多く、多くの当事者が自分の性を選ぶ機会を奪われることとなった。
性科学の誕生と新たな視点
20世紀初頭、ドイツの性科学者マグヌス・ヒルシュフェルトは、性の多様性を研究し、両性具有を病気ではなく自然なバリエーションとして考えた。彼の設立した「性科学研究所」では、両性具有やトランスジェンダーの人々が集い、自由に研究が行われた。しかし、ナチス政権の台頭により、研究所は破壊され、ヒルシュフェルトの研究も弾圧された。一方、アメリカではアルフレッド・キンゼイが人間の性行動を調査し、性のスペクトラムという概念を発表した。この研究は、性別が単純な二分法ではないことを科学的に示した。
性の多様性をどう扱うべきか
20世紀後半になると、ホルモン療法や遺伝子研究が進み、医学は性の在り方をより深く理解するようになった。しかし、その一方で、社会は「正常」と「異常」を決めようとし続けた。両性具有の子どもに対する外科的処置は今も議論の的であり、多くの国で人権問題として扱われている。近年、インターセックスの権利を守る運動が広がり、医学的介入の是非が問い直されている。科学の進歩は、両性具有を理解する手助けとなるが、同時に新たな倫理的課題をもたらしているのである。
第7章 ジェンダーとセクシュアリティ—両性具有の再考
性別は固定されたものか?
20世紀後半、ジェンダーに関する新たな視点が生まれた。フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」と述べ、ジェンダーが社会によって構築される概念であることを示した。一方、心理学者ジョン・マネーは、性のアイデンティティが育った環境によって形成されると主張した。しかし、のちに彼の研究の問題点が指摘され、性の在り方は単純な生物学か社会かではなく、両者が複雑に絡み合うものだと認識されるようになった。性別は生まれながらに決まるものではなく、変化しうるものである。
クィア理論と性の多様性
1990年代、アメリカの学者ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』を発表し、ジェンダーはパフォーマンス(演じられるもの)であると主張した。彼女は「男らしさ」や「女らしさ」は固定されたものではなく、社会的に作られた規範によるものであるとした。この理論は、性のあり方を根本から問い直すものであり、トランスジェンダーやノンバイナリーの人々の存在を理論的に支えるものとなった。両性具有の人々もまた、この理論の中で新たな位置を与えられ、単なる生物学的現象ではなく、ジェンダーの多様性の一部として理解されるようになった。
フェミニズムと両性具有の交差点
フェミニズムは、歴史的にジェンダーの不平等を批判してきたが、その内部でも性の多様性をめぐる議論が続いている。第二波フェミニズムの運動家たちは、女性の身体や役割について議論を深めたが、一部の理論家はトランスジェンダーや両性具有の人々を運動に含めることに否定的であった。しかし、第三波フェミニズム以降、性の流動性を認める視点が広まり、フェミニズムはより包括的なものへと変化していった。現在では、両性具有の人々の権利もまた、フェミニズムの重要な議題として扱われるようになっている。
社会は変わるのか?
21世紀に入り、性別の在り方は法的にも大きな変化を遂げた。カナダやドイツなどの国々では、パスポートに「X」ジェンダーが導入され、性別を男性か女性のどちらかに限定しない選択肢が認められた。また、インターセックスの子どもに対する不要な医療介入を禁止する法律が成立する国も増えている。こうした変化は、ジェンダーの流動性を社会が受け入れつつある証拠である。しかし、差別や偏見は依然として残っており、両性具有の人々が完全に平等な権利を得るまでには、さらなる努力が必要とされている。
第8章 20世紀の変革—LGBTQ+運動と両性具有
沈黙を破る時代の幕開け
20世紀初頭、両性具有は社会の目から隠されていた。医学は彼らを「修正すべき異常」とみなし、幼少期に性別適合手術を施すことが一般的であった。しかし、第二次世界大戦後、社会の空気が変わり始めた。1950年代、ドイツの性科学者ハリー・ベンジャミンは、性の多様性を科学的に擁護し、トランスジェンダーやインターセックスの人々の存在を肯定する研究を発表した。彼の理論は、のちのLGBTQ+運動の基盤となり、両性具有の人々もまた、自らの権利を求めて声を上げ始めることとなる。
ストーンウォールとジェンダーの革命
1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で警察の弾圧に反発したLGBTQ+の人々が立ち上がった。この暴動は、世界的なLGBTQ+の権利運動の引き金となったが、その中には両性具有者も多く含まれていた。特に、シルヴィア・リベラやマーシャ・P・ジョンソンといった活動家は、ジェンダーの境界を超える権利を求め、声を上げた。こうして、インターセックスやジェンダー・ノンコンフォーミングの人々が、公の場で自らのアイデンティティを主張する時代が始まったのである。
インターセックス権利運動の広がり
1990年代、インターセックスの人々は、医療介入を受ける権利について本格的に議論を始めた。1993年、アメリカの活動家ボー・ローレンスが、自身の性別適合手術の経験を公にし、幼少期の強制的な手術が人権侵害であると訴えた。これを契機に、国際的なインターセックス権利団体が設立され、各国で法改正を求める運動が活発化した。こうした活動により、インターセックスの人々が自らの身体について選択権を持つべきだという考えが広がり始めた。
性別二元制を超えて
21世紀に入り、性別の二元制に挑戦する動きが活発化した。オーストラリアでは2014年、法的に「Xジェンダー」が認められ、ドイツやオランダなどの国々でも、パスポートに「第三の性」が導入された。こうした変化は、両性具有を単なる医学的な特徴ではなく、社会の多様性の一部として受け入れる方向へと導いている。しかし、依然として差別や無理解は残っており、両性具有の人々が完全な自由と平等を得るためには、さらなる努力が求められているのである。
第9章 21世紀の法と社会—権利と認識の変遷
法の中の「性別」とは何か
21世紀に入り、性別をどのように定義するかが法律上の重要な課題となった。多くの国では、出生時に割り当てられた性別が生涯にわたり固定されるが、これは両性具有やインターセックスの人々にとって大きな問題となる。ドイツは2013年に「第三の性」の選択を認める法律を施行し、オーストラリアやカナダも続いた。一方、アメリカでは州ごとに異なる対応がなされ、パスポートや出生証明書に「Xジェンダー」の選択肢を設ける動きが広がった。これらの法改正は、性別の流動性を尊重する方向へと社会が進んでいることを示している。
医学と人権の衝突
20世紀まで、医学は両性具有を「矯正すべき異常」とみなし、幼少期に手術を施すことが一般的であった。しかし、インターセックスの人々の訴えにより、この慣習に疑問が投げかけられるようになった。2017年、国連は不必要な性別適合手術を「児童の人権侵害」として非難し、多くの国が手術の規制を検討し始めた。ドイツとマルタは18歳未満への不必要な外科的処置を禁止し、アメリカやフランスでも議論が進められている。医学と人権の間にある溝を埋めることが、今後の課題となる。
メディアが変えた社会の認識
メディアは両性具有の認識を大きく変える役割を果たした。2000年代以降、映画やドラマではインターセックスのキャラクターが登場し、物語の中心に据えられることも増えた。例えば、Netflixの『センス8』やBBCのドキュメンタリーでは、当事者の声が直接伝えられ、社会の理解を深める機会となった。スポーツ界でも、陸上選手キャスター・セメンヤのケースが国際的な議論を巻き起こし、性別と競技の公平性をめぐる議論が活発化した。メディアは、目に見えなかった問題を可視化し、社会の意識を変えていく力を持つ。
未来への道筋
性別の多様性を尊重する法律が増えたとはいえ、両性具有の人々が直面する課題はまだ多い。教育の現場では、性の多様性についての理解が不足している国も多く、職場での差別や法的な不備も残っている。しかし、21世紀の社会は、かつてないほどの変革を遂げている。国際的な人権団体は、さらなる法整備を求め、当事者の声がより多く聞かれる時代へと移行しつつある。未来は未確定であるが、性別を二元的に捉えない社会の実現に向けた歩みは確実に進んでいるのである。
第10章 未来の両性具有—科学と社会の交差点
遺伝子編集がもたらす変革
21世紀に入り、遺伝子編集技術が飛躍的に発展した。CRISPR-Cas9の登場により、DNAの修正が容易になり、医療分野では遺伝性疾患の治療が可能になりつつある。この技術が進めば、将来的に胎児の性の特徴を意図的に操作することができるようになるかもしれない。しかし、これは倫理的な問題を伴う。性の多様性を認める社会において、両性具有を「矯正」するかのような医療介入は許されるのか。科学の進歩が、新たな人権問題を生み出す可能性があることを、社会は慎重に考えねばならない。
ポストヒューマニズムと性の概念
人工知能やサイボーグ技術の発展は、人間の定義を変えつつある。ポストヒューマニズムの哲学者たちは、身体の改造が自由に行われる未来では、性別という概念そのものが不要になる可能性を指摘する。例えば、ナノテクノロジーを用いた体内改変が一般化すれば、性の特徴も自在に変更できるかもしれない。このような社会では、両性具有という概念自体が変化し、単なる生物学的な特徴ではなく、個人の選択としての性が中心になるだろう。
包摂的な未来社会の構築
ジェンダーの流動性を認める動きが加速する中で、法制度や社会制度も変化を迫られている。カナダやドイツでは「第三の性」の法的認定が進み、企業や教育機関でも性別にとらわれない制度が整いつつある。未来の社会では、男女の区分が薄れ、パスポートや出生証明書に性別を記載しない選択肢が一般化する可能性がある。すべての人が自分のアイデンティティを自由に表現できる社会を目指し、包摂的な制度の整備が求められているのである。
未来を選ぶのは誰か?
技術の進歩がもたらす変化の中で、最も重要なのは「誰が未来を決めるのか」という問いである。政府や科学者、企業が性のあり方を決めるのではなく、当事者の声が反映されるべきである。未来の社会では、両性具有という存在が特異なものではなく、当たり前のものとして認識されるかもしれない。科学が新たな選択肢を提供する時代において、どのような未来を望むのか。それを決めるのは、今を生きる私たち自身なのである。