ブリタニア列王史

基礎知識
  1. 『ブリタニア列王史』の成立と作者ジェフリー・オブ・モンマス
    『ブリタニア列王史』は12世紀にジェフリー・オブ・モンマスによって執筆され、ブリテンの伝説的な歴史をまとめた作品である。
  2. アーサー王伝説の起源と展開
    『ブリタニア列王史』はアーサー王を歴史的な人物として描いた最も影響力のある文献の一つであり、中世アーサー王伝説形成に大きく貢献した。
  3. 中世イングランドにおける歴史とフィクションの融合
    『ブリタニア列王史』は史実と創作を巧みに織り交ぜており、当時の歴史観やナショナル・アイデンティティ形成に影響を与えた。
  4. ノルマン・コンクエストとその影響
    ノルマン人によるイングランド征服(1066年)は『ブリタニア列王史』の成立背景に深く関与しており、ノルマン朝の正統性を補強する意図が込められていた。
  5. 中世ヨーロッパの歴史叙述と『ブリタニア列王史』の位置づけ
    書はヘクトール・ボアスやホリンシェッドらの歴史書にも影響を与え、中世から近世へと続く歴史叙述の発展に寄与した。

第1章 ジェフリー・オブ・モンマスと『ブリタニア列王史』の誕生

修道院の片隅から生まれた壮大な物語

12世紀のイングランド。ノルマン人による征服から約一世紀が経ち、イングランドでは新たな歴史が紡がれつつあった。その中で、一人の修道士がとてつもない物語を書き上げる。彼の名はジェフリー・オブ・モンマス。オックスフォード近郊の聖ジョージ修道院に籍を置いていた彼は、伝説と歴史を織り交ぜ、ブリテンの王たちの壮大な物語を『ブリタニア列王史』としてまとめた。当時の学者たちは主にラテン語で歴史を記していたが、ジェフリーの作品は他とは一線を画していた。彼は単なる年代記を超え、歴史を物語へと変えたのである。

なぜブリテンの伝説を書く必要があったのか

ジェフリーが『ブリタニア列王史』を書いた背景には、政治的な動機もあった。イングランドは1066年のノルマン・コンクエスト以降、ノルマン人の支配下にあったが、ブリテンの歴史を語る書物はまだ体系的に整理されていなかった。イングランドの支配者層はフランス語を話し、土地の歴史には関が薄かった。しかし、ブリテンの過去を語ることで、征服された側のアイデンティティを保つだけでなく、ノルマン朝の正統性を補強する狙いもあった。ジェフリーの筆は、歴史を書き残すという以上に、新しいブリテンの物語を創造する手段となったのである。

伝説と歴史の境界を越えて

ジェフリーは、単に歴史を記録するのではなく、伝説をも取り入れた。彼の物語の中には、古代ローマと戦ったブリトン人の王や、トロイアの王子アイニーアスの末裔であるとされるブリテンの建者ブルートゥスの伝説が含まれていた。この手法は当時の歴史家たちには異端視されたが、読者にとっては魅力的だった。さらに、彼はマーリンという謎めいた魔術師を登場させ、予言と秘的な要素を加えた。ジェフリーの『ブリタニア列王史』は、歴史書というよりも、壮大な歴史叙事詩のような作品になっていた。

ジェフリーの遺産とその影響

『ブリタニア列王史』は、後世の作家や歴史家に大きな影響を与えた。13世紀にはフランスの詩人ヴァースがこれを基に韻文を作り、14世紀にはジョン・ガウアーやジェフリー・チョーサーの作品にも影響を与えた。後に、16世紀歴史家ラファエル・ホリンシェッドは、ジェフリーの物語を自身の『年代記』に取り入れ、さらにはシェイクスピアの劇作にもつながることになる。ジェフリーの筆が生み出した世界は、単なる歴史書を超え、アーサー王伝説の基盤を築いたのである。彼の物語は、歴史の枠を超えて、文学と伝説の世界へと広がっていった。

第2章 古代ブリテンの歴史と伝説

海を越えてきた最初の王たち

ブリテンの歴史は、伝説に彩られた英雄たちによって始まる。『ブリタニア列王史』によれば、ブリテンを最初に支配したのはブルートゥスという人物であった。彼はトロイアの英雄アイニーアスの末裔で、仲間たちとともにブリテンに漂着し、この地を「ブルタニア(後のブリテン)」と名付けたという。この話は話的要素を多く含むが、古代ブリテンには地中海やガリア(現フランス)からの移住者がいたことが考古学的にも示唆されている。ブルートゥス伝説は、ブリテンの支配者たちが自らのルーツを話的英雄に結びつけようとした試みの一例である。

ブリトン人とローマの影

紀元前1世紀、ブリテンの地にはケルト系民族であるブリトン人が広がっていた。彼らは戦士の文化を持ち、ドルイド僧と呼ばれる宗教指導者が社会を統率していた。そんな彼らの前に現れたのが、ローマ帝国の征服者ユリウス・カエサルである。紀元前55年と54年、カエサルはブリテン遠征を行ったが、ローマによる格的な支配は紀元43年、クラウディウス帝の時代に始まった。ローマ軍は強力な軍団を送り込み、ブリテン南部を征服したが、ブーディカ女王の反乱など、現地の抵抗も激しかった。ローマの影響は、道路や都市建設に見られ、ブリテンの文化に深く刻み込まれた。

アーサー王以前の伝説の王たち

『ブリタニア列王史』には、アーサー王以前にも多くの伝説的王たちが登場する。たとえば、百の戦を戦い抜いたとされるカッシベラウヌス王は、カエサルの侵攻に立ち向かった英雄である。また、レイア王(『リア王』のモデルとなった人物)は、ブリテンを三人の娘に分割しようとして悲劇的な結末を迎える。こうした伝説の王たちは、単なるフィクションではなく、ブリテンの過去の王や首長の実在した人物に由来する可能性がある。ジェフリー・オブ・モンマスは、これらの物語を歴史として語ることで、ブリテンの王統を強固なものにしようとしたのである。

神話と歴史が交わる場所

ブリテンの歴史は、話と現実が複雑に絡み合っている。『ブリタニア列王史』は、単なる歴史書ではなく、ブリテンのアイデンティティを確立するための物語として機能した。ローマ支配以前のブリテンを記録した史料はほとんどなく、ジェフリーは古代の記録や口承伝承をもとに、独自の歴史観を作り上げた。歴史と伝説が交錯するこの物語は、中世の人々にとって単なる過去の記録ではなく、自らの起源を知るための羅針盤だったのである。こうして、ブリテンの王たちは歴史の霧の中から現れ、語り継がれることになった。

第3章 アーサー王の誕生と『ブリタニア列王史』

伝説の王、アーサーの登場

ジェフリー・オブ・モンマスは、『ブリタニア列王史』の中で、アーサー王を歴史上の実在の王として描いた。それまでにもアーサーに関する伝説は存在していたが、ジェフリーは彼をブリテン統一の偉大な王として物語の中に据えた。アーサーはウーサー・ペンドラゴンの息子として生まれ、幼い頃に魔術師マーリンの導きでエクスカリバーを手にする。やがて彼はカメロットを築き、円卓の騎士を率いて々の戦いを繰り広げることになる。ジェフリーの筆によって、アーサー王は単なる英雄から、ブリテンの歴史に刻まれる伝説の支配者へと変貌した。

マーリンの予言と王の宿命

アーサー王の物語には、謎めいた魔術師マーリンが重要な役割を果たす。マーリンはウーサー・ペンドラゴンの側近として活躍し、王の子アーサーを安全に育てるよう導いた。そしてマーリンは、ブリテンの未来を見通す不思議な力を持っていた。ジェフリーはマーリンを単なる助言者としてではなく、預言者として描き、ブリテンの行く末を語らせた。彼の予言には、アーサーの治世の栄と没落が暗示されており、それが物語に緊張感を与えている。こうしてマーリン存在は、アーサー王伝説に秘性と運命という要素を加えることになった。

ブリテンの征服者としてのアーサー

ジェフリー・オブ・モンマスが描くアーサー王は、単なる防衛的な王ではなく、積極的な征服者としての一面を持っている。彼はブリテン島を統一した後、ヨーロッパ大陸へ進出し、ローマ帝国の勢力と対峙する。ガリア(現フランス)を征服し、ついにはローマ皇帝ルキウスに挑むが、その遠征の最中にブリテンでの反乱の報が届き、帰を余儀なくされる。ジェフリーのアーサーは、単なる理想的な王ではなく、軍事的な英雄としても描かれた。これにより、彼はブリテンの独立を象徴する存在となり、後世の物語にも多大な影響を与えることになった。

アーサーの最期と伝説のはじまり

アーサー王の運命は、彼の甥モルドレッドの裏切りによって大きく狂う。ローマ遠征から戻ったアーサーは、モルドレッドの反乱を鎮圧するためにカムランの戦いに挑む。この戦いでアーサーは致命傷を負うが、ジェフリーは彼がんだとは言していない。代わりに、アーサーは傷を癒すためにアヴァロンへ向かったとされる。この結末は、アーサーがいつか戻ってくるという「帰還王」伝説を生み、後世のアーサー王伝説の核となった。こうして、ジェフリーの物語によってアーサー王は歴史から話へと変貌を遂げたのである。

第4章 中世イングランドの歴史観と『ブリタニア列王史』

物語としての歴史、中世の歴史記述

12世紀のイングランドでは、歴史は現在のような学問ではなく、物語として語られるものであった。ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』も、まさにその典型である。当時の年代記作者たちは、聖書古代ローマの史料に基づき、過去の出来事を解釈しながら記録していた。特に、修道士たちは修道院で年代記を編纂し、の意志を歴史の中に見出そうとした。ジェフリーはこの伝統を継承しつつも、史実だけでなく、伝説を大胆に取り入れることで、読者のを掴む独自の歴史観を築き上げたのである。

神話と史実のあいだ

中世においては、話と歴史の境界は曖昧であった。例えば、アイルランドの『レブール・ガバラ・エーレン(アイルランド征服の書)』は、同じく話と歴史が融合した作品であり、『ブリタニア列王史』と類似点が多い。ジェフリーは、ブリテンの王たちを話的存在として描きながらも、彼らの系譜を古代ローマやトロイアに結びつけることで、正統性を強調した。この手法は、当時の歴史観を象徴するものであり、歴史とは単なる過去の記録ではなく、現在の権力を正当化し、未来への道筋を示すものと考えられていた。

教会と王権の対立の中で

中世イングランドでは、歴史記述が単なる事実の記録ではなく、政治的な道具として利用されることも多かった。ノルマン・コンクエスト後、イングランドの王たちは自らの正統性を主張するために歴史書を活用した。『ブリタニア列王史』が王権の強化に寄与したのも、その一例である。しかし、当時の教会勢力は、王権が過度に強まることを警戒し、歴史記述を巡る争いが繰り広げられた。ジェフリーの作品が教会から批判されたのも、単なる歴史の問題ではなく、当時の権力闘争と密接に関わっていたのである。

語り継がれる歴史とその変容

『ブリタニア列王史』は、後世に大きな影響を与えたが、時代が進むにつれ、歴史書としての評価は変化した。14世紀には、歴史家ラヌルフ・ヒギデンが『ポリクロニコン』の中でジェフリーの記述を疑問視し、16世紀にはウィリアム・キャムデンが批判的な分析を行った。それでも、この物語が広く読まれ続けたのは、歴史の真実性だけではなく、物語の魅力があったからである。ジェフリーの歴史観は、中世の人々のに深く根付いており、単なる史料批判では説しきれない影響力を持っていたのである。

第5章 ノルマン・コンクエストと『ブリタニア列王史』

征服王ウィリアムと新しい支配者たち

1066年、ノルマンディー公ウィリアムはヘースティングズの戦いでアングロ・サクソン王ハロルド2世を破り、イングランド王となった。この「ノルマン・コンクエスト」により、イングランドの支配構造は劇的に変化した。ウィリアム1世はノルマン人の貴族を各地に配置し、封建制度を強化した。同時に、フランス語が支配層の言語となり、イングランドの文化にも大きな影響を与えた。しかし、征服された側のアングロ・サクソン人は不満を抱え続け、ノルマン人の正統性を示す新たな歴史が求められた。そこで登場したのが、『ブリタニア列王史』である。

ブリテンの王統を塗り替える試み

ノルマン人はイングランドの新たな支配者であったが、彼らの統治を正当化する物語が必要だった。ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』は、まさにその役割を果たした。ジェフリーは、ブリテンの起源をトロイアの英雄ブルートゥスに結びつけ、ノルマン王家の血筋を歴史の中に位置づけようとした。また、アーサー王を「真の王」として描くことで、ノルマン王たちがその正統な後継者であるかのような印を与えた。このように、歴史はただの記録ではなく、政治的な道具としても利用されたのである。

ノルマン人の正統性と歴史の改変

ノルマン王朝にとって、アングロ・サクソンの王たちは征服されるべき存在だった。ジェフリーの『ブリタニア列王史』では、ハロルド2世やアルフレッド大王のようなアングロ・サクソンの英雄たちはほとんど登場しない。その代わりに、ノルマン人に都合の良い歴史が語られた。アーサー王の伝説を中に据えることで、ノルマン王朝の支配が「過去の栄の継承」であるかのように見せたのである。こうした歴史の改変は、中世ヨーロッパでは珍しくなく、歴史書が王権の強化に利用される例は多く存在した。

物語としての歴史とその影響

『ブリタニア列王史』は単なる年代記ではなく、壮大な物語としての魅力を持っていた。ノルマン人の統治を正当化する意図があったとしても、その物語の力によって、多くの読者を魅了したのである。その結果、この作品はイングランドだけでなくフランスにも広まり、アーサー王伝説の基盤となった。歴史は勝者によって書かれると言われるが、それが優れた物語であれば、やがて世界に広がり、新たな伝説へと昇華されていく。ジェフリーの歴史は、ノルマン人政治的意図を超えて、ヨーロッパ全体に影響を与えることになったのである。

第6章 マーリン伝説と予言の政治的利用

謎に包まれた魔術師の誕生

マーリンという名を聞けば、アーサー王の側に立つ偉大な魔法使いを思い浮かべるだろう。しかし、マーリンは単なる空想の産物ではない。ジェフリー・オブ・モンマスは『ブリタニア列王史』の中で、マーリンを歴史的な預言者として登場させた。その源流はウェールズの伝承に遡る。6世紀のブリテンに実在したとされる「マイリヌス」という人物がモデルとも言われ、彼は王たちに助言を与える秘的な賢者であった。ジェフリーはこの伝説を脚し、マーリンに魔術と未来を見通す力を与え、王の運命を左右する存在へと変えたのである。

マーリンの預言が語る未来

『ブリタニア列王史』の中で、マーリンの預言は物語の重要な柱となっている。彼はが戦う幻視を通じて、ブリテンの王朝交代を予言し、ウーサー・ペンドラゴンの台頭を告げた。また、アーサー王の即位とその栄、さらにはブリテンの没落までも暗示した。これらの預言は、ただの物語ではなく、中世イングランドの政治的背景と深く結びついていた。ジェフリーの時代、王権の正統性をめぐる争いが続いており、マーリンの言葉は支配者にとって都合よく利用できる「神託」としての役割を果たしたのである。

預言を政治の武器とする者たち

マーリンの預言は、単なるフィクションではなく、政治的な戦略として用いられた。12世紀、ノルマン王朝の統治を正当化するために、王たちはしばしば「マーリンの予言」に言及し、自らの即位が運命によって定められたものだと主張した。さらに、ウェールズの反乱軍も同じ預言を利用し、アーサー王の復活を信じ、ノルマン支配に抗った。預言は一方的なものではなく、時代ごとに異なる立場の人々に利用されたのである。マーリンは物語の中だけでなく、現実の政治の中でも影響を与え続けたのである。

神秘の魔術師が残した遺産

マーリンの伝説は、『ブリタニア列王史』の枠を超えて広がった。13世紀にはフランスの宮廷詩人たちが彼をアーサー王伝説の中人物として描き、16世紀にはエリザベス1世の宮廷でも彼の予言が語られた。現代においても、マーリン映画や小説の中で重要な役割を果たしている。ジェフリー・オブ・モンマスが生み出したこの魔術師は、ただの伝説ではなく、時代を超えて人々のを魅了し続ける象徴となったのである。

第7章 『ブリタニア列王史』の文学的影響

アーサー王伝説を形作った一冊

『ブリタニア列王史』は、アーサー王伝説を確立する上で決定的な役割を果たした。それまでアーサー王は、ブリテンの戦士王として語られることはあったが、ジェフリー・オブ・モンマスは彼をカメロットの王、円卓の騎士の指導者として描き、秘的な英雄へと昇華させた。これに影響を受けたのが12世紀フランスの詩人クレティアン・ド・トロワである。彼は『ランスロット』や『聖杯の物語』を通じて、アーサー王伝説に騎士道や恋の要素を加え、中世ロマンスの代表作へと発展させたのである。

シェイクスピアも魅了された歴史書

16世紀に入ると、シェイクスピアをはじめとする劇作家たちも『ブリタニア列王史』に影響を受ける。『リア王』は、ジェフリーの記したレイア王の悲劇をもとにしており、シェイクスピアはこれを壮大な家族の崩壊と狂気の物語へと昇華させた。また、『シンベリン』も同様にブリテンの伝説的王を題材とし、ローマ帝国との関係を描いている。ジェフリーの物語が歴史書であると同時に、劇的な展開に満ちていたことが、後世の劇作家にとって刺激的な素材となったのである。

中世から近世へ、歴史書の進化

『ブリタニア列王史』は、単なる歴史書ではなく、文学としても大きな影響を与えた。しかし、時代が進むにつれ、歴史学の発展によりジェフリーの記述の信憑性が問われるようになった。16世紀歴史家ラファエル・ホリンシェッドは、自身の『年代記』の中でジェフリーの記述を取り上げながらも、疑問を呈した。それでも、この物語が広く読まれ続けたのは、歴史の真実性だけではなく、物語の力が圧倒的だったからである。歴史とフィクションの間にあった『ブリタニア列王史』は、後の時代の歴史書の在り方にも影響を与えたのである。

現代に息づく『ブリタニア列王史』

現代においても、『ブリタニア列王史』の影響は濃く残っている。アーサー王伝説は映画や小説、ドラマの題材となり、J.R.R.トールキンの『指輪物語』やT.H.ホワイトの『永遠の王』など、多くのファンタジー作品の礎となった。さらに、マーリン秘性やアーサー王の英雄像は、ゲームやアニメにも登場する。ジェフリーの物語は、歴史の枠を超え、文学演劇、そして現代のポップカルチャーにまで影響を与え続けているのである。

第8章 近世・近代の歴史学と『ブリタニア列王史』

ルネサンスがもたらした歴史学の変革

15世紀から16世紀にかけてヨーロッパではルネサンスが興り、学問の発展とともに歴史に対する考え方も変わった。『ブリタニア列王史』のような伝説と史実が混在する書物に対し、より実証的な歴史研究が求められるようになった。16世紀歴史家ポリドール・ヴァージルは、イングランド史を研究する中でジェフリーの記述を批判し、アーサー王の実在すら疑問視した。こうした視点の変化は、史実と伝説を切り分けるという、近代的な歴史学の始まりを告げるものであった。

ホリンシェッド年代記と歴史の再編成

16世紀後半になると、イングランドの歴史を包括的にまとめる試みがなされた。その代表がラファエル・ホリンシェッドの『年代記』である。この書物は、ジェフリー・オブ・モンマスの記述を参照しつつも、より精密な史料に基づき歴史を整理しようとした。シェイクスピアが『マクベス』や『リア王』の題材を得たのも、この年代記による。ホリンシェッドの仕事は、歴史を文学の枠から引き離し、より正確な記録として位置づけようとする流れを生み出したのである。

18世紀の合理主義とジェフリーの評価

18世紀になると、啓蒙思想が台頭し、歴史に対する批判的な分析が進んだ。フランス哲学ヴォルテールや、イギリス歴史家デイヴィッド・ヒュームらは、話的な要素を含む歴史書を疑問視し、ジェフリーの記述はもはや信頼できるものとは見なされなくなった。特に、アーサー王の物語が後世の創作である可能性が強まるにつれ、『ブリタニア列王史』は歴史書ではなく、むしろフィクションとして扱われるようになったのである。

近代歴史学と『ブリタニア列王史』の再評価

19世紀以降、歴史学は厳密な史料批判を基盤とする学問へと発展した。イギリス歴史家ウィリアム・ストッブスやフランスのジュール・ミシュレらは、歴史書は政治的意図を持つことが多いと指摘し、『ブリタニア列王史』もまた王権強化のための物語として分析された。しかし同時に、この書物文学文化に与えた影響の大きさが再評価され、単なる偽史ではなく、中世の人々がどのように自らの過去を理解し、語り継いできたかを示す貴重な資料としての価値が見直されるようになったのである。

第9章 歴史書としての信憑性—『ブリタニア列王史』の評価

伝説か、それとも歴史か

『ブリタニア列王史』は12世紀の歴史書として広く読まれたが、今日ではその信憑性が疑問視されている。ジェフリー・オブ・モンマスは、ローマウェールズの伝承をもとに壮大な物語を紡ぎ出したが、その多くは創作である可能性が高い。特に、アーサー王の記述は後世の騎士道文学と結びつき、史実との境界が曖昧になった。では、なぜこの物語は長らく「歴史」として受け入れられてきたのか。それは、中世において歴史とは単なる事実の記録ではなく、アイデンティティを形作る物語でもあったからである。

ジェフリーの創作と史実のずれ

ジェフリーの記述には、当時の他の史料と矛盾する点が多い。例えば、ブリテンの建者として登場するブルートゥスの話は、古代ローマギリシャの記録には存在しない。また、カエサルのブリテン遠征やローマの支配に関する記述も、タキトゥスやカッシウス・ディオといったローマ歴史家の記録とは大きく異なる。ジェフリーがこれらの物語を創作したのは、単に娯楽のためではなく、ノルマン支配下のブリテンに新たな歴史的正統性を与えるためだったと考えられる。

批判された歴史書、それでも読まれ続ける理由

『ブリタニア列王史』は16世紀以降、歴史学の発展とともに批判の対となった。ポリドール・ヴァージルやウィリアム・キャムデンは、ジェフリーの記述が史実に基づいていないことを指摘し、アーサー王存在を否定した。しかし、それでもこの物語は消えなかった。それは、歴史の正確さよりも、物語としての魅力が圧倒的だったからである。アーサー王の物語は、シェイクスピアやトマス・マロリーの『アーサー王』を経て、19世紀ロマン主義文学にまで影響を与え続けた。

歴史とは何か—『ブリタニア列王史』が投げかける問い

『ブリタニア列王史』は、歴史とは何かという根的な問いを投げかける。歴史は単に過去の出来事を記録するだけでなく、人々が自らのルーツをどのように語るかにも関わっている。ジェフリーの物語が、ブリテン人の誇りやアイデンティティの形成に寄与したことは否定できない。現代の歴史学実証主義に基づくものである一方で、物語としての歴史が人々に与える影響力は今なお強い。『ブリタニア列王史』は、歴史とフィクションの境界が曖昧だった時代の証人であり、その価値は決して失われないのである。

第10章 『ブリタニア列王史』の現代的意義と遺産

伝説が生み出した国民的神話

『ブリタニア列王史』は、単なる歴史書ではなく、ブリテンの民的話を生み出した書物である。ジェフリー・オブ・モンマスが描いたアーサー王の物語は、中世のブリテン人にとって誇りとアイデンティティ象徴となった。後の時代には、イングランド王ヘンリー7世が自らをアーサーの後継者と称し、王家の正統性を補強するために利用した。こうして『ブリタニア列王史』は、歴史の枠を超え、政治文化の中で重要な役割を果たし続けることになったのである。

文学・映画・ゲームに広がる影響

現代においても、『ブリタニア列王史』の影響は広範囲に及ぶ。J.R.R.トールキンの『指輪物語』は、アーサー王伝説に着想を得ており、王の帰還というテーマを受け継いでいる。また、映画『エクスカリバー』や『キング・アーサー』など、アーサー王を題材とした作品は多く制作されている。さらに、ゲーム『ファイナルファンタジー』や『Fate』シリーズにもマーリンやエクスカリバーが登場し、ファンタジー世界観を形作る基盤となっているのである。

歴史とフィクションの境界線

『ブリタニア列王史』は、歴史とフィクションの境界が曖昧な時代に生まれた。しかし、現代においても、伝説と歴史の関係は変わらず興味深いテーマである。例えば、アメリカ建話やナポレオンをめぐる英雄伝説など、多くの々が「歴史的事実」と「物語」の間で自らのアイデンティティを形作っている。ジェフリーの物語は、歴史とは単なる過去の記録ではなく、人々が自分たちのルーツをどう解釈し、未来へとつなげるかの表現でもあることを示している。

語り継がれるブリテンの物語

『ブリタニア列王史』が誕生してから900年近くが経つが、その影響力は今も続いている。歴史学の発展により、アーサー王やマーリンの実在は疑問視されるようになったが、それでも彼らの物語は世界中で語り継がれている。それは、歴史が単なる事実の集積ではなく、人々のや理想を映し出す鏡でもあるからである。『ブリタニア列王史』は、過去の遺産でありながら、今も新たな物語を生み出し続けているのである。