基礎知識
- ルサンチマンとは何か
ルサンチマンとは、弱者が強者に対して抱く抑圧された憤怒や怨恨の感情であり、フリードリヒ・ニーチェが道徳の起源を分析する中で提唱した概念である。 - ニーチェの価値転倒とルサンチマンの関係
ニーチェは『道徳の系譜』において、キリスト教道徳を「奴隷道徳」とし、それがルサンチマンに基づく価値転倒によって形成されたと論じた。 - ルサンチマンの歴史的事例
ルサンチマンは歴史上の多くの社会変革の原動力となっており、フランス革命やプロレタリア革命など、抑圧された者たちが権力を転覆する動機となった。 - ルサンチマンの心理学的理解
ルサンチマンはフロイトの抑圧やユングの影の概念と関連し、無意識下に溜まった怒りが道徳やイデオロギーの形で表出するメカニズムがある。 - ルサンチマンの現代的意義
ルサンチマンはポピュリズム、SNSでの炎上、被害者意識の拡大といった現象の背後にある動因として、現代社会においても重要な役割を果たしている。
第1章 ルサンチマンとは何か──概念の誕生と進化
ニーチェが見抜いた「怨恨の哲学」
19世紀のドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェは、ある重要な問いに取り組んだ。「なぜ人は他者を恨むことで自らを正当化するのか?」彼は『道徳の系譜』において、「ルサンチマン」という概念を提唱した。ルサンチマンとは、強者への憎悪が積もり積もり、道徳そのものを変えてしまう心理である。例えば、古代ローマでは「強くあれ、勝者であれ」という価値観が支配していたが、キリスト教は「貧しい者こそ善であり、強者こそ悪である」という新たな道徳を生み出した。ニーチェはこれを「価値転倒」と呼び、ルサンチマンこそが歴史を動かす隠れた力だと考えたのである。
奴隷道徳の誕生──強者を呪うことで生まれた価値観
ニーチェによれば、古代社会の道徳は「主人道徳」と「奴隷道徳」に分かれていた。主人道徳は貴族や戦士たちが持つ価値観であり、「強さ、美しさ、成功」が善とされた。しかし、社会の底辺にいる者たちは、自らの弱さを肯定するために「謙虚さ、従順さ、忍耐」こそが美徳であるとする新たな道徳を創造した。キリスト教はこの奴隷道徳の典型であり、「敵を愛せ」「富を求める者は天国に入れない」という教えによって強者の価値を否定した。こうして、ルサンチマンは歴史を通じて「善悪」の基準を変えていったのである。
フランス革命とルサンチマン──怒れる大衆の逆襲
ルサンチマンの力は単なる道徳の問題にとどまらない。歴史上、多くの革命や社会変動は、抑圧された人々の怨恨によって引き起こされてきた。1789年のフランス革命では、飢えた農民と不満を抱えた市民が「平等」の名のもとに貴族階級を打倒した。彼らは単に貧困を脱したいと願っただけではない。貴族の贅沢な生活を目の当たりにし、「なぜ我々は彼らより劣るとされるのか?」という怒りを募らせたのである。ルサンチマンが臨界点に達すると、それは単なる不満ではなく、社会秩序を揺るがす大きなうねりとなるのだ。
現代社会に潜むルサンチマン──SNSと被害者意識の拡大
ルサンチマンの力は、21世紀においてもなお健在である。現代では、SNSという舞台でその影響が顕著に見られる。かつては社会の不満が政治や革命を通じて発露していたが、今や匿名の個人が自らの怨恨を世界中に拡散できるようになった。特定の成功者や企業がターゲットとなり、「権力者=悪」という単純な構図が繰り返される。ルサンチマンは道徳や社会制度の形成にとどまらず、インターネット空間においても人々の行動や価値観を決定づけているのである。
第2章 ニーチェの価値転倒──ルサンチマンの哲学的背景
強者と弱者──「善悪」の誕生
フリードリヒ・ニーチェは、『道徳の系譜』において「善」と「悪」の概念がどのように生まれたのかを探求した。古代ギリシャやローマでは、「善」とは力強さ、美しさ、誇りを意味し、「悪」とは弱さ、醜さ、卑屈さを指した。しかし、支配される側の人々は自らの境遇を肯定するために価値を反転させた。彼らは「謙虚さ」「忍耐」「従順こそが善」とし、強者を「悪」とする道徳を生み出した。ニーチェはこれを「価値転倒」と呼び、この転換が歴史的に巨大な影響を与えたと主張したのである。
キリスト教とルサンチマン──「最後の者が第一になる」
ニーチェはキリスト教をルサンチマンの典型的な産物とみなした。初期キリスト教徒たちはローマ帝国の迫害を受け、社会の底辺に置かれていた。しかし、彼らは「この世で虐げられた者こそ、天国で報われる」という新たな道徳観を築き上げた。イエス・キリストの「心の貧しい者は幸いである」という言葉は、まさに価値転倒の象徴である。ニーチェはこの思想を「奴隷道徳」と名付け、強者を非難し、弱者を美化することで社会全体の価値観を変えてしまったと批判したのである。
貴族的価値観の崩壊──「超人」への道
ニーチェは「奴隷道徳」によって本来の貴族的価値観が歪められ、人々は自身の可能性を否定するようになったと考えた。彼が理想としたのは「超人」という存在である。超人とは、社会が押し付ける道徳に縛られず、自らの力で価値を創造する者である。彼はこの思想を『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で描き、「神は死んだ」という有名な言葉とともに、従来の道徳体系からの脱却を訴えた。ニーチェは人類がルサンチマンに支配されず、新たな価値を築くべきだと考えたのである。
近代社会に残る価値転倒──ニーチェの警告
ニーチェは19世紀のヨーロッパ社会が、依然としてルサンチマンの影響を強く受けていると主張した。彼は民主主義や社会主義、キリスト教道徳が、人々の弱さを肯定し、強者を罪人扱いする新たな形の奴隷道徳だと見抜いた。彼の著作は当時の思想界に衝撃を与え、ドストエフスキーやハイデガー、フーコーなど後の哲学者に多大な影響を与えた。ニーチェの価値転倒の分析は、単なる過去の理論ではなく、現代社会においてもなお、道徳や価値観を読み解くための鋭い視点を提供しているのである。
第3章 歴史の中のルサンチマン──社会変革の原動力
フランス革命──怨恨がギロチンを呼んだ
1789年、フランスは怒りに燃えていた。貴族たちは贅を尽くし、国民の多くは飢えていた。「なぜ我々は彼らより劣るのか?」この疑問がルサンチマンを育て、革命の炎をともした。バスティーユ牢獄が襲撃され、王政は崩壊。やがて、国王ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンの刃にかけられた。だが、革命の理想はすぐに暴力と粛清に変わった。ロベスピエールの恐怖政治は、ルサンチマンが暴走することで新たな独裁を生む危険性を示したのである。
ロシア革命──帝政への復讐
1917年、ロシアの冬宮に群衆が押し寄せた。彼らの敵は、豪華な宮殿に住むロマノフ王朝であった。貧困と戦争に苦しむ国民は、「労働者が支配する世界」を求めて蜂起した。レーニンとボルシェビキは、ルサンチマンを革命の武器に変え、資本家や貴族を「搾取者」として徹底的に排除した。皇帝ニコライ2世とその家族は処刑され、ソビエト連邦が誕生した。だが、平等を掲げたはずの革命はスターリンの恐怖政治へと転じ、ルサンチマンのエネルギーが新たな抑圧を生んだのである。
ナチズムの台頭──敗者の怨恨が独裁を生む
第一次世界大戦後、ドイツは敗戦の苦しみに沈んでいた。ヴェルサイユ条約により多額の賠償金を課され、経済は破綻。国民の間に広がったのは、強国だった過去を奪われたというルサンチマンであった。この怒りを利用したのがアドルフ・ヒトラーである。彼は「ユダヤ人と外国勢力がドイツを貶めた」と主張し、大衆の不満をナチ党の支持へと変えた。ルサンチマンは単なる怒りではなく、政治の武器にもなり得る。こうして、怨恨はドイツを独裁と戦争へと導いたのである。
ルサンチマンの二面性──変革か、破滅か
ルサンチマンは社会を変革する力となるが、同時に暴力と抑圧を生む危険性もはらんでいる。フランス革命もロシア革命も、初めは自由や平等を掲げながら、やがて新たな支配者を生み出した。歴史は繰り返す。ルサンチマンは、現状を打破する燃料となるが、放っておけば社会を焼き尽くす炎ともなる。重要なのは、そのエネルギーをどのように制御し、建設的な方向へ導くかである。歴史を学ぶことこそ、ルサンチマンが暴走しないための最良の武器なのかもしれない。
第4章 ルサンチマンと宗教──被抑圧者の倫理の形成
キリスト教──「弱き者が勝者となる」
紀元1世紀、ローマ帝国の支配下で、キリスト教は迫害されながらも広がっていった。当時のユダヤ人や貧困層は、強大な権力に対する反発を抱えていた。イエス・キリストの「心の貧しい者は幸いである」という教えは、抑圧された人々に希望を与えた。ニーチェはこれを「奴隷道徳」と呼び、ルサンチマンによって生まれた価値体系と批判した。しかし、それこそがキリスト教の強みでもあった。弱者の視点から世界を再解釈し、やがてローマ帝国の公式宗教となるまでに発展したのである。
仏教──怨みを超越する思想
紀元前5世紀、インドで誕生した仏教は、ルサンチマンとは異なるアプローチを取った。ブッダは「怨みに報いるに怨みをもってすれば、怨みは止むことがない」と説き、執着と怒りから解放されることを説いた。これはニーチェが批判した「奴隷道徳」とは異なり、ルサンチマンを完全に克服しようとする思想である。例えば、アショーカ王は仏教を国教とし、戦争のない理想社会を目指した。仏教は復讐の連鎖ではなく、怒りを内面から消し去ることで、根本的な解決を図ろうとしたのである。
イスラム教と正義のルサンチマン
7世紀、預言者ムハンマドが創始したイスラム教もまた、社会の底辺にいた人々の支持を受けて広がった。当時のアラビア半島では、富と権力を独占する支配層が存在し、不平等が深刻であった。ムハンマドは「貧者を救い、富者は施しを行え」と説き、社会のルサンチマンを公正な制度へと変換した。イスラム法(シャリーア)は、単なる復讐ではなく、正義と平等を基盤とした秩序を確立しようとしたのである。ルサンチマンが暴力へと向かわず、社会改革の力となる例である。
宗教はルサンチマンを超えられるか
宗教はルサンチマンから生まれることが多いが、それを乗り越える可能性も秘めている。キリスト教は「愛」、仏教は「無執着」、イスラム教は「正義」という形で、それぞれルサンチマンを昇華させようとした。しかし、歴史を振り返ると、宗教が新たなルサンチマンを生み、争いの原因にもなっている。宗教が憎しみを超え、普遍的な価値を生み出せるかどうかは、人類の未来を決める重要な問いである。
第5章 心理学から見るルサンチマン──無意識の怨恨
フロイトの「抑圧」──怒りはどこへ行くのか
ジークムント・フロイトは、人間の無意識に押し込められた感情がどのように表出するかを研究した。彼によれば、人は直接表現できない怒りや不満を「抑圧」し、それが歪んだ形で現れることがある。例えば、職場で上司に叱られたストレスを家族に八つ当たりする現象は、「置き換え」と呼ばれる心理メカニズムである。ルサンチマンもまた、この抑圧された怒りの一形態といえる。怒りを発散できない人々は、それを道徳や思想の形に変え、社会や強者を批判することで無意識的に自らを正当化するのだ。
ユングの「影」──私たちの中のもう一人の自分
カール・グスタフ・ユングは、人間の無意識には「影」と呼ばれる抑圧された側面があると考えた。これは、自分が認めたくない性質の集まりであり、しばしば他者への敵意として投影される。例えば、自分の弱さを認められない人は、他人の成功を憎むことで自己を保とうとする。ルサンチマンはこの影の作用ともいえる。社会の不公平を糾弾することで、実は自分の無力感を正当化しているのかもしれない。ユングは、この影を意識的に統合しなければ、人は他者を敵視し続けると警告した。
ルサンチマンと自己欺瞞──「私は正しい」と思いたい心理
心理学者レオン・フェスティンガーは、「認知的不協和」という概念を提唱した。これは、自分の信念と現実が食い違ったときに生じる不快感を、人は無意識に調整しようとする心理メカニズムである。例えば、「金持ちは悪だ」と信じている人が裕福になった場合、自分を正当化するために「私は努力で成功したが、他の金持ちは違う」と考えるようになる。ルサンチマンを抱く人々もまた、自分の立場を正当化するために社会構造を悪と決めつけることがある。これは怒りの感情が生み出す巧妙な自己欺瞞である。
怨恨をどう克服するか──心理学が示す道
ルサンチマンに支配されることなく生きるには、まず「自分の感情の正体」を理解することが重要である。フロイトの言う抑圧を解放し、ユングの影を受け入れ、フェスティンガーの認知的不協和を克服することが鍵となる。つまり、自分の不満が単なる環境のせいなのか、それとも内面の問題なのかを見極めることである。心理学的視点からルサンチマンを考えることは、単なる歴史的・社会的な問題ではなく、個人がより健全な精神を持つための手助けとなるのだ。
第6章 ルサンチマンとナショナリズム──歴史の中の民族的怨恨
反ユダヤ主義──長きにわたるルサンチマンの連鎖
ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の歴史は、ルサンチマンの典型例である。中世、ユダヤ人はキリスト教社会の中で異端視され、銀行業など限られた職業に就かざるを得なかった。経済的に成功した者が増えると、嫉妬と憎悪が募り、ペストの流行や経済危機のたびに「ユダヤ人が原因だ」と迫害された。20世紀に入ると、この怨恨はナチス・ドイツの反ユダヤ主義へと結実した。ヒトラーはドイツの経済不振をユダヤ人のせいにし、国民のルサンチマンを煽った。歴史は、不満が民族的憎悪へと転化する危険を示している。
日本の戦後ナショナリズム──敗戦の屈辱と復興
1945年、日本は戦争に敗れ、焼け野原となった。戦前の帝国主義的な誇りは崩れ去り、多くの国民が「なぜ我々は負けたのか」と自問した。アメリカ主導の占領政策のもと、日本の軍国主義は否定され、新たな民主国家へと生まれ変わった。しかし、一部の人々の間には敗戦へのルサンチマンが残り、戦後復興の原動力にもなった。高度経済成長によって日本は再び国際社会での地位を高めたが、その過程で「戦後の屈辱を晴らす」という意識が影を落とした。この感情は、現代におけるナショナリズムの動向にも影響を与えている。
植民地支配と独立運動──抑圧された者たちの怒り
19世紀から20世紀にかけて、多くの国々が欧米列強の植民地支配を受けた。アフリカ、インド、東南アジアでは、支配層である白人と、抑圧される先住民の間に大きなルサンチマンが生まれた。インド独立運動の指導者マハトマ・ガンディーは、暴力ではなく非暴力抵抗を掲げたが、その根底にはイギリスに対する長年の怨恨があった。アルジェリア独立戦争やベトナム戦争では、このルサンチマンが武力闘争へと発展した。植民地支配の歴史は、ルサンチマンが民族意識を形成し、独立運動を推進する力となることを示している。
ナショナリズムはルサンチマンを超えられるか
ルサンチマンはナショナリズムを生み、時には国家の団結を強める。しかし、その感情が過度に高まると、排外主義や戦争へとつながる危険もある。歴史を振り返ると、ルサンチマンに基づくナショナリズムは一時的な高揚をもたらすが、最終的には対立や破壊を招くことが多い。民族の誇りを持つことは重要だが、それが憎しみへと変わる前に、過去のルサンチマンを乗り越え、新たな関係を築く努力が求められる。歴史は、怨恨を昇華し、共存へと向かう道もまた示しているのである。
第7章 ルサンチマンとポピュリズム──現代政治の怒りの構造
怒れる大衆──ポピュリズムの台頭
ポピュリズムは、エリートへの不信と庶民の怒りを原動力とする政治現象である。19世紀のアメリカでは、農民たちが「富を独占する銀行家や資本家」を敵視し、ポピュリスト運動を起こした。20世紀にはラテンアメリカのペロン主義が、貧困層の怒りを利用して権力を握った。現代においても、政治家たちは大衆のルサンチマンを利用し、敵を設定することで支持を集める。ポピュリズムは「庶民VSエリート」という単純な図式で民衆を動員するが、その結果、社会の分断を加速させる危険性を孕んでいる。
トランプ現象──ルサンチマンが生んだリーダー
2016年、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した。この背景には、ルサンチマンが大きく影響していた。グローバル化による製造業の衰退に苦しむ白人労働者層は、既存の政治エリートに裏切られたと感じていた。トランプは「ワシントンの支配者たちは君たちを見捨てた!」と訴え、怒れる大衆の声を代弁することで支持を集めた。彼の「アメリカ・ファースト」というスローガンは、衰退への不満をナショナリズムに変換し、敵を明確にすることで支持者のルサンチマンを結束させる戦略だったのである。
ブレグジット──分断の果てに
2016年、イギリス国民は国民投票でEU離脱(ブレグジット)を決定した。その背景にもルサンチマンがあった。「移民が仕事を奪っている」「EUの官僚が国を支配している」といった不満が煽られ、大衆は「イギリスを取り戻す」というスローガンに魅了された。しかし、離脱後の経済混乱が示すように、ルサンチマンに基づく決断が必ずしも国を豊かにするとは限らない。ブレグジットは、ポピュリズムが短期的な感情を利用し、長期的な影響を考慮しないリスクを浮き彫りにしたのである。
ルサンチマンを乗り越える政治は可能か
ポピュリズムは、ルサンチマンを利用することで大衆を動員するが、それが持続可能な政治を生むとは限らない。歴史は、ルサンチマンを煽る政治が最終的に分断と混乱をもたらすことを示している。では、それを超える道はあるのか?ネルソン・マンデラは、アパルトヘイトへの怒りを対話と和解へと転換し、南アフリカの平和的変革を実現した。ルサンチマンを超える政治とは、敵を作るのではなく、違いを乗り越え、社会全体を包摂するビジョンを提示することである。
第8章 SNS時代のルサンチマン──炎上と被害者意識の拡大
炎上文化──匿名の怒りが火をつける
SNSは、一瞬で怒りを拡散するツールとなった。かつては新聞やテレビが世論を形作ったが、今や個人の投稿が数百万の人々に届く。特定の政治家、企業、著名人の発言が切り取られ、瞬く間に「炎上」する現象が日常化している。これは、ルサンチマンが集団化し、匿名の攻撃となる典型例である。「正義の名のもとに」怒りが拡散されるが、時にそれは事実を無視した暴走へとつながる。炎上は一度火がつくと制御不能となり、当事者を社会的に抹殺することすらある。
キャンセル・カルチャー──「敵」を排除する社会
近年、SNS上で特定の人物や団体を糾弾し、社会的地位を奪う「キャンセル・カルチャー」が広がっている。過去の発言や行動が問題視され、一夜にしてキャリアを失う者も少なくない。これは、ルサンチマンが正義の形を取って暴走する典型的な例である。かつての宗教裁判や革命期の粛清と同様に、「誤った者は排除すべき」という感情が、社会全体に恐怖と自己検閲を生んでいる。意図せぬ発言も「攻撃」とみなされ、対話の余地がなくなってしまうのである。
SNSと被害者意識──「私こそが正義」
SNSは、被害者意識を増幅する装置にもなっている。個人が自らの不満や怒りを投稿すると、それに共感する人々が集まり、「私たちは抑圧されている」という意識が強化される。これはルサンチマンの典型的な形であり、本来は異なる立場の人々が「共通の敵」を作り出すことで連帯を深める。しかし、その過程で異なる意見は排除され、「私こそが正しい」という自己正当化が強まる。こうしてSNSは、社会の分断を加速させる要因となっている。
ルサンチマンの暴走を防ぐには
SNSがルサンチマンの温床となるのを防ぐには、感情の暴走を抑え、対話の文化を取り戻す必要がある。歴史を振り返ると、ルサンチマンが社会を変える力になることもあったが、制御を失えば破壊を招く。炎上やキャンセル・カルチャーが正義の仮面をかぶった暴力にならないためには、異なる視点を受け入れ、事実に基づいた議論をすることが不可欠である。SNS時代におけるルサンチマンの制御は、社会の健全性を維持する鍵となるのである。
第9章 ルサンチマンからの解放──克服の可能性を探る
ニーチェの超人──怨恨を超えて生きる者
フリードリヒ・ニーチェは、ルサンチマンに支配されない生き方として「超人」という概念を提示した。彼にとって超人とは、怒りや恨みを乗り越え、自らの価値を創造する存在である。例えば、歴史に名を残した芸術家や思想家は、社会の不条理に憤るだけでなく、それを乗り越えることで偉大な作品を生み出した。超人は環境や過去の不幸を理由にせず、ルサンチマンに振り回されることなく、自分の道を切り開く。これは単なる理想論ではなく、怒りを創造力へと転換する生き方の提案である。
仏教的アプローチ──怒りを手放す智慧
ブッダは「怨みに怨みをもって報いれば、怨みは止まらない」と説いた。仏教におけるルサンチマンの克服法は、「手放すこと」にある。執着が怒りを生み、その怒りがさらなる苦しみを生むならば、そもそも執着しなければよい。例えば、マハトマ・ガンディーは、イギリス支配への怒りを暴力ではなく「非暴力不服従」という形で昇華した。これは復讐ではなく、ルサンチマンを超越するための戦略である。怒りを捨てることは弱さではなく、むしろ最も強い精神的な選択なのである。
現代心理学が示す解決策
心理学の観点からも、ルサンチマンを乗り越える方法が提案されている。例えば、認知行動療法(CBT)は、被害者意識を持ち続けることで自らを縛るのではなく、思考のパターンを変えることを促す。また、「マインドフルネス」という瞑想法は、過去の恨みや未来への不安ではなく、「今」に集中することを教える。歴史上、多くの人々が怒りを原動力として行動してきたが、それが必ずしも良い結果を生むわけではない。心理学は、怒りをコントロールし、建設的な方向へと導く方法を提供している。
ルサンチマンのない世界は可能か
人類の歴史において、ルサンチマンは変革の原動力であり、また暴力と対立の原因でもあった。しかし、怒りや恨みだけでは、社会は持続的な発展を遂げられない。ネルソン・マンデラは、アパルトヘイトによる27年間の投獄を経ても、南アフリカの和解を選んだ。ルサンチマンは避けられない感情かもしれないが、それをどう扱うかは私たち次第である。社会が対話と共存を選び、過去の怨恨を未来の希望へと変えることができるなら、ルサンチマンを超えた新たな世界は可能なのかもしれない。
第10章 未来のルサンチマン──ポストルサンチマン時代の可能性
AI社会のルサンチマン──機械に仕事を奪われる時代
人工知能(AI)が進化するにつれ、人々のルサンチマンは新たな対象を見つけつつある。自動化により工場労働者が職を失い、AIが芸術やプログラムを生み出すことでクリエイターたちの立場も脅かされている。「なぜ人間が築き上げた社会で、機械に仕事を奪われなければならないのか?」という怨恨は、反AI運動や規制要求として現れつつある。産業革命が労働者の反発を招いたように、AI時代もまたルサンチマンを生む。未来社会は、この新たな不満をどのように制御するのかが問われている。
ポスト資本主義と新しい対立軸
格差が拡大し、一部の超富裕層が世界の富を独占する現代において、資本主義そのものへのルサンチマンが強まっている。「努力すれば報われる」という信念は崩れ、貧富の差が固定化する中で、不満が爆発寸前に達している。ユヴァル・ノア・ハラリは、テクノロジーによる格差拡大が新たな階級闘争を生むと指摘する。ポスト資本主義の社会設計が求められる中、社会主義的な再分配政策やベーシックインカムの導入が議論されている。だが、新たな対立を生まない社会は果たして可能なのか。
メタバースと新たな逃避先
未来の人々は、現実世界のルサンチマンを仮想空間(メタバース)に持ち込むかもしれない。すでにゲームやSNSでは「リアルでは報われないが、仮想世界では英雄になれる」という体験が人気を集めている。過去には宗教が人々に来世の希望を与えたが、未来ではデジタル世界がその役割を担うのかもしれない。しかし、仮想空間が現実の問題を解決しない限り、ルサンチマンは形を変えながら生き続ける。メタバースの発展が、人々の怨恨を解放するのか、それとも新たな分断を生むのかは未知数である。
ルサンチマンのない社会は実現できるのか
歴史を振り返れば、ルサンチマンは常に社会を動かしてきた。だが、未来の世界では、もはや怒りを燃料に変革を起こすのではなく、別の方法で進化できる可能性もある。心理学やテクノロジーの発展により、人々はより建設的に不満を処理する方法を学ぶかもしれない。また、社会制度がより公正になれば、怨恨が蓄積されることも減るだろう。未来のルサンチマンは、人類が乗り越えるべき最後のハードルなのかもしれない。そして、その答えは、今を生きる私たちに委ねられている。