基礎知識
- ウィリアム・ブレイクの生涯と時代背景
ウィリアム・ブレイク(1757–1827)はイギリス・ロマン主義を代表する詩人・画家であり、産業革命やフランス革命の影響を受けた時代に独自の思想を展開した。 - 詩と美術の融合した創作活動
ブレイクは、詩と銅版画を組み合わせた独自の「彩色印刷本(Illuminated Books)」を制作し、視覚芸術と文学の融合を実現した。 - 神秘主義と独自の神話体系
彼の作品には聖書、ミルトン、スウェーデンボルグの影響を受けた独自の神話体系が存在し、オルソン、ウリゼン、ロスなどの神秘的なキャラクターを生み出した。 - 政治・社会批判の側面
『エルサレム』『フランス革命』などの作品には、イギリスの政治体制、産業革命による労働者の苦境、そして自由の理想を追求するブレイクの社会批判が反映されている。 - 後世への影響と評価の変遷
生前はほぼ無名で異端視されていたが、19世紀末の象徴主義、20世紀の超現実主義、現代ポップカルチャーに至るまで、文学・芸術・音楽に多大な影響を与えている。
第1章 ウィリアム・ブレイクとは?
貧しき職人の息子、天才の目覚め
1757年、ロンドンの庶民的な一角、ソーホー地区にウィリアム・ブレイクは生まれた。父親は手袋商を営み、母は敬虔なキリスト教徒であった。正式な学校教育は受けなかったが、幼い頃から詩と絵画に心を奪われた。10歳のとき、父は彼の才能を見抜き、有名な版画師ジェームズ・バジールに弟子入りさせた。この時期、彼はミケランジェロやラファエロの作品を模写しながら、技術を磨いた。そして何よりも、幼少期から「幻視」を見ることがあった。天使や聖書の登場人物が彼の前に現れ、彼の創作の原動力となったのである。
革命の時代、独自の道を歩む
ブレイクが成長するにつれ、イギリスと世界は激動の時代に突入した。フランス革命(1789年)は王権を揺るがし、産業革命は社会を大きく変えた。多くの芸術家が新しい時代の波に乗る中、ブレイクは独自の道を進んだ。彼はロイヤル・アカデミーで絵画を学びながら、伝統的な技法に囚われることなく、自らの感性に従って創作を続けた。そして1779年には独立し、銅版画職人として生計を立てながら、詩作と絵画を組み合わせた独自の表現を模索していった。この頃、彼はミルトンの『失楽園』やダンテの『神曲』に大きな影響を受けるようになった。
幻視と詩、芸術の融合
1782年、ブレイクはキャサリン・ブッチャーと結婚した。彼女は読み書きもできなかったが、夫の創作活動を支え、やがて銅版画の技術まで習得した。ブレイクの作品の多くは、彼女の協力なしには完成しなかったと言われる。1789年、『無垢と経験の歌』を発表。ここで彼は「子どもの純真な目」と「社会の現実を知った大人の目」という二重の視点を用いた。さらに、彼の詩と絵は単なる装飾ではなく、互いに影響し合いながら一つの世界を作り上げていた。彼は詩人であると同時に、画家でもあり、思想家でもあったのである。
誤解される天才、未来への遺産
ブレイクの作品は当時の批評家たちに理解されることはほとんどなかった。彼の幻想的な絵や、聖書や神話をもとにした詩は「狂人のたわごと」と見なされた。しかし、彼は一切妥協せず、自らの信念に従い続けた。彼の死後、象徴主義や超現実主義の画家や詩人たちは彼の作品を再発見し、その革新性を称賛した。今日では、ブレイクは「芸術と詩の融合を成し遂げた唯一無二の存在」として評価されている。彼の言葉とイメージは、今なお人々の心を揺さぶり続けている。
第2章 ロマン主義とブレイク
古典の枠を超えた新たな潮流
18世紀の文学と芸術は、理性と秩序を重んじる新古典主義が主流であった。アレクサンダー・ポープの詩やジョン・ドライデンの戯曲は、論理的な美しさを追求していた。しかし、フランス革命と産業革命によって社会が激変すると、人々の感性もまた変化した。合理主義の枠を超え、個人の感情や自然の神秘を重視するロマン主義がヨーロッパ各地で広がった。イギリスでは、ウィリアム・ワーズワースやサミュエル・テイラー・コールリッジが新たな詩の在り方を模索し、これに続くようにバイロンやシェリーが登場した。ウィリアム・ブレイクもまた、彼らとは異なる独自の形でロマン主義を体現していた。
孤高の詩人、ワーズワースとの違い
ワーズワースは「詩は日常の言葉で語るべきだ」とし、自然と庶民の生活を題材にした。彼の『抒情民謡集』(1798年)は、シンプルな表現ながら深い情感を湛えている。一方、ブレイクはより幻想的で象徴的な世界を描き、「目に見える現実」ではなく「目に見えない真実」を表現しようとした。例えば『無垢と経験の歌』では、子どもの純真な視点と大人の苦悩を対比させ、社会の偽善を暴いた。ワーズワースが自然の美しさに癒しを求めたのに対し、ブレイクは自然の中にも神秘的な力を見出し、人間の精神が持つ可能性を追求した。
バイロンやシェリー、革命の炎
ジョージ・ゴードン・バイロンとパーシー・ビッシュ・シェリーは、ロマン主義の中でも特に革命的な詩人であった。バイロンは『チャイルド・ハロルドの巡礼』で放浪する英雄像を描き、シェリーは『オジマンディアス』で権力の儚さを詩的に表現した。彼らは政治的にも急進的で、封建社会への批判を作品に込めた。ブレイクもまた、既存の権力構造に疑問を投げかけたが、バイロンやシェリーと異なり、神話的な象徴や宗教的なイメージを駆使して自由の理想を語った。彼の『フランス革命』や『エルサレム』には、社会の変革を望む強いメッセージが込められている。
ブレイクはロマン主義者か?
ブレイクはしばしばロマン主義の先駆者とされるが、彼自身はどの流派にも属さなかった。彼の詩と絵画は、単なる感情の表現にとどまらず、独自の神話体系と哲学を築き上げている。ワーズワースやバイロンが自然や政治を詩に込めたのに対し、ブレイクは人間の精神世界を探求した。彼は目に見えない力を描き、「想像力こそが真実を生み出す」と信じていた。そのため、彼の作品はロマン主義に属しつつも、それを超えた唯一無二の芸術となっているのである。
第3章 彩色印刷本と芸術
革新者ブレイク、印刷技術に挑む
18世紀の印刷技術は、職人たちの手作業に大きく依存していた。伝統的な方法では、詩と挿絵を別々に作成し、印刷後に手作業で組み合わせる必要があった。しかし、ブレイクはこの方法に満足しなかった。彼は言葉と絵が一体となった芸術を生み出すことを目指し、独自の「彩色印刷本(Illuminated Printing)」を考案した。この革新的な技法では、酸で腐食させた銅版に直接文字と絵を刻み、彩色を施して印刷した。これにより、詩と視覚表現が完全に融合した芸術作品が誕生したのである。
詩と絵の融合:『無垢と経験の歌』
ブレイクの代表作の一つ『無垢と経験の歌』(1789年・1794年)は、この印刷技法を駆使した作品である。「無垢」の詩は純真な子どもたちの視点で書かれ、「経験」の詩は社会の現実を鋭く批判している。そして、各詩には緻密な挿絵が添えられ、詩の意味をさらに深めている。例えば、「毒の木」では、怒りが育つ様子が木に例えられ、枝に実った果実が死をもたらす様が描かれる。ブレイクの絵は単なる装飾ではなく、詩の解釈を視覚的に補完し、読む者に強い印象を与えた。
銅版画職人としての技巧
ブレイクは、若い頃に銅版画職人として修業を積んだ。その経験が、彼の独創的な芸術を可能にしたのである。一般的な銅版画は、腐食液で削られた溝にインクを流し込んで印刷する「エッチング」技法を用いる。しかし、ブレイクは逆の発想をとった。彼は文字と絵を直接銅版に描き、周囲を削ることで浮き上がらせる「レリーフ・エッチング」技法を開発した。この技術により、彼は詩と絵を同じ版で印刷することができた。さらに、一枚一枚を手彩色することで、作品ごとに異なる表情を持たせたのである。
ブレイクの芸術、未来へと受け継がれる
当時、この技法は独創的すぎてほとんど評価されなかった。しかし、19世紀末になるとウィリアム・モリスらによる「アーツ・アンド・クラフツ運動」が興り、ブレイクの手仕事を重視した技法が再評価された。また、20世紀のシュルレアリスムや現代のグラフィックデザインにも影響を与えている。ブレイクの彩色印刷本は単なる印刷物ではなく、詩と絵が溶け合った芸術の極致であり、その革新性は今なお色褪せることがない。
第4章 ブレイクの神話世界
目に見えない世界を描く詩人
ウィリアム・ブレイクの作品には、現実の出来事だけでなく、彼が創り出した神話の登場人物や世界が数多く登場する。彼にとって、詩と絵画は単なる表現手段ではなく、人間の精神が持つ無限の可能性を示す道具であった。彼は「想像力こそが真実である」と信じ、現実の社会を批判しながら、独自の神話体系を築き上げた。この神話世界には、オルソン、ウリゼン、ロスといった象徴的な存在が登場し、人間の理性や感情、創造性を象徴している。彼の神話は、単なる空想ではなく、社会や人間の心理を深く掘り下げたものであった。
神々の戦い、創造と抑圧の物語
ブレイクの神話体系には、「四つのゾア」と呼ばれる神的存在が登場する。オルソンは情熱と創造を象徴し、ロスは芸術と想像力の力を表す。一方、ウリゼンは理性と秩序を司るが、それが過度になると抑圧や独裁に変わる。彼の作品『ウリゼンの書』(1794年)では、ウリゼンが世界を創造するが、それは自由を奪い、人々を支配する冷たい世界となる。この物語は、フランス革命後の混乱や、産業革命による機械化社会の到来を暗示しているとも解釈される。ブレイクの神話は、現実世界の出来事と深く結びついていたのである。
善と悪の境界を超えた視点
ブレイクの神話には、善と悪を単純に区別する考えは存在しない。例えば『天国と地獄の結婚』(1790年)では、「天使=善、悪魔=悪」という従来の価値観を逆転させ、悪魔が自由と創造の象徴として描かれている。ブレイクは、社会の中で悪とされるものが、実は創造性や革新の源であることを示そうとした。彼にとって、世界は一方的な視点で理解するものではなく、多様な視点を持つことで初めて真実が見えてくるものだった。彼の神話は、善と悪の境界を超えた独自の哲学を反映している。
ブレイクの神話が現代に与えた影響
ブレイクの神話体系は、19世紀以降の文学や芸術に大きな影響を与えた。象徴主義の詩人ウィリアム・バトラー・イェイツは、ブレイクの神秘思想に深く共鳴し、彼の作品を研究した。また、20世紀のシュルレアリスムや、現代のファンタジー文学にもブレイクの神話的な構造が見られる。さらに、アラン・ムーアの『プロメテア』やフィリップ・K・ディックの小説にも、ブレイクの神話世界の影響が色濃く残っている。彼の神話は単なる過去の遺産ではなく、現代の芸術や思想にも生き続けているのである。
第5章 社会批判と政治思想
革命の嵐とブレイクの視線
18世紀末、フランス革命がヨーロッパを揺るがした。貴族と王権の支配に対し、民衆が立ち上がったこの出来事は、イギリスにも衝撃を与えた。多くの知識人がこの革命を支持するか否かで意見を分けたが、ブレイクは迷うことなく「自由」の側に立った。彼は『フランス革命』(1791年)で民衆の蜂起を称賛し、専制政治への反抗を鼓舞した。しかし、革命がやがてナポレオンの独裁へと傾くと、彼は「真の自由は外ではなく内にある」と考えるようになり、詩と絵を通じて精神の解放を追求していった。
産業革命と「暗黒の工場」
フランス革命と同時に、イギリスでは産業革命が進行していた。工場が次々に建設され、機械による大量生産が始まると、人々の生活は大きく変化した。しかし、それは進歩だけを意味するものではなかった。子どもたちは長時間労働を強いられ、労働者たちは過酷な環境の中で搾取された。ブレイクはこれを「サタンの暗黒の工場」と呼び、『ロンドン』や『チャータード・ストリート』の詩の中で、都市に広がる絶望と抑圧を描いた。彼にとって、産業革命は人々の創造性を奪い、機械の奴隷へと変える危険なものであった。
宗教批判と精神の自由
ブレイクの批判は政治や経済だけでなく、宗教にも向けられた。彼は、国家と結びついた権威主義的なキリスト教を嫌い、教会が人々の精神を縛るものだと考えた。『天国と地獄の結婚』では、伝統的な善と悪の概念を覆し、自由な精神こそが真の宗教であると主張した。また、『ウリゼンの書』では、理性と秩序を強制する神ウリゼンを描き、これは専制的な宗教指導者の象徴と解釈されている。ブレイクにとって、神とは教会が押し付けるものではなく、個々の人間の想像力の中にこそ存在するものであった。
抑圧を超えて、想像力の革命へ
ブレイクは暴力的な革命ではなく、精神の革命を求めた。彼は詩と絵を通じて、人々が現実の枠組みを超えて自由に考え、創造することの大切さを訴えた。彼の作品は単なる社会批判ではなく、「どのようにして自由な精神を持つことができるのか?」という問いかけであった。彼は生涯を通じて、一貫して「想像力こそが最も強力な武器であり、それが抑圧を乗り越える鍵である」と信じ続けた。その思想は、時代を超えて現代の読者にも問いかけ続けている。
第6章 ブレイクと聖書
神の言葉を超えて、詩人の声へ
ウィリアム・ブレイクは聖書に深い影響を受けたが、盲目的な信仰者ではなかった。彼にとって、聖書は単なる宗教の教えではなく、人間の想像力の最高の表現であった。旧約聖書と新約聖書を自由に解釈し、詩と絵画を通じて独自の神話を創造した。例えば、イエスを単なる神の子としてではなく、抑圧に抗う革命家として描いた。彼の詩『天国と地獄の結婚』では、神の権威に服従することを拒否し、創造の力が真の神性であると主張した。ブレイクにとって、神とは固定されたものではなく、個々の想像力の中にこそ存在するものだった。
旧約聖書の神とウリゼン
ブレイクの作品には、旧約聖書の神ヤハウェを思わせるキャラクター「ウリゼン」が登場する。ウリゼンは理性と秩序を象徴し、世界を創造するが、それは抑圧的で機械的なものとなる。『ウリゼンの書』では、彼が天上から世界を形作る場面が描かれるが、その姿は支配者のようであり、愛や自由とは無縁である。ブレイクは旧約聖書の神を、戒律を押し付ける権威の象徴として批判的に描き、自由な想像力を抑えつける存在と見なした。彼にとって、創造とは固定された秩序ではなく、絶えず変化し続けるエネルギーの流れであった。
イエス、革命家としての救世主
ブレイクにとって、イエスは伝統的なキリスト教が説く「従順な神の子」ではなく、自由を求める革新者であった。『エルサレム』では、イエスは権力に挑む者として登場し、宗教的な枠組みを壊そうとする。彼は教会によって歪められた神のイメージを批判し、本来のイエスの教えは自由と創造性に根ざすものであると主張した。ブレイクは、イエスを「人間の内なる神」として描き、一人ひとりが自らの想像力を通じて神とつながるべきだと説いた。これは、彼の作品全体に流れる「想像力こそが神性である」という思想を象徴している。
ブレイクの聖書解釈、現代へと続く影響
ブレイクの聖書解釈は、単なる宗教批判ではなく、人間の精神の自由を求めるものであった。19世紀の象徴主義詩人や、20世紀の超現実主義者たちは、彼の思想に影響を受け、宗教と芸術の新たな可能性を探求した。特に、詩人ウィリアム・バトラー・イェイツや作家オルダス・ハクスリーは、ブレイクの神秘思想を高く評価した。また、現代の哲学や神学の分野でも、彼の「神=想像力」という考え方は議論の対象となっている。ブレイクの聖書解釈は、単なる宗教の枠を超え、人間の創造性と自由を問い続けるのである。
第7章 批評と評価の変遷
生前のブレイク、理解されぬ天才
ウィリアム・ブレイクは生前ほとんど評価されなかった。彼の詩と絵画は当時の主流の芸術とはかけ離れており、多くの人々は彼を「狂人」と見なした。ロイヤル・アカデミーでの彼の作品は異端視され、出版した詩集もほとんど売れなかった。彼は生計を立てるために商業的な版画制作を請け負っていたが、貧困に苦しんだ。友人であり詩人のウィリアム・ワーズワースさえも「ブレイクは天才だが、その才能は理解しがたい」と評した。しかし、ブレイク自身は評価されないことを気にせず、最後まで自らの創造の道を貫いたのである。
19世紀、象徴主義者たちの再発見
ブレイクの死後、彼の作品はしばらく忘れ去られていた。しかし19世紀後半、象徴主義の詩人たちが彼の作品に注目し始めた。特にウィリアム・バトラー・イェイツはブレイクの詩を研究し、彼の霊的な世界観を高く評価した。また、イギリスの詩人アルジャーノン・スウィンバーンはブレイクを「先駆的な芸術家」として称賛し、彼の詩と思想を広める役割を果たした。こうして、ブレイクは単なる風変わりな詩人ではなく、近代文学に影響を与えた革新的な存在として再評価されるようになったのである。
20世紀のシュルレアリストたちの崇拝
20世紀に入ると、ブレイクはさらに大きな注目を集めた。シュルレアリストたちは、彼の幻想的な絵画や神秘的な詩に強く影響を受けた。特にアンドレ・ブルトンは、ブレイクの作品を「無意識の世界を映し出すもの」と捉えた。また、詩人アレン・ギンズバーグは『天国と地獄の結婚』を読み、ブレイクの霊的体験を称賛した。音楽の世界では、ボブ・ディランやジム・モリソンが彼の詩に影響を受け、ロックの歌詞にもブレイクの思想が息づくようになった。ブレイクは単なる文学史上の人物ではなく、現代文化に生き続ける存在となったのである。
現代の視点、ブレイクは何を語るのか
今日、ブレイクは「芸術と詩の融合を果たした先駆者」として広く認められている。デジタルアートの分野では、彼の彩色印刷本の手法が再評価され、現代のビジュアル・ポエトリーにも影響を与えている。また、宗教や政治の文脈でも、彼の思想は新たな解釈を生んでいる。彼の作品は「社会の抑圧に抗い、想像力を解き放つこと」の重要性を訴え続けている。ブレイクはもはや過去の詩人ではなく、未来に向けて語りかける存在であり続けるのである。
第8章 文学と音楽への影響
象徴主義とブレイクの詩
19世紀後半、フランスで象徴主義が誕生した。この運動の詩人たちは、現実を直接描写するのではなく、象徴や暗示を用いて人間の深層心理を表現しようとした。シャルル・ボードレールは『悪の華』で幻想的な世界観を描き、ステファヌ・マラルメは詩に視覚的なリズムを取り入れた。彼らは、言葉と音、イメージの融合を重視し、ブレイクの詩と芸術に強い影響を受けた。ブレイクの「詩と絵画の統合」という試みは、象徴主義者たちが目指した「言葉を超えた表現」の先駆けであったのである。
超現実主義の芸術家たちの賛美
20世紀になると、ブレイクの幻想的な世界はシュルレアリストたちに発見された。アンドレ・ブルトンは『シュルレアリスム宣言』の中で、夢と現実の融合を説き、ブレイクの詩と絵画を「無意識の世界を開く鍵」と称えた。サルバドール・ダリやマックス・エルンストの作品には、ブレイクの神話的イメージと共鳴するものが見られる。シュルレアリストたちは、彼の「想像力こそが真実である」という哲学を継承し、現実を超えた視覚芸術を創り出した。ブレイクは、時代を超えて芸術の革命を促し続けたのである。
ロックと詩、ブレイクの魂の継承
ブレイクの影響は文学だけでなく、20世紀の音楽にも及んだ。ボブ・ディランやジム・モリソンは、彼の詩からインスピレーションを得て、歌詞の中に哲学的な問いや幻想的なイメージを取り入れた。特にローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、『天国と地獄の結婚』に影響を受け、「悪魔と交渉するロックスター」のイメージを確立した。さらには、パティ・スミスやアレン・ギンズバーグのビート詩人たちも、ブレイクの言葉を引用し、彼の自由な精神をロックと詩に生かしたのである。
現代ポップカルチャーに生き続けるブレイク
21世紀においても、ブレイクの影響は広がり続けている。映画『デッドマン』(ジム・ジャームッシュ監督)では、登場人物がブレイクの詩を語り、彼の思想がストーリーの根幹を成している。また、グラフィックノベルの世界では、アラン・ムーアが『プロメテア』でブレイクの神話世界を引用し、現代的な形で再構築している。彼の作品は単なる文学史の一部ではなく、音楽、映画、アートに息づき、時代を超えて人々の創造力を刺激し続けているのである。
第9章 現代におけるブレイクの意義
デジタル時代の想像力の力
ウィリアム・ブレイクは、詩と絵画を融合させた芸術を生み出した。それは、現代のデジタルアートやグラフィックノベルにも通じるものがある。AIが文章や絵を生成し、視覚と物語が融合する時代において、ブレイクの「想像力こそが真実を生む」という思想はますます重要になっている。現代のクリエイターたちは、彼の手作りの彩色印刷本にインスパイアされ、デジタル技術を駆使しながら独自の世界を創造している。もしブレイクが現代に生きていたなら、デジタルアートの先駆者として活動していたかもしれない。
ポストモダンとブレイクの思想
20世紀後半、ポストモダン思想は「真実とは一つではない」と主張した。ブレイクもまた、一元的な価値観を否定し、異なる視点の共存を重視した。『天国と地獄の結婚』では、天使と悪魔の対話を通じて、善悪の境界が曖昧であることを示した。これは、現代の社会が抱える多様性の問題にも通じる。ポストモダン文学や映画において、ブレイクのように固定観念を覆す表現が求められるのは、彼の思想が時代を超えて現代の哲学と響き合っているからである。
環境問題とブレイクの自然観
産業革命の時代に生きたブレイクは、すでに「人間の欲望が自然を破壊する」ことを予見していた。『ロンドン』では、工業化による都市の汚染と人々の苦しみが描かれている。現代では環境問題が深刻化し、ブレイクの警鐘はより切実なものとなった。彼の詩に込められた「自然と人間の調和」というテーマは、今日のエコロジー運動やサステナブルな生き方にも共鳴する。彼の作品は、現代社会が直面する環境課題を考えるヒントを与えてくれるのである。
個人の自由と創造性の未来
ブレイクは、生涯を通じて「権力に従うのではなく、自らの想像力を信じよ」と訴えた。彼の言葉は、現代のクリエイターや思想家にとって、自由な表現の象徴となっている。SNSやメディアが情報を操作し、大衆が一定の価値観に流されがちな今こそ、ブレイクの「自ら考え、創造せよ」というメッセージはより強く響く。彼の作品は、芸術や思想だけでなく、私たちが未来をどう生きるべきかを考えさせる力を持っているのである。
第10章 ブレイクの未来:これからの研究と展望
デジタル時代に生きるブレイク
21世紀に入り、ブレイクの作品はデジタル技術によって新たな生命を得ている。彼の彩色印刷本は、高解像度スキャンによってオンラインで自由に閲覧できるようになり、研究者だけでなく一般の読者もその芸術的な魅力に触れられるようになった。AIを用いたテキスト分析は、ブレイクの詩に隠されたパターンや新たな解釈をもたらしている。彼の作品は紙の本だけにとどまらず、電子書籍やVRを通じて体験するものへと進化しつつあるのである。
ブレイクと科学、想像力の交差
ブレイクは科学に批判的だったが、彼の想像力は現代科学とも共鳴している。量子物理学は、ブレイクが語った「目に見えない世界」の存在を証明するかのように、現実の曖昧さを示している。宇宙論の研究者の中には、彼の詩にインスピレーションを受けた者もいる。脳科学の分野では、彼の「想像力こそが真実を作る」という考えが、人間の意識の研究と結びついている。ブレイクの思想は、科学と哲学の境界を超えて、新たな視点を提供し続けているのである。
新しい解釈とブレイク研究の未来
ブレイクの作品には、未だに解明されていない象徴や暗示が多く含まれている。近年の研究では、彼の作品とカバラやグノーシス主義などの神秘主義との関係が注目されている。また、ポストコロニアル批評やジェンダー論の観点からの分析も進められており、ブレイクの思想が現代社会の課題とどのように関わるかが問われている。新しい理論やテクノロジーを用いたブレイク研究は、これからも多くの発見をもたらすだろう。
想像力は未来を拓く
ブレイクが生きた時代から200年以上が経ったが、彼の思想は色あせることがない。むしろ、現代社会が直面する問題の多くは、彼の作品が警鐘を鳴らしたものと重なる。権力と個人の自由、科学と想像力、宗教と精神の探求。これらのテーマは、未来の人類にとっても重要であり続ける。ブレイクの言葉は、これからも新しい時代の人々に読まれ、彼の想像力は未来を照らし続けるのである。