新世紀エヴァンゲリオン

基礎知識
  1. 『新世紀エヴァンゲリオン』の制作背景
    1995年に放送された作は、庵野秀監督とGAINAXによるオリジナルアニメであり、日アニメ史における重要な転換点となった。
  2. 作品における哲学宗教的モチーフ
    ユダヤ・キリスト教話、フロイト心理学、ラカン理論などを引用し、深層理や人間関係のテーマを象徴的に描いた。
  3. 社会的影響とサブカルチャーへの波及
    オタク文化の変革を促し、メディアミックス戦略や商業的成功を生み出し、1990年代後半の日社会に広く影響を与えた。
  4. テレビ版と劇場版のストーリー展開の違い
    1996年テレビシリーズ最終回と1997年の劇場版『Air/まごころを、君に』では結末が大きく異なり、ファンの間で長年議論の対となった。
  5. 『エヴァンゲリオン』シリーズの継続的進化
    2007年以降の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは、旧作の要素を再構築しながらも、新たな解釈と視点を加えた作品群として展開された。

第1章 『新世紀エヴァンゲリオン』とは何か?

アニメ史を変えた衝撃の作品

1995年10テレビ東京で『新世紀エヴァンゲリオン』が放送を開始した。当時のアニメ業界では『機動戦士ガンダム』や『マクロス』のようなロボットアニメが人気を博していたが、『エヴァ』はそれらとは一線を画す作品であった。視聴者は、謎めいたストーリー、複雑なキャラクター理、独特な映像演出に圧倒された。特に第1話「使徒襲来」の衝撃は計り知れず、少年・碇シンジが巨大な人型兵器エヴァンゲリオンに乗ることを強制される場面は、視聴者のを鷲掴みにした。これが単なるロボットアニメではないことは、誰の目にもらかであった。

GAINAXが生んだ異端のアニメ

作を制作したのは、アニメーションスタジオGAINAXである。GAINAXは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)や『ふしぎの海のナディア』(1990年)といった実験的な作品を手掛けてきたが、経営難に陥っていた。しかし、庵野秀を中としたクリエイターたちは、その逆境を跳ね返し、『エヴァ』の制作に全力を注いだ。彼らは従来のアニメの常識を覆し、視覚的に斬新なカット割りや理描写を駆使した。特に庵野の演出は、無の間やキャラクターの内面を映像で語る手法を大胆に取り入れ、アニメ表現の可能性を大きく広げたのである。

謎に満ちた世界観

『エヴァ』の舞台は、西暦2015年の第三新東京市。そこでは、人類の敵とされる謎の生命体「使徒」と、それに対抗するエヴァンゲリオンの戦いが繰り広げられる。しかし、物語が進むにつれ、単なるバトルアニメではないことがらかになっていく。使徒の正体、エヴァの起源、人類補完計画の目的――それらの謎は次々と提示されるが、完全な答えは提示されない。視聴者はキャラクターとともに真実を追い求めながらも、確な解決を得られないまま終幕を迎えることになる。この独特な作劇法が、後のアニメ作品に多大な影響を与えることとなった。

異例のヒットと社会現象

『エヴァ』は放送当初こそ視聴率が低迷していたが、ストーリーが進むにつれ口コミで話題を呼び、人気が爆発した。特に、アニ雑誌『ニュータイプ』などのメディアが特集を組み、熱狂的なファンを生み出した。VHSレーザーディスクの売上は当時のテレビアニメとして異例の字を記録し、関連グッズも飛ぶように売れた。1990年代後半には、エヴァのファッションやキャラクターグッズが街中に溢れ、日のオタク文化を一般層へと広げる役割を果たした。単なるアニメの枠を超えた現が、『エヴァ』の歴史の始まりを強烈に印付けたのである。

第2章 『エヴァ』が生まれた時代背景

1990年代、日本アニメの転換期

1990年代、日アニメ業界は変革期を迎えていた。1980年代のロボットアニメブームが落ち着き、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)が台頭する一方、テレビアニメの視聴率は低迷していた。『機動戦士ガンダム』や『マクロス』の影響を受けたリアルロボット作品が続く中、視聴者は新しい刺激を求めていた。また、1990年の『ふしぎの海のナディア』の成功は、庵野秀の才能を世に示したが、制作の混乱も経験させた。このような状況の中、『新世紀エヴァンゲリオン』は誕生し、アニメの流れを大きく変えることとなる。

バブル崩壊と社会の不安

『エヴァ』が放送された1995年、日バブル経済崩壊の影響を濃く受けていた。経済の停滞により企業はリストラを進め、若者たちは将来への不安を抱えながら生きていた。また、1995年にはオウム真理教による地下リン事件が発生し、社会全体に漠然とした恐怖と不信感が広がった。このような不安定な時代は、『エヴァ』の登場人物たちの孤独や自己の存在意義を模索する姿と共鳴するものであった。シンジの「逃げちゃダメだ」という台詞は、多くの若者の情を代弁するものとなったのである。

オタク文化の変遷

1980年代、オタク文化は『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』によって形成され、アニメやゲーム、模型などが一部の熱狂的ファンに支持されていた。しかし、1990年代になるとインターネットの発展により、ファン同士の交流が活発化し、アニメはより深い考察の対となった。『エヴァ』は、その象徴的な存在である。作品内の謎めいた設定や哲学的なテーマは、ファンによる考察を誘発し、「解釈する楽しみ」を提供した。アニメの楽しみ方が、ただ視聴するだけではなく、分析するものへと進化していったのである。

アニメ制作の経済事情と挑戦

1990年代半ば、アニメ制作は厳しい予算の中で行われていた。『エヴァ』を制作したGAINAXも、資面での課題を抱えていた。しかし、彼らはその制約を創造力に変えた。作画枚を抑えるため、静止画や理描写の多用を意図的に取り入れたが、それが独特な演出として機能した。また、従来のアニメでは脇役にとどまっていた理描写を前面に押し出し、キャラクターの内面を繊細に描いた。結果的に、制作の制約が『エヴァ』の革新性を生み出す原動力となり、新たなアニメ表現の可能性を切り拓いたのである。

第3章 庵野秀明とGAINAXの挑戦

庵野秀明という異才

庵野秀は1960年、山口県宇部市に生まれた。幼少期から特撮やアニメに熱中し、高校時代には自主制作アニメを手掛けるほどの情熱を持っていた。大阪芸術大学に進学後、『風の谷のナウシカ』の制作にアニメーターとして参加し、その才能を宮崎駿に認められた。しかし、庵野は職人気質でありながら完璧主義者でもあり、精神的なプレッシャーを抱えることも多かった。その後、1984年に仲間たちとともにGAINAXを設立し、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を世に送り出し、アニメ界に名を刻んだのである。

GAINAXの誕生と波乱の歩み

1984年、庵野を中に岡田斗司夫や赤井孝らがGAINAXを設立した。彼らは『DAICON FILM』という自主制作団体のメンバーであり、アニメ業界への強い情熱を持っていた。GAINAXは『トップをねらえ!』(1988年)や『ふしぎの海のナディア』(1990年)など、挑戦的な作品を次々と発表した。しかし、経営は決して順調ではなく、制作スケジュールの遅延や資難が頻発した。特に『ナディア』の制作現場は混乱し、庵野自身も疲弊してしまう。そんな彼が次に挑むことになったのが、『新世紀エヴァンゲリオン』であった。

逆境の中で生まれた『エヴァ』

『エヴァ』の制作は、GAINAXにとっても庵野にとっても大きな賭けであった。当時、スタジオは経営難に陥り、制作費の確保すら困難だった。しかし、彼らは既存のアニメの枠を超えた作品を作るべく、キャラクターの理描写や哲学的なテーマを盛り込んだ。特に、シンジの葛藤は庵野自身の精神状態と重なる部分が多く、制作中には彼の個人的な思索が作品に反映されていった。こうして、『エヴァ』は単なるロボットアニメではなく、視聴者のを揺さぶる深遠な作品へと昇華されたのである。

GAINAXの栄光と影

『エヴァ』の成功により、GAINAXは一躍有名スタジオとなった。しかし、その後の運営は決して安泰ではなかった。『エヴァ』の関連グッズが莫大な売上を記録する一方で、経営陣の資管理はずさんであり、後に脱税事件まで発生することになる。庵野自身もGAINAXを離れ、2006年には自身のスタジオ「カラー」を設立した。GAINAXはその後もアニメ制作を続けたが、庵野が去った後の影響は大きく、スタジオの勢いは次第に衰えていった。『エヴァ』の成功がもたらしたものは、と影の両面を持っていたのである。

第4章 哲学・心理学・宗教が織りなす物語

無意識を映す鏡――フロイトとユングの影

『エヴァ』のキャラクターたちは単なるロボットアニメの登場人物ではない。彼らの行動やの葛藤は、心理学の深層に根ざしている。フロイト精神分析学では、人間のは「イド」「自我」「超自我」に分かれるとされ、シンジの葛藤はまさにこの構造を反映している。また、ユングの「元型」理論も作に強く影響している。たとえば、綾波レイは「グレートマザー」、渚カヲルは「影」の象徴とされる。これらの心理学的要素が、視聴者の無意識に訴えかけ、『エヴァ』を単なる娯楽作品ではなく、哲学的な問いを投げかける存在へと昇華させているのである。

キリスト教とユダヤ神秘主義のモチーフ

『エヴァ』には、聖書やユダヤ神秘主義カバラ)の要素が散りばめられている。人類補完計画は、「アダムとエヴァ」「生命の樹」といった象徴と結びついており、エヴァンゲリオン自体も旧約聖書に登場する「エリオット」の天使伝説と関連があるとされる。また、ロンギヌスの槍やリリスなど、キリスト教的なモチーフも多く登場する。しかし、これらは単なる装飾ではなく、作品の根幹に関わる重要なテーマとして扱われている。『エヴァ』の話的要素は、視聴者に「人類とは何か?」という根源的な問いを投げかけているのである。

孤独と自己の境界――ラカンの心理学

作では、登場人物たちが何度も「他者との関係」に悩む。これは、フランス精神分析家ジャック・ラカンの「想像界・象徴界・現実界」の理論と密接に関係している。シンジは「他者に受け入れられたい」という願望を持ちながらも、他者との接触を恐れる。この葛藤は、ラカンの言う「鏡像段階」に似ており、シンジは常に自己のイメージと現実の乖離に苦しむ。さらに、「人類補完計画」はラカンの「象徴界」への回帰と解釈できる。つまり、『エヴァ』は単なるアニメではなく、自己と他者の関係を哲学的に考えさせる作品なのである。

空白の時間――『エヴァ』が描く沈黙

『エヴァ』の特徴のひとつに「間(ま)」の演出がある。例えば、シンジと綾波が無言で向き合う場面では、音楽すら排除され、観る者は不安と緊張を感じる。これは、日の能やの思想とも共鳴する演出である。西洋映画が「台詞」や「」で感情を伝えるのに対し、『エヴァ』は沈黙や静寂の中に理描写を込めている。この手法は、黒澤明映画や押井守の『攻殻機動隊』などにも見られるが、『エヴァ』はさらに極端に推し進めた。沈黙こそがキャラクターの内面を表し、視聴者に解釈を委ねるという新たな表現を確立したのである。

第5章 社会現象としての『エヴァンゲリオン』

アニメを超えたブームの到来

1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』は深夜アニメの枠で放送されたにもかかわらず、次第に大きな話題を呼んだ。従来のロボットアニメとは異なる複雑な物語、哲学的テーマ、スタイリッシュなデザインが視聴者のを掴んだ。特に『アニメージュ』や『ニュータイプ』といったアニ雑誌で特集が組まれると、ファンの間で考察が盛り上がり、作品の影響力は急速に拡大した。また、VHSレーザーディスクの売上も好調で、テレビ放送が終わった後も新たな視聴者を獲得し続けたのである。

キャラクター人気とグッズ展開

『エヴァ』が社会現になった要因の一つは、キャラクターの人気である。綾波レイは「無口でミステリアスなヒロイン」として瞬く間にカリスマ的存在となり、アスカのツンデレ的な魅力もファンを惹きつけた。これにより、キャラクターグッズの市場が爆発的に拡大した。フィギュアやポスターはもちろん、Tシャツや時計、さらには飲料までエヴァ仕様になった。バンダイやセガなどの企業も関連商品を次々と展開し、『エヴァ』はアニメ業界における「キャラクター商法」の先駆けとなったのである。

ファン文化の進化と同人活動

『エヴァ』は、当時のオタク文化のあり方を大きく変えた。特に同人誌の世界では、キャラクターやストーリーの考察を深めた作品が多生まれた。それまで同人誌といえばパロディや二次創作が中だったが、『エヴァ』では作品のテーマや哲学を真剣に分析するファンが現れた。さらに、インターネットの普及により、掲示板や個人サイトを通じて考察が活発化した。こうして、『エヴァ』は「視聴するだけの作品」ではなく、「解釈し、議論する作品」として、ファン同士の新たな交流の場を生み出したのである。

メディアミックス戦略の先駆け

『エヴァ』の成功は、アニメだけにとどまらなかった。テレビシリーズが終了した後も、劇場版や小説、漫画、ゲームといったさまざまなメディアへと展開され、ファンの熱を冷ますことなく維持し続けた。特に、貞義行による漫画版はアニメとは異なる視点で描かれ、多くの読者を惹きつけた。こうしたメディアミックス戦略は、後の『涼宮ハルヒの憂鬱』や『進撃の巨人』といった作品にも影響を与えた。『エヴァ』はアニメ作品の枠を超え、時代を象徴する一大ムーブメントへと発展したのである。

第6章 テレビシリーズのクライマックスと賛否両論

革新的な最終回への道

1996年3、『新世紀エヴァンゲリオン』は最終回を迎えた。しかし、それは誰もが予想しなかった結末であった。第25話と第26話では、それまでの戦闘描写が一切排除され、シンジの内面世界が抽的な映像哲学的な独白によって描かれた。突然の方向転換に、視聴者は驚愕した。戦いの決着を期待していたファンの間には困惑が広がり、「理解不能」という声も多かった。しかし同時に、この革新的な手法に衝撃を受け、深く考察する人々もいた。アニメ史上でも類を見ない異例の最終回であった。

極限状態での制作現場

この大胆な最終回が生まれた背景には、制作現場の混乱があった。予算とスケジュールが逼迫する中、従来のアニメの手法では最終回を完成させることが困難だった。その結果、庵野秀はキャラクターの内面に徹底的に焦点を当てることを決断した。脚は直前まで修正が繰り返され、アニメーターたちは極限状態で制作に取り組んだ。特に第26話のラストでシンジが「おめでとう!」と祝福されるシーンは、視聴者に強烈な印を残した。これは単なる演出ではなく、制作スタッフ自身の「これで終わった」という安堵の叫びでもあったのかもしれない。

ファンの怒りと議論の渦

放送後、視聴者の反応は賛否両論に分かれた。一部のファンは「深い哲学的テーマを見事に描いた」と評価したが、多くは不満を抱いた。物語の核となる謎が未解決のままであり、クライマックスの戦闘シーンも描かれなかったからである。激怒したファンの中には、GAINAXに抗議の手紙を送る者もいた。また、アニ雑誌やインターネットでは議論が巻き起こり、「これは芸術か? それとも投げやりか?」といった論争が続いた。この熱狂的な議論こそが、『エヴァ』を単なるアニメ以上の存在へと押し上げたのである。

その後に続く『エヴァ』の運命

制作側もこの結末に満足していたわけではなかった。庵野秀自身も「理解されないことは覚悟していたが、納得してもらえるとは思っていなかった」と語っている。ファンの間で不完全燃焼の感情が渦巻く中、GAINAXは新たな結末を描くプロジェクトを立ち上げることになる。それが、後に劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』として実現することとなる。テレビ版の最終回は、未完の物語ではなく、新たな『エヴァ』の始まりでもあったのだ。

第7章 『Air/まごころを、君に』と補完された結末

テレビ版への不満と劇場版の誕生

1996年テレビシリーズ最終回は、革新的でありながらも多くの視聴者を困惑させた。特に、ストーリーの核部分が抽的な演出で省略され、視覚的なクライマックスを求めていたファンの期待には応えられなかった。庵野秀とGAINAXは、こうした反応を受けて、新たに「物語の補完」となる劇場版を制作することを決定した。1997年に公開された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、テレビ版とは異なる形で人類補完計画の全貌を描き、『エヴァ』の結末をより確に示すことになったのである。

圧倒的な絶望と衝撃の映像美

劇場版では、シンジを取り巻く世界はさらに苛烈なものとなった。『Air』では、ゼーレによるネルフ襲撃が描かれ、戦闘員による無慈悲な殺戮が展開される。特に、アスカとエヴァ弐号機の壮絶な戦闘シーンは、エヴァシリーズ屈指の名場面である。そして、『まごころを、君に』では、人類補完計画がついに発動し、シンジの意識の内側で世界が収束していく。精神世界の描写はさらに抽的かつ哲学的になり、観る者に深い衝撃を与えた。観客は、しくも残酷な映像の連続に圧倒されることとなった。

シンジとアスカ、最後に残る二人

物語の最終局面で、人類補完計画は発動し、すべての人間はLCLに還元される。しかし、シンジは「他者がいる世界」を選び、補完を拒絶する。その結果、シンジとアスカだけが現実世界に戻り、荒廃した地球に二人きりで取り残される。シンジがアスカの首を絞める場面は、観客に様々な解釈を促した。アスカの「気持ちい…」という台詞は、物語の幕引きとして衝撃的であり、肯定とも否定ともつかない余韻を残した。この終幕は、『エヴァ』が観る者の解釈に委ねられた作品であることを強く印づけた。

ファンの反応と賛否の分かれ目

『Air/まごころを、君に』は、その圧倒的な映像と過激なストーリーで大きな話題を呼んだ。一部のファンは「これこそが当の結末だ」と絶賛したが、同時に「救いがなさすぎる」「テレビ版よりも理解しづらい」との批判も多かった。庵野監督への評価も二極化し、一部のファンは彼に激しい怒りをぶつけた。一方で、作はアニメ史上に残る傑作として語り継がれ、後の映像作品にも多大な影響を与えた。『エヴァ』は、最終回を迎えてなお、議論を呼び続ける存在となったのである。

第8章 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の再構築

再び始まる『エヴァ』の物語

2007年、庵野秀は『エヴァ』の物語を新たに再構築するプロジェクト「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を発表した。これは単なるリメイクではなく、オリジナル版を下敷きにしながらも、新たな解釈や展開を加えた四部作として構想された。第1作『序』は2007年に公開され、基的には旧作のストーリーを踏襲していたが、映像と演出の向上により、全く新しい作品として生まれ変わった。庵野は「もう一度『エヴァ』を作ることが必要だった」と語り、観客の期待は一気に高まった。

変革が始まる『破』の衝撃

2009年公開の『破』は、『エヴァ』の歴史における最大の転換点の一つとなった。物語は旧作の枠を超え、新キャラクターの真希波・マリ・イラストリアスが登場し、アスカの運命も大きく変わるなど、視聴者の予想を覆した。さらに、シンジは旧作では果たせなかった「他者のために行動する」という成長を見せ、レイを救うために覚醒を遂げる。この結末は、従来のエヴァにはなかった「希望」を提示し、物語の未来が完全に新しい方向へと向かうことを示唆していたのである。

崩壊する世界、『Q』の混乱

2012年公開の『Q』は、前作のラストから14年後の物語が描かれた。シンジは目を覚ますと、かつての仲間たちは彼を拒絶し、世界は完全に変わり果てていた。序盤から謎が多く、視聴者の多くは戸惑いを覚えた。旧作のシナリオとは完全に決別し、『エヴァ』の質的なテーマである「他者との関係」「自己の存在意義」をより抽的かつ哲学的に描いた。ファンの間では賛否が分かれたが、この意図的な混乱こそが、庵野が求めた『エヴァ』の進化だったのである。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、そして終結へ

2021年、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開され、ついに『エヴァ』の物語は完結を迎えた。旧作では果たされなかった「シンジの成長」が描かれ、彼は自らの意志で過去を乗り越え、新たな未来を選択する。『エヴァ』が長年にわたり提示してきた「世界とどう向き合うか?」というテーマに、シンジなりの答えが示されたのだ。シリーズは再構築されながらも、最終的には「エヴァからの卒業」という形で幕を閉じた。25年にわたる旅の終わりは、多くのファンに深い感動を与えたのである。

第9章 『エヴァンゲリオン』の文化的遺産

後のアニメ作品への影響

『新世紀エヴァンゲリオン』は、その独特な作風と深遠なテーマで、後のアニメ作品に多大な影響を与えた。『コードギアス 反逆のルルーシュ』は、理的葛藤と戦略的な戦闘描写において『エヴァ』の影響を受けている。また、『魔法少女まどか☆マギカ』は、エヴァが築いた「視聴者の予想を裏切る構成」を踏襲し、新たなジャンルの可能性を示した。アニメ業界は『エヴァ』以降、より実験的で哲学的な物語を描くことが増え、庵野秀の遺した影響は計り知れない。

ゲーム・文学・芸術への波及

『エヴァ』の影響は、アニメだけにとどまらない。ゲーム業界では、『ゼノギアス』や『NieR:Automata』といった作品が、エヴァ的な哲学的テーマや終末観を濃く反映している。また、日本文学にも影響を与え、上龍や伊藤計劃といった作家の作品に、エヴァ的な世界観が垣間見えることがある。さらに、アートの分野では、現代美術家・上隆がエヴァのキャラクター表現を引用し、ポップカルチャーとアートの融合を試みるなど、ジャンルを超えた影響力を持ち続けている。

世代を超えるファン層の変化

1995年に放送された当時、エヴァは主に若いアニメファンの間でカルト的な人気を誇った。しかし、新劇場版の登場により、新たな世代のファンを獲得した。『エヴァ』は親から子へと語り継がれ、現代の若者たちもその哲学的なテーマに共感している。また、SNSの発達により、リアルタイムで考察を共有できる環境が整い、作品を深く掘り下げる文化が広がっている。こうして『エヴァ』は、時代を超えてされ続ける作品となったのである。

『エヴァ』が変えた日本のポップカルチャー

『エヴァ』は、オタク文化のイメージを大きく変えた。それまでアニメは一部のマニア向けとされていたが、『エヴァ』の登場により、アニメが社会現となる可能性を示した。さらに、キャラクターグッズの爆発的な売上や、パチンコ・スロット市場への進出により、アニメが経済的にも重要なコンテンツになった。現代のアニメ産業における「メディアミックス展開」や「キャラクタービジネス」の成功モデルは、『エヴァ』が築いたものと言っても過言ではない。

第10章 終わらない『エヴァ』—その未来と解釈

多面的な解釈が生み出す議論

『エヴァンゲリオン』は、一つの確な答えを提示しない作品である。視聴者ごとに解釈が異なり、「シンジの成長物語」として捉える人もいれば、「人類補完計画という寓話」と考える人もいる。庵野秀自身も「解釈は観る人に委ねる」と語っており、議論の余地を残す構造となっている。これにより、公開から30年近くが経つ現在でも、ネット上では考察が続き、新たな視点が生まれている。作品が時代ごとに異なる受け取られ方をする点こそが、『エヴァ』が特異な存在である証とも言える。

新たな世代のファンと『エヴァ』

『エヴァ』は、単なる1990年代のアニメではなく、新劇場版の展開により新たな世代のファンを獲得し続けている。初期ファンが親となり、次の世代へと受け継がれることで、作品の魅力は広がりを見せている。特に、新劇場版の映像やアクション要素は、現代の視聴者にとって親しみやすいものとなっている。また、動画配信サービスの普及により、リアルタイムで観られなかった世代でも『エヴァ』に触れる機会が増え、考察文化も新しい形で継承されている。

『エヴァ』が残した映像文化の遺産

『エヴァ』がアニメ業界に与えた影響は計り知れない。アニメの演出技法として確立した「間」の使い方、哲学的なモノローグの多用、視覚的な象徴の配置は、その後の作品にも受け継がれた。特に『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』では、庵野が培った演出手法が活かされ、日映画界にまで波及した。また、エヴァ的な理描写や実存主義的テーマを扱う作品も増え、アニメが「単なる娯楽」を超えて「芸術」として評価されるきっかけを作ったのである。

『エヴァ』の物語は本当に終わったのか?

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は「エヴァからの卒業」をテーマに掲げ、シリーズに一区切りをつけた。しかし、『エヴァ』という作品が持つ影響力や、ファンの間での議論は終わることがない。新たな視点から過去作が再評価され、また別の形で『エヴァ』の物語が紡がれる可能性もある。庵野秀が『エヴァ』の世界から去ったとしても、その遺した問いかけは永遠に続く。『エヴァ』は、まさに「終わらない物語」なのかもしれない。