カルヴァン主義

基礎知識
  1. カルヴァン主義の起源とジャン・カルヴァンの思想
    カルヴァン主義は16世紀宗教改革者ジャン・カルヴァンによって形成され、彼の神学的著作『キリスト教綱要』がその根幹を成す。
  2. 予定説との主権
    カルヴァン主義の中的教義である予定説は、人間の救済がによってあらかじめ定められているという信仰に基づいている。
  3. カルヴァン主義の発展と各への広がり
    スイスのジュネーヴを中に発展したカルヴァン主義は、フランスオランダイギリス、アメリカなどに広がり、それぞれので独自の発展を遂げた。
  4. 政治と社会への影響
    カルヴァン主義は民主主義の発展や資本主義倫理形成に影響を与え、特にプロテスタント労働倫理の概念と結びつけられることが多い。
  5. カルヴァン主義の分派と現代への影響
    長老派、改革派、ピューリタンなどの分派が生まれ、現代においてもキリスト教界や思想界に多大な影響を与え続けている。

第1章 カルヴァン主義の誕生——宗教改革とジャン・カルヴァン

宗教改革の炎、ヨーロッパを包む

16世紀初頭、ヨーロッパは激動の時代を迎えていた。1517年、ドイツの修道士マルティン・ルターが「95か条の論題」を発表し、カトリック教会の腐敗を糾弾したことで宗教改革の火蓋が切られた。彼の教えは瞬く間に広まり、各地で新たな信仰運動が巻き起こった。スイスではフルドリッヒ・ツヴィングリが改革を主導し、フランスでは若きジャン・カルヴァン聖書を深く研究していた。カトリックの権威に疑問を持った人々は、新しい信仰のあり方を模索し始めた。だが、この動きは決して穏やかなものではなく、教会と国家を巻き込む激しい対立を生んでいく。

若きジャン・カルヴァンの決断

カルヴァンは1509年、フランスのノワイヨンに生まれた。裕福な家庭に育ち、パリ大学神学法律を学んだ彼は、学者としての道を歩むはずだった。しかし、ルターの教えに共鳴し、カトリックの教義に疑問を抱き始める。1533年、パリ大学での改革派の演説に関与したことで弾圧を受け、フランスを逃れることを余儀なくされた。亡命先のスイスで彼は聖書研究を深め、やがてキリスト教質をらかにしようとする壮大な著作に取り掛かることになる。その書物こそが、後のカルヴァン主義の礎となる『キリスト教綱要』である。

運命の出会いとジュネーヴでの改革

1536年、カルヴァンは偶然立ち寄ったジュネーヴで宗教改革の指導者ギヨーム・ファレルと出会う。ファレルはの改革を進めるためにカルヴァンの力を必要としていた。最初は固辞したカルヴァンだったが、ファレルの「もし拒むなら、はお前を罰するだろう」という熱烈な説得に押され、ジュネーヴでの改革に乗り出すことを決意する。彼は聖書に基づく厳格な教会制度を築き、人々の信仰を刷新しようとした。しかし、改革の進め方を巡って市民と対立し、わずか2年で追放されるという試練に直面することになる。

再びジュネーヴへ——カルヴァンの神権政治

1541年、カルヴァンは市民の要請を受けて再びジュネーヴに戻る。今度は徹底した教会改革を行い、道規範を厳しく定める「教会規則」を導入した。礼拝、教育政治に至るまで、すべてを聖書の教えに基づいて統制し、カルヴァン政治の実現を目指した。彼の影響力は次第に広がり、ジュネーヴは「プロテスタントローマ」と称されるほどになった。この都市はヨーロッパ各地の宗教改革者を惹きつけ、新たな信仰の中地となる。ここから、カルヴァンの教えは次第にヨーロッパ全土へと広がっていった。

第2章 『キリスト教綱要』とカルヴァン神学の基礎

信仰の旅路——カルヴァンが書を綴るまで

1536年、ジャン・カルヴァンは逃亡生活の最中、歴史に残る大著『キリスト教綱要』を発表する。この書物は単なる神学書ではなく、信仰を求めるすべての人々に向けたガイドだった。ルターが「信仰義認」を唱えた後、カルヴァンはそれをさらに理論化し、「の主権」を中に据えた体系を作り上げる。彼は聖書を徹底的に分析し、信仰と行動の両面を論じた。まさに宗教改革の新たな指針となる一冊であり、多くの読者に衝撃を与えた。カルヴァンはここから、の計画を人々に伝える使命を果たし始める。

神はすべてを支配する——神の主権と人間の限界

カルヴァンの思想の核には「の絶対的主権」がある。彼はがこの世界のすべてを支配し、人間の運命もあらかじめ定められていると説いた。これは当時のカトリック教会の教えとは大きく異なり、信徒に強い影響を与えた。人は行によって救いを得るのではなく、が選んだ者だけが救われるというのが彼の主張であった。この考え方は人々に厳粛な責任を感じさせると同時に、絶対的な安感も与えた。の意思に従って生きることこそが、真の信仰者の務めであるとカルヴァンは強調した。

聖書こそ唯一の真理——伝統を超えた改革

カルヴァンカトリック教会伝統を排し、聖書のみを信仰の基盤とする「聖書主義」を徹底した。教皇や司祭の権威を認めず、聖書を自ら学ぶことが信仰者の義務であるとした。これはルターの主張をさらに発展させ、教育の重要性を強調するものだった。彼は信徒が聖書を学べるように多くの教育機関を設立し、信仰知識を広めた。これにより識字率が向上し、カルヴァン主義が広がる要因となった。知識こそが信仰を強化すると考えた彼は、学問と信仰の調和を生涯貫いた。

信仰と行動の一致——カルヴァン主義の倫理観

カルヴァン信仰が生活のすべてを支配すべきだと考えた。教会の礼拝だけでなく、労働、政治、経済活動においてもの意志を反映させるべきだと説いた。この思想が後に「プロテスタント労働倫理」と結びつき、資本主義の発展に影響を与えた。怠惰はに対する冒涜であり、倹約と努力こそが信仰者の証であるとカルヴァンは述べた。この厳格な倫理観は、信仰と行動の一致を求める新たな宗教観を生み出した。カルヴァン主義は単なる神学ではなく、日々の生き方そのものへと広がっていった。

第3章 予定説——神の絶対的主権とは何か?

救いは決まっているのか——運命をめぐる神学論争

「人はい行いをすれば天国に行けるのか?」この問いに対し、ジャン・カルヴァンは驚くべき答えを出した。「救われる者と滅びる者は、によってあらかじめ決められている。」これが彼の唱えた「予定説」である。人間は自らの努力では救いに至ることはできず、の選びによってのみ天国へ行けるとした。この考え方は、カトリック教会の「自由意志による救い」という教えと真っ向から対立し、大論争を巻き起こした。カルヴァンの予定説は、信仰を持つ者の生き方を根から変えることになる。

予定説の根拠——聖書に隠された神の計画

カルヴァンは自らの教えが単なる推測ではなく、聖書に基づいていると主張した。彼は特に『ローマの信徒への手紙』8章30節を重要視し、「はあらかじめ定めた者を召し、召した者を義とし、義とした者に栄を与えた」と説いた。彼にとって、の選びは人間の理解を超越したものであり、なぜある人が救われ、ある人が滅びるのかはのみが知ることだった。この考え方は、一部の人々に安感を与えたが、他の人々には絶望をもたらした。「自分は救われているのか?」という不安が、信徒のを揺さぶることになる。

自由意志か、神の意志か——哲学者と神学者の対決

予定説は神学の枠を超え、哲学者たちの論争の的となった。オランダ神学者ヤーコブス・アルミニウスは、「人間には救いを選ぶ自由がある」としてカルヴァンに異を唱えた。これがアルミニウス主義と呼ばれる対抗理論を生み出し、予定説をめぐる激しい論争が続いた。さらに17世紀哲学者ルネ・デカルトは、人間の理性自由意志を重視し、の絶対的主権とは異なる視点を提示した。こうした思想の衝突は、近代の人間観や政治思想にも影響を与え、予定説は単なる神学論争を超えた大きなテーマとなった。

信仰はどう生きるべきか——予定説がもたらした影響

カルヴァンの予定説は、信徒の生活に大きな影響を与えた。「もし自分が選ばれた者なら、その証を示さなければならない。」こうした思考から、カルヴァン主義者は禁欲的な生活を送り、労働に励み、誠実さを重んじた。これは後に「プロテスタント労働倫理」と呼ばれ、資本主義の発展とも結びつく。さらに、予定説は教会の制度にも影響を与え、信徒による自治が進むことで民主主義の萌芽を生んだ。の選びが社会をも変えたのである。予定説とは、単なる信仰の教義ではなく、世界観そのものを形作る力を持っていた。

第4章 ジュネーヴとカルヴァン主義共同体

逃亡者、改革都市へ——カルヴァンとジュネーヴの出会い

1536年、ジャン・カルヴァンは偶然ジュネーヴに立ち寄った。このはすでに宗教改革の波に揺れており、改革派の指導者ギヨーム・ファレルが活動していた。ファレルはカルヴァンの才能を見抜き、熱烈に説得する。「が君をここに導いたのだ!」とまで言われ、カルヴァンはこのに留まる決意をする。しかし、市民はすぐに彼の厳格な改革に反発した。年後、彼は追放されるが、1541年に再び戻ることになる。ここから、ジュネーヴはカルヴァン主義の聖地へと変貌していく。

神政政治の実験——教会が支配する都市

ジュネーヴでのカルヴァンの改革は、単なる宗教運動ではなく政治的な革命でもあった。彼は市政と教会を一体化させ、道規律を厳格に定めた。「の法」に従った生活が求められ、カトリック式のミサは禁止された。公の場での不品行は処罰の対となり、酒場や賭博は厳しく取り締まられた。これによりジュネーヴは規律あるへと生まれ変わったが、同時に反発も生まれた。自由を制限されることに不満を抱く者も多く、カルヴァンの統治は決して平穏ではなかった。

知識こそ信仰の武器——教育と出版の拠点

カルヴァンは、信仰を深めるには知識が不可欠だと考えた。彼は1559年にジュネーヴ・アカデミー(のちのジュネーヴ大学)を設立し、神学と人文学教育を推進した。また、印刷技術を活用し、プロテスタントの書籍を大量に出版させた。これによりジュネーヴは宗教改革の知的中地となり、多くの学者や神学者がこの地を訪れた。カルヴァン主義は単なる信仰運動ではなく、知識によって支えられた思想運動でもあった。こうして、彼の影響力はヨーロッパ全土へと広がっていった。

熱狂と弾圧——異端との闘い

カルヴァンの支配下でジュネーヴは宗教改革の拠点となったが、異端と見なされる者には容赦がなかった。1553年、スペインの医師ミカエル・セルヴェトゥスは三位一体を否定したとして火刑に処された。この事件はカルヴァンの厳格な信仰姿勢を象徴するものとなった。彼にとって、異端は社会の秩序を脅かす脅威だった。しかし、この厳しい姿勢がカルヴァン主義の結束を強め、ヨーロッパ各地の改革派を鼓舞する結果となった。ジュネーヴは単なる都市ではなく、信仰と統治の実験場となったのである。

第5章 カルヴァン主義の拡大と宗教戦争

信仰か生存か——フランスのユグノー戦争

16世紀後半、カルヴァン主義はフランスにも広がり、「ユグノー」と呼ばれる改革派のキリスト教徒が勢力を伸ばしていた。しかし、カトリックが支配するフランスでは彼らは異端と見なされ、激しい迫害を受けた。1572年の「サン・バルテルミの虐殺」では、ユグノーが大量に殺害され、フランス全土に衝撃を与えた。ユグノー戦争は30年以上続き、最終的にナントの勅令(1598年)が発布され、一応の和平がもたらされた。しかし、この勅令は後に撤回され、ユグノーの多くが外へ亡命することになる。

反乱から独立へ——オランダの八十年戦争

カルヴァン主義はオランダでも強い影響を持ち、カトリック支配のスペインに対する反乱を引き起こした。1568年、オランダ北部のカルヴァン派を中とした人々が、スペインの圧政に対抗して戦争を開始する。指導者ウィレム1世(オラニエ公)は、カルヴァン主義の信仰と独立の意志を掲げ、スペイン軍と戦った。最終的に1648年、ウェストファリア条約によってオランダは独立を達成した。カルヴァン主義は単なる宗教運動ではなく、国家形成の原動力ともなったのである。

清教徒革命——イギリスの宗教と政治の変動

イギリスではカルヴァン主義の影響を受けた「ピューリタン」が、教会の改革を求めていた。彼らは儀式を簡素化し、より聖書に基づいた教会運営を目指した。しかし、王チャールズ1世は彼らを弾圧し、これがイングランド内戦(1642-1651)へと発展する。オリバー・クロムウェル率いるピューリタン軍が勝利し、王は処刑された。イギリスは共和制を経験することになるが、クロムウェルの後、王政が復活する。ピューリタンはその後も影響力を持ち続け、アメリカ植民地へと広がっていった。

宗教戦争の終結とカルヴァン主義の未来

17世紀になると、ヨーロッパでは宗教戦争が終息に向かい、ウェストファリア条約(1648年)によりカルヴァン主義が正式に認められるようになった。これは宗教の多様性を容認する画期的な出来事であった。同時に、カルヴァン主義は新たな地へと広がり、アメリカ、スコットランド、南アフリカなどで根付いていく。戦争の時代は終わったが、カルヴァン主義は政治、経済、文化に深く根を下ろし、近代社会の形成に影響を与え続けることになる。

第6章 カルヴァン主義と政治思想——民主主義との関係

契約の思想——神と人間の約束から生まれた政治観

カルヴァン主義は、信仰の中に「契約」の概念を組み込んでいた。と人間の間には契約があり、それに従って生きることが求められる。この考え方は政治にも応用され、市民と政府の間にも契約があると見なされるようになった。17世紀の思想家ジョン・ロックは、この「契約」の概念を発展させ、政府の権力は市民の合意によって成立すると主張した。こうした思想は後の民主主義へとつながり、特にアメリカ独立革命やフランス革命において重要な役割を果たすことになる。

王権に挑む信仰——カルヴァン派と政治的抵抗

カルヴァン派は絶対王政に従うべきかどうかという問題に直面した。フランスのユグノーたちは「王もの法に従うべきだ」と考え、暴君に抵抗する権利を主張した。この考え方は、1579年の「ユトレヒト同盟」に影響を与え、オランダの独立運動の理論的支柱となった。また、スコットランドではジョン・ノックスがカルヴァン主義を広め、王の権力を制限するべきだと説いた。こうした思想は、国家の権力を制限し、市民の自由を守るという現代政治の基盤を築くことになった。

アメリカ建国とカルヴァン主義——自由の土台となった信仰

ピューリタンたちはカルヴァン主義の信念を抱き、自由を求めて新大陸へと渡った。彼らは「メイフラワー誓約」に基づいて自治を行い、の法に従った社会を築いた。この精神はアメリカ独立革命にも影響を与え、「全ての人は生まれながらにして平等である」という理念を支えた。トマス・ジェファーソンやジョン・アダムズといった建の父たちは、カルヴァン主義の影響を受け、政府の権力は市民によって制限されるべきだと考えた。こうして、カルヴァン主義はアメリカの民主主義の根幹となった。

信仰と政治の未来——カルヴァン主義はどこへ向かうのか

近代においても、カルヴァン主義の政治思想は影響を与え続けている。南アフリカではアパルトヘイト政策がカルヴァン主義を背景に正当化されたが、ネルソン・マンデラらの改革派もまた、信仰に基づく平等を訴えた。21世紀の民主主義社会においても、市民の権利や政府の責任を問う議論の中に、カルヴァン主義の思想が根付いている。の主権と人間の自由が交差するこの思想は、政治信仰が交わる場所で、今なお新たな形を模索し続けている。

第7章 プロテスタント労働倫理と資本主義

勤勉こそが神の意志——カルヴァン主義と仕事観

カルヴァン主義者にとって、労働は単なる生計手段ではなく、の召命(コーリング)であった。彼らはすべての職業が聖であり、誠実に働くことが信仰の証と考えた。この思想は、中世カトリックの「聖職こそ最も価値がある」という考え方とは異なり、商人や職人もに仕えることができると説いた。こうして、カルヴァン主義の々では労働が倫理的義務となり、倹約と努力がとされた。この精神は特にオランダスイスイギリスピューリタンたちに強く受け継がれていった。

資本主義の誕生——マックス・ウェーバーの理論

ドイツ社会学者マックス・ウェーバーは、カルヴァン主義と資本主義の関係を分析し、「プロテスタント労働倫理資本主義精神を生んだ」と主張した。彼によれば、カルヴァン主義者は「に選ばれた者の証」として富を蓄積し、それを再投資することで経済発展を促した。彼らは浪費を嫌い、勤勉と合理性を重視したため、近代的な経済システムが生まれる土壌を作ったのである。この理論は経済史に革命をもたらし、カルヴァン主義が世界の産業発展に与えた影響をらかにした。

アメリカンドリームとプロテスタント精神

カルヴァン主義の労働倫理は、大西洋を越えてアメリカにも根付いた。ピューリタンたちは新大陸で厳格な倫理観を持ち、勤労と自己責任を重んじる社会を築いた。この価値観はやがて「アメリカンドリーム」という理念へと発展し、努力すれば誰でも成功できるという考え方を支えた。実際、多くのアメリカの実業家や政治家はカルヴァン主義の背景を持ち、その影響は現在のアメリカ経済にも残っている。信仰と労働の融合が、の発展を推進したのである。

現代社会に残るカルヴァン主義の影響

今日においても、カルヴァン主義の労働倫理は社会の基盤に息づいている。スイス銀行業、オランダ商業文化、アメリカの起業精神には、カルヴァン主義の合理性と勤勉さが濃く残る。しかし、一方で過度な労働至上主義がストレスや格差を生むという批判もある。カルヴァン主義が築いた価値観は、資本主義の発展を支えながらも、新たな課題を生んでいる。信仰と経済の関係は、今後も議論され続けるだろう。

第8章 カルヴァン主義の分派——長老派、改革派、ピューリタン

スコットランドの長老派——ジョン・ノックスの改革

16世紀、スコットランドの宗教改革者ジョン・ノックスはカルヴァン主義に深く影響を受け、スイスのジュネーヴでカルヴァンの指導を受けた。帰後、彼はイングランド教会と対立し、独自の改革運動を展開した。スコットランドではカトリックに対する反発が強く、ノックスの教えは多くの支持を集めた。彼が設立したスコットランド長老派教会は、信徒の代表が教会を運営する「長老制」を採用し、中央集権的なカトリック教会とは一線を画した。この教会制度は、後にアメリカやオランダへと広がり、カルヴァン主義の政治思想にも影響を与えた。

オランダ改革派——八十年戦争と信仰の勝利

16世紀末、オランダではスペインの支配に対する独立戦争(八十年戦争)が勃発した。オランダプロテスタントたちはカトリックの圧政に反発し、カルヴァン主義を旗印に掲げた。ウィレム1世率いるオランダ独立軍は、カルヴァン主義の信仰と結びついた「自由」を求め、最終的に1648年のウェストファリア条約で独立を勝ち取る。オランダ改革派教会は国家と強く結びつき、商業・学問の発展を支えた。アムステルダムは「カルヴァン主義の商都」として繁栄し、オランダ宗教的寛容と経済的発展を両立させたとなった。

清教徒の旅——アメリカ大陸への理想社会建設

イギリスピューリタン(教徒)たちは、イングランド教会がカトリック的であると批判し、より純粋な信仰を求めた。しかし、王ジェームズ1世やチャールズ1世による弾圧を受け、多くが新天地アメリカへと向かった。1620年、メイフラワー号に乗ったピューリタンたちはマサチューセッツに上陸し、信仰に基づく自治共同体を築いた。彼らは厳格な道観と労働倫理を重視し、教育制度を整備した。こうして、カルヴァン主義はアメリカの建思想と深く結びつき、政治や経済の発展にも影響を与えた。

信仰の多様化——分派の誕生と現代への影響

カルヴァン主義は各地で発展を遂げ、多様な分派が生まれた。スコットランドの長老派、オランダ改革派、アメリカのピューリタンは、それぞれ異なる社会制度を形成しながらも、「の主権」と「聖書主義」の理念を共有していた。やがて、これらの分派はさらに細分化し、現代のプロテスタント教会へと受け継がれていく。今日では、長老派教会や改革派教会は世界各に広がり、社会問題や政治運動にも影響を与えている。カルヴァン主義の思想は、単なる宗教を超え、人々の生き方そのものを形作ってきたのである。

第9章 カルヴァン主義と近代世界——19世紀・20世紀の展開

新カルヴァン主義の誕生——アブラハム・カイパーの挑戦

19世紀末、オランダ神学アブラハム・カイパーは「新カルヴァン主義」を提唱した。彼は信仰が個人の生活だけでなく、社会全体を形作るべきだと考え、宗教政治の関係を再定義した。カイパーはオランダの首相として教育の自由を推進し、キリスト教価値観に基づく社会制度を確立した。彼の思想はカルヴァン主義を静的な教義から動的な社会運動へと変え、現代のキリスト教民主主義の基盤を築いた。信仰と社会の関わりを再構築するこの試みは、カルヴァン主義の新たな方向性を示すものとなった。

社会改革と福音——カルヴァン主義と社会福音運動

19世紀末から20世紀初頭、アメリカでは「社会福運動」が興隆した。ウォルター・ラウシェンブッシュを代表とするこの運動は、信仰を社会正義と結びつけ、貧困や労働問題の改を目指した。カルヴァン主義者たちもこれに影響を受け、労働者の権利や福祉政策の推進に関与した。特に、アメリカの長老派教会は教育医療の発展に貢献し、社会の道的改革を促した。カルヴァン主義の倫理観が、資本主義の発展だけでなく、社会的公正の実現にも関与するようになったのである。

戦争と信仰——20世紀のカルヴァン主義者たち

20世紀、二度の世界大戦はキリスト教界に大きな衝撃を与えた。スイス神学者カール・バルトは、ナチズムに対抗し、「バルメン宣言」を発表して国家による信仰の支配を批判した。バルトの神学は、カルヴァン主義の伝統を継承しながらも、現代社会の問題に対応するものだった。彼の影響はヨーロッパだけでなく、アメリカの公民権運動にも及び、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアらの活動に思想的な刺激を与えた。カルヴァン主義は、政治信仰の狭間で新たな役割を果たし始めた。

変わる世界の中で——カルヴァン主義の適応と未来

20世紀後半、カルヴァン主義はグローバル化の波に直面した。特に韓国アフリカでは、改革派教会が急成長し、地域社会に影響を与えている。一方で、西欧では世俗化が進み、信仰のあり方が問い直されるようになった。カルヴァン主義は、厳格な教義を守りつつも、新しい時代に適応する必要に迫られている。政治、経済、文化のあらゆる分野に影響を与えたこの思想は、21世紀にどのような形で存続するのか。カルヴァン主義の未来は、今まさに問われている。

第10章 21世紀のカルヴァン主義——現代への影響と未来展望

グローバル化するカルヴァン主義——新たな信仰の広がり

21世紀、カルヴァン主義は欧だけでなく、アフリカアジア、南へと広がっている。特に韓国では改革派教会が急成長し、巨大な信仰共同体を築いた。アフリカでもナイジェリアや南アフリカを中に改革派教会が活発に活動し、教育社会福祉に貢献している。この広がりは、カルヴァン主義が単なる神学体系ではなく、文化や社会に適応できる思想であることを示している。今や、カルヴァン主義は一つの地域に限定されるものではなく、グローバルな影響力を持つ信仰へと進化している。

信仰の再構築——リベラル神学と保守神学の対立

カルヴァン主義の現代的解釈をめぐり、リベラル派と保守派の対立が深まっている。リベラル神学は、社会的正義や環境問題、ジェンダー平等といった現代的課題に対応しようとする一方、保守派は伝統的な教義を堅持しようとする。特にアメリカでは、長老派教会の一部が同性婚や女性の聖職者任命を支持する一方、別の派閥はそれに強く反対するなど、信仰のあり方が多様化している。この対立は、カルヴァン主義が歴史を通じて柔軟に変化してきたことを示すが、同時にその未来を不透にしている。

デジタル時代の信仰——インターネットと宗教の融合

インターネットの普及により、カルヴァン主義の伝播手段も変化している。オンライン礼拝、SNSでの神学討論、ポッドキャストを活用した聖書解説など、新たな形の宗教実践が登場している。YouTubeでは改革派神学を解説する動画が人気を集め、若い世代がデジタルを通じて信仰を深めている。かつて活版印刷宗教改革を後押ししたように、デジタル技術もまた新たな宗教改革を促す可能性がある。カルヴァン主義は伝統を守りながらも、新しい時代に適応しようとしている。

未来への展望——カルヴァン主義はどこへ向かうのか

21世紀のカルヴァン主義は、多様な形で世界に根付いている。政治や社会運動に関与する教会もあれば、純粋な信仰を守ろうとするグループも存在する。グローバル化デジタル化、社会変革の波の中で、カルヴァン主義はどのように進化していくのか。の主権と自由のバランスをどう取るのか。これらの問いに対する答えは、次の世代の信徒たちが示すことになる。カルヴァン主義は過去500年間、世界を形作ってきた。そしてこれからも、新しい時代の中でその影響を持ち続けるであろう。