基礎知識
- セガの起源と業態変遷
セガは1940年にアメリカ人実業家によって創業され、ジュークボックスやアーケードゲーム機の製造から始まり、家庭用ゲーム機市場へ進出した。 - アーケードゲームの黄金時代とセガの役割
1970年代から1990年代にかけて、セガは『スペースハリアー』『アウトラン』『バーチャファイター』などの革新的なアーケードゲームを開発し、市場を牽引した。 - 家庭用ゲーム機市場での競争とセガの挑戦
1980年代後半から1990年代にかけて、セガは「メガドライブ(Genesis)」や「セガサターン」、「ドリームキャスト」を展開し、任天堂やソニーと熾烈な競争を繰り広げた。 - ドリームキャストの失敗とセガのハード撤退
1999年に発売されたドリームキャストは技術的に先進的であったが、経営判断のミスや市場競争の激化により販売不振に陥り、セガは家庭用ゲーム機市場から撤退した。 - セガのソフトメーカー転換と現在の展開
ハード事業撤退後、セガはソフトメーカーとして『龍が如く』『ソニック』『ぷよぷよ』などの人気シリーズを展開し、世界市場での存在感を維持している。
第1章 セガ誕生──アメリカ発祥の企業が日本に根付くまで
戦後の日本にやってきた異国のゲーム
1940年代、世界は激動の時代を迎えていた。第二次世界大戦が終わると、敗戦国である日本にはアメリカ文化が急速に流入した。その中には音楽や映画、食文化だけでなく、娯楽産業も含まれていた。そんな中、アメリカ人実業家マーティン・ブロムリーは、日本市場に大きな可能性を見出した。彼が注目したのはジュークボックスやコイン式ピンボールマシンだった。1951年、ブロムリーはレイモンド・リビィらとともに「サービス・ゲームズ」という会社を日本で設立し、アメリカ製の娯楽機器を日本に持ち込んだ。これが後のセガの前身であり、日本のゲーム産業の第一歩となった。
セガの名を背負った会社の誕生
1960年、サービス・ゲームズの経営は大きく変化を迎える。ブロムリーは経営をより強固なものにするため、新たな会社「日本娯楽物産」を設立した。やがてこの会社は、「サービス・ゲームズ」の略称である「セガ(SEGA)」を正式な社名に採用することになる。セガは当初、米軍基地向けにジュークボックスやピンボールを販売していたが、日本国内の娯楽市場にも進出し始めた。特に1965年に発売した「ペリスコープ」は大ヒットし、日本各地のゲームセンターに導入された。これにより、セガはゲーム業界における地位を確立し始めた。
技術革新とアーケードの時代の幕開け
1960年代後半、セガは単なる輸入業者から、オリジナルのアーケードゲームを開発する企業へと進化を遂げた。当時、アメリカではATARIが誕生し、『ポン』のようなテレビゲームが登場し始めていたが、セガは一味違うアプローチを取った。彼らは機械仕掛けのエレクトロニックゲームに力を入れ、独自の体験を提供しようとしたのである。その代表例が『ミサイル』や『サブマリン』といったアナログ式のゲームで、視覚的なインパクトと臨場感が話題を呼んだ。こうしてセガは、次世代のゲーム産業を切り拓く礎を築いていった。
日本市場への適応と独自の成長戦略
セガは1970年代に入り、さらに成長を遂げる。アメリカから輸入したゲーム機に頼るのではなく、日本国内で独自の開発体制を整え始めたのだ。特に、大規模なアミューズメント施設の運営にも乗り出し、自社製品を最大限に活用するビジネスモデルを築いた。1973年には、日本の高度経済成長の波に乗り、東京証券取引所に上場を果たした。この頃には、単なる輸入業者だったセガが、日本を代表するゲームメーカーの一角を担う存在となっていた。こうして、セガは日本に根付き、後に世界を席巻する企業へと進化していくのである。
第2章 アーケード革命──セガが築いた黄金時代
電子ゲームの夜明けとセガの挑戦
1970年代、世界は電子ゲームの可能性に目覚め始めていた。アメリカではアタリが『ポン』で成功を収め、日本でもタイトーの『スペースインベーダー』が社会現象を巻き起こしていた。そんな中、セガは独自の路線を進もうとしていた。彼らは単なるシューティングゲームではなく、視覚的にインパクトのある作品を生み出そうと試みた。そして登場したのが『ヘッドオン』である。これは画面上のコースを走る車を操作し、ドットを回収するゲームで、後の『パックマン』の基礎ともなった。セガはすでに、ゲーム業界の未来を見据えていたのである。
スピードと臨場感の革新──『スペースハリアー』と『アウトラン』
1980年代に入ると、アーケードゲームはさらなる進化を遂げる。セガはこの時代において、スピード感と臨場感にこだわった作品を次々と世に送り出した。特に1985年の『スペースハリアー』は、3D表現とド派手なアクションで話題を呼んだ。このゲームは当時としては画期的な疑似3D技術を採用し、プレイヤーが画面奥へと飛び込む感覚を味わえるようになっていた。さらに1986年には『アウトラン』が登場する。プレイヤーは赤いフェラーリを操り、ヨーロッパの美しい風景の中を疾走する。これらのゲームは、アーケードに新たな体験をもたらした。
世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』
1993年、セガは再びゲームの歴史を塗り替える。世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』が登場したのだ。当時の格闘ゲームといえば、2Dが主流であり、『ストリートファイターII』のようにドット絵のキャラクターが戦う形式が一般的であった。しかし、『バーチャファイター』はポリゴン技術を駆使し、キャラクターを3Dで描写することで、現実に近い動きを実現した。この新たな表現は大きな反響を呼び、後の3D格闘ゲームのスタンダードを築くことになる。セガは技術革新の最前線に立ち続けていたのである。
セガのアーケード文化が築いたもの
セガは単なるゲームメーカーではなく、アーケード文化そのものを作り上げた企業でもあった。ゲームセンターが若者の社交場となり、プレイヤーたちはセガのゲームを通じて熱狂した。特に日本では、セガが運営する「クラブセガ」などの大型アミューズメント施設が、都市部を中心に次々と展開されていった。この環境が、ゲーム業界の発展を後押しし、セガのブランド力を確固たるものにしたのである。こうしてセガは、アーケードゲームの黄金時代を支え、ゲーム文化そのものを形作る存在となっていった。
第3章 家庭用ゲーム機戦争──メガドライブとスーパーファミコンの戦い
セガの家庭用ゲーム機市場への挑戦
1980年代、家庭用ゲーム市場は任天堂が支配していた。『スーパーマリオブラザーズ』を擁するファミリーコンピュータ(ファミコン)は、世界中で爆発的な人気を誇り、他のメーカーを寄せつけなかった。しかし、セガはこの市場に新たな風を吹き込もうと決意する。1988年、日本で「メガドライブ」(北米ではGenesis)を発売。16ビットの高性能CPUを搭載し、アーケード並みのグラフィックを家庭で楽しめることを売りにした。特に『スペースハリアーII』や『ゴールデンアックス』といったアーケード移植作は、その性能を証明するタイトルとなった。
北米市場での大勝負──ソニックの誕生
日本市場ではファミコンの牙城を崩せなかったメガドライブだったが、北米では戦略を変えた。セガ・オブ・アメリカのCEO、トム・カリンスキーは、攻撃的なマーケティング戦略を展開した。「Genesis Does What Nintendon’t(メガドライブは任天堂にできないことをする)」というキャッチコピーを掲げ、任天堂と真っ向から対決。さらに、1991年にはマスコットキャラクター『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を生み出した。青いハリネズミが超高速で駆け抜けるゲーム性は、それまでのアクションゲームとは一線を画し、メガドライブの売上を急上昇させる原動力となった。
スーパーファミコン登場と激化する戦争
1990年、任天堂は16ビット機「スーパーファミコン」を発売。『スーパーマリオワールド』『F-ZERO』といった洗練されたソフトを揃え、強大なブランド力を発揮した。セガは対抗策として、1992年に『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』を投入。2Pプレイ可能な「テイルス」の追加や、さらにスピード感を増したゲームデザインが話題を呼び、記録的なヒットを飛ばした。また、スポーツゲームや格闘ゲームなど、当時流行のジャンルを強化し、コアゲーマー層を獲得。市場シェアは互角となり、ゲーム業界はまさに戦国時代に突入していった。
熱狂の果てに訪れた転換点
1994年頃まで、セガと任天堂は北米市場で激しいシェア争いを繰り広げた。しかし、やがて家庭用ゲーム市場に新たな競争相手が登場する。ソニーが次世代機「プレイステーション」を発表し、3Dグラフィック時代の到来を告げたのだ。この新たな波に対抗するため、セガは次なる戦略を模索し始める。メガドライブ時代の成功は、セガにとって家庭用ゲーム市場における最高の瞬間であったが、それと同時に、新たな時代の転換点でもあったのである。
第4章 セガサターンの野望──次世代機競争とプレイステーションの台頭
次世代機戦争の幕開け
1994年、ゲーム業界は激変の時代を迎えていた。セガは「メガドライブ」で家庭用ゲーム市場において一定の成功を収めたが、次の一手が求められていた。そこで開発されたのが「セガサターン」である。サターンは2D描写に強く、当時のアーケードゲームの移植に適した設計がなされていた。発売に向け、セガは『バーチャファイター』をローンチタイトルとして用意し、業界初の3D格闘ゲームを家庭で楽しめる点を強調した。しかし、その一方で、新たな強敵が現れようとしていた。
ソニーの衝撃──プレイステーションの登場
セガがサターンの開発を進めている最中、家電メーカーのソニーが「プレイステーション」を発表した。当初、ソニーは任天堂と提携しCD-ROMを活用したゲーム機を開発する予定であったが、契約問題がこじれ独自のゲーム機を作る道を選んだ。プレイステーションは3Dグラフィック性能に優れ、開発環境も整っていた。その結果、スクウェアの『ファイナルファンタジーVII』をはじめ、多くのサードパーティ企業がプレイステーションに参入。セガにとって、これは大きな打撃となる出来事であった。
サターンの強みと苦戦
セガサターンは日本国内で好調なスタートを切り、『バーチャファイター2』や『セガラリー・チャンピオンシップ』といったタイトルが人気を博した。しかし、海外市場ではプレイステーションの勢いに圧倒され、シェアを奪われていった。セガサターンは複雑なハードウェア構造が開発者にとって扱いにくく、特に3Dゲームの制作が難しかった。そのため、多くのソフトメーカーがより開発しやすいプレイステーションへと流れ、セガは不利な立場に立たされていくことになる。
勝負の行方と次世代への布石
1996年、セガはソフトラインナップを強化するため、『ナイツ』『サクラ大戦』『パンツァードラグーン』など独自色の強いタイトルを次々と発表した。しかし、すでに市場の流れはプレイステーションへと傾いていた。1997年には任天堂も「NINTENDO 64」を投入し、家庭用ゲーム市場はさらに熾烈な争いとなる。セガは新たな戦略を模索し、次世代機の開発を進めることを決断する。そして、それは後に「ドリームキャスト」という形で世に送り出されることになるのである。
第5章 ドリームキャストとセガの苦闘──ハード事業の終焉
新たな希望──ドリームキャストの誕生
1998年、セガは家庭用ゲーム市場での再起をかけ、新たなハード「ドリームキャスト」を発売した。これは世界初のインターネット機能を標準搭載した家庭用ゲーム機であり、先進的なオンラインサービス「セガネット」を提供した。さらに、グラフィック性能も飛躍的に向上し、アーケードクオリティのゲームを家庭で楽しめることが最大の魅力であった。ローンチタイトルとして登場した『バーチャファイター3tb』や『ソニックアドベンチャー』は、その革新性を強く印象付けた。しかし、セガの戦いはこれで終わりではなかった。
ソニーとの熾烈な戦い
ドリームキャストの発売当初、セガは順調な滑り出しを見せた。北米市場では発売初日で約22万台を販売し、ゲーム機としては当時の最速記録を樹立。しかし、最大のライバルであるソニーは、すでに「プレイステーション2」の発表を準備していた。PS2はDVD再生機能を備え、強力なスペックを武器に登場。さらに、初代プレイステーションの圧倒的なブランド力により、多くのソフトメーカーがPS2へと流れた。セガは『シェンムー』や『ジェットセットラジオ』など意欲作を投入したが、市場の流れを変えるには至らなかった。
経営の苦境とセガの決断
セガはドリームキャストの成功に全力を注いでいたが、経営は深刻な状況にあった。セガサターン時代の負債が重くのしかかり、ドリームキャストの開発費も膨大だった。さらに、PS2が発売されると市場は一気に傾き、セガは販売台数を伸ばせずにいた。2001年1月31日、セガはついに家庭用ゲーム機事業からの撤退を発表。これは業界にとって衝撃的なニュースであり、セガがハードウェアメーカーとしての歴史に幕を下ろすことを意味していた。
未来への転換──ソフトメーカーとしての再出発
ハード事業から撤退したセガは、新たな道を模索し始めた。2001年以降、セガはソフトメーカーとして『ソニック』『ぷよぷよ』『龍が如く』などの人気シリーズを展開し、他社のハード向けにゲームを供給する道を選んだ。また、アーケード市場では引き続き強い影響力を持ち、リズムゲーム『maimai』などの新ジャンルにも挑戦した。家庭用ゲーム機戦争からは退いたものの、セガの挑戦は終わることなく、新たな形でゲーム業界にその足跡を残し続けている。
第6章 ソフトメーカーとしての再生──セガの新たな挑戦
ハード撤退後の試練と決断
2001年、セガは家庭用ゲーム機市場からの撤退を決断した。これは、かつて業界を牽引した企業にとって大きな転換点であった。しかし、セガは単なる敗者ではなかった。むしろ、ゲーム開発力という最大の武器を活かし、新たな道を切り開こうとしていた。まず取り組んだのは、マルチプラットフォーム展開である。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』シリーズはプレイステーション2やゲームキューブ、Xboxなど、かつてのライバル機に登場。これは、セガが「ソフトメーカー」として再出発する象徴的な出来事であった。
新たなヒット作の誕生──『龍が如く』の衝撃
セガは過去の遺産に頼るだけではなく、新たなフランチャイズの創出にも力を入れた。その代表作が2005年に発売された『龍が如く』である。本作は、ヤクザ社会をリアルに描いたアクションアドベンチャーで、硬派なストーリーとダイナミックな喧嘩アクションが話題を呼んだ。特に、主人公・桐生一馬のカリスマ性や、歌舞伎町をモデルにした街並みの再現度が評価された。このシリーズは後に世界的な人気を博し、セガの看板タイトルの一つとなる。ソフトメーカーとしてのセガの再生は、確実に進んでいた。
アーケード市場での継続的な挑戦
家庭用ゲーム機市場から撤退した後も、セガはアーケード分野での強みを活かし続けた。2000年代に入ると、音楽ゲームの市場が拡大し、セガは『maimai』や『チュウニズム』といった新しいリズムゲームを次々と投入した。また、『ボーダーブレイク』のようなオンライン対戦型アーケードゲームにも力を入れ、専用のネットワークシステムを導入。これにより、全国のプレイヤーとリアルタイムで対戦できる環境を整えた。アーケード事業は、セガにとって依然として重要な収益源であり続けた。
セガのブランドは世界へ
ハードメーカーからソフトメーカーへと変貌を遂げたセガは、グローバル市場にも積極的に展開を進めた。『ソニック』シリーズは欧米で安定した人気を誇り、『龍が如く』も海外市場で徐々に評価を高めた。さらに、『ぷよぷよ』や『ペルソナ』といった日本発のタイトルも、世界的なファンを獲得。セガは、かつての競争相手だった任天堂やソニーとも協力関係を築き、あらゆるゲーム機向けにソフトを提供する企業へと成長した。こうして、セガは新たな時代に適応しながら、ゲーム業界の最前線を走り続けているのである。
第7章 買収と経営戦略──セガの変遷と拡大
セガとサミーの合併──運命の転換点
2004年、ゲーム業界に大きな変革が起こった。パチスロメーカー大手のサミーが、経営危機に陥っていたセガと合併し、「セガサミーホールディングス」として新たなスタートを切ったのである。サミーの創業者・里見治は、セガの持つゲームブランドとアミューズメント事業の可能性に大きな魅力を感じていた。合併により、セガは資金面での安定を得ることができ、ゲーム開発に専念できる環境が整った。一方で、パチンコ・パチスロ事業とのシナジーをどう生かすかが、今後の課題となった。
アミューズメント事業の強化と拡大
合併後、セガはアミューズメント施設の運営を強化する方針を打ち出した。全国の「クラブセガ」や「セガワールド」は、最新のアーケードゲームを体験できる場として進化を遂げた。また、『UFOキャッチャー』や『maimai』といったヒット作が登場し、カジュアル層の来店を促進。さらに、海外市場でもアミューズメント施設を展開し、特にアジア市場での事業拡大を推進した。家庭用ゲームとは異なる収益源を確保し、セガのブランドは再び活気を取り戻しつつあった。
IP戦略と人気シリーズの復活
セガはソフトメーカーとしての強みを活かし、既存の人気IP(知的財産)を再活用する戦略を採った。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』シリーズは3Dアクションとして進化し、『龍が如く』シリーズは新作が定期的にリリースされるようになった。また、往年の名作『ぷよぷよ』や『戦場のヴァルキュリア』なども再び脚光を浴びた。セガは単なるゲームメーカーではなく、IPを中心としたエンターテインメント企業へと変貌を遂げ、メディアミックス展開にも力を入れるようになった。
セガの未来に向けた経営戦略
セガサミーの経営戦略は、ゲーム、アミューズメント、パチンコ・パチスロ、リゾート事業など、多岐にわたる分野での成長を目指すものであった。特に近年では、eスポーツやクラウドゲーム、モバイルゲーム市場への参入を加速させ、デジタル時代に対応する戦略を打ち出している。また、大型IPの映画化や海外市場での展開も進め、『ソニック・ザ・ムービー』の成功はその象徴的な出来事となった。セガは伝統と革新を両立させながら、今もなお進化を続けているのである。
第8章 セガのグローバル戦略──世界市場での挑戦
北米市場での成功と試練
1989年、セガは北米市場での成功を目指し、「Genesis(メガドライブ)」を発売した。しかし、当時の北米市場は任天堂の独占状態であり、シェアを奪うのは容易ではなかった。そこでセガ・オブ・アメリカは「Genesis Does What Nintendon’t(メガドライブは任天堂にできないことをする)」という挑発的な広告を展開。さらに『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』をマリオの対抗馬として打ち出し、若者層を中心に人気を獲得。結果、1990年代前半には北米市場で任天堂を上回る勢いを見せ、セガは世界的なゲームブランドへと成長を遂げた。
欧州市場での挑戦と戦略
北米だけでなく、セガは欧州市場でも積極的に展開した。特にメガドライブはイギリスやフランス、ドイツで人気を博し、任天堂を上回るシェアを獲得した。欧州ではサッカーが圧倒的に人気のスポーツであり、セガは『FIFA』シリーズなどのスポーツゲームに注力。さらに『ストリート・オブ・レイジ』や『シャイニング・フォース』といった欧州向けのタイトルも展開し、地域ごとのニーズに応じた戦略を打ち出した。この柔軟な対応が功を奏し、セガは欧州での成功を確固たるものにした。
アジア市場と日本以外の展開
アジア市場では、日本以外の国々への展開が重要な課題であった。特に中国市場は潜在的な成長性を秘めていたが、政府の規制が厳しく、ゲーム機の販売が困難だった。しかし、セガはアーケードゲームやPCゲームを通じて中国市場に参入し、『三国志大戦』や『シャイニング・フォース』シリーズが一定の人気を得た。また、韓国ではメガドライブが「サムスン・スーパーアルコン」という名称で販売され、独自の市場を形成。東南アジアでもアーケード事業を拡大し、現地のゲーマーたちにセガのブランドを浸透させていった。
世界市場を見据えた新たな展開
近年、セガはさらなるグローバル展開を推し進めている。『龍が如く』シリーズは海外市場での認知度を高め、『ソニック・ザ・ムービー』はハリウッド映画として大ヒットを記録。さらに、クラウドゲーミングやモバイル市場への進出も積極的に進め、世界中のプレイヤーにアクセス可能な環境を整えている。過去に北米市場で成功を収めたセガは、今度はデジタルプラットフォームを通じて新たな世界戦略を描いている。こうして、セガはグローバルゲーム企業として進化し続けているのである。
第9章 セガの文化と影響──ゲーム業界への貢献
3D技術の革新とセガの挑戦
1990年代、ゲーム業界は2Dから3Dへと大きく進化した。この変革を牽引したのがセガである。1993年、世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』を開発し、ポリゴン技術をゲームに本格導入。キャラクターの立体的な動きやリアルなアニメーションは、業界に衝撃を与えた。これを契機に、他のメーカーも3D技術を活用し始め、プレイステーションやNINTENDO 64などの次世代機の登場へとつながった。セガの3D技術は、ゲームの表現を新たな次元へと押し上げたのである。
アーケード文化の発展とセガの存在
家庭用ゲームが主流になる以前、アーケードゲームは人々の娯楽の中心であった。セガはその時代を代表する存在であり、『アウトラン』『スペースハリアー』『バーチャロン』など、画期的なゲームを次々と生み出した。特に、体感型のゲーム機を数多く開発し、ゲームセンターをエンターテインメントの場へと変えた。さらに、日本国内に「クラブセガ」などの大型アミューズメント施設を展開し、アーケード文化の発展を支えた。セガが築いたアーケードの世界は、今なお多くのゲーマーに愛され続けている。
音楽ゲームの革命と『初音ミク』の登場
2000年代に入り、音楽ゲームが新たなブームを巻き起こした。セガはこの分野でも革新を続け、2008年に『初音ミク -Project DIVA-』を発表。バーチャルシンガー「初音ミク」とリズムゲームの融合は、国内外で大ヒットを記録した。その後も『maimai』や『チュウニズム』といった新作を展開し、音楽ゲームのジャンルをさらに発展させた。セガはゲームだけでなく、音楽とデジタルコンテンツの可能性を広げ、新しいエンターテインメントの形を生み出したのである。
セガが築いたゲーム文化の未来
セガの影響はゲームの枠を超え、ポップカルチャー全体に広がっている。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は映画化され、全世界で成功を収めた。『龍が如く』はリアルなストーリーと映画的演出で高く評価され、実写ドラマ化も進行中。さらに、eスポーツやVR技術の発展にも積極的に関与し、次世代のゲーム体験を模索している。セガは単なるゲーム会社ではなく、未来のエンターテインメントを創造する企業へと進化し続けているのである。
第10章 未来のセガ──新時代の挑戦と展望
クラウドゲーミングと新たな可能性
ゲーム業界はクラウド技術の進化により、新たな時代を迎えている。セガもこの波に乗り、クラウドゲーミングへの対応を進めている。特に、『龍が如く』や『ソニック』といった人気シリーズのクラウド版を提供し、プレイヤーがデバイスを選ばずに楽しめる環境を整えている。さらに、クラウドを活用した大規模なオンラインゲームの開発にも着手。これにより、従来の家庭用ゲーム機に依存しない、新たなゲーム体験が生まれようとしている。
メタバース時代のゲームのあり方
メタバースが注目される中、セガも仮想空間でのエンターテインメントに可能性を見出している。かつて『PSO2(ファンタシースターオンライン2)』で培ったオンラインRPGの技術を活かし、没入型のバーチャルワールドを構築する計画が進行中である。また、『初音ミク』や『ぷよぷよ』といったIPを活用し、ユーザーが自由に交流できるデジタル空間の開発も視野に入れている。セガはゲームの枠を超え、新時代の仮想空間を創造しようとしている。
IP戦略の進化と新規タイトルへの挑戦
セガは過去の名作を蘇らせる一方で、新規タイトルの開発にも積極的である。『ソニック』や『龍が如く』といった確立されたブランドに加え、新たなジャンルのゲームにも挑戦。特にインディーゲームとのコラボレーションや、新進気鋭のクリエイターとの共同開発を推進している。また、海外市場向けのタイトル開発を強化し、グローバル展開を加速。セガは既存の枠組みにとらわれず、新たなヒット作を生み出すべく挑戦を続けている。
ゲーム業界の未来を切り拓く
セガは家庭用ゲーム機メーカーとしての歴史を経て、現在はソフトウェア開発を軸に進化し続けている。クラウドゲーミング、メタバース、AI技術の発展など、ゲーム業界は日々変化しているが、セガはその最前線に立ち続ける企業の一つである。伝統を守りつつも、新技術を積極的に取り入れる姿勢が、セガのDNAとして脈々と受け継がれている。未来のセガは、どのようなゲーム体験を生み出していくのか──その挑戦に、世界中のゲーマーが注目している。