基礎知識
- シリアルキラーの定義と特徴
シリアルキラーとは、少なくとも3人以上を一定期間にわたって殺害する犯罪者であり、動機には快楽、支配欲、精神疾患などが含まれることが多い。 - 歴史的背景と進化
シリアルキラーは近代だけでなく、古代や中世にも存在し、時代ごとの社会構造や司法の変化によってその形態が異なっていた。 - 心理学的・社会学的要因
シリアルキラーの行動は幼少期のトラウマ、反社会性パーソナリティ障害、脳の異常などの心理学的要因と、家庭環境や社会的影響などの社会学的要因が複雑に絡み合っている。 - 著名な事例と犯罪の手口
ジャック・ザ・リッパー、テッド・バンディ、ゾディアックなどのシリアルキラーは、それぞれ異なる手口や象徴的な要素を持ち、犯罪史に大きな影響を与えた。 - 現代の捜査手法と防止策
プロファイリング、DNA鑑定、犯罪心理学などの科学的手法の発展により、シリアルキラーの特定と逮捕は飛躍的に向上し、犯罪の抑止にもつながっている。
第1章 シリアルキラーとは何か?
殺人者の中の異端者
シリアルキラーとは何かと問われたとき、多くの人が「大量殺人犯」と混同する。だが、これは誤りである。大量殺人犯は一度に複数人を殺害するのに対し、シリアルキラーは長期間にわたり繰り返し殺人を犯す。例えば、アメリカ史上最悪の大量殺人犯の一人、スティーブン・パドックは一度の銃乱射事件で58人を殺害したが、彼はシリアルキラーではない。一方、テッド・バンディやジェフリー・ダーマーは何年もかけて殺人を繰り返した。つまり、シリアルキラーとは、時間をかけて獲物を狩る“狩人”のような存在なのだ。
シリアルキラーの心理と異常性
シリアルキラーの心理は謎に満ちている。一般の殺人犯は怒りや衝動で犯行を犯すことが多いが、シリアルキラーはそうではない。彼らは計画的であり、殺害そのものに快楽を見出す。ジョン・ウェイン・ゲイシーは道化師の姿で子どもたちを楽しませる一方で、33人の若者を殺害した。彼の犯行動機は支配欲であり、犠牲者が恐怖に震える姿を楽しんでいたのだ。このように、シリアルキラーはしばしば反社会性パーソナリティ障害を持ち、罪悪感を抱かない。彼らにとって殺人は手段ではなく目的なのだ。
記憶に刻まれる犯罪者たち
シリアルキラーの存在は人々を恐怖させると同時に、異常なほどの関心を集める。1888年、ロンドンのホワイトチャペルで起きた一連の残虐な殺人事件は、犯人の名を歴史に刻んだ。ジャック・ザ・リッパーはその正体を最後まで明かさず、切り裂かれた被害者の死体だけを残した。彼の殺人は単なる犯罪ではなく、まるで儀式のようであった。このミステリアスな側面が、シリアルキラーを歴史に名を刻む存在にしている。彼らは単なる犯罪者ではなく、社会の暗部を映し出す“鏡”なのかもしれない。
何が彼らを生み出すのか
シリアルキラーは突然生まれるわけではない。幼少期の虐待、家庭環境、遺伝的要因、脳の異常などが複雑に絡み合って形成される。エド・ゲインは支配的な母親のもとで育ち、彼女の死後、墓を荒らし、遺体で“人間の皮のマスク”を作り始めた。社会からの孤立も要因の一つである。犯罪心理学者のジョン・ダグラスは、多くのシリアルキラーが人間関係の構築に失敗し、殺人を通じて自己の存在を確立しようとする傾向があると指摘している。つまり、シリアルキラーは社会の産物でもあるのだ。
第2章 古代・中世のシリアルキラー
皇帝ネロ—狂気に支配された暴君
ローマ帝国の第5代皇帝ネロは、単なる独裁者ではなかった。彼は権力と狂気が融合した最悪の形で歴史に名を刻んだ。64年、大火に包まれるローマの街を見ながら竪琴を弾き、詩を詠んだと伝えられる彼は、多くの市民を迫害し、拷問し、殺害した。彼の犠牲となったのは政治的な敵対者だけではない。娯楽の一環として奴隷や市民を処刑し、時には火刑や獣の餌にした。彼の残虐性は、単なる独裁者の暴政を超え、支配の快楽を求めるシリアルキラーの心理に近かったのではないかと考えられている。
ジル・ド・レ—ジャンヌ・ダルクの英雄から怪物へ
15世紀フランスの貴族ジル・ド・レは、かつてジャンヌ・ダルクとともに戦い、英雄と称された。しかし、戦場から離れた彼は異常な殺人鬼へと変貌した。彼は自らの城で何百人もの子供たちを誘拐し、拷問し、殺害したとされる。少年たちを誘惑し、命を奪うことに快楽を見出していたのだ。1440年、彼の悪行が暴かれ、逮捕・処刑されたが、その犯行は残虐極まりないものであった。彼は歴史上最も早い時期に確認されたシリアルキラーの一人とされ、単なる戦争の英雄がどのようにして怪物へと変貌するのかを物語る象徴的な例である。
魔女狩りと「見えざる殺人者」
中世ヨーロッパでは、魔女狩りの嵐が吹き荒れた。異端者や神を冒涜する者が迫害されたが、その裏には本物の殺人鬼が潜んでいた可能性がある。多くの魔女裁判では、村で頻発する子供や女性の失踪事件が「魔女の呪い」として処理された。しかし、近年の研究では、これは実際にはシリアルキラーによる犯行だったのではないかと指摘されている。特にドイツやフランスでは、薬草医や未亡人が無実の罪で処刑される一方、真の殺人鬼が巧妙に紛れ込んでいた可能性が高い。恐怖と無知が、彼らの犯罪を覆い隠していたのだ。
歴史の闇に消えた殺人者たち
シリアルキラーは近代に限った現象ではない。文献に記録されていないだけで、古代や中世にも多くの異常殺人者が存在したと考えられている。たとえば14世紀の「バルセロナの吸血鬼」は、若い女性の血を求めて数十人を殺害したと言われるが、記録は断片的にしか残っていない。また、オスマン帝国では、権力争いの名の下に兄弟や親族を次々と処刑する「君主の殺戮」が横行していた。これらの殺人者たちは、時に歴史の表舞台から消え、真相は謎に包まれたままとなっている。
第3章 近代におけるシリアルキラーの出現
闇に消えた「切り裂き魔」
1888年、ロンドンの霧深いホワイトチャペル地区で、女性の遺体が次々と発見された。殺害されたのは主に売春婦で、遺体は凄惨に切り裂かれていた。犯人は「ジャック・ザ・リッパー」と呼ばれ、警察を嘲笑うかのように新聞社に犯行声明を送りつけた。この事件は、近代的なシリアルキラー像を確立したといえる。警察は当時の最新技術を駆使したが、犯人はついに特定されなかった。謎めいた手紙や巧妙な逃亡劇が世間を騒がせ、彼は歴史上最も有名な未解決事件の一つとなった。
ホームズの「殺人ホテル」
19世紀末のシカゴ万博に訪れた人々の中には、二度と戻らなかった者たちがいた。H・H・ホームズは自ら設計した「殺人ホテル」で、数十人もの宿泊客を罠にかけた。館内には密室、落とし穴、ガス室が仕掛けられ、犠牲者は逃げ場を失った。彼は医師としての知識を悪用し、遺体を解剖し売却したともいわれる。犯罪史上最も巧妙なシリアルキラーの一人であり、殺人をビジネスとして成立させた恐るべき存在であった。彼の裁判では、その冷徹さが露わになり、1896年に絞首刑となった。
都市化と犯罪の進化
19世紀から20世紀初頭にかけて、急速な都市化が進んだ。人口が密集し、匿名性が高まる中で、犯罪者にとっては理想的な環境が生まれた。シリアルキラーは単独で行動し、警察の捜査をかいくぐる術を学んでいった。新聞の発展は、犯罪者たちを「怪物」として世間に広め、恐怖と同時に異常な興味を引き起こした。ロンドン、シカゴ、パリなどの大都市では連続殺人が報道され、殺人鬼が「時代の象徴」となっていった。シリアルキラーはもはや個人の犯罪ではなく、社会現象となりつつあった。
近代警察の誕生と捜査の変革
ジャック・ザ・リッパーの事件が警察の無力さを露呈した一方で、それは近代的な犯罪捜査の進化を促した。指紋認証、犯罪現場の記録、法医学の発展が進み、シリアルキラーの特定が容易になった。1900年代初頭には、フランスのアルフォンス・ベルティヨンが人間の身体測定による個人識別法を確立し、犯罪者のデータ管理が始まった。また、プロファイリングの原型も生まれ、犯罪者の心理分析が進められた。近代社会がシリアルキラーに適した環境を生んだ一方で、その取り締まりの技術も進歩していたのである。
第4章 20世紀の悪名高いシリアルキラー
テッド・バンディ—カリスマ的殺人鬼
1970年代、アメリカで「ハンサムな法学生」として評判だったテッド・バンディは、史上最も悪名高いシリアルキラーの一人となった。彼は人当たりの良さと知性を武器に、若い女性たちを巧妙に誘い出し、恐ろしい運命へと導いた。時には腕を骨折したふりをして助けを求め、親切心を持った女性たちを自分の車に誘い込んだ。彼は30人以上を殺害し、脱獄も成功させたが、最終的に電気椅子によって処刑された。彼の存在は、シリアルキラーが必ずしも「怪物のような外見」を持っていないことを世に知らしめた。
ジェフリー・ダーマー—静かなる人食い鬼
ジェフリー・ダーマーは、一見すると無害な青年だった。しかし、彼のアパートには人間の頭蓋骨やバラバラにされた遺体が隠されていた。1978年から1991年にかけて、彼は主に若い男性を標的とし、殺害した後に遺体を切断し、時には食すという残虐な行為に及んだ。彼の犯罪は単なる殺人ではなく、支配欲と異常な執着心が絡み合っていた。警察に捕まった際、冷静に自らの犯行を語る姿は人々を震え上がらせた。獄中で囚人によって殺害された彼の人生は、犯罪心理学の研究対象となり続けている。
ゾディアック・キラー—暗号に隠された正体
1960年代後半、カリフォルニア州で連続殺人が発生し、犯人は自ら「ゾディアック」と名乗った。彼は新聞社に暗号付きの手紙を送り、警察を嘲笑った。その暗号の一部は解読されたが、彼の正体は未だに謎のままである。彼はカップルを標的にし、時にはナイフで、時には銃で殺害し、犯行後に奇妙な記号を残していった。世間は恐怖に包まれ、メディアは連日彼の事件を報じた。未解決のまま時が過ぎる中、彼の正体を探る試みは今も続いており、伝説として語り継がれている。
20世紀の影—社会への衝撃
20世紀のシリアルキラーたちは、社会に深刻な影響を与えた。彼らの犯罪は新聞やテレビで連日報道され、犯罪心理学やプロファイリングの進化を促した。特にFBIはシリアルキラーの行動パターンを研究し、「犯罪者プロファイル」という概念を確立した。さらに、映画や小説は彼らの実像をもとにフィクションを生み出し、シリアルキラーが文化的な象徴にもなった。だが、その裏では新たな殺人鬼が生まれていた。彼らは社会の闇に潜み、次なる犠牲者を待ち続けていたのである。
第5章 シリアルキラーの心理と社会的要因
幼少期の影—歪んだ心の形成
シリアルキラーは生まれながらの殺人鬼ではない。多くの場合、彼らの心理は幼少期の環境によって形成される。例えば、エド・ケンパーは母親から虐待され、「女性は支配されるべきだ」と植え付けられた。ジョン・ウェイン・ゲイシーも父親の暴力と嘲笑の中で育ち、二重人格的な性格を持つようになった。愛情を知らずに育った子供は、やがて共感能力を失い、他者の苦しみを理解できなくなる。彼らにとって「人間」は、感情を持った存在ではなく、自らの欲望を満たすための「対象」に過ぎなくなっていく。
脳の異常—悪の神経学的メカニズム
科学の進歩により、シリアルキラーの脳には特徴的な異常があることが判明している。MRI研究によると、彼らの前頭前野と扁桃体の活動に異常が見られる。前頭前野は衝動を抑制し、倫理的判断を下す領域であるが、これが正常に機能しないと、衝動的な行動が抑えられない。また、扁桃体の働きが鈍い場合、恐怖や共感の感情が欠如し、残虐な行為に対する罪悪感が生まれにくくなる。つまり、シリアルキラーの中には、生物学的に「他者の苦しみを感じない」者がいる可能性があるのだ。
孤立する怪物—社会が生み出すシリアルキラー
シリアルキラーは個人の異常性だけで生まれるわけではない。社会の中で孤立し、抑圧され、居場所を失った者たちが、やがて復讐の矛先を「社会そのもの」に向けることがある。たとえば、アンドレイ・チカチーロはソ連時代の厳しい環境の中で育ち、飢えと暴力に晒された。彼の犯罪は、ソ連の管理社会が生み出した「怪物」とも言える。また、失業、経済格差、都市化による匿名性などが、シリアルキラーを増やす要因となることもある。社会が「怪物」を生む土壌を提供しているのだ。
彼らは選ばれたのか?—遺伝と運命
殺人衝動は遺伝するのだろうか。近年、遺伝子研究により「MAOA遺伝子」(通称「戦士遺伝子」)が注目されている。この遺伝子の異常が暴力的な行動と関連する可能性が示されている。しかし、遺伝子だけでは犯罪は起こらない。生まれつきの性質と環境の相互作用が、人間の行動を決定するのだ。事実、犯罪者の家系でも、まったく異なる人生を歩む者はいる。では、シリアルキラーは「選ばれた者」なのか。それとも「作られた者」なのか。その答えは、人間の本質そのものを問いかける深遠なテーマである。
第6章 女性のシリアルキラーとその特徴
静かなる殺人者たち
シリアルキラーというと、冷酷な男性のイメージが浮かぶ。しかし、歴史を遡ると、多くの女性のシリアルキラーが存在する。彼女たちは男性のように力や暴力を誇示することは少なく、毒や窒息といった目立たない方法を好む傾向がある。例えば、19世紀の「毒婦」メアリー・アン・コットンは、ヒ素を用いて21人を殺害した。彼女は夫や子供、友人さえも手にかけたが、その動機は財産目当てだった。女性のシリアルキラーは、しばしば「静かに、確実に」殺人を遂行し、長期間にわたって逮捕を免れている。
伝説の吸血鬼伯爵夫人
エリザベート・バートリは「血の伯爵夫人」として知られ、史上最も残虐な女性シリアルキラーの一人とされる。16世紀のハンガリー貴族であった彼女は、美しさを保つために少女たちの血を浴びたという伝説が残る。彼女の城では、何百人もの若い女性が拷問され、命を奪われた。噂が広がり、ついに王の命令で彼女は幽閉された。彼女の行為は狂気によるものだったのか、それとも貴族社会の特権意識の暴走だったのか。いずれにせよ、彼女の物語は今もホラーやゴシック小説の題材として語り継がれている。
現代に蘇る「黒い未亡人」
1980年代、アイルーン・ウォーノスはアメリカで7人の男性を殺害し、「黒い未亡人」として世間を震撼させた。彼女は売春婦として生活していたが、客を射殺するという異例の連続殺人を行った。彼女は「正当防衛だった」と主張したが、裁判では計画的な殺人と判断され、死刑判決を受けた。ウォーノスの生涯は映画『モンスター』で描かれ、女性のシリアルキラーの心理に新たな光を当てた。彼女は虐待や貧困に苦しんだ過去を持ち、社会の底辺で生きる者の怒りと絶望が、殺人へと変わった悲劇的な例であった。
なぜ女性のシリアルキラーは少ないのか?
統計的に、男性のシリアルキラーの数は圧倒的に多い。だが、それは「少ない」のではなく、犯罪の発覚が遅いためかもしれない。女性は毒殺や窒息といった方法を用いるため、死因が不審に思われにくい。さらに、女性の犯罪者は社会的に「危険な存在」と見なされにくく、疑われにくい傾向がある。しかし、歴史を振り返れば、多くの女性シリアルキラーが確かに存在していた。彼女たちの犯罪は、時代や社会によって見過ごされてきたのかもしれない。今後の研究が、その実態を明らかにしていくだろう。
第7章 シリアルキラーとポピュラーカルチャー
映画とシリアルキラーの魅惑的な関係
ハンニバル・レクターの冷酷な知性、ジョーカーの狂気、ノーマン・ベイツの二重人格。映画はシリアルキラーを単なる犯罪者ではなく、カリスマ性を持つ存在として描いてきた。『羊たちの沈黙』では、ハンニバル・レクターが心理学者と犯罪者の境界を曖昧にし、『サイコ』では母親への執着が殺人へと繋がる恐怖を生んだ。現実のシリアルキラーが与えた影響も大きい。テッド・バンディの魅力と狡猾さは、多くの映画キャラクターのモデルとなり、彼らの恐ろしさと同時に人間らしさを際立たせている。
小説に刻まれた殺人鬼たち
文学の世界でも、シリアルキラーは長年にわたって人々を魅了してきた。『アメリカン・サイコ』のパトリック・ベイトマンは、80年代の消費社会を象徴する狂気の殺人者であり、現代社会の虚無を体現している。また、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズには、ジャック・ザ・リッパーをモデルにしたような犯罪者が登場し、19世紀ロンドンの恐怖を描いた。シリアルキラーを題材にした小説は、人間の暗黒面を映し出し、読者に「悪とは何か?」という問いを投げかけ続けている。
メディアが生んだ「怪物」の神話化
シリアルキラーは、単なる犯罪者から「伝説の存在」へと変化してきた。新聞、テレビ、ドキュメンタリーは、彼らをセンセーショナルに取り上げ、時にはカルト的な人気を生んでいる。例えば、ゾディアック・キラーの暗号や挑発的な手紙は、犯人を謎めいた天才のように見せた。また、チャールズ・マンソンのカリスマ性は、一部の信者に崇拝されるまでになった。こうした報道は、シリアルキラーの「神話化」を助長し、彼らを単なる犯罪者ではなく、一種の文化的アイコンへと変貌させた。
現実と虚構の境界線
シリアルキラーがポップカルチャーに影響を与える一方で、ポップカルチャーもまた現実の犯罪に影響を及ぼしている。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を観て模倣殺人を犯した者や、『ジョーカー』の狂気に共感した犯罪者もいる。社会は時に、シリアルキラーを単なるフィクションのキャラクターのように扱うが、その影響は深刻である。犯罪とエンターテインメントの境界が曖昧になることで、殺人鬼が「偶像化」される危険もある。私たちは、現実と虚構の間にある危ういバランスを、常に意識し続けるべきなのかもしれない。
第8章 現代の捜査技術とシリアルキラーの追跡
プロファイリングの誕生—犯罪心理学の革命
かつて警察は、犯罪者の顔や証拠を追うことしかできなかった。しかし、1970年代にFBIが導入した「犯罪プロファイリング」により、シリアルキラーの行動パターンや心理が解読されるようになった。ジョン・E・ダグラスやロバート・R・レッスラーは、連続殺人犯へのインタビューを重ね、彼らの共通点を見出した。その結果、捜査官は犯人像を絞り込むことが可能になり、テッド・バンディの逮捕などに貢献した。プロファイリングは、現代の犯罪捜査において不可欠なツールとなり、今なお進化を続けている。
DNA鑑定—決定的証拠の力
1980年代以前、警察は目撃証言や物的証拠に頼るしかなかった。しかし、1986年、アレック・ジェフリーズによるDNA鑑定の開発が、犯罪捜査を根本から変えた。最初の成功例は、イギリスで発生した二重殺人事件であり、DNA証拠により誤認逮捕が防がれ、真犯人が特定された。以降、多くの未解決事件がDNA鑑定によって解決され、かつて捕まらなかったシリアルキラーも追い詰められた。特に「ゴールデン・ステート・キラー」は、数十年の逃亡の末、DNAデータベースを用いた捜査により2018年に逮捕された。
AIとビッグデータ—未来の犯罪捜査
近年、人工知能(AI)とビッグデータ解析が、シリアルキラーの特定に貢献している。AIは、過去の事件データを分析し、未解決事件の関連性を見つけることができる。例えば、カナダのバンクーバー警察はAIを使い、複数の行方不明者事件を関連付け、ある犯罪者を特定した。さらに、監視カメラやSNSのデータ解析によって、犯罪者の行動パターンを予測する試みも進んでいる。テクノロジーの発展は、シリアルキラーの時代を終わらせる可能性を秘めている。
犯罪を未然に防ぐ試み
現代の捜査技術は、単に犯人を捕まえるだけでなく、犯罪の予防にも役立っている。犯罪データをもとに危険エリアを予測し、警察の巡回を強化する「予測警察」は、すでにロサンゼルスなどで導入されている。また、心理学者や精神科医が、潜在的なシリアルキラーの兆候を早期に発見し、介入する試みも始まっている。しかし、犯罪の防止は技術だけでは不十分であり、社会全体の意識改革も不可欠である。今後の課題は、捜査の進化と倫理のバランスをどのように取るかにある。
第9章 シリアルキラーの社会的影響と防止策
恐怖が生むパニックとメディアの役割
シリアルキラーの存在は、単なる犯罪ではなく社会全体に恐怖をもたらす。1970年代、ゾディアック・キラーの手紙が新聞に掲載されると、市民は外出を控え、警察はプレッシャーを受けた。同様に、1980年代のリチャード・ラミレス(ナイト・ストーカー)はロサンゼルスを震え上がらせた。メディアは連日報道を続け、恐怖を拡散したが、その一方で犯人の「神格化」にもつながった。センセーショナルな報道は、社会不安を煽ると同時に、模倣犯を生む危険性もはらんでいる。シリアルキラーとメディアの関係は複雑である。
犯罪心理学と再犯防止の試み
シリアルキラーの心理を解明することは、犯罪防止の鍵となる。FBIの行動科学課は、犯罪者の心理パターンを研究し、再犯を防ぐためのプロファイリング技術を確立した。たとえば、ジョン・ウェイン・ゲイシーのケースでは、彼の表面的な「善人」像の裏に潜むサディスティックな性質がプロファイルによって暴かれた。さらに、精神医学も犯罪防止に貢献している。リスクの高い人物を早期に発見し、カウンセリングや治療を施すことで、潜在的なシリアルキラーが犯罪に至る前に介入することが可能になってきている。
法律と司法の進化
シリアルキラーの増加に伴い、法律や司法制度も変化を遂げてきた。例えば、1974年にアメリカで制定された「デス・ペナルティ・リフォーム法」は、凶悪犯罪者に対する死刑の適用を厳格化した。さらに、性犯罪者のデータベースが整備され、再犯のリスクが高い者の監視が強化された。一方で、冤罪のリスクや、死刑制度の是非も議論の的となっている。科学捜査の進化によって過去の誤判が明らかになり、犯罪者への処罰がより慎重に行われるようになった。
社会ができる防止策とは
シリアルキラーを未然に防ぐためには、社会全体の意識改革が不可欠である。家庭や学校での虐待防止、精神疾患を持つ人々への適切なケア、犯罪リスクのある人間への早期介入など、多方面からの対策が求められている。たとえば、日本では「スクールカウンセラー制度」が導入され、子供の精神的問題に早期に対応する試みがなされている。また、都市部の監視カメラの増設や、住民同士のコミュニティの強化も、犯罪を防ぐ有効な手段となる。犯罪を生む社会的要因を取り除くことこそ、最も効果的な防止策である。
第10章 シリアルキラー研究の未来
神経科学が解き明かす「殺人者の脳」
近年、脳科学はシリアルキラーの謎を解き明かしつつある。MRIスキャンを用いた研究では、シリアルキラーの多くが前頭前野の機能異常を持ち、感情のコントロールができないことが判明した。さらに、扁桃体の活動が低下しているケースが多く、恐怖や罪悪感を感じにくいことも明らかになっている。脳科学の進歩によって、将来的には「犯罪予測プログラム」が開発され、潜在的な危険人物を特定する技術が確立されるかもしれない。しかし、倫理的な課題も多く、社会がどのように受け入れるかが問われている。
AIが犯罪者を見抜く未来
人工知能(AI)による犯罪予測が現実になりつつある。ビッグデータと監視技術を駆使し、AIは過去の事件データからシリアルキラーの行動パターンを学習する。例えば、シカゴ警察はAIを用いた「予測警察」システムを導入し、高リスク地域を特定する実験を行っている。また、SNSやインターネット上の投稿を分析することで、危険人物の兆候を察知する試みも進んでいる。AIが発展すれば、未然に犯罪を防ぐことが可能になるかもしれない。しかし、プライバシーの侵害や誤認逮捕のリスクも指摘されている。
遺伝子研究と「生まれつきの殺人者」
「シリアルキラーは生まれつきか、それとも育てられてなるのか?」という問いは、科学者たちを長年悩ませてきた。最新の遺伝子研究では、MAOA遺伝子(通称「戦士遺伝子」)の異常が攻撃性と関連している可能性があると示唆されている。しかし、遺伝子だけでは犯罪を説明できない。環境要因、幼少期のトラウマ、社会的孤立などが複雑に絡み合い、殺人衝動を生むのだ。将来的には、遺伝子検査によって「犯罪傾向のある人物」を特定できるかもしれないが、これは倫理的な議論を巻き起こすだろう。
シリアルキラーの時代は終わるのか
高度な監視技術、DNA鑑定、AIの発展により、シリアルキラーはもはや「捕まらない存在」ではなくなった。事実、21世紀に入ってからの有名なシリアルキラーは激減している。しかし、インターネットの闇市場や匿名性の高い犯罪手法が登場し、新たな形のシリアルキラーが生まれる可能性もある。「デジタル時代の犯罪」は、従来のシリアルキラーとは異なる特徴を持つかもしれない。未来において、人類はシリアルキラーという闇を克服できるのか。それとも、新たな犯罪形態が社会を脅かすのか。答えはまだ出ていない。