基礎知識
- マルティン・ブーバーの「対話哲学」
人間関係を「我と汝」の対話的構造で説明する哲学であり、彼の思想の中核である。 - ユダヤ文化への貢献
ブーバーはユダヤ神秘思想(カバラ)やハシディズムを現代的に解釈し、ユダヤ文化の再評価を進めた。 - 『我と汝』の出版背景
1923年に発表された彼の主著で、第一次世界大戦後の混乱期に人間性の再発見を求めた思想である。 - 宗教的シオニズムとブーバーの関係
ブーバーはシオニズム運動を支援したが、国家主義ではなく精神的共同体の重要性を説いた。 - ナチス時代と亡命後の活動
ナチス政権下でユダヤ人教育の再構築に尽力し、後にイスラエルに移住して対話的共存を模索した。
第1章 マルティン・ブーバーの哲学的出発点
中央ヨーロッパの知の遺産
19世紀末、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンは、哲学、芸術、科学が花開く知的中心地であった。この都市で育った若きマルティン・ブーバーは、カール・クラウスの社会批評やジークムント・フロイトの精神分析に触れながら思索を深めていった。しかし、ブーバーが最も強く影響を受けたのは、ヨーロッパに広がるユダヤ文化の伝統であった。祖父は著名なユダヤ学者であり、彼の家にはタルムードやカバラの書物が並んでいた。ウィーンの知的環境と家庭の宗教的背景が交錯するなか、ブーバーは哲学的探究への第一歩を踏み出したのである。
ルネサンス的人物としてのブーバー
ブーバーは幼少期からドイツ語、ヘブライ語、フランス語など複数の言語を自在に操ることができた。その多言語能力は、彼が広範な思想を吸収する助けとなった。ゲーテの文学に熱中する一方で、ニーチェの哲学に衝撃を受ける。大学ではカント、ヘーゲル、キルケゴールに傾倒し、実存主義や倫理学を学びながら、自らの思想を練り上げていった。彼の思索は単なる理論にとどまらず、文学や歴史、宗教と結びつきながら、豊かで包括的なものへと成長していった。この知的探求こそが、彼の後の「対話哲学」へとつながっていくのである。
「宗教」との出会いと葛藤
ブーバーにとって「宗教」とは単なる信仰ではなく、人間が世界とどう向き合うかという根源的な問題であった。彼は一時期、伝統的なユダヤ教から距離を置き、ニーチェの「神は死んだ」という言葉に影響を受けた。しかし、彼は同時に、ユダヤ神秘主義(ハシディズム)の思想に魅了されていた。ハシディズムの教えは、神との関係が「生きた経験」であることを説いていた。これに感銘を受けたブーバーは、単なる知的な探究ではなく、「生きた思想」を追求するようになった。宗教と哲学の狭間で揺れ動いたこの時期が、彼の思想形成の重要な鍵となったのである。
哲学者か、それとも活動家か?
ブーバーは学者であると同時に、社会の中で実践的な役割を果たそうとする思想家でもあった。彼は第一次世界大戦後、ユダヤ人とドイツ人の対話を促進し、社会の再構築に貢献しようとした。この時期に、彼の思想の中心テーマとなる「対話」という概念が明確になっていく。彼は哲学を机上の空論ではなく、人間関係や社会に応用することを望んでいた。彼の思索は、単なる個人的な探求ではなく、時代の混乱のなかで新たな関係性を模索する試みであったのである。
第2章 対話哲学の誕生: 『我と汝』の核心
哲学はどこから生まれるのか
1923年、マルティン・ブーバーは哲学史に残る著作『我と汝』を発表した。この作品は、彼がこれまでの思想的旅路を経てたどり着いた、まったく新しい「関係の哲学」を打ち出したものだった。しかし、哲学とは単に本の中で生まれるものではない。それは時代の空気と、個人の経験の中で醸成される。ブーバーは、急速に変化する社会の中で、人々が「対話」を失い、孤立していく様子を目の当たりにした。彼の哲学は、この問題を根本から解決しようとする試みであり、人間関係の本質を見つめ直すものだった。
「我と汝」と「我とそれ」の違い
『我と汝』の核心は、人間が世界と関わる方法を二つに分類する点にある。ひとつは「我‐汝」の関係であり、これは相手を尊重し、対話を通じて真のつながりを築く関係である。もうひとつは「我‐それ」の関係であり、これは相手を単なる物や道具のように扱う関係である。たとえば、親しい友人と心を通わせるとき、それは「我‐汝」の関係だ。一方、店員に注文をする際、ただ「商品を買う人」として接するなら、それは「我‐それ」の関係である。この哲学は、単なる理論ではなく、現代社会における人間関係の問題を鋭く指摘するものだった。
「汝」との出会いが世界を変える
ブーバーは「汝」との関係が、人間の生き方を根本から変えると主張した。「汝」との出会いは、相手をただの対象としてではなく、生きた存在として感じることから始まる。これは宗教的な体験にも通じる。ブーバー自身は、ハシディズムの伝統から影響を受け、神との関係もまた「我‐汝」の関係であると考えた。つまり、神は遠い存在ではなく、真に対話することで直接感じるものなのだ。この思想は、のちに宗教哲学だけでなく、教育や心理学の分野にも影響を与え、カール・ロジャーズの来談者中心療法などの理論にもつながっていく。
近代社会への鋭い警鐘
『我と汝』は、ただの哲学書ではない。それは20世紀という激動の時代に対する、ブーバーからの警鐘でもあった。彼は、人間が機械的な関係ばかりを築くことで、社会全体が「我‐それ」に支配されてしまう危険性を見抜いていた。産業革命以降、効率性が重視され、人間関係はビジネス的な取引へと変化した。だが、ブーバーは警告する。「人間は本来、対話を通じてこそ成長する存在である」と。彼の思想は、単なる理想論ではなく、現代においてもなお、孤独や断絶に苦しむ人々への希望となる哲学なのだ。
第3章 ユダヤ神秘主義とブーバーの解釈
ハシディズムとの出会い
マルティン・ブーバーがハシディズムに出会ったのは青年期のことであった。ウィーンで哲学を学びながら、彼は同時にユダヤ教の伝統に興味を持ち始めた。ある日、彼は祖父の蔵書の中で、18世紀のユダヤ神秘主義運動「ハシディズム」の物語集を見つける。それは、単なる宗教書ではなかった。そこに描かれていたのは、奇跡や直観を重んじる、活気に満ちた人々の世界であった。合理的な哲学に没頭していたブーバーにとって、これは驚くべき発見だった。彼はすぐにこの思想の深みへと引き込まれ、ユダヤ神秘主義と哲学の橋をかけることを決意する。
ハシディズムとは何か?
ハシディズムは18世紀、東欧で生まれたユダヤ教の一派である。創始者バアル・シェム・トーヴ(ベシュト)は、学問よりも神との直接的な関係を重視し、祈りや歌、踊りを通じて神とつながることを説いた。伝統的なユダヤ教が律法の厳格な遵守を重んじるのに対し、ハシディズムは神を日常の中に見いだすことを重視した。たとえば、農民が畑を耕しながら神に語りかけることも、立派な祈りとされたのである。ブーバーはこの考えに共感し、ハシディズムの物語を集め、現代の人々にも伝えようと試みた。
物語が持つ力
ブーバーはハシディズムの教えの中で、特に「物語」の持つ力に注目した。ハシディズムの指導者たちは、弟子たちに教義を伝える際に、抽象的な理論ではなく、寓話や逸話を用いた。これは、単なる知識ではなく、生きた経験として信仰を伝えるためであった。ブーバーはこの点に魅力を感じ、自らもハシディズムの物語を収集し、再話した。彼の『ハシディズムの物語』は、単なる学術書ではなく、読者が物語を通じて生き生きとした信仰の世界に触れられるものとなったのである。
神秘思想と対話哲学の融合
ブーバーはハシディズムの思想を、彼自身の「対話哲学」と結びつけた。ハシディズムにおける神との関係は、「我‐汝」の関係に通じるものであった。つまり、神とは遠くにいる絶対的な存在ではなく、日常の中で直接向き合う「汝」として経験されるべきものだと考えた。こうして、ブーバーは伝統的なユダヤ神秘主義の教えを近代哲学と統合し、新たな視点を生み出したのである。彼のハシディズム研究は、ユダヤ思想の枠を超え、宗教哲学全般に大きな影響を与えた。
第4章 第一次世界大戦後のヨーロッパとブーバー
戦争がもたらした精神の荒廃
1914年、第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ全土が破壊と混乱に包まれた。この戦争は、かつて啓蒙思想や理性の力を信じていた人々に、深い絶望をもたらした。技術の進歩が人類を幸福へ導くはずだったが、実際には大量殺戮兵器が生まれ、何百万もの命が失われた。戦後、哲学者たちは人間の理性に対する信頼を揺るがされることになる。マルティン・ブーバーもまた、この時代の変化を目の当たりにし、人間関係の根本的な問い直しを始める。彼は「我‐汝」の対話が、人間性を回復する鍵になると考えたのである。
崩壊する価値観の中で
戦争によって、社会の価値観は激変した。ドイツやオーストリアでは経済が崩壊し、インフレが進行し、人々の生活は困窮した。さらに、長年続いてきた君主制が崩れ、政治の混乱が続いた。多くの人々が国家や宗教の意味を問い直し、ニヒリズム(虚無主義)が広がった。この時期、フランツ・カフカやジークムント・フロイトといった知識人たちも、人間の不安や疎外感をテーマに作品を発表した。ブーバーは、この精神的危機の時代に、人間同士の本質的なつながりを取り戻すことが必要だと考え、『我と汝』の構想を深めていった。
哲学と社会運動の交差点
ブーバーは、単に哲学を論じるだけではなく、社会を良くするための実践的な活動にも関心を持っていた。彼は、戦争によって分断された社会を癒すには、人々が対話を通じて相互理解を深める必要があると考えた。1921年、彼はフランクフルト大学で教鞭をとりながら、ユダヤ人とドイツ人の対話を促進する活動を始めた。また、青年運動とも関わり、若者に「生きた思想」としての哲学を伝えた。彼にとって哲学とは、ただ読むものではなく、実践し、人々の生活に根付かせるべきものであった。
新しい思想の必要性
戦争による絶望が広がる中、ブーバーは「対話」を軸とする新たな思想を打ち出した。彼の哲学は、合理主義や経済的価値観だけでは人間を救えないことを指摘し、真の人間関係を築くことの重要性を強調した。彼は講演や執筆活動を通じて、多くの人々に「我‐汝」の関係を伝えようとした。この時期の彼の活動が、のちにユダヤ人とアラブ人の対話、教育、政治哲学へとつながっていくのである。戦後の混乱の中、彼の思想は一筋の光となり、多くの人々に新たな希望をもたらした。
第5章 宗教的シオニズムの提唱とその展開
理想と現実のはざまで
19世紀末、シオニズム運動がヨーロッパで活発になった。指導者テオドール・ヘルツルは、ユダヤ人が迫害を逃れるために独自の国家を持つべきだと主張し、1897年に第一回シオニスト会議を開催した。しかし、マルティン・ブーバーはこの運動に賛同しつつも、ヘルツルの政治的シオニズムには違和感を抱いていた。彼にとってユダヤ人国家とは単なる土地の獲得ではなく、精神的共同体でなければならなかった。国家の建設は目的ではなく、より良い人間関係を築くための手段であるべきだと彼は考えていたのである。
精神的シオニズムとは何か
ブーバーは、ユダヤ人のアイデンティティを再生することこそが、シオニズムの真の目的であると考えた。彼は国家よりも「共同体」の重要性を強調し、ユダヤ人が互いに支え合いながら精神的な復興を遂げるべきだと主張した。彼の理想は、ユダヤ人だけの国家ではなく、異なる民族が共存し、互いに学び合う社会であった。この考えは、後に彼がユダヤ人とアラブ人の対話を推進することへとつながる。ブーバーにとって、シオニズムとは対話を通じて築かれる「生きた関係」の探求だったのである。
共同体としての国家の可能性
ブーバーの考えは、単なる理想論ではなかった。彼はパレスチナに移住したユダヤ人たちが、自給自足の共同体「キブツ」を形成していることに注目した。キブツでは、個人の利益よりも集団の調和が重視され、土地を共同で耕し、共に暮らす生活が営まれていた。この実験的な社会こそ、ブーバーが理想とした「精神的シオニズム」の具現化であった。彼はキブツ運動を支援し、そこにユダヤ教の伝統と社会的平等が融合する可能性を見出したのである。
国家の形成とブーバーの葛藤
1948年、イスラエルが建国された。しかし、ブーバーの理想とは異なり、新国家は政治的な権力闘争の場となった。ユダヤ人とアラブ人の間には緊張が高まり、対話よりも対立が前面に出るようになった。ブーバーは失望しつつも、なお対話の可能性を信じた。彼はユダヤ人とアラブ人の共存を目指し、和平のための活動を続けた。彼にとって、国家の真の価値は、その成り立ちではなく、いかにして「汝」と向き合う共同体を築けるかにあったのである。
第6章 ナチス時代の教育者としての使命
闇の時代の始まり
1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任すると、ナチス政権は急速に独裁体制を築いた。ユダヤ人に対する差別と迫害は、国家の政策として強化され、ドイツ社会は急速に変質していった。マルティン・ブーバーもまた、この波に巻き込まれた。大学の職を奪われ、公的な場での発言を制限されたが、彼は沈黙することなく、新たな使命を見出した。それは、絶望に直面したユダヤ人たちに教育を通じて希望を与えることであった。彼はナチスの圧力に屈せず、ユダヤ人社会の精神的復興に尽力し始めたのである。
禁じられた教育の場
ナチス政権はユダヤ人の公教育を厳しく制限し、多くの子どもたちは学校から排除された。しかし、ブーバーは教育の重要性を確信し、迫害の中でユダヤ人学校の再建に奔走した。1934年、彼はユダヤ人教師のための教育機関を設立し、若者たちに学ぶ機会を提供した。そこでは、単なる知識の伝達ではなく、ブーバーの対話哲学に基づいた「生きた教育」が行われた。彼は、教育こそが人間の尊厳を守るための最後の砦であると信じ、命をかけてその場を守ろうとしたのである。
レジスタンスとしての知
ナチスがユダヤ人を弾圧する中、教育は単なる学問ではなく、抵抗の手段となった。ブーバーは、ユダヤ人の若者たちに、過去の伝統と誇りを学ぶことで、精神的な力を得ることを促した。彼の教育方針は、ユダヤ文化の継承と、ナチスによる「非人間化」に対抗する手段でもあった。彼の学校では、タルムードの教えや哲学が語られ、未来への希望が育まれた。ブーバーの思想は、武力による反抗ではなく、知識と対話による「精神のレジスタンス」を目指したのである。
亡命と新たな道
ナチスの迫害が激化し、ユダヤ人の生存が危機に瀕すると、ブーバーはドイツを離れざるを得なくなった。1938年、彼はパレスチナへと亡命し、新天地での活動を開始する。彼はエルサレムのヘブライ大学で教鞭をとり、ユダヤ人とアラブ人の共存を促進するための対話を続けた。亡命は彼にとって試練であったが、彼はどこにいても「対話の精神」を実践し続けた。彼の教育者としての使命は、ナチス時代を超えて、未来へとつながっていくのである。
第7章 イスラエル建国後の思想と活動
新天地での再出発
1938年にナチスから逃れたマルティン・ブーバーは、パレスチナに亡命した。彼が移り住んだ地は、まさに新しい国家の誕生を迎えようとしていた。1948年、イスラエルが建国されると、ユダヤ人たちは歓喜したが、その一方で、アラブ人との対立は激化し、国は緊張に包まれた。ブーバーはイスラエルの建国そのものには賛同したが、ユダヤ人とアラブ人の共存が最も重要であると考えた。彼の哲学にとって「対話」は欠かせない要素であり、戦争や暴力に頼らない平和な社会を築くことこそが、彼の目指す未来であった。
ユダヤ人とアラブ人の共存への挑戦
イスラエル建国後、多くのユダヤ人は「ユダヤ国家」を強く意識するようになった。しかし、ブーバーは異なる立場を取った。彼は「国家は対話の場であるべきだ」と考え、ユダヤ人とアラブ人の対話を推進する団体「イフード」を設立した。イフードは、ユダヤ人とアラブ人が平等な立場で共存できる社会を目指し、武力衝突ではなく対話による解決を訴えた。だが、この考えは急進的なナショナリストから批判を受け、ブーバーの主張はなかなか受け入れられなかった。それでも彼は諦めず、粘り強く活動を続けた。
学問の場での影響力
ブーバーはエルサレムのヘブライ大学で哲学を教え、若い世代に対話哲学を伝えた。彼の授業では、「我‐汝」の関係が国家や民族の枠を超えた普遍的な価値を持つことが強調された。彼は、国家が個人を支配するのではなく、人と人が本当の関係を築くことで社会が成り立つべきだと説いた。ブーバーの考えは、政治思想だけでなく、教育や倫理学にも影響を与えた。彼の思想はやがて、世界中の平和活動家や教育者たちに広がり、現代にも生き続けている。
対話の哲学とその未来
ブーバーの晩年、彼の対話哲学は国際的にも評価され、多くの人々が彼の思想を学ぶようになった。彼は政治の枠を超えて、人間同士の根源的な関係を問い続けた。彼の「対話を通じた共存」という理念は、今日の多文化社会にも大きな示唆を与えている。彼が生涯をかけて説いたのは、「我‐汝」の関係が個人のレベルだけでなく、国家や民族の間にも必要であるということだった。戦争と対立の時代にあって、ブーバーの思想は未来への希望となったのである。
第8章 現代哲学への影響
対話哲学が心理学に与えた衝撃
マルティン・ブーバーの「我‐汝」の哲学は、心理学の分野にも大きな影響を与えた。特に、アメリカの心理学者カール・ロジャーズは、ブーバーの対話哲学を基に「来談者中心療法」を発展させた。ロジャーズは、治療者と患者の関係において「我‐汝」の関係が重要であると考え、クライアントの内面に深く寄り添うカウンセリングを確立した。この手法は現代の心理療法にも受け継がれ、教育や福祉の分野でも応用されている。ブーバーの哲学は、単なる思想ではなく、人々の心を癒やす実践的なアプローチとして、今日も生き続けているのである。
宗教学と倫理学への影響
ブーバーの思想は宗教学にも新たな視点をもたらした。彼の「我‐汝」の概念は、神との関係を単なる信仰ではなく、「生きた対話」として捉え直すものだった。この考えは、後の宗教学者ルドルフ・オットーやポール・ティリッヒにも影響を与え、神秘体験や宗教的経験の本質を探求する研究へとつながった。また、倫理学においても、エマニュエル・レヴィナスはブーバーの思想を発展させ、「他者との関係が倫理の根源である」という理論を打ち立てた。ブーバーの哲学は、宗教と倫理の橋渡しとして、多くの思想家に影響を与えている。
政治哲学における可能性
ブーバーの対話哲学は、政治の世界でも重要な示唆を与えている。彼の思想は、権力や支配の構造に対する批判としても読むことができる。20世紀後半、ハンナ・アーレントやユルゲン・ハーバーマスは、民主主義における対話の重要性を強調したが、その背景にはブーバーの「対話的関係」の概念があった。特に、ハーバーマスの「コミュニケーション的行為の理論」は、ブーバーの思想と共鳴し、政治的議論や社会的対話の枠組みを発展させた。ブーバーの哲学は、民主主義社会の対話文化を支える理論として、今もなお生き続けている。
現代社会における「我‐汝」の実践
今日、ブーバーの思想は、教育、福祉、国際関係など幅広い分野で応用されている。例えば、異文化対話の場では、彼の「我‐汝」の哲学が重要な役割を果たしている。国際紛争の解決に向けた対話プロジェクトや、多文化共生を目指す教育プログラムは、ブーバーの思想に大きく依拠している。SNSなどのデジタル空間が発展した現代こそ、人と人が真正面から向き合う「我‐汝」の関係が求められている。ブーバーの哲学は、決して過去のものではなく、今を生きる私たちにとっても、変わらぬ価値を持ち続けているのである。
第9章 批判と再評価: ブーバー思想の限界
対話哲学は理想論か
マルティン・ブーバーの「我‐汝」哲学は、多くの分野で称賛されたが、一方で批判も受けた。その最大のものは、「あまりに理想的すぎる」という指摘である。人間同士が真に向き合い、対話を通じて理解し合うことは美しいが、現実には個人の利害や社会構造が絡み合い、対話が成立しにくい状況も多い。特に、政治や経済の分野では「我‐汝」ではなく「我‐それ」の関係が不可避であり、すべての関係を対話的に解決するのは難しいという批判がある。ブーバーの理論は、人間の倫理的理想を示すものではあるが、実践面での課題も抱えている。
ハイデガーとの対立
ブーバーと同時代を生きた哲学者マルティン・ハイデガーは、人間の存在を「世界‐内‐存在」として捉えたが、彼の考えはブーバーの「我‐汝」の関係とは対照的であった。ハイデガーの思想では、人間はまず環境の中に投げ込まれた存在であり、他者との関係は後から形成されるものとされる。これに対し、ブーバーは「関係こそが人間の本質である」と主張した。この対立は、実存哲学の根本的な議論を呼び起こし、哲学界でも活発に論じられた。ブーバーの対話哲学は人間関係を重視するが、ハイデガーの存在論とどちらが本質的かという問題は、今もなお議論の対象である。
政治的現実との乖離
ブーバーは、イスラエル建国後もユダヤ人とアラブ人の対話を重視し続けたが、その主張は政治の現実とはしばしば相容れなかった。彼の理想は、民族や宗教を超えた共存社会だったが、イスラエルとアラブ諸国の緊張が高まる中で、その実現は困難だった。彼が提唱した「イフード」運動は、ユダヤ人とアラブ人の平等な国家共同体を目指したが、冷戦下の国際政治の中で支持を得ることは難しく、やがて影響力を失っていった。ブーバーの理想主義が、現実政治にどこまで適応できるのかは、大きな課題として残ったのである。
現代社会における批判と継承
21世紀の社会では、デジタル技術の発展により、人間関係がかつてないほど希薄になった。SNS上では簡単に対話ができるようになったが、そこに「我‐汝」の関係はどれほど存在しているのか。批評家の中には、ブーバーの思想が現代のテクノロジー社会に適応できていないと指摘する者もいる。しかし、ブーバーの哲学は「対話の本質」を問うものであり、それが求められる状況は変わっていない。彼の思想は、現代社会のコミュニケーションの課題を考える上で、依然として重要な意味を持ち続けているのである。
第10章 マルティン・ブーバーの思想が示す未来
21世紀の対話の危機
現代社会は情報技術の発展により、人々がかつてないほど簡単につながれる時代になった。しかし、SNSやオンライン上の対話は、必ずしも「我‐汝」の関係を生み出していない。むしろ、多くの人が「我‐それ」の関係に陥り、他者を一つの意見やデータとして消費している。ブーバーが指摘した「本当の対話の欠如」は、今こそ深刻な問題として浮かび上がっている。デジタル時代において、人と人が真に向き合い、深い関係を築くにはどうすればよいのか。ブーバーの思想は、この問いに対する重要なヒントを与えてくれる。
教育における対話哲学の役割
ブーバーの対話哲学は、教育の場でも依然として重要である。彼は、教師と生徒の関係も「我‐汝」であるべきだと考えた。つまり、教師は単なる知識の提供者ではなく、生徒と真正面から向き合い、共に学ぶ存在であるべきだというのだ。現代の教育現場では、標準化されたテストやデジタル教材の普及により、教師と生徒の関係が機械的になりつつある。しかし、ブーバーの哲学は、教育とは単なる知識の伝達ではなく、人間同士の対話を通じて「生きた知」を学ぶことだと教えてくれる。
多文化社会と対話の可能性
グローバル化が進み、異なる文化や価値観を持つ人々が共存する時代になった。だが、異文化間の対話は必ずしも円滑ではない。政治や宗教、歴史の違いが対立を生み出し、時に衝突を引き起こす。ブーバーは「他者を真に理解するには、まず相手の立場に立つことが必要だ」と説いた。現代の国際関係や社会問題においても、この哲学は有効である。単なる「相互理解」のスローガンではなく、真の「我‐汝」の関係を築くことが、多文化共生の鍵となるのである。
ブーバーの思想は未来を照らすか
マルティン・ブーバーの哲学は、決して過去の遺産ではない。それは、現代の社会問題や人間関係の危機に対して、深い洞察を与えてくれるものだ。彼の思想がすべての問題を解決できるわけではないが、「対話とは何か?」という問いに対して、確かな方向性を示している。AIが発達し、コミュニケーションがますますデジタル化する未来において、人間がどのように本当のつながりを築くべきか。ブーバーの思想は、これからの時代にこそ、必要とされる哲学なのである。