基礎知識
- 環形動物とは何か
環形動物（Annelida）は、体が体節に分かれた左右相称動物であり、ミミズ・ゴカイ・ヒルなどを含む門である。 - 環形動物の進化と起源
環形動物は古生代カンブリア紀（約5億年前）に出現し、現在の多様性につながる進化を遂げてきた。 - 環形動物の分類と特徴
環形動物は主に多毛類（Polychaeta）、貧毛類（Oligochaeta）、ヒル類（Hirudinea）の3つのグループに分類される。 - 環形動物と生態系の関係
環形動物は土壌の通気・分解を促進し、海洋・淡水環境では他の生物の食物連鎖を支える重要な役割を担っている。 - 環形動物の人間との関わり
環形動物は農業（ミミズの土壌改良）、医療（ヒルによる治療）、漁業（ゴカイの餌）など、多様な分野で人間社会に貢献している。
第1章 環形動物とは何か？
見えざる世界の支配者たち
地球には実に奇妙な生き物が存在する。人々が動物と言われて思い浮かべるのは、ライオンやゾウのような大きな生き物かもしれない。しかし、実際に地球上で最も広範囲に生息し、生態系に影響を与えているのは、目立たないが驚くべき能力を持つ小さな生き物たちである。その代表が「環形動物」だ。ミミズ、ゴカイ、ヒルと聞くと、多くの人はあまり魅力を感じないかもしれない。しかし、彼らこそが土壌を豊かにし、海洋生態系を支え、人類の歴史にまで関与してきた重要な存在である。だが、この環形動物とは一体何者なのか？ その秘密を解き明かしていこう。
環形動物の驚異的な身体設計
環形動物の体はまるで精密に作られた建築物のように、驚くべきシンプルさと機能性を兼ね備えている。彼らの最大の特徴は、規則正しく並んだ「体節構造」にある。ミミズを思い浮かべてみると、胴体がいくつもの輪のように区切られていることがわかる。この体節ごとに筋肉や神経が備わっており、協調的に動くことで驚くほど効率的に進むことができる。この設計は、無駄なくエネルギーを使い、柔軟な動きを可能にする。さらに、環形動物には「閉鎖血管系」という特殊な循環系があり、血液を体内で効率的に循環させることで、酸素や栄養をすばやく運ぶことができる。これにより、彼らは単純に見えても驚くべき生存能力を持つのだ。
生命の多様性を支える環形動物
環形動物は地球上のあらゆる環境に適応し、他の生物たちの生存を支えてきた。例えば、ミミズは土の中を掘り進みながら有機物を分解し、植物が育ちやすい土壌を作る役割を担う。これにより、農業の生産性を向上させる重要な生物とされている。一方、ゴカイは海底に暮らし、水中の栄養分をかき混ぜることで、海洋の生態系を健全に保つ働きをする。さらには、血を吸うヒルでさえ、医療分野で抗凝血剤として利用されるなど、驚くべき価値を持つ。環形動物は決して単なる「小さな生き物」ではなく、生命のバランスを支える存在なのだ。
我々と環形動物の深い関係
人類は環形動物と知らぬ間に長い歴史を共に歩んできた。古代エジプトではヒルが医療に用いられ、ダーウィンは『ミミズの作用による土壌の形成』という論文を発表し、その重要性を科学的に証明した。現代ではミミズを使った土壌改良技術が注目され、ゴカイは漁業の発展に貢献している。環形動物は決して目立つ存在ではないが、その影響力は計り知れない。本書では、そんな彼らの歴史と進化、人間との関わりについて探求し、環形動物が持つ驚くべき世界を明らかにしていく。
第2章 カンブリア紀の爆発と環形動物の起源
生命の大爆発、カンブリア紀
今から約5億4千万年前、地球の海はかつてないほどの生命の爆発的進化を迎えた。これを「カンブリア紀の爆発」と呼ぶ。それ以前の生物は単純な形態のものが多かったが、この時期に突如として多様な生物が現れ、今日の動物界の主要なグループのほとんどが誕生した。三葉虫やアノマロカリスといった奇妙な生物が海を支配する中で、環形動物の祖先もまた姿を現した。彼らは柔軟な体と効率的な移動方法を持ち、進化の競争に適応することで生き残ってきたのである。では、この時代に何が起こったのか？ なぜ環形動物は進化の歴史に刻まれたのか？
環形動物の祖先たち
カンブリア紀の化石記録には、環形動物の祖先と考えられる生物の痕跡が残されている。その一つが「パラエオスコレクス」と呼ばれる生物である。これは長い管状の体を持ち、体節構造を備えていたことから、環形動物の起源に関わる可能性が高いとされている。また、カナダのバージェス頁岩から発見された「オットイア」という生物も、環形動物と似た特徴を持っていた。これらの初期環形動物は、泥の中に潜り込みながら海底を移動し、捕食者の攻撃から身を守る戦略をとっていたと考えられる。彼らの生存戦略は、のちの環形動物の発展に大きく寄与することとなる。
環形動物の進化の鍵、体節構造
環形動物の進化を語る上で欠かせないのが「体節制」である。カンブリア紀に生まれた生物の多くは、体を柔軟に動かせることが生存の鍵となった。環形動物は、規則的な体節を持つことで、効率的な運動能力を獲得した。たとえば、ミミズのように体を波打たせながら動くことで、狭い隙間や土の中を素早く移動できる。また、各体節に独立した筋肉や神経を持つことで、部分的な損傷にも耐えうる強靭な構造ができあがった。この特徴は、のちに環形動物が淡水や陸上に適応するための大きな武器となったのである。
環形動物はなぜ生き残ったのか？
カンブリア紀の爆発によって生まれた多くの生物は、その後の進化の波に飲み込まれ、絶滅していった。しかし、環形動物は生き残った。彼らが成功した理由の一つは「適応力の高さ」にある。環形動物は泥の中や岩の間といった安全な場所に生息し、捕食者の目を逃れて生存を続けた。また、環境の変化に柔軟に対応できる体の構造を持っていたため、食物が乏しくなっても別の生息地に移動することができた。この柔軟さこそが、環形動物が5億年以上にわたって繁栄し続けた最大の理由なのである。
第3章 環形動物の分類と進化の道筋
三つの顔を持つ環形動物
環形動物は一つのグループではなく、大きく三つのタイプに分類される。それが「多毛類」「貧毛類」「ヒル類」である。多毛類は海洋に生息し、鮮やかな体色や複雑な触手を持つものが多い。貧毛類は主に陸上や淡水に暮らし、代表的なものがミミズである。そしてヒル類は吸血や捕食を行い、水中や湿った環境に適応している。これら三つのグループはそれぞれ異なる進化の道をたどり、驚くべき多様性を生み出してきた。なぜ環形動物はこれほどまでに多様な形態を持つようになったのか？ その秘密を解き明かしていこう。
海の覇者、多毛類の世界
多毛類（Polychaeta）は、環形動物の中でも最も原始的なグループとされる。彼らはほとんどが海に生息し、ゴカイのように砂の中を掘り進むものもいれば、チューブワームのように海底に固定されるものもいる。多毛類の最大の特徴は「疣足（いぼあし）」と呼ばれる剛毛がついた付属肢であり、これを使って海底を素早く移動したり、エサを捕らえたりする。中には、光を放つ発光ゴカイや、猛毒を持つ捕食性のものもいる。古代から海洋生態系を支えてきたこのグループは、まさに「海の覇者」と呼ぶにふさわしい存在である。
大地を耕す貧毛類
貧毛類（Oligochaeta）は、私たちの身近な存在であるミミズを含むグループである。彼らは多毛類に比べるとシンプルな形態をしており、疣足を持たず、移動には筋肉の収縮を利用する。ミミズは土壌の有機物を分解しながらトンネルを掘ることで、土を柔らかくし、農作物の生育に大きく貢献している。この事実を最初に科学的に解明したのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンであった。彼は『ミミズの作用による土壌形成』という論文を発表し、ミミズこそが地球の「天然の耕作者」であると示したのである。
吸血鬼と医者、ヒル類の二面性
ヒル類（Hirudinea）は、他の環形動物とは異なり、多くが吸血を行うという特殊な生態を持つ。彼らは体に強力な吸盤を持ち、一度吸いつくと驚くほどの粘り強さで離れない。この能力は古くから医療に応用され、古代エジプトや中世ヨーロッパではヒルによる瀉血（しゃけつ）治療が一般的であった。現代でも、医療用ヒルは血栓の除去や皮膚移植後の血流改善に用いられる。彼らは単なる吸血鬼ではなく、人類にとって貴重な「医者」でもあるのだ。
第4章 環形動物の体の構造と機能
体節が生んだ驚異の設計
環形動物の体は、まるで繰り返しのパターンでできた建築物のように規則的な構造を持つ。その特徴こそが「体節制」である。ミミズをよく見ると、細かいリングのような構造が並んでいるのがわかる。これはそれぞれが独立したユニットのように機能し、部分的な損傷を受けても動き続けることができる。さらに、各体節には神経節と筋肉が備わり、協調して動くことで驚くほどスムーズな移動が可能となる。ロボット工学でもこの「分節構造」は注目されており、環形動物の体の仕組みが未来のテクノロジーに影響を与える可能性もある。
進化が生んだ驚異の消化器官
環形動物の消化器官は、一見単純そうに見えるが、驚くほど効率的に進化している。ミミズの体内では、食べた土がまず「咽頭」で吸引され、その後「作胃（さくい）」という臓器で粉砕される。さらに、「腸」では腸内細菌の働きによって栄養が吸収され、不要なものは排出される。このシステムにより、ミミズは有機物を効率よく分解し、土壌を肥沃にする役割を果たしている。一方、海に生息するゴカイは、砂の中の有機物をろ過して取り込み、海洋の栄養循環に貢献する。こうした巧妙な消化システムが、環形動物の繁栄を支えてきたのである。
血液と酸素の秘密
環形動物は「閉鎖血管系」と呼ばれる血液循環システムを持つ。これは人間の血管系と似た構造で、血液が体内の血管を通じて酸素や栄養を運ぶ仕組みである。ミミズの背中側には「背血管」と呼ばれる太い血管があり、心臓のような「大動脈弓（だいどうみゃくきゅう）」が血液を送り出している。一方、海に住む多毛類の中には、エラを発達させて酸素を効率よく取り込む種もいる。この洗練された血液循環のおかげで、環形動物は低酸素の環境でも生存し、さまざまな生息地に適応することができたのである。
環形動物の「脳」と神経系
環形動物は単純な生き物に見えるが、驚くべき神経系を持っている。彼らの「脳」は頭部の一部にあり、「腹側神経索（ふくそくしんけいさく）」と呼ばれる神経の束が体の端から端まで伸びている。この構造により、環形動物は体の各部位に命令を伝えることができる。ミミズを切っても動き続けるのは、この神経系が分節ごとに機能しているためである。また、捕食性のゴカイには発達した眼があり、光の変化を敏感に察知することができる。こうした神経の進化が、環形動物の生存戦略をより巧妙なものにしたのだ。
第5章 環形動物と生態系の関係
目に見えない小さなエンジニアたち
森や畑の土の中をじっと見つめても、環形動物の姿を見つけることは難しい。しかし、彼らはそこにいる。ミミズやゴカイは、見えないところで環境を支える「エコシステム・エンジニア」なのだ。彼らは土を掘り返し、水や空気が行き渡るようにし、枯葉や有機物を分解して栄養を循環させる。ダーウィンは「ミミズこそが土壌の形成者である」と述べ、その驚異的な働きを科学的に証明した。環形動物がいなければ、植物は健康に育たず、生態系全体が崩壊してしまうかもしれない。彼らはまさに、環境を見えないところで支える影の立役者なのである。
海の掃除屋、ゴカイの秘密
陸上ではミミズが土を耕すが、海底ではゴカイが同じ役割を果たしている。海底の泥の中に暮らす彼らは、砂や有機物を食べながら生息地を清掃し、栄養分を再分配する。彼らのトンネル構造は、酸素を海底深くに届け、微生物の活動を活性化させるのだ。さらに、ゴカイは魚や海鳥の重要なエサとなり、海洋の食物連鎖を支えている。もしゴカイがいなければ、海底はすぐに有機物の蓄積によって窒息し、多くの生物が生息できなくなるだろう。海の生態系が健全に保たれているのは、目立たぬ彼らのおかげなのだ。
食物連鎖の重要なつなぎ役
環形動物は食物連鎖の要ともいえる存在である。彼らは植物の分解物を食べ、それをさらに捕食者へと渡していく。例えば、ミミズを食べるモグラや鳥、ゴカイを捕食する魚やカニ。彼らがいなければ、エネルギーの流れは途切れ、食物網が崩壊してしまう。特に湿地帯や泥炭地では、環形動物が微生物と協力して有機物を分解し、より高次の生物へとエネルギーを供給している。このシステムのどこかが欠ければ、環境は急激に変化し、多くの生物が生きられなくなる。彼らは小さな体ながら、生命のネットワークを支える重要な存在なのである。
変わりゆく環境と環形動物の未来
しかし、環形動物たちもまた、地球環境の変化の影響を受けている。農薬の使用や都市化による生息地の破壊が、彼らの個体数を減少させているのだ。特にミミズの減少は土壌の劣化につながり、農作物の成長に悪影響を及ぼすことが懸念されている。また、海洋汚染が進めば、ゴカイを含む海底生物の減少が食物連鎖全体に波及する可能性がある。我々は彼らの役割を正しく理解し、自然環境を守る努力をしなければならない。小さな環形動物の未来は、私たちの生態系の未来と深く結びついているのだ。
第6章 ミミズと人間：土壌改良の歴史
ダーウィンが見抜いたミミズの偉業
チャールズ・ダーウィンといえば「進化論」で知られるが、彼が最晩年に熱心に研究したのが「ミミズ」だった。彼は40年以上にわたりミミズの観察を続け、1881年に『ミミズの作用による土壌形成』を発表した。その研究によると、ミミズは1ヘクタールあたり年間約40トンもの土を耕しており、地球の土壌環境に大きな影響を与えているという。ミミズは単なる地中の生物ではなく、大地を豊かにする「土壌のエンジニア」だったのだ。彼の発見は、その後の農業科学や土壌学に革命をもたらし、現在でもミミズは環境保全の重要な存在として認識されている。
ミミズが作る理想の土壌
ミミズの最大の功績は、土を「ふかふか」にすることにある。彼らは地中を這いまわりながらトンネルを作り、その過程で土の通気性と排水性を向上させる。これにより植物の根が伸びやすくなり、栄養が行き渡るようになる。また、ミミズは有機物を分解し、腸内の微生物によって栄養豊富な「ミミズ糞（キャスト）」を作り出す。この糞には窒素やリンなどの植物に必要な養分が豊富に含まれ、天然の肥料となる。人間が何世紀にもわたって試行錯誤してきた「理想の土作り」を、ミミズは何百万年も前から実践してきたのである。
ミミズと農業革命
ミミズの土壌改良効果に気づいた人類は、やがて彼らを農業に積極的に活用するようになった。古代エジプトではナイル川流域の肥沃な土壌を支えていたのがミミズであったし、現在でも有機農法では「ミミズ堆肥（バーミコンポスト）」が重要な役割を果たしている。この方法では、ミミズが生ゴミや農業廃棄物を分解し、高品質な肥料を生み出す。これは化学肥料に頼らずに土壌を改善する方法として、環境問題の解決策としても注目されている。ミミズが農業革命を支えてきたことは、あまりにも過小評価されている事実である。
ミミズが示す持続可能な未来
近年、気候変動や土壌劣化が深刻な問題となる中、ミミズは「持続可能な農業」の鍵を握る存在として再評価されている。科学者たちはミミズを活用した土壌改良技術を開発し、大規模な農業に応用する研究を進めている。都市部では生ゴミをミミズによって処理し、環境負荷を減らす試みも行われている。これまで見過ごされがちだった小さな生物が、地球の未来を左右するかもしれないのだ。土の中で静かに働き続けるミミズこそ、私たちの食と環境を守る「未来の希望」となるかもしれない。
第7章 医療と環形動物：ヒル治療の歴史と最前線
古代エジプトの奇妙な治療法
紀元前3000年、ナイル川沿いの都市で医師たちは不思議な治療を行っていた。患者の腕に黒くてヌルヌルとした生き物を乗せ、血を吸わせるのである。この生き物こそ、ヒルである。古代エジプトでは「悪い血を抜くこと」が病気を治すと信じられており、ヒルはその役目を担った。実際、パピルス文書にもヒル療法の記録が残されている。その後、この治療法はギリシャやローマへと伝わり、ヒポクラテスやガレノスといった偉大な医師たちもヒルを用いた。こうしてヒル治療は、数千年にわたって人類の医療とともに歩んできたのである。
中世ヨーロッパ、ヒル治療の黄金時代
ヒル治療が最も流行したのは、中世ヨーロッパである。医者たちはあらゆる病気に対して「瀉血（しゃけつ）」、つまり血を抜くことを推奨した。風邪、発熱、頭痛、さらには精神疾患に至るまで、ヒルは万能薬のように扱われた。18世紀にはフランスの医師フランソワ・ブロッサがヒル治療を推奨し、ヨーロッパ中で爆発的に広まった。需要が高まりすぎて、フランスでは年間3千万匹ものヒルが消費されたとされる。しかし19世紀になると、医学の進歩とともにヒル療法は迷信とみなされ、徐々に衰退していった。
ヒルの驚くべき科学的パワー
ヒル治療が廃れたかと思いきや、20世紀に入るとヒルの持つ「ヒルジン」という物質が再び注目された。ヒルジンは強力な抗凝血作用を持ち、血液をサラサラにする効果がある。現代医療では、皮膚移植や血栓治療の際にヒルが使われることがある。例えば、指の移植手術後に血流を改善するためにヒルが用いられることがある。これは人工的な薬剤ではなく、自然の力を利用する医療として再評価されているのだ。ヒルがただの吸血生物ではなく、医学に貢献する存在であることが科学的に証明されたのである。
ヒル治療の未来はどこへ向かうのか
現在、ヒルの持つ生理活性物質は、さまざまな医療分野で応用が進められている。例えば、ヒルジンを元にした血栓予防薬の開発や、抗炎症作用を利用した皮膚疾患治療の研究が行われている。また、自然療法としてのヒル治療も一部の国で復活し、代替医療として人気を集めている。ヒルは数千年にわたり医療と共にあり、今もなお科学の進歩によって新たな可能性を秘めている。かつては迷信とされかけたこの小さな生物が、未来の医療に大きな役割を果たす日も近いのかもしれない。
第8章 ゴカイと漁業：海洋生態と人間社会の交差点
海の小さなエンジニア、ゴカイ
海底をそっと覗いてみると、泥の中に潜む小さな生物が見えてくる。それがゴカイである。ゴカイは見た目こそ地味だが、海洋生態系のバランスを支える重要な役割を果たしている。彼らは海底の泥を掘り返し、酸素を供給することで、他の生物が住みやすい環境を作る。また、ゴカイは大量の有機物を消費し、それを再び生態系に還元する「自然のろ過装置」として機能する。まさに海の小さなエンジニアといえる。もしゴカイがいなくなれば、海底は栄養分が滞り、他の生物の生息環境が悪化してしまうだろう。
釣り人の味方、ゴカイの知られざる価値
ゴカイは単なる海洋生物ではなく、釣り人にとっても欠かせない存在である。多くの魚はゴカイを好んで食べるため、昔から釣りのエサとして重宝されてきた。特に、海釣りでは「本ゴカイ」「マルコゴカイ」などが使用される。実際、日本だけでも年間数億匹のゴカイが釣りのために消費されている。また、近年では人工繁殖技術が発展し、持続可能なゴカイの供給が可能になってきた。ゴカイは単なるエサではなく、水産業と環境保全のバランスを取るための重要な資源となっているのだ。
養殖産業とゴカイの革命
ゴカイは釣り餌としてだけでなく、養殖産業においても重要な役割を担っている。魚の養殖場では、魚の排泄物や残餌が水質を悪化させることがある。しかし、ゴカイはそれらを食べ、分解する能力を持つため、養殖水の浄化に役立つ。現在では、エビやハタの養殖場でゴカイを活用する取り組みが進められている。また、ゴカイは高タンパクで栄養価が高く、一部の国では魚の飼料としても利用されている。ゴカイが養殖業の持続可能性を支える存在として、ますます注目されているのである。
未来の海を守るために
しかし、近年の海洋環境の変化により、ゴカイの生息環境も脅かされつつある。沿岸の埋め立てや水質汚染が進むことで、ゴカイの生息数が減少し、漁業や生態系への影響が懸念されている。今後、環境を守るためには、ゴカイの生息地を保護し、持続可能な採取方法を確立することが重要となる。人間とゴカイの関係は、これからも続いていくだろう。小さな海の生物が、未来の漁業と生態系を支えるカギを握っているのかもしれない。
第9章 環形動物と人間の未来
環形動物が生み出すバイオテクノロジー革命
科学技術の進歩により、環形動物の持つ特性がバイオテクノロジーの世界で注目されている。例えば、ヒルの唾液に含まれる「ヒルジン」は血液を固まりにくくする性質を持ち、血栓治療薬として研究されている。また、ミミズの腸内細菌が有害物質を分解する能力に着目し、土壌や水質の浄化に利用する試みも進んでいる。さらに、ゴカイの成分が新たな抗生物質の開発につながる可能性もある。これまで単なる小さな生き物と見なされていた環形動物が、未来の医療や環境技術の鍵を握るかもしれないのだ。
環形動物が支える環境保全
地球環境の悪化が進む中、環形動物はその修復に大きく貢献している。ミミズは土壌の有機物を分解し、農業に不可欠な養分を供給する。そのため、化学肥料に頼らずに作物を育てる「環境再生型農業」において、ミミズを活用した土壌改良が注目されている。一方、ゴカイは海洋の泥を耕し、水質を改善する役割を担っている。さらに、環形動物を利用したバイオリメディエーション（生物を用いた環境浄化技術）が研究されており、彼らの力で汚染された土地や水域を回復させることが期待されている。
宇宙開発と環形動物の意外な関係
近年、宇宙開発が進む中で、ミミズの能力が新たな可能性を示している。ミミズは閉鎖空間でも有機物を分解し、土壌を肥沃にするため、火星や月での農業システムに利用できると考えられている。NASAでは、宇宙での持続可能な食料生産を目指し、ミミズを用いた生態系維持システムの研究が行われている。さらに、ヒルが持つ抗凝血物質が宇宙空間での医療に役立つ可能性もある。環形動物は、人類が地球を超えて生きる未来においても、その重要性を増しているのだ。
私たちができること
環形動物は、農業、環境保護、医療、さらには宇宙開発にまで貢献する存在である。しかし、農薬の使用や環境破壊により、彼らの生息環境が脅かされつつある。持続可能な社会を築くためには、環形動物の生態を理解し、彼らと共存する方法を模索しなければならない。例えば、有機農業を推進し、土壌を守ることがミミズの生息環境を維持することにつながる。小さな環形動物たちを守ることは、結果的に地球の未来を守ることにつながるのだ。
第10章 環形動物の歴史を振り返る：過去・現在・未来
5億年を生き抜いた生存者たち
環形動物は、5億年以上にわたり地球上に存在し続けてきた。カンブリア紀の海で誕生し、恐竜が支配した時代も、哺乳類が繁栄する現代も、変わらず地球のあらゆる環境に適応し続けてきた。彼らは、単なる「小さな生物」ではない。彼らの進化の歴史は、地球そのものの変遷と密接に結びついている。なぜ環形動物はこれほど長く生き延びることができたのか？ それは、驚異的な適応力と生態系の中で果たす重要な役割があったからである。
環形動物と人類の交差点
人類が環形動物の存在に気づいたのは、農耕が始まった頃だった。ミミズが土を豊かにすることを経験的に理解し、漁業ではゴカイが貴重な餌として利用されてきた。古代エジプトではヒルが医療に使われ、中世ヨーロッパでは瀉血治療に欠かせない存在だった。19世紀になると、ダーウィンがミミズの土壌改良効果を科学的に証明し、その価値を世界に知らしめた。人類と環形動物の関係は、決して偶然ではなく、進化と文明の発展において必然的なものだったのである。
現代科学が明らかにする新たな可能性
今日、環形動物は科学の最前線でも注目を集めている。ヒルの持つ抗凝血成分「ヒルジン」は、血栓治療の分野で活用されている。ミミズが分泌する酵素には、土壌の汚染物質を分解する力があり、環境浄化の研究が進んでいる。さらに、ゴカイのタンパク質が新しい抗生物質の開発につながる可能性もある。小さな環形動物が、医療や環境技術に大きな影響を与え始めている。彼らの存在が、人類の未来にどのような変革をもたらすのか、その可能性は計り知れない。
未来へ向けて、私たちができること
環形動物の未来は、私たちの選択にかかっている。農業の大規模化や化学肥料の乱用により、ミミズの数は減少しつつある。海洋汚染が進めば、ゴカイをはじめとする環形動物の生息地が失われる。彼らがいなくなれば、土壌も海洋もその機能を失い、地球全体の生態系に影響が及ぶだろう。環形動物の生態を守ることは、持続可能な未来を築くために欠かせない。目立たない存在だが、彼らこそが地球の基盤を支えているのだ。