基礎知識
- アルジュナとは何者か
アルジュナはインド叙事詩『マハーバーラタ』に登場する伝説的な英雄であり、パーンダヴァ五兄弟の一人で、弓術の名手として知られる。 - クルクシェートラ戦争とアルジュナの役割
アルジュナはクルクシェートラ戦争において、パーンダヴァ軍の中心的な戦士として活躍し、クリシュナの助言を受けながら運命的な戦いに挑んだ。 - バガヴァッド・ギーターの教え
戦場で迷うアルジュナに対し、クリシュナが説いた教えが『バガヴァッド・ギーター』であり、カルマ(行為)、ダルマ(義務)、ヨーガ(精神修行)などの哲学が含まれる。 - アルジュナとクリシュナの関係
アルジュナとクリシュナは主従関係を超えた深い絆を持ち、クリシュナはアルジュナの戦車の御者として導くとともに、精神的な指導者として彼を支えた。 - アルジュナの後世への影響
アルジュナはインド文化やヒンドゥー教思想において英雄像の典型とされ、文学・芸術・政治思想に大きな影響を与えた。
第1章 神話と歴史の狭間にいる英雄アルジュナ
伝説の戦士、神の血を引く者
アルジュナは単なる英雄ではない。彼は雷神インドラの息子であり、人間と神の血を併せ持つ存在である。『マハーバーラタ』によれば、パーンダヴァ五兄弟の母クンティーは、聖仙ドゥルヴァーサから与えられた神を召喚する力を用い、インドラを呼び出した。その結果、生まれたのがアルジュナである。インドラは戦争と雷の神であり、彼の息子であるアルジュナは、幼い頃から比類なき武勇と知性を持ち合わせていた。神々に祝福された英雄が、後にクルクシェートラ戦争で歴史を動かすことになるのは、もはや運命といえるだろう。
『マハーバーラタ』—アルジュナの舞台
アルジュナの物語を語るには、『マハーバーラタ』に触れなければならない。この叙事詩は、古代インドの歴史・神話・哲学を融合した壮大な物語であり、総計10万詩節にも及ぶ。比較すると、ホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』を合わせても、その規模には遠く及ばない。『マハーバーラタ』は、クル王家の後継者争いを中心に展開し、その中でアルジュナは最も重要な役割を果たす。彼は英雄でありながら葛藤する人間でもあり、読者は彼の苦悩や成長に共感しながら物語に引き込まれていく。
神話か、歴史か?
アルジュナは実在したのか。それとも神話上の存在なのか。『マハーバーラタ』の舞台となった時代は、紀元前1500年〜紀元前800年頃のインドとされているが、その真偽は謎に包まれている。一方、考古学的証拠やヴェーダ文献の記述から、一部の研究者はクルクシェートラ戦争が実際にあった可能性を指摘する。ヒッタイトやミタンニの記録には、インド・アーリア人の戦士たちの存在が示唆されており、アルジュナのような人物が実際にいたとしても不思議ではない。神話と歴史の境界線は、今なお解明され続けている。
永遠の英雄アルジュナ
なぜアルジュナの物語は何千年もの時を経ても語り継がれているのか。その答えは、彼が「人間の理想像」として描かれているからである。彼は戦士としての強さだけでなく、迷いや葛藤を抱える人間らしさも持っている。そして何よりも、師ドローナに鍛えられ、クリシュナの導きを受けながら成長し続ける姿が、多くの人々の心を打つのである。アルジュナは、ただの伝説ではない。彼の物語は、時代を超えて、現代に生きる我々にとっても示唆に富むものとなっている。
第2章 パーンダヴァ五兄弟の運命
運命に導かれた五兄弟
パーンダヴァ五兄弟は、通常の王族とは異なる生い立ちを持つ。母クンティーとマードリーは、神々の恩寵によって五人の子を授かった。長兄ユディシュティラは正義の象徴として、風神の子であるビーマは豪力無双の戦士として生まれた。そして、インドラの血を引くアルジュナは武芸の天才であった。双子のナクラとサハデーヴァはアシュヴィン神の子であり、美しさと知恵に優れていた。このように、神々の意志を背負って生まれた彼らは、幼い頃から運命の渦に巻き込まれていった。
宿敵カウラヴァ家との対立
パーンダヴァ兄弟には、百人の従兄弟、カウラヴァ家の王子たちがいた。その中でも長兄ドゥルヨーダナは、ユディシュティラに対する激しい嫉妬を抱えていた。ドゥルヨーダナは策略を巡らせ、パーンダヴァ兄弟を陥れようと何度も企てた。彼はラクシャーグリハ(蝋の館)に彼らを閉じ込め、火を放つという陰謀を仕掛けたが、ヴィドラの助言により彼らは脱出に成功した。この事件を境に、両家の対立はもはや和解不可能なものとなり、やがてクルクシェートラ戦争へと発展していく。
王国をかけたサイコロ勝負
カウラヴァ家の陰謀は続いた。ドゥルヨーダナは叔父のシャクニを操り、パーンダヴァ兄弟を賭博に引きずり込んだ。サイコロ勝負は巧妙な策略によって仕組まれており、ユディシュティラはすべてを失ってしまう。王国だけでなく、妻ドラウパディーまでもが賭けの対象となり、辱めを受ける屈辱的な場面が生じた。この出来事はパーンダヴァ兄弟にとって最大の屈辱であり、復讐を誓う決定的な契機となった。十三年間の放浪生活を経た彼らは、王国を取り戻すために立ち上がる。
正義と復讐のはざまで
パーンダヴァ兄弟は、自らの正当な権利を取り戻すために戦争を決意した。しかし、彼らが求めたのは単なる復讐ではなく、正義の回復であった。クルクシェートラ戦争の火蓋が切られる時、アルジュナは大いなる葛藤に直面する。彼らは生まれながらに戦士でありながら、血を分けた者たちと刃を交えなければならない運命を背負っていた。これは単なる王位継承の争いではなく、善と悪、義務と感情が交錯する壮大なドラマだったのである。
第3章 アルジュナの武勇と師匠たち
選ばれし弟子、ドローナの試練
アルジュナが戦士としての道を歩み始めたのは、偉大な師ドローナに出会った時である。ドローナはバラモンの血を引くが、武芸に長けた名高い師であり、クル王家の王子たちに武術を教えていた。数多くの弟子の中で、アルジュナは最も才能に恵まれていた。しかし、ドローナは彼の実力を試すため、様々な課題を与えた。ある日、師は一本の木の上に鳥の像を置き、生徒たちに矢を射させた。アルジュナだけが「私は鳥の目しか見えません」と答え、見事に射抜いた。この瞬間、ドローナは彼こそが真の後継者であると確信した。
競争と嫉妬—エーカラヴィヤの悲劇
アルジュナの才能は、他の弟子たちの羨望を集めた。しかし、その中でも特に象徴的な逸話が、狩人の王子エーカラヴィヤとの出来事である。エーカラヴィヤはドローナの教えを受けることが許されなかったが、彼は師の像を作り、その前で独学で修行を積んだ。そして、アルジュナに匹敵するほどの弓術を習得したのである。これを知ったドローナは、アルジュナの無二の地位を守るため、エーカラヴィヤに右手の親指を差し出させた。この事件は、武芸の道の厳しさと師弟関係の深い矛盾を象徴するものとして語り継がれている。
神々が授けた最強の武器
アルジュナの武勇は、単なる人間の技量にとどまらなかった。彼は神々の加護を受け、強力な武器を授けられた。特に有名なのが、雷神インドラから与えられた「パーシュパタストラ」や、火神アグニから授かった「ガーンディーヴァの弓」である。これらの武器は、通常の戦士には扱えないほどの威力を持ち、アルジュナを比類なき弓の名手へと押し上げた。彼はただの王子ではなく、神々に選ばれし戦士だったのである。これらの武器が後の戦争でいかに重要な役割を果たしたかは、歴史が証明している。
強さの意味を問う戦士
アルジュナは武芸の天才であったが、ただ強くなることが目的ではなかった。彼は戦いの技術を学ぶ中で、その力を何のために使うのかを常に問い続けた。師ドローナの厳しい指導のもとで技を磨く一方で、彼は戦士としての責任についても深く考えるようになった。武力は単なる暴力ではなく、正義を実現する手段でなければならない。アルジュナは己の剣を振るうたびに、その意味を探求し続けた。この思索こそが、後に彼が真の英雄として歴史に名を刻む要因となったのである。
第4章 クルクシェートラ戦争とアルジュナの決断
迷える戦士、戦場に立つ
クルクシェートラの大地に集結した二つの軍勢。パーンダヴァとカウラヴァ、かつては共に育った兄弟同士が、今や敵として矢を構えていた。戦争の号令が響く直前、アルジュナは戦車を進めた。目の前には、かつての師ドローナや尊敬する大伯父のビーシュマがいた。彼は震えながら弓を下ろし、呟いた。「私は何のために戦うのか?」勝利が正義とは限らない。親族同士の殺し合いを前に、アルジュナの心は揺れ動いた。英雄にとって最大の敵は、剣を持つ相手ではなく、自らの心の中にある葛藤だった。
クリシュナの導き—バガヴァッド・ギーターの誕生
アルジュナの戦車を操るのは、盟友クリシュナであった。しかし彼は単なる戦友ではなく、ヴィシュヌ神の化身であり、知恵を授ける存在であった。アルジュナが戦いを拒むと、クリシュナは静かに語り始めた。「汝のダルマ(義務)を果たせ。戦士であるならば、迷いを捨てよ。」これが『バガヴァッド・ギーター』、ヒンドゥー教最大の哲学書の始まりである。クリシュナの言葉はアルジュナの迷いを吹き飛ばした。運命とは個人の感情ではなく、宇宙の法則の中にある。彼はついに決意した。「私は戦おう。」
神々をも驚かせた戦場での英雄譚
戦いが始まると、アルジュナは圧倒的な強さを見せた。彼の手には神々から授かった「ガーンディーヴァの弓」、放たれる矢は雷のごとく敵を貫いた。彼は戦場の中央で猛威を振るい、次々とカウラヴァの戦士たちを撃破した。しかし、最も苦しい戦いは、師ドローナと大伯父ビーシュマとの戦いだった。敬愛する彼らを討つことはアルジュナにとって計り知れない苦痛だった。だが、戦士としての義務が感情に勝った。アルジュナは自らの使命を果たし、戦場に歴史的な勝利を刻んでいった。
栄光か、それとも破滅か
クルクシェートラ戦争の終焉が近づくにつれ、アルジュナは勝利の意味を問うようになった。パーンダヴァ軍は優勢だったが、失われた命はあまりにも多かった。ビーシュマは倒れ、ドローナも戦死した。親族を討った彼の心は晴れることなく、むしろ深い悲しみに包まれた。戦争は正義のためだったが、勝者となった今、アルジュナは果たして何を得たのか。英雄とは、単に敵を倒す者ではなく、その戦いの意味を理解する者なのかもしれない。戦士としての道を歩み続ける彼の旅は、まだ終わらなかった。
第5章 『バガヴァッド・ギーター』とアルジュナの覚醒
戦場での沈黙
クルクシェートラの戦場に立つアルジュナは、心を揺さぶる葛藤に直面していた。敵軍に並ぶのは、彼が敬愛する師ドローナ、誇り高き大伯父ビーシュマ、そしてかつて共に育った兄弟たち。彼はガーンディーヴァの弓を地面に落とし、クリシュナに訴えた。「なぜ私は彼らを殺さねばならないのか?」栄光のために、血を流すことが本当に正しいのか。戦士としての使命と人間としての良心の間で揺れる彼を、クリシュナは静かに見つめていた。こうして、『バガヴァッド・ギーター』が始まる。
宇宙の法則とカルマの教え
アルジュナの問いに対し、クリシュナは語り始めた。「この戦いは単なる人間同士の争いではない。宇宙の秩序、ダルマ(義務)を果たすためのものだ。」彼はアルジュナに、すべての生命はカルマ(行為)の結果として生まれ変わり続けること、そして真の自己は肉体ではなく魂(アートマン)であることを説いた。「剣は魂を傷つけることはできない。だからこそ、恐れるな。お前は義務を果たすだけでよいのだ。」この言葉はアルジュナに深い衝撃を与えた。彼は自らの存在の意味を見つめ直し始める。
ヨーガの道—執着なき行為
クリシュナはさらに続ける。「執着なく行動せよ。それこそがヨーガ(精神統一)の道である。」彼は、カルマ・ヨーガ(無私の行為)、バクティ・ヨーガ(信仰による献身)、ジュニャーナ・ヨーガ(知識による悟り)の三つの道を説いた。アルジュナはこれまで、勝利と名誉のために戦おうとしていた。しかし、クリシュナは彼に「結果に囚われず、ただ義務を果たせ」と教える。この思想は、アルジュナだけでなく、後世の多くの思想家や指導者たちに影響を与えることとなる。
迷いを捨てた英雄
クリシュナの教えを受けたアルジュナは、かつての迷いを捨て、新たな覚悟を胸にした。彼は戦場を見渡し、「私は戦おう」と静かに言った。だが、それはかつての彼とは違う。復讐や憎しみのためではなく、義務として戦うことを理解したのだ。彼はもはや勝敗を恐れなかった。ただ、与えられた役割を果たすのみ。この瞬間、アルジュナは英雄ではなく、悟りを開いた戦士となった。こうして、『バガヴァッド・ギーター』の言葉は彼の魂に深く刻まれたのである。
第6章 クリシュナとアルジュナの関係性
盟友としての絆
アルジュナとクリシュナの関係は、単なる戦士と王の間柄ではなかった。二人は義理の親戚であり、何よりも深い友情で結ばれていた。アルジュナがドラウパディーの婿選びで弓を射抜いたとき、彼を迎え入れたのがクリシュナであった。その後も、アルジュナが困難に直面するたびにクリシュナはそばにいた。二人の間には言葉を超えた信頼があり、戦場でも日常でも、互いを補い合う関係だった。クルクシェートラ戦争が始まるとき、アルジュナが迷った際に彼を導いたのもクリシュナだった。
戦車の御者、神の化身
クルクシェートラ戦争では、クリシュナはアルジュナの戦車の御者となった。しかし、彼は単なる従者ではなく、実はヴィシュヌ神の化身であった。戦争が始まる直前、クリシュナはアルジュナに『バガヴァッド・ギーター』の教えを説いた。その瞬間、クリシュナは神としての姿を現し、宇宙の真理を示した。アルジュナは畏怖の念を抱きながらも、その言葉を受け入れた。戦車の御者としてクリシュナはアルジュナを戦場へと導いたが、それは単なる物理的な移動ではなく、精神的な導きでもあったのである。
神と人間の間の対話
クリシュナとアルジュナの対話は、ただの師弟関係にとどまらない。クリシュナは神でありながら、アルジュナを特別に扱うことなく、あくまで対等な対話を続けた。アルジュナは時に疑問を投げかけ、時に恐れを口にした。しかしクリシュナは、その都度穏やかに答え、戦士としての義務を理解させた。これは単なる戦争の準備ではなく、人間が生きる上での哲学的な問いでもあった。アルジュナはクリシュナとの対話を通じて、戦士としてだけでなく、一人の人間として成長していったのである。
別れと永遠の導き
戦争が終わり、勝利を手にしたアルジュナだったが、彼の胸には重い悲しみが残った。多くの命が失われ、戦争の代償は計り知れなかった。クリシュナはそんなアルジュナを慰めたが、やがて自らの運命を迎える。ある日、クリシュナは森で狩人の矢に射られ、人間の生としての幕を閉じた。アルジュナはその死を嘆いたが、クリシュナの言葉は彼の心の中に永遠に残り続けた。クリシュナは去ったが、アルジュナの魂を導く存在として、彼の中に生き続けたのである。
第7章 アルジュナの試練と挫折
戦いの終焉と空虚な勝利
クルクシェートラ戦争は終わった。パーンダヴァ軍は勝利したが、その代償は計り知れなかった。戦場には血が流れ、かつての友や家族の姿は消えていた。アルジュナは王国を取り戻したが、心の中には虚無感が広がっていた。戦争の目的は果たされたはずだった。しかし、正義を貫いたはずのこの勝利に、何の意味があったのか。彼は、戦争の狂気の中で失ったものの大きさに気づき、英雄としてではなく、一人の人間として苦悩し始めた。彼にとって、戦いは終わったのではなく、新たな試練が始まったのである。
クリシュナの死と世界の変化
アルジュナにとって最も大きな打撃は、クリシュナの死だった。ある日、森で瞑想していたクリシュナは狩人の矢に射られ、この世を去った。それは神の意志とはいえ、アルジュナにとっては信じがたい現実だった。クリシュナはただの友ではなく、彼を導いた光そのものであった。その光を失った今、アルジュナは初めて本当の孤独を感じた。王国の秩序も崩れ始め、かつての理想の世界は崩壊の一途をたどっていた。彼は剣を手にしても、この混乱を止めることができないという無力感に苛まれた。
武芸の衰えと英雄の黄昏
アルジュナはもう一度剣を取り、王国を守ろうとした。しかし、かつて神々すらも恐れたその腕は、もはや思うように動かなかった。盗賊が村を襲った際、彼はガーンディーヴァを手に立ち向かったが、矢は的を外し、敵に押し負けた。英雄アルジュナの名声は過去のものとなり、自身の衰えを自覚せざるを得なかった。武芸の衰えは、彼にとって何よりも辛い現実だった。クリシュナのいない世界で、もはや彼は何者なのか。その答えを見つけるために、彼は最後の旅へと向かうことを決意する。
聖地への巡礼と静かな旅立ち
アルジュナはパーンダヴァの兄弟たちとともに、ヒマラヤへ向かった。すべてを捨て、最後の旅に出るためである。彼らは王位も富も名声も手放し、神々の住まう山を目指した。アルジュナはかつての栄光を振り返ることなく、一歩一歩、静かに進んだ。道中、彼の足取りは次第に重くなり、ついに雪に覆われた山の途中で崩れ落ちた。しかし、彼の魂は消えなかった。英雄アルジュナは、神々のもとへと召され、新たな世界へと旅立ったのである。
第8章 アルジュナの後世への影響
インド文化に刻まれた英雄像
アルジュナは、インド文化の中で永遠に生き続ける英雄である。『マハーバーラタ』の物語は、単なる神話ではなく、インド社会の倫理観や価値観を形作る重要な要素となった。特にアルジュナの葛藤と成長は、正義と義務についての哲学的な問いを投げかける。インドの寺院には彼の彫像が多く見られ、舞踊や演劇では彼の勇壮な戦いが繰り返し演じられる。ラージャスターンの伝統芸術やカタカリ舞踊においても、アルジュナの姿は鮮やかに描かれ、彼の勇気と信念は今も人々の心に息づいている。
政治思想への影響
アルジュナの物語は、古代から近代にかけてのインド政治思想にも大きな影響を与えた。インド独立運動の指導者であるマハトマ・ガンディーは、『バガヴァッド・ギーター』の教えを「行為の哲学」として受け入れ、非暴力の闘争を貫いた。また、初代インド首相ジャワハルラール・ネルーは、アルジュナのように道義的なリーダーシップを理想とし、国家運営において倫理と義務を重視した。アルジュナが戦場で示した「正しい行為を恐れずに実行する精神」は、政治の場でも重要な指針となったのである。
文学と芸術におけるアルジュナ
アルジュナの物語は、インドだけでなく世界の文学や芸術にも影響を与えている。古代インドの詩人カーリダーサは、叙事詩の中でアルジュナの武勇を讃え、中世のジャイナ教文学にも彼の英雄的な姿が描かれている。現代では、アルジュナの物語は映画やドラマ、漫画にまで広がり、視覚的にも彼の姿が親しまれている。『バガヴァッド・ギーター』は世界中で翻訳され、アルジュナの葛藤は普遍的な人間のテーマとして多くの哲学者に影響を与えた。
現代社会におけるアルジュナの教訓
アルジュナの物語は、現代社会に生きる私たちにも多くの示唆を与える。彼の葛藤は、個人の責任と道義の間で揺れ動く現代人の姿と重なる。仕事や人生の選択に迷うとき、アルジュナのように「義務とは何か」「恐れずに正しい道を進むべきか」を問うことができる。『バガヴァッド・ギーター』の教えは、ストレス社会の中で心を整える哲学としても注目されている。アルジュナは、ただの神話の英雄ではなく、時代を超えて生き続ける「私たち自身の姿」でもあるのだ。
第9章 他文化におけるアルジュナの受容
東南アジアに広がるアルジュナの伝説
アルジュナの物語は、インドの地を越えて東南アジア全域に広がった。特にインドネシアやタイ、カンボジアでは、『マハーバーラタ』の物語が国の文化に深く根付いている。ジャワ島のワヤン・クリット(影絵芝居)では、アルジュナは優雅で知的な英雄として描かれ、武勇だけでなく、精神性を重視する人物として尊敬を集めている。タイのラーマキエンでは、アルジュナに相当するキャラクターが登場し、正義を体現する戦士の象徴として描かれる。こうして、彼の物語はインド文化を超えて多様な形で生き続けている。
仏教・ジャイナ教におけるアルジュナ像
アルジュナはヒンドゥー教の英雄として知られているが、仏教やジャイナ教の文献にも登場する。ジャイナ教では、アルジュナは単なる戦士ではなく、精神的修行を重視する存在として再解釈されている。また、仏教伝承の一部では、彼の物語が平和と非暴力の教えに基づいて語られることもある。戦場での葛藤や自己の内面と向き合う姿勢は、仏教の輪廻転生や悟りの概念とも共鳴する。そのため、アルジュナは宗教を超えて、異なる思想の中でも重要な人物として語り継がれてきたのである。
西洋の文学とアルジュナの影響
アルジュナの物語は、西洋の文学や哲学にも影響を与えた。19世紀の哲学者ヘンリー・デイヴィッド・ソローやラルフ・ウォルド・エマーソンは、『バガヴァッド・ギーター』を研究し、アルジュナの葛藤を「個人の倫理と行動のジレンマ」として捉えた。また、J・R・R・トールキンの『指輪物語』では、戦士の自己犠牲と精神的成長というテーマがアルジュナの物語と共鳴する。アルジュナの内なる戦いは、世界中の文学作品の中で、英雄が自己を超越するプロセスとして繰り返し描かれている。
現代ポップカルチャーに生きるアルジュナ
アルジュナの伝説は、現代の映画や漫画、ゲームのキャラクターにも影響を与えている。日本の人気漫画『バガボンド』では、宮本武蔵の内面的葛藤がアルジュナの精神的成長と重なる要素を持つ。また、ハリウッド映画『インターステラー』の中では、『バガヴァッド・ギーター』の一節が引用され、アルジュナの迷いと決断が宇宙の旅と重ねられた。戦士としての強さと哲学的な深みを持つアルジュナの物語は、今もなおさまざまな形で進化し続けているのである。
第10章 アルジュナの教えと現代への応用
リーダーシップとは何か
アルジュナは優れた戦士であるだけでなく、理想的なリーダーでもあった。彼はただ命令を下すのではなく、自ら最前線に立ち、仲間と共に戦った。この姿勢は、現代のリーダーシップ論にも通じる。カリスマ性だけではなく、責任を持って決断し、困難に立ち向かう強さが求められるのである。ビジネス界でも、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのようなリーダーたちは、アルジュナのように試練を乗り越えながら組織を導いてきた。リーダーとは、最も優れた者ではなく、最も大きな責任を背負う者なのだ。
自己成長と精神的鍛錬
アルジュナの成長は、単なる武術の上達ではなく、精神的な成熟でもあった。『バガヴァッド・ギーター』の中で彼は、自らの迷いを乗り越え、強い信念を持つ戦士へと変わった。これは現代の自己啓発の考え方にもつながる。瞑想やマインドフルネスといった実践は、アルジュナが学んだヨーガの教えにも通じている。成功とは単に外部の結果ではなく、自己との対話によって築かれるものである。アルジュナの物語は、現代のストレス社会においても、心の安定を求める人々にとっての指針となる。
人生の岐路に立つとき
人生には誰しも決断を迫られる瞬間がある。アルジュナは戦場で迷い、クリシュナの導きによって答えを見つけた。同じように、私たちも仕事や人間関係、進路の選択に悩むことがある。しかし、そのときに必要なのは「恐れずに自らの義務を果たすこと」である。アルジュナのように、時には迷いながらも、自分の信じる道を進むことが重要なのだ。彼の決断の物語は、現代の私たちにとっても、大切な指針となる。
アルジュナの教えは永遠に
アルジュナの物語は、古代インドにとどまらず、現代にも生き続けている。彼が直面した葛藤や決断の物語は、時代を超えて普遍的なものだ。リーダーシップ、精神的鍛錬、決断力など、彼の生き方には現代の人々が学ぶべき教訓が詰まっている。『バガヴァッド・ギーター』の言葉は、今もなお世界中で読まれ、哲学者や指導者に影響を与え続けている。アルジュナは英雄としてだけでなく、人間の理想像として、これからも語り継がれていくのである。