基礎知識
- 『マタイによる福音書』の成立時期と背景
『マタイによる福音書』は1世紀後半(70~90年頃)に成立したとされ、ユダヤ人キリスト教徒の共同体を対象に書かれた。 - 執筆者と伝承
伝統的には使徒マタイが著者とされるが、現代の学説では無名のユダヤ系キリスト教徒による編纂の可能性が高い。 - 資料源と共観福音書問題
『マルコによる福音書』を主要な資料としつつ、「Q資料」と呼ばれる仮説上の共通資料を含んでいると考えられる。 - 神学的特徴と目的
イエスを旧約聖書の預言の成就者と位置付け、ユダヤ的伝統を重視しながらも異邦人への宣教を意識している。 - 歴史的・政治的影響
ユダヤ戦争(66–73年)後のユダヤ社会の変化の中で、ユダヤ教との対立やキリスト教の自立が進む過程を反映している。
第1章 『マタイによる福音書』とは何か?
一冊の書物が歴史を動かす
西暦4世紀のローマ帝国、コンスタンティヌス帝の治世下。ある日、宮廷の学者が羊皮紙に記された古い文書を読みながらつぶやく。「これは、世界を変える書物だ」――それが『マタイによる福音書』である。キリスト教がまだ小さな宗派に過ぎなかった時代、この書は新しい信仰の基礎を築いた。イエス・キリストの生涯と教えを記し、ユダヤ教からの連続性と革新性を同時に示した。歴史上、多くの書物が人類の思想を形作ってきたが、『マタイによる福音書』ほど広範な影響を与えたものは少ない。
四つの視点の中で際立つ特徴
キリスト教には四つの「福音書」がある。『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』である。このうち『マタイによる福音書』は、イエスを「ユダヤの王」として描くことに重点を置く。冒頭の系図からもそれは明らかであり、ダビデ王の血筋を強調することで、イエスが旧約聖書の預言を成就する存在であることを示している。また、山上の説教など、イエスの言葉を詳細に記録しており、キリスト教の倫理観を形作る重要な役割を果たしている。この書物が、単なる伝記ではなく、信仰と神学の礎となった所以である。
誰が、なぜ書いたのか?
伝統的に『マタイによる福音書』は、イエスの弟子であり、元徴税人だったマタイが書いたとされる。しかし、現代の研究では、実際の著者は名前の知られていないユダヤ系キリスト教徒であった可能性が高いとされる。なぜなら、この書には高度なギリシャ語の表現が見られ、また、旧約聖書を熟知した人物の手によると考えられるからだ。いずれにせよ、この書の目的は明確である。イエスこそが旧約の預言を成就したメシアであり、ユダヤ人と異邦人の双方に救いをもたらす存在であると伝えることにあった。
受け継がれた言葉、広がる影響
『マタイによる福音書』の言葉は、長い歴史の中で幾度となく繰り返し読まれ、説かれ、書き写されてきた。2世紀には教父イレナイオスがこの書を「最も重要な福音書の一つ」と評し、4世紀には聖ヒエロニムスがラテン語訳「ウルガタ」を完成させたことで、さらに広く読まれるようになった。そして現代に至るまで、この書は世界中の言語に翻訳され、聖書の中で最も影響力のある文書の一つとして受け継がれている。ここに記された言葉は、今もなお多くの人々の心を動かし続けているのである。
第2章 執筆者とその意図
マタイは本当に書いたのか?
西暦2世紀の教会では、『マタイによる福音書』の著者について広く議論されていた。教父パピアスは「この書はマタイによってヘブライ語で書かれた」と語るが、今日残る最古の写本はすべてギリシャ語である。マタイはイエスの弟子であり、元徴税人として知られるが、果たして本当に彼が書いたのだろうか?学者たちは、この福音書の洗練された文体や神学的な構成を指摘し、後のユダヤ系キリスト教徒による編集の可能性を提唱している。伝統と学問、どちらが真実を語るのか、謎は深まるばかりである。
なぜユダヤ人に向けて書かれたのか?
『マタイによる福音書』が特にユダヤ人向けに書かれたことは、随所に見られる旧約聖書の引用からも明らかである。「これは預言者イザヤが語ったことの成就である」と繰り返し強調し、イエスが旧約の預言を果たした存在であると訴える。また、イエスの家系をアブラハムから始める点も、ユダヤの伝統に則った意図的な構成である。エルサレム神殿の崩壊後、アイデンティティの再構築を迫られたユダヤ人たちに、新たな希望を示そうとしたのがこの書の目的の一つであった。
ギリシャ語で書かれた理由
『マタイによる福音書』の読者はユダヤ人に限らず、地中海世界に広がるキリスト教徒たちであった。そのため、言語は当時の国際共通語であるギリシャ語が選ばれた。ギリシャ語版の旧約聖書「セプトゥアギンタ」からの引用が多いことも、その証拠である。この選択は、福音をより広範囲に伝えるための戦略であり、ヘレニズム文化と融合しながらもユダヤの伝統を守る絶妙なバランスを生み出した。この言語選択こそが、福音書が後世に受け継がれる大きな要因の一つとなったのである。
伝承と歴史の狭間で
『マタイによる福音書』は、単なる歴史書ではなく、信仰の書である。そのため、著者が特定の出来事をどのように伝えるかに強い意図が込められている。たとえば、イエスの誕生物語では、ユダヤの王ヘロデが登場し、モーセの時代のファラオになぞらえられる。これにより、イエスは新しい「解放者」として描かれるのだ。こうした象徴的な表現は、当時のユダヤ人読者にとって理解しやすく、信仰を深める役割を果たした。この福音書が単なる記録を超えた影響力を持つ理由は、まさにここにある。
第3章 成立時期と歴史的背景
ローマの影が迫る時代
西暦70年、エルサレムの空は赤く染まっていた。ローマ軍の将軍ティトゥス率いる軍勢が神殿を焼き払い、ユダヤの歴史に大きな転換点を刻んだ。神殿崩壊はユダヤ人社会に深刻な衝撃を与え、信仰とアイデンティティの再構築を迫った。この激動の時代に、『マタイによる福音書』は生まれた。イエスの教えを再確認し、信仰を守るため、著者は旧約聖書の預言を強調しながら、新たな希望を示そうとしたのである。この書が書かれたのは、まさに歴史の転換点だった。
反乱、支配、そして変化
1世紀のユダヤは、ローマの支配下で常に不安定だった。紀元66年、ユダヤ人たちはローマ帝国に反旗を翻し、第一次ユダヤ戦争が始まる。しかし、強大なローマ軍の前に次第に追い詰められ、70年にエルサレムが陥落。神殿を失ったユダヤ社会は、ファリサイ派を中心としたラビ的ユダヤ教へと変貌していった。キリスト教徒たちもまた、この動乱の中でユダヤ教との違いを明確にし、新しい共同体を築いていく必要に迫られた。『マタイによる福音書』は、この激動の時代の中で、ユダヤ人キリスト教徒の新たな道を示そうとしていたのである。
信仰と政治の狭間で
この時期、ローマ帝国はキリスト教をまだ一つのユダヤ教の分派と見なしていた。しかし、キリスト教徒がユダヤ社会から離れていくにつれ、彼らはユダヤ教徒とローマ人の両方からの圧力にさらされることになった。エルサレム神殿崩壊後、ユダヤ教の指導者たちは自らの信仰を守るため、キリスト教徒を異端とみなし、シナゴーグから排除する動きを見せた。『マタイによる福音書』がファリサイ派に対して厳しい言葉を記しているのも、こうした宗教的対立の影響である。
未来への希望としての福音
戦争と混乱の中で、多くの人々が新たな希望を求めていた。『マタイによる福音書』は、ユダヤの伝統に根差しながらも、新しい信仰のあり方を提示した。イエスの教えは旧約の預言と一致し、神の計画の一部であると強調された。そして、それはユダヤ人だけでなく、異邦人にも開かれたものであった。ローマ帝国の圧政の下で苦しむ人々にとって、この福音書は単なる歴史の記録ではなく、新しい未来への希望そのものだったのである。
第4章 資料と共観福音書問題
ひとつの物語、三つの視点
『マタイによる福音書』は、イエスの生涯と教えを伝えるが、実は『マルコ』『ルカ』と驚くほど共通点が多い。たとえば、イエスが荒野で悪魔に試みられる場面や、最後の晩餐の描写は、これらの福音書でほぼ同じ形で記されている。このため、これら三つの福音書は「共観福音書」と呼ばれる。しかし、なぜこれほど似通っているのか?『マタイ』は『マルコ』を参考にしたのか、それとも他の資料が存在したのか?この謎は、新約聖書研究の中でも特に興味深いテーマである。
『マルコによる福音書』の影響
学者たちは長年にわたり、『マタイによる福音書』と『マルコによる福音書』の関係を分析してきた。その結果、多くの専門家が『マタイ』の著者は『マルコ』を下敷きにしたと考えている。『マルコ』の内容の90%以上が『マタイ』に含まれ、同じ出来事が同じ順序で語られることが多い。しかし、『マタイ』は『マルコ』よりも長く、イエスの教えを詳細に記している。この違いは、『マタイ』の著者が『マルコ』を拡張し、さらに独自の視点を加えたことを示唆している。
謎の「Q資料」
『マタイ』と『ルカ』には、『マルコ』にはないが共通する言葉が多く含まれる。たとえば、イエスの有名な「主の祈り」や「山上の説教」の一部は両書に存在するが、『マルコ』にはない。このことから、学者たちは「Q資料」と呼ばれる仮説上の文書があったのではないかと考えている。「Q」とはドイツ語の「Quelle(泉)」の頭文字であり、イエスの言葉を記録した資料だった可能性がある。もし実在したなら、『マタイ』の著者はこのQ資料を利用し、イエスの教えをより明確に伝えようとしたのである。
『マタイ』独自の資料とは?
『マタイによる福音書』には、『マルコ』や「Q資料」にない独自の内容も多い。たとえば、東方の博士たちが星を頼りに幼子イエスを訪れるエピソードや、ピラトがイエスの死刑を宣告する際に手を洗う場面は『マタイ』特有の記述である。こうした部分は、「M資料」と呼ばれる『マタイ』独自の情報源から来た可能性がある。『マタイ』の著者は、さまざまな資料を組み合わせながら、イエスの生涯と教えを最も伝えやすい形に整えたのである。
第5章 神学的特徴と思想
旧約聖書の成就としてのイエス
『マタイによる福音書』は、イエスこそ旧約聖書の預言を成就する存在であると繰り返し強調する。たとえば、イエスの誕生が「見よ、おとめがみごもって男の子を産む」(イザヤ書7:14)という預言の実現であると述べる。また、エジプトからの帰還を「エジプトからわたしの子を呼び出した」(ホセア書11:1)と結びつける。このように、マタイはイエスの生涯と旧約の言葉を対応させることで、ユダヤ人にとって納得できる形で、彼が真のメシアであることを示そうとしたのである。
天の国とは何か?
『マタイによる福音書』では「天の国」(または「神の国」)という言葉が頻繁に登場する。これは、神の支配がこの世にもたらされることを意味する。イエスは「心の貧しい者は幸いである、天の国は彼らのものである」と説き、この国に入る者の条件を示した。また、からし種のたとえ話を通じて、天の国は小さなものから始まり、やがて大きく成長すると説明する。マタイの描く天の国は、単なる未来の楽園ではなく、すでにこの世に始まりつつある神の統治なのである。
正義と律法の新しい解釈
『マタイによる福音書』は、イエスを単なる律法の守護者ではなく、新たな解釈者として描く。山上の説教では「昔の人々に『殺すな』と言われたが、私は言う。兄弟に怒る者も裁かれる」と述べ、行動だけでなく心のあり方を問う。イエスは旧約の戒めを否定するのではなく、その本質を明らかにすることで、より深い正義を求めたのである。これは、表面的な律法の遵守よりも、神の意志を正しく理解し、それに従うことの重要性を強調するものであった。
異邦人への開かれた福音
『マタイによる福音書』は、ユダヤ人だけでなく異邦人にも福音が広がることを示唆している。イエスの誕生時に東方の博士たちが礼拝し、ローマの百人隊長の信仰が称賛される場面がその例である。さらに、最後の命令として「すべての国の人々を弟子にしなさい」と述べ、福音の普遍的な広がりを強調する。ユダヤの伝統に根差しつつも、救いの対象を広げることは、マタイの神学において極めて重要な要素であった。
第6章 ユダヤ教との関係と対立
分かれゆく道
1世紀のユダヤ世界では、イエスの教えはユダヤ教の枠組みの中で語られていた。しかし、時が経つにつれ、キリスト教徒とユダヤ教徒の間に緊張が生じた。イエスをメシアと認める者と、そうでない者の間に亀裂が広がり、両者の道は少しずつ分かれていった。特にエルサレム神殿崩壊後、ファリサイ派の指導者たちがユダヤ教の中心的存在となり、キリスト教徒を共同体から排除する動きが強まった。こうして、もともと同じ根を持つ二つの信仰が異なる道を歩むことになったのである。
ファリサイ派への厳しい批判
『マタイによる福音書』には、イエスがファリサイ派を厳しく批判する場面が多く登場する。「偽善者たちよ!」という言葉が繰り返され、彼らの形式主義や偽善が強く非難される。この背景には、当時のユダヤ教内部での主導権争いがあった。エルサレム神殿が崩壊した後、ファリサイ派はユダヤ教の主流となり、キリスト教との対立が深まった。『マタイ』の著者が彼らを批判したのは、単なる宗教的対立ではなく、キリスト教が新たな共同体として独自の立場を確立しようとする動きの表れであった。
ユダヤ教の伝統と継承
しかし、『マタイによる福音書』はユダヤ教を完全に否定しているわけではない。むしろ、イエスを旧約の預言の成就者と位置付け、ユダヤの伝統の正統な継承者として描いている。冒頭の系図でイエスをダビデ王やアブラハムと結びつけるのもその一例である。また、「律法を廃止するためではなく、成就するために来た」というイエスの言葉は、ユダヤ教の教えと断絶するのではなく、それを完成させる意図があったことを示している。
共同体の未来をめぐる争い
1世紀末、ユダヤ教とキリスト教は、それぞれの未来を模索していた。ユダヤ教はラビを中心とした学問的伝統を発展させ、一方でキリスト教は異邦人へと広がりつつあった。『マタイによる福音書』は、この分岐点にあったキリスト教徒たちの立場を反映している。彼らはユダヤ教の枠組みから外れつつも、旧約の伝統を守りながら新しい信仰を形成しようとしていたのである。この福音書は、単なる歴史の記録ではなく、新しい時代の信仰の指針となる書でもあった。
第7章 政治的・社会的影響
迫害の時代が始まる
『マタイによる福音書』が書かれた1世紀後半、キリスト教徒はローマ帝国で少数派として生きていた。ローマの支配者たちは、皇帝崇拝を拒むキリスト教徒を危険視し、時には厳しい弾圧を加えた。64年、ローマ大火の責任を負わされたキリスト教徒たちは、皇帝ネロによって処刑された。やがて、帝国全土に広がる信仰として成長するが、その過程では多くの信者が命を落とした。『マタイ』の著者は、このような迫害の中で信仰を保つため、イエスの教えを強調し、弟子たちに希望を与えようとしたのである。
帝国の中でのアイデンティティ
1世紀のローマ社会では、キリスト教徒はユダヤ教徒とは異なる存在として認識され始めていた。ユダヤ戦争(66–73年)後、ユダヤ教徒はローマ帝国に対して従順な姿勢を取ることで生き残ったが、キリスト教徒は別の道を選んだ。彼らは異邦人にも福音を広めることで、帝国内に新しい宗教共同体を築き上げた。『マタイによる福音書』は、ユダヤの伝統を尊重しながらも、新しい信仰としてのキリスト教の独自性を確立する役割を果たした。この福音書が重視する「天の国」の概念も、帝国の中で生きる信者にとって重要な意味を持った。
支配者たちとの衝突
ローマ帝国において、キリスト教はしばしば政治的な脅威とみなされた。『マタイによる福音書』は、ピラト総督がイエスを裁く場面を詳細に記しているが、そこには政治的な緊張が色濃く反映されている。ローマの支配のもとで、ユダヤの指導者たちは自らの権力を維持するため、イエスを「危険な存在」としてローマ当局に引き渡した。この福音書の記述は、キリスト教徒が帝国の圧力の中で信仰を守る姿勢を示すために強調されたと考えられる。
信仰は広がり続ける
『マタイによる福音書』は、ローマ帝国の支配が続く中でも、信仰を持ち続けるよう信者たちに訴えた。そして、この福音書が書かれてから約250年後、状況は劇的に変化する。西暦313年、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令を発し、キリスト教は公認宗教となった。迫害されていた信仰が、ついに帝国の中心に据えられることとなる。『マタイによる福音書』の言葉は、この歴史の変遷の中で力を持ち続け、信者たちの道を照らし続けたのである。
第8章 『マタイによる福音書』の受容史
初期教会の中での位置づけ
2世紀のキリスト教徒たちは、まだ正式な「聖書」を持っていなかった。各地の共同体では、使徒たちの書簡や福音書が個別に読まれていた。その中で『マタイによる福音書』は特別な地位を得た。イレナイオスは、この福音書が最も重要であるとし、多くの教会で最初に読まれるべき書とした。その理由は、イエスの言葉を豊富に含み、旧約との結びつきが強かったためである。こうして、『マタイ』はキリスト教のアイデンティティを確立する中心的な書となったのである。
正典化への道のり
4世紀、キリスト教がローマ帝国で公認されると、教会は正式な聖書の編纂に着手した。325年のニカイア公会議以降、各地の教会に伝わる文書の中から正典を選ぶ作業が進められた。『マタイによる福音書』は、最初期から広く読まれていたこと、神学的に正統な内容を持つこと、そしてイエスの言葉を多く含むことから、聖書の正式な一部とされた。この決定により、『マタイ』はキリスト教の土台として揺るぎない地位を築いたのである。
中世における影響
中世ヨーロッパでは、『マタイによる福音書』は説教や神学の中心的なテキストとして用いられた。特に、山上の説教の「心の貧しい者は幸いである」という言葉は、多くの修道士や神学者に影響を与えた。アウグスティヌスやトマス・アクィナスは、『マタイ』の記述を詳細に分析し、キリスト教倫理の基盤として位置付けた。さらに、ラテン語訳「ウルガタ」が広まり、修道院ではこの福音書の写本が繰り返し作成され、広く普及することとなった。
近代以降の研究と解釈
ルネサンスと宗教改革の時代になると、『マタイによる福音書』は新たな視点で研究されるようになった。マルティン・ルターは、「律法と福音」の関係をこの書から解釈し、プロテスタント神学の基礎を築いた。19世紀以降、近代聖書学が発展すると、共観福音書問題や資料批判の観点から『マタイ』の成り立ちが詳細に研究された。現在でも、この福音書は歴史的・神学的観点から重要な研究対象であり、キリスト教のみならず、宗教史全体においても中心的な文書であり続けている。
第9章 近代聖書学と『マタイによる福音書』の研究
聖書批判学の誕生
18世紀の啓蒙時代、人々は伝統的な宗教観に疑問を抱き始めた。ドイツの学者ヨハン・ゼムラーは、聖書を神聖な書ではなく、歴史的文書として分析する方法を提唱した。これが「聖書批判学」の始まりである。19世紀には、デイヴィッド・シュトラウスが『イエス伝』を執筆し、福音書に神話的要素が含まれる可能性を示した。こうした研究は、『マタイによる福音書』が歴史的事実だけでなく、神学的意図をもって編纂されたことを明らかにし、新たな解釈の扉を開いた。
二資料仮説と共観福音書問題
19世紀後半、ドイツの学者ハインリヒ・ホルツマンは、福音書の関係性を説明する「二資料仮説」を提唱した。これは『マタイ』と『ルカ』が『マルコ』と、失われた「Q資料」を基に書かれたとする理論である。この仮説により、『マタイによる福音書』は独立した証言ではなく、編集された文書であることが浮かび上がった。現代でもこの仮説は多くの研究者に支持されており、『マタイ』の成り立ちを理解する上で不可欠な理論となっている。
社会学的視点からの再解釈
20世紀には、聖書研究に社会学的な視点が加わった。ブルトマンの影響を受けた学者たちは、『マタイによる福音書』を単なる歴史記録ではなく、初期キリスト教共同体の自己理解を反映した文書と捉えた。特に、ユダヤ戦争後の混乱の中で、キリスト教徒が自らのアイデンティティを確立するために『マタイ』がどのような役割を果たしたのかが議論された。この視点は、福音書を社会的・政治的文脈の中で理解する重要性を示している。
現代の研究と新たな視点
21世紀に入り、『マタイによる福音書』の研究はさらに深化している。考古学の進展により、当時のユダヤ社会の実態が明らかになり、イエスの言葉の背景をより詳細に分析できるようになった。また、フェミニスト神学やポストコロニアル批評といった新たなアプローチが、『マタイ』の記述がどのような権力構造を反映しているのかを問うている。今日、『マタイによる福音書』は単なる宗教書ではなく、歴史・文化・社会を読み解く重要なテキストとして再評価されている。
第10章 現代における意義と解釈
21世紀に生きる福音書
『マタイによる福音書』は、約2000年前に書かれたにもかかわらず、現代においても多くの人々に影響を与え続けている。教会での説教や神学研究の中心であり、倫理学や哲学の分野でも頻繁に引用される。特に「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という言葉は、平和運動や社会正義を求める活動家にも影響を与えてきた。歴史を超えて読み継がれるこの書が示す価値は、単なる宗教的教えにとどまらず、人類の道徳や生き方そのものを形作る力を持っているのである。
倫理と社会問題への影響
『マタイによる福音書』は、現代の社会問題にも深く関わる。例えば「黄金律」と呼ばれる「人にしてもらいたいことを、あなたも人にしなさい」という教えは、今日の倫理学や国際人権の基盤として考えられている。マハトマ・ガンディーは、この教えに感銘を受け、非暴力運動の理念に取り入れた。また、貧しい者や社会的弱者への配慮を説くイエスの言葉は、社会福祉政策や経済格差の是正を求める議論にも影響を与えている。こうした視点から、『マタイ』の教えは現代社会においても大きな意味を持ち続けている。
多様な解釈と宗教間対話
『マタイによる福音書』は、キリスト教内部だけでなく、異なる宗教や思想の人々にも多様な解釈を生み出してきた。ユダヤ教の学者は、イエスの教えを当時のラビ的伝統の中で捉え直し、イスラム教の一部ではイエスを預言者の一人として尊重する視点がある。さらに、仏教徒の中には「山上の説教」をブッダの教えに通じるものとして評価する者もいる。『マタイ』は、宗教間対話の架け橋となり、人類共通の精神的価値を探求するための貴重な資料となっているのである。
未来に向けてのメッセージ
科学技術が発展し、世界がますますグローバル化する中で、『マタイによる福音書』が示す価値観はどのような意味を持つのか。イエスの教えは、単なる古代の思想ではなく、愛、赦し、正義といった普遍的なテーマを扱っている。未来の社会がどのように変化しても、人間が互いに理解し合い、より良い世界を築くための指針として、この福音書の言葉は読み継がれていくであろう。時代を超えて人々の心に響き続けることこそが、『マタイによる福音書』の真の力なのである。