フランツ・シューベルト

基礎知識
  1. シューベルトの生涯とウィーンの音楽文化
    フランツ・シューベルト(1797-1828)はウィーン出身の作曲家であり、短い生涯の中で600曲以上の歌曲を作曲した天才である。
  2. リート(歌曲)の発展とシューベルトの革新性
    シューベルトは、詩と音楽を緊密に結び付けることでリートを革新し、後世の作曲家に多大な影響を与えた。
  3. 代表作「冬の旅」と物語性
    連作歌曲「冬の旅」は孤独や絶望のテーマを描いたシューベルトの最高傑作の一つである。
  4. シューベルトの室内楽とその重要性
    シューベルトは「ピアノ五重奏曲『ます』」などでロマン派音楽における室内楽の新たな可能性を示した。
  5. シューベルティアーデと友人たちの役割
    シューベルトが開催した非公式な音楽会「シューベルティアーデ」は、彼の創作とその広がりに重要な役割を果たした。

第1章 シューベルトとウィーンの時代背景

音楽の都ウィーンへの招待

ウィーンは18世紀末から19世紀初頭にかけて、音楽の中心地として輝きを放つ都市であった。ハイドン、モーツァルトベートーヴェンといった巨匠が活躍し、音楽家たちが集うこの地は、「古典派音楽の聖地」とも言える存在である。シューベルトが1797年に生まれた時、ウィーンはヨーロッパ文化の最前線であり、多くの芸術家たちにとっての舞台であった。音楽会やサロンで新しい楽曲が披露され、市民たちは芸術を日常生活の一部として楽しんでいた。このような豊かな文化土壌は、シューベルトが幼少期から音楽の才能を伸ばす理想的な環境を提供していた。

ナポレオン戦争とその影響

シューベルトが生まれ育った時代、ヨーロッパナポレオン戦争によって揺れていた。ウィーンは1805年と1809年の二度にわたりフランス軍に占領され、市民生活にも大きな影響を受けた。この混乱の中で音楽が持つ「癒し」と「希望」の力は、より一層求められるようになった。戦争中、ベートーヴェンの「英雄交響曲」などが作られ、自由や英雄的な精神象徴する音楽が人気を博した。同じ街に暮らしていたシューベルトは、これらの時代背景を肌で感じながら成長していった。彼の音楽には、こうした社会的・政治的な出来事が影響を与えた可能性がある。

市民階級と新しい音楽の受容

18世紀末まで音楽は貴族のものであったが、シューベルトの時代には市民階級の人々も音楽に触れるようになった。ウィーンでは、一般市民が入場可能な音楽会が増え、家庭で音楽を楽しむ文化が発展した。特にリートや室内楽は、庶民が手軽に楽しめるジャンルとして人気を集めた。シューベルトはこの新しい時代の波に乗り、庶民的な感性を持ちながらも高度な音楽性を融合させた作品を生み出した。彼のリートは、詩と音楽を一体化させる新しいスタイルであり、当時の市民階級に深く響いた。

革新と伝統が交差する時代

シューベルトが活躍した19世紀初頭は、古典派からロマン派へと音楽が大きく変化する時期であった。ベートーヴェンの影響を受けつつも、自身の独自性を確立しようとする若い音楽家たちが次々と登場していた。シューベルトもその一人であり、彼の作品には古典派の伝統的な形式とロマン派の新しい感性が見事に融合している。例えば、彼の初期の交響曲にはモーツァルトやハイドンの影響が色濃く見られるが、同時に個性豊かな旋律や詩的な感情が表現されている。このようにしてシューベルトは、時代の中で独自の地位を築いていったのである。

第2章 天才作曲家の幼少期と教育

音楽一家に生まれた天才

フランツ・シューベルトは1797年、ウィーンの近郊リヒテンタールに生まれた。彼の父フランツ・テオドールは学校教師で、音楽を愛する一家を築いた。家族内での音楽教育自然と始まり、シューベルトは幼い頃から父や兄たちからバイオリンやピアノの手ほどきを受けた。彼の類まれな才能はすぐに明らかとなり、8歳になる頃には複雑な楽譜も自由自在に読み解けるようになっていた。こうしてシューベルトは、家族の支えのもと音楽の基礎を学び、初めての作曲にも挑戦するようになった。この時期の家庭環境が、シューベルトの音楽的な土台を築いたと言えるだろう。

ウィーン宮廷楽団少年合唱団への道

シューベルトの才能が評価され、11歳でウィーン宮廷楽団の少年合唱団に入団する機会を得た。ここで彼は、当時一流の指揮者や作曲家と直接触れ合うことができた。この経験は彼の音楽観を大きく広げるものとなった。シューベルトは、バイオリンや作曲の技術を磨くと同時に、モーツァルトやハイドンの楽譜を学び、それらのスタイルを研究した。この合唱団での経験は彼の人生を一変させ、音楽家としての未来を切り開くきっかけとなった。しかし同時に、厳しい環境での練習や生活もシューベルトを試練にさらした。

師サリエリとの出会い

ウィーンではイタリア人作曲家アントニオ・サリエリがシューベルトに作曲を教えた。サリエリはモーツァルトのライバルとして知られているが、シューベルトには温かく指導を行い、特に歌劇や声楽の技法を重点的に教えたという。シューベルトはサリエリから学んだ技法を、自身のリートやその他の声楽作品に活用した。特に詩と音楽の調和を重視するシューベルトのスタイルは、サリエリの教育に影響を受けているとされる。この師弟関係は、シューベルトが作曲家としての道を格的に歩み始めるための重要なステップとなった。

少年期のシューベルトが作った音楽

シューベルトは10代の頃から驚くべき数の作品を作曲していた。彼が15歳で書いた交響曲第1番は、その早熟な才能を象徴する作品である。また、リートや室内楽など多様なジャンルに挑戦し、そのすべてで高い完成度を示した。特に、家庭内で演奏される機会の多かったリートは、シューベルトの得意分野となっていった。これらの作品は単なる練習の域を超え、後年の傑作の萌芽を感じさせるものであった。この時期のシューベルトは、音楽への情熱にあふれる少年であり、将来の巨匠としての片鱗をすでに見せていた。

第3章 リート革命—詩と音楽の融合

詩人たちとの対話から生まれた音楽

フランツ・シューベルトは詩を愛し、それを音楽に変える天才であった。特にドイツの偉大な詩人ゲーテとの出会いが、彼のリート創作に革命をもたらした。ゲーテの「魔王」を題材にした作品では、父親と幼い息子、そして不気味な魔王の声がそれぞれ異なる音楽で表現され、物語のドラマ性を見事に引き立てている。シューベルトは詩の持つ感情や情景を音楽で鮮やかに描き出し、聴衆を詩の世界へと引き込んだ。このようにしてシューベルトは、詩人たちと音楽的な「対話」を行い、リートというジャンルを新たな高みに押し上げたのである。

「魔王」の衝撃的な世界

シューベルトの代表作「魔王」は、リートの歴史における一大事件であった。この曲はゲーテの詩を基に、死の恐怖と親子の愛を描き出している。右手が馬の疾走を表す激しいアルペジオを奏で、父親と息子の対話が劇的に進行する中、魔王の冷酷な声が忍び寄る。このような表現方法は、当時の聴衆にとって非常に斬新であった。「魔王」は、リートが単なる詩の朗読を超え、感情や物語を音楽で体験させる可能性を証明した作品である。この曲が示した新しい音楽表現の可能性は、後の作曲家たちに大きな影響を与えた。

リートの進化と市民の音楽

シューベルトのリートは当時の市民文化とも密接に結びついていた。リートは特に家庭で楽しむ音楽として人気を博し、多くの人々がシューベルトの曲をピアノで弾きながら歌った。詩の美しさと親しみやすい旋律が相まって、彼のリートは幅広い層に受け入れられた。また、詩の内容によってリートのスタイルも多様で、恋愛、自然悲劇といったテーマがさまざまに展開された。シューベルトは、日常生活に詩と音楽を融合させる方法を提供し、市民たちの心に深く刻まれる存在となった。

詩と音楽の未来を切り開いた革新

シューベルトはリートのジャンルを単なる娯楽から芸術へと昇華させた。彼のリートは、詩の意味を音楽で解釈し、新たな感情や物語を付加するという独創的なアプローチを採用している。例えば、自然の情景を描くリートでは、ピアノ伴奏が風や川のを表現し、聴き手に詩の世界を体感させた。これらの作品は後にブラームスやマーラーといった作曲家たちにも影響を与え、リートがロマン派音楽の重要なジャンルとなる基盤を築いた。シューベルトの革新は詩と音楽未来を切り開き、永遠にその名を残すこととなった。

第4章 「冬の旅」と孤独の美学

孤独の旅路を描く音楽

シューベルトの「冬の旅」は、孤独と絶望の旅を音楽で表現した連作歌曲集である。ヴァルター・ミュラーの詩を基にしたこの作品は、冷たく荒涼とした冬の風景を舞台に、一人の旅人の心情を描き出している。歌曲はそれぞれ独立していながら、全体を通して物語が進行するという構成を持つ。例えば、最初の曲「おやすみ」では旅立ちの痛みが歌われ、ピアノの低が冷たい風を表現している。この作品は当時のリートの枠を超え、詩と音楽が一体となった叙事詩とも言える存在である。

冬の風景が語る心理描写

「冬の旅」では、自然の描写が旅人の心理を反映する鏡として機能している。例えば、「菩提樹」では、かつて幸せだった頃を思い出させる木陰が登場し、その優しい旋律が旅人の心の揺らぎを表現している。一方で「凍った涙」では、冷たい環境が内面の感情と重なり、ピアノが涙の一滴一滴を繊細に描く。シューベルトは単に風景を描くだけでなく、それを心理的な深みを加える要素として巧みに用いている。このように「冬の旅」は音楽的な風景画であり、心の内側を鋭く照らし出す作品である。

旅人の心の葛藤と救いの欠如

「冬の旅」の旅人は、常に孤独や不安と戦いながら前進を続ける。しかし、その旅には明確な救いが提示されることはない。最終曲「辻音楽師」では、孤独な老人が登場し、旅人の心の闇をさらに深める。この曲の不協和や単純な旋律は、希望を放棄したかのような旅人の心理を描いている。シューベルトは、感情の解放や劇的な解決を提供せず、むしろリスナーに旅人の苦悩を共有させる形をとる。この深い内省的な構造が「冬の旅」を唯一無二の芸術作品にしている。

人間の普遍的な感情への訴求

「冬の旅」は孤独や喪失といった普遍的な感情を扱い、多くの人々の心に響く作品である。この歌曲集が完成された1827年、シューベルトは健康を害し、死期を予感していたとされる。その背景も相まって、「冬の旅」には彼自身の孤独や絶望が反映されていると感じられる。現代においても、この作品は多くの人に歌われ、演奏され続けている。その理由は、旅人の孤独が特定の時代や場所を超えて、私たち自身の心の中にある感情と共鳴するからである。シューベルトは音楽を通して、聴く人々に深い問いを投げかけているのだ。

第5章 シューベルトの室内楽とその革新

ピアノ五重奏曲「ます」の誕生秘話

シューベルトの代表的な室内楽作品「ピアノ五重奏曲『ます』」は、友人シルバースタインの依頼から生まれた。釣り好きの友人たちと過ごした時間がインスピレーションとなり、同名の歌曲を元に第4楽章が作られた。この曲は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノというユニークな編成を持ち、軽快で明るい旋律が特徴である。特に第4楽章の変奏形式では「ます」のテーマが様々な形で表現され、聴衆に楽しさと驚きを提供した。この作品は演奏されるたびに聴く人々を魅了し、室内楽の可能性を広げた象徴的な一曲である。

弦楽四重奏曲に見る繊細な対話

シューベルトの弦楽四重奏曲は、古典派の伝統を受け継ぎながらも新しい感性を示している。「死と乙女」四重奏曲はその典型で、同名の歌曲の旋律を取り入れた第2楽章が特に有名である。この楽章では死が乙女を優しく導く物語が展開され、チェロの低が死の威厳を、ヴァイオリンの旋律が乙女の心情を表している。全体を通してシューベルトらしい豊かな感情表現と詩的な音楽構造が際立つ。この作品は弦楽四重奏の可能性を追求し、新しい時代の幕開けを告げるものであった。

室内楽に息づくロマン派の兆し

シューベルトの室内楽作品にはロマン派音楽の萌芽が見られる。彼は音楽を通して個人的な感情自然の美しさを描くことに挑戦した。例えば、八重奏曲は独特の暖かみと親しみやすさを持ち、まるで友人たちの楽しいひと時を描くかのような作品である。一方、交響曲のような規模を持つ弦楽四重奏曲「ロザムンデ」では、雄大な構成の中に叙情的なメロディーが組み込まれている。これらの作品は、シューベルトが室内楽に新しい視点をもたらし、ジャンルそのものを進化させた証拠と言える。

聴衆の心を結ぶ親密な音楽

シューベルトの室内楽作品が持つ最大の魅力は、親密さと直接的な感情表現である。当時の家庭音楽文化と密接に結びついたこれらの作品は、演奏者と聴衆の心を直接結びつける役割を果たした。シューベルトは技巧を追求するだけでなく、聴く人々が共感しやすい音楽を作ることに重点を置いた。その結果、彼の室内楽作品は親しい友人との対話のように感じられるものとなった。このような作品は今日でも愛され、室内楽の質を語る上で欠かせない存在である。

第6章 シューベルティアーデ—音楽家と友人たち

シューベルティアーデとは何だったのか

シューベルティアーデは、シューベルトの友人たちが主催した非公式の音楽会である。これらの集まりは、演奏会というよりも、仲間たちが集まって音楽や詩、会話を楽しむ親密なイベントであった。シューベルトの歌曲や室内楽が中心に演奏され、リラックスした雰囲気の中で新作が披露される場でもあった。特に詩人フランツ・フォン・ショーバーや画家モリッツ・フォン・シュヴィントなど、多才な仲間たちが集まったこれらの会合は、芸術的なアイデアの交流の場となった。シューベルト自身もそこで聴衆の反応を感じ、次の作品のインスピレーションを得ることができた。

友情が支えたシューベルトの創作

シューベルティアーデはシューベルトの創作活動を支える重要な存在であった。彼の友人たちは音楽だけでなく、経済的にも精神的にも彼を助けた。例えば、フランツ・フォン・ショーバーはシューベルトのために住居を提供し、詩を提供するなど、幅広い支援を行った。また、詩人ヨハン・マイアーホーファーは、シューベルトの歌曲の多くにテキストを提供した。こうした友情は、シューベルトが次々と名曲を生み出す原動力となった。友人たちとの信頼と共感が、シューベルトの音楽に深い感情と人間性を与える源となっていたのである。

新しい音楽の試みが生まれる場所

シューベルティアーデは、シューベルトの新しい音楽の実験場としての役割を果たした。例えば、シューベルトは連作歌曲という形式をここで初めて披露し、その革新性が友人たちによって支持された。また、未完成交響曲の一部が演奏され、その独創的な楽曲構造が議論の的となったこともあった。このように、シューベルティアーデは、彼が創作したばかりの作品を安全に試し、批評を受けることができる貴重な環境であった。それは単なる音楽会を超え、音楽未来を語り合う創造的な場であった。

芸術と友情が織りなす物語

シューベルティアーデは、音楽と友情が交差する特別な場であった。そこで交わされた会話や笑い、音楽は、シューベルトの人生そのものを彩るものであり、彼の音楽に温かみと人間味をもたらした。シューベルトが短い人生の中で残した膨大な楽曲の多くは、こうした友情の中から生まれたものである。現代でも、シューベルティアーデは彼の音楽が持つ親密さと共感を象徴するイベントとして知られている。シューベルトにとって、それは単なる演奏会ではなく、人生そのものを祝う時間だったのである。

第7章 未完の交響曲とその謎

未完の交響曲、第7番の神秘

シューベルトの「未完成交響曲」第7番は、音楽史上最大の謎の一つである。1822年に着手されたこの交響曲は、完成することなく2つの楽章のみで終わっている。なぜシューベルトがこの作品を完成させなかったのか、具体的な理由は明らかになっていない。しかし、未完成であるにもかかわらず、この交響曲は深い感情と美しい構造で多くの人々を魅了している。第1楽章の暗くも壮大なテーマ、第2楽章の穏やかで慰めに満ちたメロディーは、シューベルトの卓越した作曲技術を存分に示している。この作品の未完の部分に、かえって想像をかき立てる力がある。

忘れられた楽譜の発見

「未完成交響曲」は、シューベルトの生前には演奏されず、彼の死後も長い間埋もれていた。1850年代、シューベルトの友人アンゼルム・ヒュッテンブレンナーが古い楽譜を整理する中でこの交響曲を発見したことで、世に知られるようになった。この発見は音楽界に衝撃を与え、未完であるにもかかわらず、楽曲が持つ力強さと詩的な魅力が高く評価された。その後、この交響曲は急速に人気を集め、シューベルトの代表作として演奏され続けている。楽譜の発見は、シューベルトの遺産を再評価する契機ともなった。

未完が意味するもの

シューベルトが「未完成交響曲」を完成させなかった理由について、さまざまな説が存在する。健康状態の化や新しいプロジェクトへの集中が原因であった可能性があるが、確証はない。さらに、この作品が未完であること自体が、特別な芸術的意味を持つのではないかと考える研究者もいる。実際に2つの完成された楽章だけで、交響曲としての十分な完成度を感じる聴衆も多い。シューベルトが意図的に未完のままにした可能性も、想像の余地を広げる要因となっている。

未完成がもたらす永遠の魅力

「未完成交響曲」は、シューベルトが描いた音楽の世界があまりにも豊かで深いからこそ、未完であることが逆に魅力を増している。この交響曲は、シューベルトの作曲家としての進化を物語ると同時に、未完ゆえの秘的な輝きを放つ。この作品はシューベルトの人生と同様に短命でありながら、芸術の持つ不滅の力を象徴している。この交響曲を聴くことで、シューベルトが目指した音楽未来を私たちは想像することができる。「未完成交響曲」は未完であるからこそ、永遠に語り継がれる名作となったのである。

第8章 シューベルトとロマン派音楽の黎明

古典派からロマン派への架け橋

シューベルトは古典派音楽の伝統を引き継ぎながら、ロマン派音楽の扉を開いた存在である。彼の音楽には、モーツァルトやハイドンの形式美と調和が感じられる一方で、感情表現や詩的な要素が加えられている。例えば、交響曲「グレート」では古典的な形式を保ちつつ、ロマン派的な壮大さを兼ね備えている。このようにシューベルトは、古典派の規律を壊すことなく新しい時代の感性を取り入れることで、音楽進化象徴する存在となった。その作風はベートーヴェンの影響を受けつつも、独自の詩情を加えて発展していった。

ロマン派の萌芽—詩と音楽の融合

シューベルトのリートは、ロマン派音楽の重要な要素である詩と音楽の融合を体現している。「魔王」や「野ばら」のような作品は、詩の中に描かれる情景や感情音楽で具体化したものである。このようなアプローチは、従来の形式的な作曲スタイルから脱却し、聴衆の感情に直接訴えかける新しい表現方法を示している。特に「冬の旅」のような連作歌曲は、物語性を持つ音楽としてリートの可能性を大きく広げた。この革新は後のブラームスやマーラーなど、多くの作曲家に影響を与えるものとなった。

ロマン派音楽の中でのシューベルトの地位

シューベルトは、ロマン派音楽の中心的な存在ではなかったが、その精神を先取りした作品を数多く残した。彼の音楽は、個人の感情自然の美しさを繊細に表現する点で、ロマン派の核心を担っている。例えば、「未完成交響曲」や「弦楽四重奏曲『死と乙女』」は、悲しみや孤独といった内面的なテーマを扱っている。これらの作品はシューマンやリスト、さらにはロマン派以降の音楽家たちにも影響を与え、彼らがシューベルトの音楽を再評価するきっかけとなった。

ベートーヴェンとの対比が生む新たな光

シューベルトとベートーヴェンは同時代に生きたが、その音楽性は大きく異なる。ベートーヴェンが強烈な力強さとドラマ性を追求したのに対し、シューベルトは繊細な詩情と自然な美しさを追求した。この違いは彼らの個性を際立たせると同時に、ロマン派音楽の多様性を象徴している。ベートーヴェンの死後、シューベルトは彼の葬儀に参列し、ベートーヴェンを深く敬愛していたと言われている。この対比がシューベルトの音楽をさらに興味深いものにし、彼の役割を新しい時代の基盤として明確にしている。

第9章 若き天才の早逝とその遺産

短い生涯が残した輝き

フランツ・シューベルトは1828年、わずか31歳の若さでこの世を去った。彼の死因はによる合併症と考えられているが、当時の記録にははっきりとした詳細が残っていない。彼は亡くなる直前まで作曲を続けており、「ピアノ・ソナタ集」や「交響曲第9番『グレート』」など、後世に残る名作を完成させた。死の直前には、友人たちとシューベルティアーデを開催し、自作の音楽を披露したとされる。彼の死は突然だったが、その作品群は後世の音楽家たちに計り知れない影響を与え続けている。

忘れられた音楽の復活

シューベルトの死後、彼の音楽はしばらくの間、忘れ去られる運命にあった。しかし19世紀半ば、作曲家ロベルト・シューマンがシューベルトの楽譜を発見し、再評価が始まった。シューマンはライプツィヒでシューベルトの「交響曲第9番」をメンデルスゾーンの指揮で演奏し、この名作を世界に広めた。この時期からシューベルトの音楽は新たな注目を集め、彼のリートや交響曲が次第に演奏されるようになった。シューマンやブラームスら同時代の作曲家たちもシューベルトを敬愛し、彼の音楽を称賛した。

シューベルトの遺産を守る人々

シューベルトの死後、彼の友人や家族が彼の遺作を整理し、出版する役割を担った。特に、彼の兄フェルディナンドは、未発表の楽譜を保管し、出版社との交渉に尽力した。また、友人アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは「未完成交響曲」の楽譜を発見し、その価値を世に広めた。これらの人々の努力がなければ、シューベルトの音楽は現代に伝わらなかった可能性が高い。彼の作品はこうして再発見され、今日まで世界中で愛され続けている。

現代に生きるシューベルトの音楽

シューベルトの音楽は、その感情の深さと普遍的なテーマによって、現代でも広く親しまれている。「未完成交響曲」や「冬の旅」といった作品は、演奏会や録で頻繁に取り上げられる名作である。また、彼の音楽映画やドラマの中でも使用され、視覚芸術と結びつく形で新たな感動を生み出している。シューベルトは短い生涯の中で、膨大で多様な作品を遺した。それらは彼の時代を超えて、多くの人々の心に響き続けているのである。

第10章 シューベルトの音楽を現代にどう受け止めるか

永遠に響き続ける旋律

シューベルトの音楽は、その普遍性によって時代を超えて聴かれ続けている。例えば、「アヴェ・マリア」や「野ばら」のような歌曲は、クラシック音楽の枠を超えて映画や広告、結婚式など、さまざまな場面で使用される。彼の旋律には、日常の感情自然の美しさを描く力があり、聴く人々に強い共感を与える。このような特性により、シューベルトの作品は現代社会においても親しまれ、愛されている。シューベルトの音楽は、一瞬にして時代を超えた絆を感じさせる力を持っている。

演奏と録音の歴史が作る新たな価値

シューベルトの音楽は、録技術の発展と共に多くの人々に広がった。20世紀の名演奏家たちは彼の作品を録し、その魅力をさらに引き出した。特に、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのリートの解釈や、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの交響曲演奏は、シューベルトの音楽を深く理解する助けとなった。さらに、現代のピアニストや指揮者による新しいアプローチも注目されている。録によって彼の音楽は新たな解釈を得て、時代と共に進化している。

音楽教育でのシューベルトの役割

シューベルトの音楽は、現代の音楽教育にも大きな影響を与えている。彼のリートは、歌唱やピアノ教育用教材として使われ、音楽感情表現を学ぶ絶好の題材となっている。また、交響曲や室内楽作品は、アンサンブルの練習曲としても広く採用されている。これらの作品は、学生たちが古典的な技法を学びながら、豊かな感情を表現する力を身に付ける機会を提供する。シューベルトの音楽は、教育の現場でもその普遍的な価値を証明している。

現代社会におけるシューベルトの意義

シューベルトの音楽は、現代社会においても深い意味を持ち続けている。その旋律や詩的な美しさは、忙しい日常の中で心を癒す効果がある。さらに、彼の作品に含まれる孤独や希望のテーマは、デジタル時代に生きる私たちにも共感を呼び起こす。現代の演奏家たちは、シューベルトの音楽を通して人々をつなぎ、新しい形のコミュニケーションを生み出している。シューベルトの音楽は、今もなお新たな価値を持ち、未来に向けてその輝きを増し続けているのである。