基礎知識
- アクイレイアの建設とローマ帝国における役割
紀元前181年にローマ人が建設したアクイレイアは、軍事拠点および貿易のハブとして重要であった。 - キリスト教とアクイレイアの関係
アクイレイアは初期キリスト教の重要な中心地であり、その司教座は地域に強い宗教的影響を与えた。 - アッティラとアクイレイアの破壊
アクイレイアは455年、フン族の王アッティラによって完全に破壊され、その後、重要性が低下した。 - アクイレイアのビザンティン文化と復興
ビザンティン帝国の支配下でアクイレイアは復興し、芸術や文化の発展が見られた。 - アクイレイアのユネスコ世界遺産登録
その歴史的重要性と遺跡群により、アクイレイアは1998年にユネスコの世界遺産に登録された。
第1章 古代ローマの拠点アクイレイアの誕生
北方への野望:ローマの戦略的動機
紀元前2世紀、ローマ共和国は急速に領土を拡大していた。しかしアルプスを越えるゲルマン部族の脅威と、北イタリアの豊かな資源への関心が結びつき、新たな戦略拠点が必要とされた。紀元前181年、ローマ元老院はこの地にアクイレイアを建設することを決定した。アクイレイアの位置はまさに絶妙で、北方のガリアや東方のバルカン半島に通じる交通の要所であった。初代植民地指導者には、当時の名高い将軍たちが選ばれ、彼らの指揮のもとで1万人を超える植民者がこの地へ送り込まれた。アクイレイアはローマの北方防衛の要であると同時に、経済的な可能性を秘めた未来の都市でもあった。
繁栄への布石:計画都市アクイレイア
アクイレイアは計画的に建設された都市である。ローマ人は防衛を優先し、頑丈な城壁と四角形の街路網を整備した。中心にはフォルム(広場)が置かれ、宗教や政治活動の場として機能した。ローマ人の建築技術の粋が集められ、公共浴場、劇場、神殿が次々と建設された。さらに、川を利用した港も整備され、交易品の輸送が効率化された。街を彩るのは、石造りの豪華な住宅やモザイク装飾である。これらはアクイレイアが単なる軍事基地ではなく、ローマ文化の中心地として発展を目指した証拠である。都市計画は今日の考古学的発掘でも確認されており、当時の高度な技術がうかがえる。
交易の交差点:経済の発展と多文化交流
アクイレイアの地理的条件は貿易に最適であった。地中海からバルカン半島、さらには中央ヨーロッパへと至る交易路の交差点に位置し、ワインやオリーブオイル、アンフォラといったローマ産品が北へと運ばれた。一方で、琥珀や毛皮、奴隷など北方の資源が南へ流れ込んだ。この交易活動により、街には多様な文化が交錯し、ギリシャ、ケルト、ローマの影響が入り混じった活気ある社会が形成された。街の市場ではさまざまな言語が飛び交い、異なる宗教や風習が共存した。アクイレイアは単なる経済的拠点ではなく、文化交流の舞台でもあったのである。
防衛の要:ローマ軍とアクイレイア
アクイレイアは常に軍事拠点としての重要性を持っていた。アルプス山脈を越えて侵入してくるゲルマン人や、東方のダキア人からイタリア半島を守る砦として機能した。ローマ軍の駐屯地が設置され、精鋭部隊が常駐していた。また、街には軍事物資の貯蔵施設があり、戦時には迅速な補給が可能であった。歴史家リウィウスも、アクイレイアが数多くの戦争で決定的な役割を果たしたと記している。この軍事的基盤により、アクイレイアは敵の侵攻を防ぎつつ、ローマの北方支配を支える柱となった。その堅牢な防衛体制が、街の長い歴史の出発点となったのである。
第2章 繁栄するローマ都市と交易の要
地中海とヨーロッパをつなぐ黄金ルート
アクイレイアは地中海からヨーロッパ内陸部への玄関口であった。地中海の沿岸から集まるオリーブオイル、ワイン、陶器はこの都市で一旦集積され、北ヨーロッパの市場へと運ばれた。一方、バルト海地方で産出される琥珀やアルプスを越えて運ばれる木材や金属製品が南へと流れ込んだ。これらの交易は、アクイレイアを経済的に豊かな都市へと押し上げた。川や道路が巧妙に整備され、商人たちは安全に物資を運ぶことができた。このようにして、アクイレイアは国際的な物流と交易の要所として重要な役割を果たした。
アンフォラに込められた商業の秘密
アクイレイアの街角には無数のアンフォラが積み上げられていた。この壺は、ワインやオリーブオイルを輸送するための容器であり、街の商業活動の象徴であった。考古学者は、発掘されたアンフォラの刻印から、輸出品がローマ帝国全域に広がっていたことを明らかにした。特にこの地域で作られたワインは、北方のゲルマン部族に高値で取引されていた。また、アンフォラの形状や素材は、ローマ人の高度な物流技術を物語る。これらの壺が世界中を旅しながらローマ文化を広めたのは、まさにアクイレイアの商業の成功の象徴であった。
市場と異文化の交差点
アクイレイアの市場は、文化のるつぼであった。ローマ人、ギリシャ人、ケルト人、さらには東方の交易商人たちが集まり、活発な取引が行われた。市場ではさまざまな言語が飛び交い、異なる文化が交差することで新たな価値観が生まれた。ここではローマの硬貨だけでなく、各地の通貨や物々交換も行われた。さらに、ローマ人が持ち込んだ技術や思想がケルト人やその他の民族に影響を与えたことは、文化的融合の一例である。アクイレイアの市場は、単なる商取引の場ではなく、新しいアイデアや技術が行き交う知的な場でもあった。
富と繁栄を支える職人たちの技
アクイレイアの繁栄は職人たちの技術に支えられていた。この街は陶器、ガラス、金属製品の製造でも知られており、これらは交易品として重要な役割を果たした。特にガラス製品は精巧で、ローマ全土で高く評価された。考古学的発掘では、製作途中のアンフォラや装飾品が出土しており、街全体が巨大な工房のようであったことが分かる。また、職人たちは異文化からの影響を取り入れながら独自の技術を発展させた。こうした創意工夫が、アクイレイアの経済的成功を長く支え続けた要因であった。
第3章 初期キリスト教とアクイレイア
信仰の灯火:キリスト教の芽生え
紀元1世紀、アクイレイアには商人や旅人を通じて新興宗教であるキリスト教が持ち込まれた。初期の信者たちは迫害を恐れながらも地下墓地や家々で密かに礼拝を行い、信仰を守り続けた。特に殉教者ヘルマゴラスの存在が信仰の広がりを後押しした。彼はアクイレイアの最初の司教とされ、その献身的な布教活動は多くの市民に感化を与えた。ローマ帝国の迫害にも屈しない彼の精神は、後に信徒たちの勇気と一致団結の象徴となった。アクイレイアはこうしてキリスト教の重要な中心地へと成長する道を歩み始めたのである。
聖堂の誕生:アクイレイアのバシリカ
313年、ミラノ勅令によってキリスト教が公認されると、アクイレイアは一気に信仰の中心地として発展を遂げた。この時期に建設されたアクイレイアのバシリカは、その象徴である。初期のバシリカは質素であったが、後に改築が重ねられ、壮大なモザイク床を持つ美しい建物へと変貌を遂げた。そのモザイクには聖書の物語や宗教的象徴が描かれ、信者たちに感動と啓示を与えた。この建物は単なる礼拝の場ではなく、信徒たちが集うコミュニティの中心でもあった。バシリカの建設は、キリスト教の信仰が街の文化に深く根付いた証である。
司教座の影響力:信仰と権力の結びつき
アクイレイアの司教座は、単なる宗教的な役割にとどまらなかった。この地の司教は、ローマ帝国全体に及ぶ広範な影響力を持つようになった。司教は地域の政治にも関与し、地元の貴族や行政と協力しながら社会の安定を図った。また、アクイレイアの司教座は周辺の教会を束ねる中心地となり、多くの巡礼者が訪れる信仰の要となった。特に教義を巡る議論では、アクイレイアの司教たちが重要な役割を果たし、正統派キリスト教の確立に寄与した。こうして、アクイレイアは信仰と権力の融合した独自の地位を築き上げた。
異教との対立:信仰の守護者たち
キリスト教の勢力が拡大するにつれ、異教の祭儀や信仰との対立が激化した。アクイレイアでは、異教の神殿が破壊され、その跡地にキリスト教の教会が建てられることもあった。この過程は単なる物理的な破壊ではなく、信仰の象徴を取り戻す文化的な勝利と見なされた。また、異教徒たちとの議論や論争が盛んに行われ、それは新たな信徒を引き寄せる一因ともなった。こうした対立の中で、アクイレイアのキリスト教徒たちは自らの信仰を守り抜き、その街を聖なる地として発展させた。これにより、アクイレイアは古代から中世への移行期における重要な役割を果たしたのである。
第4章 アッティラの襲撃と都市の崩壊
フン族の王:恐怖の象徴アッティラ
5世紀半ば、フン族の王アッティラはヨーロッパを震撼させる存在であった。巧妙な戦術と圧倒的な軍事力で知られた彼は、西ローマ帝国の弱体化を巧みに利用した。アッティラの軍は西方へ侵攻し、破壊と略奪を繰り返した。アクイレイアもその目標となったのは455年のことであった。豊かな交易の中心地であり、要塞としての価値も高かったアクイレイアはフン族にとって格好の標的であった。アッティラがこの街を攻め落としたことで、彼の名はさらなる恐怖の象徴として歴史に刻まれることとなった。
包囲戦の悪夢:陥落への道
アッティラの軍はアクイレイアを包囲し、数週間にわたる激しい攻防が繰り広げられた。堅固な城壁と防御力を誇ったこの都市も、フン族の執拗な攻撃には耐えきれなかった。伝説では、アッティラは一度包囲を解いたが、街から飛び立つ白い鳥を見て再び攻撃を命じたと言われている。この鳥が崩壊した城壁を象徴していたからであるという。ついに城壁が破られた時、街はフン族の猛攻にさらされ、住民は虐殺され、生き残った者たちは避難を余儀なくされた。アクイレイアは歴史上最も悲劇的な瞬間を迎えたのである。
廃墟と化した街:文化と栄光の消失
アクイレイアの崩壊は単なる物理的な破壊にとどまらず、街の文化と栄光も失われた。壮大なバシリカやモザイク床は略奪と火災により壊滅し、街を彩っていた貴重な芸術品や遺物は持ち去られた。かつて交易の中心地として賑わっていた市場は廃墟と化し、街はもはや人々が住む場所ではなくなった。生き延びた住民は周辺地域に散り散りとなり、一部は後のヴェネツィアの礎を築くことになった。こうして、アクイレイアは繁栄の頂点から一転して歴史の舞台から姿を消したのである。
伝説としてのアクイレイア:教訓と希望
アクイレイアの破壊は、帝国の衰退がいかに急速であるかを象徴する事件であった。同時に、この悲劇は希望の種も残した。生き残った住民たちが逃れた先で築いた新しい生活が、後にヴェネツィアの誕生に繋がることとなる。アクイレイアは破壊されても、その精神は人々の中に生き続けた。この出来事は、歴史がいかに予測不可能であるかを教えると同時に、逆境の中でも未来への道を切り開く可能性があることを示している。今日、その遺跡は当時の栄光と悲劇を物語り、訪れる者に貴重な教訓を与えている。
第5章 ビザンティン帝国とアクイレイアの再生
ビザンティンの再建計画:栄光の復活
フン族による破壊の後、アクイレイアは廃墟と化していた。しかし、東ローマ帝国、つまりビザンティン帝国は、この重要な都市を見捨てなかった。6世紀、皇帝ユスティニアヌス1世の指導のもとで、アクイレイアの再建計画が開始された。街の防衛が強化され、新しい城壁が築かれた。さらに、宗教施設や公共施設の再建も行われた。特に教会の復興が重視され、キリスト教の中心地としての役割を再び担うこととなった。この時期、アクイレイアは新たな繁栄を手にしつつも、ビザンティン帝国の文化的影響を深く受け入れた。
モザイクに描かれた信仰と美
アクイレイアの再建期には、壮麗なモザイク芸術が街を飾った。特に教会の床や壁を彩ったモザイクは、ビザンティン美術の特徴である鮮やかな色彩と細やかなデザインで人々を魅了した。聖書の物語やキリスト教的象徴が描かれたこれらのモザイクは、信仰の力を視覚的に伝える重要な手段であった。特筆すべきは、アクイレイアのバシリカに残るモザイク群である。魚や鳥、植物など自然のモチーフと共に、神聖な場面が巧みに表現されている。これらの作品は、宗教と芸術が融合した当時の文化の豊かさを物語っている。
政治と宗教の新たな秩序
アクイレイアはビザンティン帝国の統治下で、宗教的な権威と政治的役割を再び強化した。司教座の権威は高まり、地域全体を統括する中心地となった。この時期、司教たちは帝国の政策と連携しながら教会の統治を行い、ビザンティン文化と信仰を広めた。また、周辺地域で起きる異民族の侵入に対抗するため、アクイレイアは防衛の拠点としても利用された。こうした状況下で、アクイレイアは宗教と政治が緊密に結びついた都市として再び力を取り戻したのである。
ビザンティン文化の影響とその遺産
アクイレイアの再生は、単なる都市の復興を超えて、ビザンティン文化の影響が強く現れる場となった。東方正教会の儀式や音楽、建築様式が街に取り入れられ、独自の文化が形成された。この融合は後世にわたる影響を与え、アクイレイアの文化的アイデンティティを形作った。また、この時期に築かれた遺跡や芸術品は、今日のアクイレイアを訪れる人々に当時の繁栄を伝えている。ビザンティンの再生期は、歴史の激動の中で文化と信仰がいかに新しい形を生み出すかを象徴する重要な章であった。
第6章 中世のアクイレイアとその政治的葛藤
宗教的権威の象徴:パトリアルカートの誕生
中世に入り、アクイレイアは宗教的な中心地として新たな地位を確立した。その象徴が「パトリアルカート」である。これは、司教座が教会の最高位を示す称号を授けられたことを意味する。この地位は、アクイレイアが単なる地方都市ではなく、広範な教区を統括する宗教的中枢であることを示していた。このパトリアルカートの下で、アクイレイアの司教たちは周辺地域に強い影響を及ぼし、教会の政策を導いた。また、教会建築や修道院の発展が進み、アクイレイアは精神的な影響力と実際の権力を融合させた都市として成長を続けた。
周辺諸国との抗争:政治的激動の時代
中世アクイレイアの歴史は、宗教的な栄光と政治的な混乱が交錯する時代でもあった。特に神聖ローマ帝国やヴェネツィア共和国との関係が複雑であり、アクイレイアの司教座はその狭間で絶え間ない駆け引きを行った。帝国の保護を受ける一方で、独立性を維持しようとした司教たちは、しばしば周辺の領主や貴族と争うこととなった。これらの紛争はアクイレイアを軍事的な要地へと変え、多くの要塞や防壁が建設された。街は外交と戦争の舞台となり、その地位を守るために絶えず努力を強いられたのである。
信仰の揺らぎと異端の台頭
アクイレイアの宗教的権威は常に盤石であったわけではない。中世後期、異端とみなされる運動がアクイレイアの支配地域でも広がり、教会の教えに挑む思想家たちが登場した。これに対抗するため、アクイレイアの司教座は異端審問を強化し、信仰の正統性を守ろうとした。一方で、信徒の中にはこうした厳格な政策に反発する者も少なくなかった。この時代、信仰と自由を巡る対立が顕著になり、宗教の役割とその在り方について新たな議論が巻き起こる契機ともなった。
繁栄と衰退の狭間で
中世を通じてアクイレイアは多くの試練に直面したが、それでも街は一定の繁栄を維持していた。宗教行事や巡礼者の増加により、街の経済は活気づき、文化も豊かに発展した。しかし、一方で周辺の政治的緊張や内部分裂が次第に影を落とし始めた。特にヴェネツィア共和国の台頭がアクイレイアにとって重大な脅威となり、街の独立性は次第に侵されていった。中世のアクイレイアは、宗教的な栄華と政治的な現実の狭間で揺れる複雑な時代を象徴する都市であったのである。
第7章 ルネサンスとアクイレイアの遺産
遺跡への新たな目覚め:ルネサンスの光
ルネサンス期、アクイレイアの歴史と文化が再び注目を浴びるようになった。この時代、古代ローマの栄光に憧れる知識人や芸術家たちは、アクイレイアの廃墟を訪れ、失われた遺産を探求した。特に考古学の先駆者たちは、モザイクや彫像、碑文を発見し、それを記録することで、アクイレイアの過去を新たに蘇らせた。これらの活動はルネサンス文化における人文学の発展に大きく寄与し、アクイレイアの遺産は、過去と現在を結ぶ貴重な橋となったのである。
彫刻と建築の再発見
アクイレイアの遺跡から発見された彫刻や建築物は、ルネサンスの芸術家たちに強い影響を与えた。例えば、古代の建築技術を模倣した作品が新たに生み出され、当時の教会や宮殿の装飾にも取り入れられた。また、ローマ時代の彫像は、人体の美を追求するルネサンスの理想に完璧に合致していた。これにより、アクイレイアの遺産は芸術的インスピレーションの源となり、過去の美が未来の創造を刺激する瞬間が生まれた。
歴史家と学者の情熱
ルネサンスの学者たちは、アクイレイアの過去を明らかにするために尽力した。特に、古代の碑文を解読する試みは、歴史学における重要な成果をもたらした。これらの記録は、かつてのアクイレイアがどのように機能していたかを示す手がかりとなった。また、古地図や文献を用いて、失われた街の姿を再構築しようとする努力も行われた。このように、学問的な探究心は、アクイレイアを単なる過去の遺物としてではなく、学びの対象として再び輝かせた。
遺産保存の第一歩
ルネサンス期の発見は、アクイレイアの遺産を守る動きへと繋がった。これまで放置されていた遺跡が、文化的価値を持つものとして認識され、保存の必要性が議論され始めた。この時期には、アクイレイアのモザイクや彫像が他地域の博物館や個人コレクションに収められることも多かったが、それによって逆にその重要性が広く知られるようになった。この保存活動は、今日のアクイレイア遺跡の基盤を築くものであり、その価値を未来へ引き継ぐ最初の試みであった。
第8章 アクイレイア遺跡の発見と保護
発掘の夜明け:歴史の眠りを覚ます
19世紀、ヨーロッパ中で考古学がブームとなる中、アクイレイアもその波に乗った。地中海沿岸に点在する古代遺跡が発掘される中、かつて繁栄を極めたこの街も考古学者たちの注目を浴びた。特に、モザイクや石碑の発掘は大きな成果であり、街の歴史が次第に明らかにされた。発掘作業は時に地元の農民たちの助力を得ながら行われた。地中から現れた古代ローマ時代の建物や遺物は、歴史のパズルの欠片をつなぎ合わせるような興奮をもたらした。アクイレイアの発見は、過去と現在を結ぶ扉を開く第一歩となった。
モザイクが語る過去の物語
アクイレイアで発見された壮麗なモザイクは、考古学の成果を象徴するものであった。動物や植物、聖書の場面を描いた精緻なデザインは、当時の芸術的技量の高さを示している。これらのモザイクは、ただの装飾品ではなく、古代の人々の生活や信仰を伝える貴重な歴史資料でもある。たとえば、市場の様子を描いたモザイクは、商業活動の活発さを物語り、キリスト教の場面を描いたものは、宗教的な価値観が街を支配していたことを示している。アクイレイアのモザイクは、色彩と物語が交錯する古代の窓である。
保存と挑戦:遺跡の未来を守る
発掘された遺跡を保存することは大きな課題であった。風雨や時間の経過はモザイクや建築物を脅かし、適切な保護がなければ遺跡は失われる危険があった。地元政府や学術団体は協力して保存活動を進め、発掘されたモザイクには屋根が設けられたり、修復作業が施された。また、一部の遺跡は博物館に移され、一般公開されるようになった。保存活動は単なる過去の保護ではなく、未来への遺産を守る挑戦でもあった。アクイレイアの遺跡は、地域と世界にとってかけがえのない文化財である。
観光地としての進化
保存活動が進む中、アクイレイアは重要な観光地としての地位を確立した。観光客たちは、壮麗なモザイクや遺跡群を目にすることで、古代の息吹を感じることができた。また、ガイド付きツアーや考古学に関する展示が、訪問者に深い知識を提供した。さらに、地元ではアクイレイア遺跡をテーマにした文化イベントや音楽祭が開催され、街の魅力が広く発信されている。このように、アクイレイアは単なる過去の遺産ではなく、生きた歴史体験を提供する場として進化を遂げている。
第9章 ユネスコ世界遺産アクイレイア
世界遺産への道:歴史の価値を認める
1998年、アクイレイアはユネスコ世界遺産に登録され、その歴史的・文化的重要性が国際的に認められた。この登録は、古代ローマ帝国時代から中世にかけての遺産が現代に至るまで大切に保存されてきた結果である。ユネスコの基準に基づき、都市の設計、モザイク芸術、そしてその宗教的な重要性が評価された。特に、アクイレイアのバシリカとその内部の壮麗なモザイクは、世界的にも類を見ない美しさであり、人類共有の文化財としての地位を確立した。この登録は、アクイレイアの過去と未来をつなぐ大きな一歩であった。
歴史と観光の融合:新たなアクイレイアの魅力
世界遺産登録以降、アクイレイアは観光地としての魅力をさらに高めた。訪れる人々は、保存状態の良い遺跡を通じて古代ローマの生活や文化に触れることができる。特に、バシリカのモザイクや発掘された街の遺跡を巡るツアーは、観光客に人気がある。また、地元政府と文化団体が連携して、考古学的発見をわかりやすく伝える展示や解説を提供している。アクイレイアは過去の遺産を保存するだけでなく、現代の観光を通じてその価値を広める新しい役割を果たしている。
地域経済への影響:遺産がもたらす繁栄
ユネスコ登録によって、アクイレイアは観光業を中心に地域経済の活性化を実現した。訪問者の増加に伴い、地元の飲食店や宿泊施設、土産物店が賑わいを見せるようになった。また、文化イベントやフェスティバルが開催され、観光客だけでなく地域住民もアクイレイアの遺産を楽しむ機会が増えた。このような活動は、経済的な利益だけでなく、文化的なつながりを強化する役割も果たしている。アクイレイアは、遺産を現代社会の中で活かす成功例として注目されている。
保護と未来:持続可能な遺産管理
世界遺産登録は、アクイレイアの保護と管理に新たな課題をもたらした。観光客の増加による遺跡の損傷を防ぐため、保存技術や観光管理の改善が必要とされた。また、環境変化や気候変動による影響にも対処しなければならない。こうした課題に応えるため、地元政府や国際機関が協力し、持続可能な遺産管理のモデルを構築している。これにより、アクイレイアの遺産は未来の世代にも引き継がれることが期待されている。アクイレイアは、過去の価値を守りながら、未来を見据えた都市としての挑戦を続けている。
第10章 未来に向けたアクイレイアの遺産
過去と未来の架け橋:教育の役割
アクイレイアの遺産は、教育の場として重要な役割を果たしている。地元の学校では、古代ローマや中世の歴史を学ぶために遺跡を活用し、子どもたちに具体的な体験を提供している。また、国際的な学生や研究者がこの地を訪れ、考古学や歴史の実地調査を行っている。さらに、最新のデジタル技術を用いたバーチャルツアーや3Dモデルは、アクイレイアの遺跡を世界中の人々に届ける新しい試みとして注目されている。教育を通じて遺産が次世代に受け継がれる未来は、すでに始まっているのである。
観光と環境のバランス
アクイレイアの遺産は観光地として多くの人々を引きつけているが、その成功には環境への配慮が欠かせない。地元の観光産業は持続可能な開発を目指し、訪問者の流れを管理するための新しいシステムを導入している。遺跡の保護と観光資源の活用を両立するために、ガイド付きツアーが主流となり、訪問者が歴史を深く学びながら遺跡を尊重する仕組みが整えられている。これにより、遺跡が破壊されるリスクを最小限に抑えつつ、地元経済への貢献が続けられている。
デジタル技術で再発見される遺産
最新のデジタル技術は、アクイレイアの遺産を新しい視点から理解する手助けをしている。3Dスキャン技術やドローンを活用した空撮が、遺跡の構造や広がりを詳細に記録している。また、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)を用いた体験型展示は、古代都市をその場にいるかのように再現する試みとして人気を集めている。これらの技術は、遠隔地に住む人々にもアクイレイアの魅力を伝え、現地訪問の促進にもつながっている。過去の歴史が現代技術と融合することで、新しい形の遺産体験が広がっている。
地域コミュニティとの協力
アクイレイアの遺産管理には、地元コミュニティの参加が欠かせない。地元住民は、ボランティア活動や文化イベントを通じて遺産保護に積極的に関与している。さらに、地域特産品や工芸品の販売が観光と結びつき、地元経済の活性化にも寄与している。このような取り組みは、遺産が地域の誇りとして共有されることを意味している。アクイレイアは、地域住民と訪問者が共に遺産を楽しみ、守ることで未来に向けた強い基盤を築いているのである。