キリスト教化

基礎知識
  1. キリスト教化の定義と範囲
    キリスト教化とは、特定の地域や民族がキリスト教を受け入れ、その宗教文化が根付いていく過程である。
  2. 初期キリスト教化とローマの影響
    キリスト教化の初期段階では、ローマが重要な役割を果たし、特にコンスタンティヌス帝の改宗が転換点であった。
  3. 中世ヨーロッパとゲルマン民族のキリスト教
    中世におけるゲルマン民族や北欧諸キリスト教化は、政治的支配と宗教的布教が密接に結びついていた。
  4. ヨーロッパ地域でのキリスト教化と宣教師の活動
    アジア、アフリカ、アメリカ大陸でのキリスト教化は、16世紀以降のヨーロッパ列強の植民地化と宣教師活動が主因である。
  5. キリスト教化に対する文化的・宗教的抵抗
    多くの地域でキリスト教化は一方的ではなく、先住民や既存宗教からの抵抗や融合がみられた。

第1章 キリスト教化とは何か—その定義と背景

宗教の種がまかれる瞬間

キリスト教化とは、キリスト教という宗教が一つの地域や民族に受け入れられ、社会や文化に深く根付いていく過程である。この過程は、単なる宗教的選択ではなく、政治文化、経済が絡み合う複雑な出来事として展開してきた。例えば、1世紀の地中海世界では、キリスト教ローマの迫害を受けながらも、奴隷や貧しい市民の間で急速に広がっていった。これが単なる信仰の広まりではなく、社会の底辺から生まれる新たな希望の象徴であったことを想像してみてほしい。この物語の始まりこそが、歴史の中で幾度も繰り返される「キリスト教化」の原型である。

地域と時代が生む多様な道筋

キリスト教化はすべての地域や時代で同じ形をとるわけではない。例えば、ヨーロッパではゲルマン民族が、アジアではシリア商人やネストリウス派キリスト教徒がキリスト教化の鍵を握った。ローマの中心地では都市部を基盤にした布教が行われた一方、北ヨーロッパでは修道院が辺境地での宗教活動の拠点となった。こうした地域差は、単なる地理的な違いだけではなく、地元の文化宗教との複雑な相互作用を反映している。それぞれのキリスト教化の物語には、特有の葛藤と妥協が存在するのである。

人々の選択と信仰の拡大

キリスト教化は一方的な強制ではなく、人々が自らの選択として信仰を受け入れる場面も多かった。4世紀のローマでは、コンスタンティヌス帝がキリスト教徒となることで帝の安定を図ったが、この選択は市民にも大きな影響を与えた。貴族は政治的な安定のために信仰を受け入れ、貧しい人々は希望と癒しを求めて教会に集った。選択の自由と社会的要因が絡み合う中で、キリスト教は個人と共同体の両方に浸透していったのである。

キリスト教化がもたらした文化の変容

キリスト教化は単なる信仰の広がりではなく、社会や文化の変革をもたらした。キリスト教が広がることで、新しい教育機関が設立され、哲学芸術にも影響を与えた。たとえば、修道院中世ヨーロッパで学問や技術の中心となり、キリスト教価値観に基づいた社会の基盤が築かれた。また、ローマ崩壊後の混乱の中で、キリスト教は多くの人々に道徳的な指針と希望を提供した。こうして、キリスト教化は一つの宗教以上のものとなり、地域社会を形作る原動力となったのである。

第2章 ローマ帝国と初期キリスト教化の時代

ローマの迫害から生まれた希望

1世紀のローマキリスト教徒は厳しい迫害に直面した。ネロ帝の時代には、キリスト教徒が都市の火災の責任を負わされ、多くの人々が残酷な処刑を受けた。しかし、この迫害の中でキリスト教徒たちは信仰を捨てず、共同体の中で支え合った。地下墓地カタコンベは単なる墓地ではなく、秘密の礼拝や交流の場となった。こうした苦難を乗り越える姿が周囲に感動を与え、次第に信仰は広がっていった。驚くべきことに、迫害という暗闇が信仰の灯火を輝かせる結果を生んだのである。

コンスタンティヌス帝の決断

313年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が発したミラノ勅令は、キリスト教史における最大の転換点の一つである。この勅令により、キリスト教は公認宗教となり、信徒たちは自由に信仰を実践できるようになった。コンスタンティヌス自身もキリスト教に改宗し、ローマの政策はキリスト教的な価値観に基づくものとなった。彼が見た「十字架の幻視」は、戦争に勝利をもたらすの導きと解釈され、政治宗教が密接に結びついた。彼の決断は、キリスト教ローマ社会の隅々にまで浸透させる扉を開いた。

ミラノ勅令が生んだ新しい社会

ミラノ勅令は単なる法的保護以上の影響をもたらした。信徒たちは堂々と教会を建設し、宗教儀式を公然と行えるようになった。さらに、キリスト教価値観が社会の制度や法律に反映されるようになった。奴隷の待遇改や慈活動が奨励され、キリスト教は社会正義の推進者としての役割を果たした。特に貧しい人々にとって、教会は助けを求める場所となり、信徒の増加に拍車をかけた。この新しい社会の姿は、帝全体の人々の心に深く刻まれた。

ローマ帝国とキリスト教の融合

4世紀後半、テオドシウス帝はキリスト教教とし、ローマ全体が公式にキリスト教化された。この政策により、他の宗教は衰退し、キリスト教が社会の中心に据えられた。ローマの伝統的な殿は教会に転用され、司祭たちは政治的な役割を担うようになった。これにより、ローマ文化や法律はキリスト教価値観に再構築されていった。こうして、ローマは単なる政治的な統一体を超え、「キリスト教の帝」として新たな歴史を刻み始めたのである。

第3章 ゲルマン民族の改宗と中世ヨーロッパの形成

クローヴィス王の洗礼—新たな時代の幕開け

5世紀後半、フランク王のクローヴィス王がキリスト教に改宗した出来事は、ヨーロッパ史を大きく変えた。クローヴィスは戦場での奇跡をきっかけに改宗を決意し、496年にランスで洗礼を受けた。この瞬間、ゲルマン民族のキリスト教化が格化した。彼の改宗は政治的な意味も持ち、ローマ教会との同盟を築くことで王の安定を図った。フランク王がカトリックの守護者となったことで、ゲルマン民族の信仰ヨーロッパ全体に広がる足掛かりとなった。クローヴィスの改宗は、単なる信仰の選択を超え、宗教政治が交差する中世ヨーロッパの基盤を築いたのである。

修道院—文化と信仰の灯火

中世のゲルマン地域で、修道院キリスト教化の重要な拠点であった。修道院教育や医療、農業技術の中心となり、辺境の地で信仰を広める役割を果たした。特に有名な修道士ベネディクトゥスは6世紀に「ベネディクト会則」を作り、祈りと労働を重視した生活を推奨した。この修道院運動は、ゲルマン人が信仰を日常生活に取り込む助けとなった。さらに、修道院ラテン語文献の保存にも貢献し、ヨーロッパの知的遺産を守り抜いた。修道院は単なる宗教施設ではなく、ゲルマン社会の精神的な中心として機能したのである。

キリスト教とゲルマンの融合文化

ゲルマン民族のキリスト教化は、単なる宗教の受け入れではなく、独自の文化との融合を生み出した。ゲルマン人の伝統的な英雄叙事詩や祭りは、キリスト教の祝日や儀式と結びつき、新しい形の文化が形成された。例えば、ユール祭がクリスマスと結びつき、冬至の祝いがキリスト教的な意義を帯びるようになった。また、ゲルマンの戦士精神は聖人伝や騎士道に反映され、信仰が勇敢さや名誉を讃える価値観と融合した。こうした文化的な調和は、中世ヨーロッパの豊かな精神的遺産を築き上げた。

王権とキリスト教—政治と宗教の結びつき

ゲルマン民族のキリスト教化は、王権と宗教の密接な関係を築いた。王たちは自らをの代理人と見なし、教会の支持を得ることで統治の正統性を高めた。一方で教会は、王権の庇護を受けて権威を拡大した。この相互依存の象徴が、カール大帝の戴冠である。800年、ローマ教皇がカールをローマ皇帝として戴冠したことで、教会と王権の結束が強化された。この関係は、ゲルマン諸キリスト教化を進める推進力となり、中世ヨーロッパ政治宗教の基盤を形作ったのである。

第4章 北欧とスラヴ諸国のキリスト教化

ヴァイキングと十字架の出会い

9世紀、戦士として恐れられたヴァイキングたちは、キリスト教との接触を通じて変化を遂げた。ノルウェー王オーラヴ1世の改宗は象徴的な出来事であった。オーラヴは、戦争と交渉を通じてノルウェーキリスト教を広めた。また、キリスト教は北欧の海上交易を通じて浸透し、文化的な交流を深めた。ヴァイキングの多教的な世界観が徐々にキリスト教価値観と融合し、新たな北欧文化が形成された。ヴァイキングの剣と十字架が共存する様子は、北欧キリスト教化の独特の物語を物語っている。

キエフ大公国と正教の輝き

東スラヴ諸では、キエフ大公キリスト教化の中心となった。988年、大公ウラジーミル1世が正教に改宗し、その影響でキリスト教中に広がった。特に、ウラジーミルがビザンツ帝の王女アンナと結婚したことは、宗教だけでなく政治的な結びつきを強化する要因となった。キエフはその後、東スラヴ世界の宗教的中心地となり、黄ドームの教会が街を輝かせた。キリスト教化は、スラヴ諸文化と統治の形を根から変えた歴史的な出来事であった。

神話とキリスト教の融合

北欧やスラヴ諸では、キリスト教は既存の信仰と融合し、新たな形を生み出した。たとえば、北欧の雷トールの話は、聖人ミカエルの伝説と結びつき、戦士的なイメージが維持された。同様に、スラヴ話の霊的な要素は正教の典礼や信仰の中に取り込まれた。こうした融合は、キリスト教が単に新しい宗教として押し付けられたのではなく、地域の文化に深く溶け込むことを示している。これは地域ごとの独特な信仰体系を形作り、宗教文化の共存を可能にした。

修道士と王たちの果たした役割

北欧やスラヴ諸でのキリスト教化には、宣教師や修道士の働きが欠かせなかった。たとえば、聖アンガルはスカンディナヴィアにおける布教活動を主導し、北欧社会に平和的な変化をもたらした。一方で、スラヴ諸では修道士たちがキリル文字を開発し、聖書を翻訳することで信仰を根付かせた。また、王たちも信仰の普及を支援し、社会の安定を図った。こうして、修道士と王が手を取り合い、キリスト教化が成功したのである。

第5章 十字軍とその宗教的・文化的影響

聖地奪還の旗の下に

11世紀末、聖地エルサレムを奪還するために始まった十字軍運動は、キリスト教世界にとって壮大な冒険と挑戦であった。第一回十字軍の呼びかけは、ローマ教皇ウルバヌス2世によるもので、聖地をイスラム教徒の支配から解放するという宗教的使命を掲げていた。1099年、十字軍はエルサレムを占領し、キリスト教徒の支配下に置いた。この勝利は多くの人々にの導きを感じさせたが、同時に、異文化との激しい衝突を生むきっかけともなった。十字軍は単なる軍事遠征ではなく、信仰戦争が結びついた複雑な現であった。

騎士と信仰—新たなヒーローの誕生

十字軍の中で、騎士たちは信仰と武勇を兼ね備えた英雄としての地位を確立した。特に、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団は、戦場だけでなく巡礼者の保護や病院の運営でも活躍した。これらの騎士修道会は、宗教的献身と戦士としての誇りを体現し、中世ヨーロッパ社会において新たな理想像を築いた。また、騎士文学の隆盛は、彼らの功績を英雄物語として語り継ぐことで、キリスト教世界の士気を高めた。騎士たちは単なる戦士ではなく、信仰と勇気の象徴として歴史に刻まれたのである。

東西の文化が交差する瞬間

十字軍宗教的使命だけでなく、東西の文化交流の重要な場ともなった。十字軍の遠征を通じて、ヨーロッパはイスラム世界の高度な知識技術に触れる機会を得た。例えば、医療や数学建築技術などがヨーロッパにもたらされ、ルネサンスの基盤を築く一因となった。また、シルクロードを経由した商業が活性化し、香辛料などの貿易が盛んになった。このように、十字軍戦争である一方で、文明の発展を促す触媒の役割を果たした。

悲劇と教訓の歴史

十字軍は多くの宗教的・文化的影響をもたらしたが、同時に悲劇も生んだ。エルサレム占領時には多くの市民が犠牲となり、宗教間の対立が激化した。特に、ユダヤ人や異教徒に対する迫害は暗い側面を持つ歴史として記憶されている。しかし、この出来事は、信仰政治が引き起こす力の大きさを示し、後世に教訓を与えた。十字軍の成功と失敗は、キリスト教世界がどのように自らのアイデンティティを形成していったかを物語る重要な章である。

第6章 新世界のキリスト教化—アメリカ大陸と植民地時代

コンキスタドールと十字架の到来

1492年、クリストファー・コロンブスの航海が「新世界」と呼ばれるアメリカ大陸の発見へと繋がった。この地に到達したスペイン人コンキスタドールたちは、剣と共にキリスト教信仰を携えていた。アステカ帝やインカ帝などの強大な文明と接触する中で、宣教師たちは新たな信仰を広めようとした。フランシスコ会やイエズス会の宣教師たちは、スペイン王室の後ろ盾を得て、教会の建設や現地語による聖書翻訳を進めた。しかし、キリスト教の布教はしばしば暴力や強制を伴い、先住民の文化や伝統との間で衝突を引き起こした。これは信仰と帝主義が交差する象徴的な時代であった。

先住民文化との融合と葛藤

アメリカ大陸でのキリスト教化は、先住民文化との対立と同時に融合も生んだ。例えば、アステカの太陽崇拝はキリスト教聖母マリア信仰と結びつき、「グアダルーペの聖母」の伝説が誕生した。このように、宣教師たちは現地文化を完全に排除するのではなく、キリスト教の教えに取り込む方法を模索した。一方で、伝統的な宗教儀式は禁止され、多くの先住民が信仰文化の喪失に苦しんだ。こうした融合と葛藤のプロセスは、キリスト教が単なる宗教以上に、政治的・文化的な影響力を持つ存在であったことを示している。

イエズス会の努力とその影響

特にイエズス会は、先住民の保護と教育を重視した活動で知られている。南パラグアイでは「レドゥクシオン」と呼ばれる先住民集落を形成し、労働と信仰を調和させた共同体の運営を行った。これにより多くの先住民がキリスト教に改宗し、同時にヨーロッパ教育技術を学ぶ機会を得た。しかし、この取り組みは植民地支配の枠組みの中で行われており、先住民の自立性を制限する側面もあった。イエズス会の活動は、教育宗教の力が地域社会に与える影響を象徴するものである。

新世界の教会と未来への遺産

アメリカ大陸では、キリスト教化が社会構造そのものを形作った。大規模な教会が建設され、スペインポルトガルの影響を受けた植民地社会の中心地となった。これらの教会は信仰の場であると同時に、芸術建築の新たな表現を生み出した。例えば、メキシコの大聖堂にはヨーロッパと先住民の文化が融合した装飾が施されている。キリスト教化がもたらした遺産は、単なる過去の記録ではなく、現在も文化信仰に影響を与え続けている。新世界のキリスト教化は、現代に至るまでの深い意義を持つ歴史的出来事であった。

第7章 アフリカとアジアにおけるキリスト教化の挑戦

宣教師と植民地—新たな伝道の地平

16世紀以降、ヨーロッパの列強がアフリカとアジアに進出すると同時に、キリスト教もこれらの地域に広がり始めた。ポルトガルスペイン植民地化とキリスト教布教を一体化させ、宣教師たちを送り込んだ。特にイエズス会のフランシスコ・ザビエルは、日インド信仰を広める重要な役割を果たした。彼は現地文化に敬意を払い、布教に工夫を凝らしたが、植民地支配の影響は避けられなかった。キリスト教は一部の地域で受け入れられたが、現地の宗教との衝突や反発も多かった。この動きは、宗教政治の結びつきが新しい課題を生んだ例である。

文化的衝突と融合の狭間で

アフリカやアジアでのキリスト教化は、現地文化との衝突を伴った。インドではカースト制度の存在が布教活動に大きな壁を作り、一部の改宗者は自分の社会的位置を放棄する必要があった。一方で、中国ではイエズス会士マテオ・リッチが儒教思想を尊重し、現地文化と調和した布教を試みた。彼は中国語キリスト教の教えを説明し、皇帝の宮廷で影響力を持つまでに至った。こうした活動は、キリスト教がどのようにして異なる文化圏に適応しようとしたのかを物語っている。

地元の抵抗とキリスト教の進展

布教活動が進む一方で、多くの地域で地元の抵抗が起きた。日では、豊臣秀吉や徳川幕府がキリスト教を危険視し、迫害を行った。島原の乱では、キリスト教徒と反乱者が結びつき、信仰を守るために戦った。一方、アフリカでは一部の王キリスト教を受け入れる一方で、伝統的な宗教を守ろうとする動きも見られた。これらの抵抗は、単に信仰の拒絶ではなく、宗教が社会や政治に及ぼす影響をめぐる複雑な背景が存在したことを示している。

宣教師の挑戦と現代への影響

アフリカとアジアにおける宣教師たちの努力は、地域社会に深い影響を残した。多くの学校や病院が設立され、現地の教育や医療の発展に貢献した。しかし同時に、これらの施設は植民地支配の一環として機能することもあった。特にアフリカでは、キリスト教植民地主義が密接に結びつき、伝統的な社会構造に変化をもたらした。この時期に広がった信仰は、今日のアフリカやアジアのキリスト教共同体の基盤を築き、現在も多様な形で存続している。キリスト教化の歴史は、挑戦と適応の物語として続いている。

第8章 キリスト教化と文化的融合—異宗教との対話

信仰が交差する出会いの場

歴史の中で、キリスト教は他の宗教文化との接触を通じて新たな形を生み出してきた。例えば、アレクサンドリアでは古代エジプト秘思想やギリシャ哲学キリスト教神学と融合し、初期のキリスト教思想に深い影響を与えた。フィロンのヘレニズム思想やグノーシス主義との対話が、教父たちの神学を洗練させたのである。このような出会いは、信仰が他文化を排除するのではなく、吸収しながら成長する力を持つことを示している。キリスト教の世界観が広がるにつれて、こうした異文化との対話はさらに重要な役割を果たした。

シンクレティズム—融合の芸術

キリスト教は多くの地域で既存の信仰や風習と融合し、新たな文化的表現を生み出した。たとえば、ラテンアメリカでは先住民の太陽信仰キリスト教聖母マリア信仰が結びつき、「グアダルーペの聖母」として形を変えた。この現シンクレティズム(習合)と呼ばれ、宗教が他の文化と出会いながら新しいアイデンティティを形成する過程を表している。また、クリスマスツリーやイースターエッグのように、異教の伝統がキリスト教の儀式に溶け込む例も見られる。これらの融合は、信仰が固定された形ではなく、時代や場所によって変容するものであることを物語っている。

葛藤から生まれる対話

文化的融合が進む一方で、異なる信仰同士の対立も避けられなかった。中世スペインでは、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共存する「コンビベンシア(共生)」の時代があったが、宗教的緊張は常に存在していた。それでも、このような環境が哲学科学の発展を促し、アリストテレス哲学を基礎にしたトマス・アクィナス神学が生まれる土壌となった。宗教間の葛藤はしばしば困難を伴ったが、それを乗り越えた対話が文化知識の豊かさを育んだのである。

現代への教訓—多様性を受け入れる力

キリスト教が異文化との対話や融合を通じて成長した歴史は、現代社会に多くの示唆を与える。宗教間の共存は、単なる理想論ではなく、実現可能な現実であることを歴史が教えている。グローバル化が進む今日では、異なる文化宗教が交わる場面が増え、その中で対話と理解が不可欠である。キリスト教の歴史が示すのは、信仰が固定されたものではなく、変化しながらも普遍的な価値を保つ力を持つことである。この教訓は、より平和で多様性を尊重する社会を築く指針となる。

第9章 抵抗と独自のキリスト教化の形態

反逆と信仰の守護者たち

キリスト教化は常に一方的な受容だけではなく、激しい抵抗に直面することもあった。日の島原の乱はその典型例である。17世紀、徳川幕府によるキリスト教禁制政策に反発したキリスト教徒たちは、天草四郎を中心に蜂起し、信仰の自由を求めて戦った。彼らは祈りを力に変え、要塞化した原城で幕府軍と対峙した。結果は壊滅的であったが、信仰を貫く姿勢は後世に深い感動を与えた。このような抵抗は、信仰が単なる宗教行為以上の、個人のアイデンティティや自由を象徴する力を持つことを示している。

独自のキリスト教—カクレキリシタンの物語

厳しい迫害を受けたキリスト教徒たちは、地下に潜りながら信仰を守り続けた。日のカクレキリシタンはその象徴である。彼らは仏教の儀式を模倣しつつ、密かにキリスト教の祈りや教義を継承した。マリア像を観像に似せたり、ラテン語の祈りを日語に翻訳して歌にしたりするなど、創意工夫を凝らした。こうして独自の宗教文化が生まれ、外圧の中でも信仰が形を変えながら存続する可能性を示したのである。カクレキリシタンの例は、宗教がいかに柔軟に変化し、文化と融合するかを象徴している。

アフリカの抵抗と創造的適応

アフリカでも、キリスト教化には抵抗と適応が同時に見られた。ナイジェリアのヨルバ民族は、自らの伝統的な々をキリスト教の聖人と重ね合わせ、信仰の新たな形態を創出した。また、植民地支配と結びついた宣教師活動に反発し、現地人が独自に教会を設立するケースもあった。例えば、南アフリカのズールー族は、自らの伝統文化を尊重しながらキリスト教価値観を取り入れる道を選んだ。こうした動きは、キリスト教が外来の宗教としてだけでなく、地域文化と結びついた独自の表現を生む力を持つことを証明している。

信仰の変容が生む未来

抵抗と独自のキリスト教化の形態は、信仰がただ広がるだけでなく、変容する力を持つことを示している。この変容は、地域ごとの特性や歴史的背景によって形を変えるものであり、普遍的なキリスト教の概念が多様な解釈を生む原動力となっている。現在も多くの地域で、歴史的に生まれた独自の信仰形態が存在し、それらは地元の文化価値観と深く結びついている。この動きは、宗教がどのようにして人々の生活に根ざし、進化し続けるのかを教えるものである。未来信仰の姿もまた、この変容の中にあるだろう。

第10章 現代におけるキリスト教化の意味と遺産

グローバル化の中で広がる信仰

現代におけるキリスト教は、かつてないほどグローバルな存在となっている。アフリカやアジア、ラテンアメリカなどで信徒数が増加し、新しい宗教エネルギーが生まれている。一方で、西欧では世俗化が進み、教会の役割が変わりつつある。例えば、韓国プロテスタント教会は積極的な布教活動を展開し、世界的な注目を集めている。グローバル化が進む中で、キリスト教は地域ごとの特色を保持しつつも、共通の信仰の基盤によって結ばれている。この多様性と統一性の両方が、現代のキリスト教の強みとなっている。

キリスト教が築いた文化的遺産

キリスト教化の歴史は、芸術建築、文学、哲学といった多くの分野に影響を与えた。例えば、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画やバッハの宗教音楽は、キリスト教信仰が生み出した文化の頂点である。また、トルストイドストエフスキーといった文学者の作品には、キリスト教倫理や思想が深く刻まれている。さらに、建築物としての教会は、信仰象徴としてだけでなく、地域社会の中心的存在であった。これらの遺産は、キリスト教が単なる宗教を超えた普遍的な文化的影響力を持つことを示している。

宗教と社会問題への関わり

現代のキリスト教は、社会正義人権、環境問題といった地球規模の課題に積極的に取り組んでいる。カトリック教会のフランシスコ教皇は、気候変動や貧困への対策を訴え、多くの支持を集めている。また、プロテスタント教会も地域の課題に向き合い、難民支援や貧困層の支援活動を展開している。キリスト教は、単なる個人の信仰の枠を超え、社会変革の推進力としての役割を果たしている。このような活動は、宗教が現代社会にどのように寄与するかを示す好例である。

未来への指針—多様性と調和の中で

キリスト教未来は、多様性と調和という2つのテーマにかかっている。地域ごとに異なる表現を尊重しつつ、普遍的な価値観を共有することで、信仰の力はさらに強まるだろう。また、他宗教との対話や共同活動が、平和や共存の新しい可能性を開く鍵となる。歴史的に様々な文化や社会に適応してきたキリスト教は、変化を恐れない柔軟性を持つ。この柔軟性が、グローバルな課題を抱える現代社会で、信仰が持つ意味をより深める道を切り開くことになるだろう。